落ちこぼれの半龍娘

乃南羽緒

文字の大きさ
87 / 132
第十六章

86話 あの世の事

しおりを挟む
 黄泉比良坂を下る。
 水守の歩調は一分もぶれることはない。そのうしろを歩く朱月丸は、周囲の闇には目もくれず、ただ一心に水守だけを見続けることでその気概を保とうとしていた。
 不思議なもので、水守のそばにいると臆病な自分でも「なんとかなる」という気持ちになるからスゴいことである。
 黄泉比良坂を、下る。
 闇のなかを一、二分下ったところで坂は呆気なく終わりを告げた。

 目前に広がるは巨大な門であった。
 これこそ、索冥が言っていた『黄泉の門』なるものであろう。門は来るものすべてを受け入れるかのごとく開け放たれている。
 闇に慣れた目は、門の先の薄明かりすらまぶしく見えた。
「まぶしっ」
「──索冥は、白輪王の補佐役とやらを探せと言ったな」
「はあ。しかし、国の王などそうそう会えるものでもありますまい。だれかに聞けば分かるもんでしょうかね」
「そこいらにうろつく魂をひっとらえろ。そやつに問いただせばなにか分かろう」
「ははは、水守さまってば相変わらず過激派」
 朱月丸は茶目っ気を含んだ言い方をした。しかし、
(面妖な)
 とも思った。
 門を通って中を見れば、濃霧に包まれたそのなかに、カタチのない何かがあふれている。これまたふしぎな感覚である。
 現し世をさまよう幽霊とは似て非なる。この常世に在る魂たちは動きも喋りもせぬが、みな繋がり、意思疎通している。
 再会をなつかしみ、互いになにかを称えあう。
 だからといって朱月丸にその会話が聞こえるわけでもない。しかし、分かるのである。
「みな楽しそうじゃなー」
「命あったころに抱えた妄失をすべて手放すのだ。さぞ気は楽になろう」
「ははあ。むかし、それがしも聞いたことありますが、肉体から解き放たれれば、世のすべてを理解するというのはまことでしょうか」

「まことですよ」

 と。
 声がどこからともなく聞こえた。
 水守はぎろりと宙を睨み付けた。
 すがたは見えない。
 ぴゃっ、とあわてて朱月丸は水守の背に身を潜める。とはいえ、相手が見えないため身を守りようもないのだが。
「たれだ」
「それはこちらの台詞です。いったいどういう了見で、生者がこちらへやってきたのか。……と言いたいところですが、生憎とそこに至る経緯を確認しました。奇蹄族がずいぶんと余計なことをしたものだ」
「確認、……なるほど索冥の話はあながち法螺というわけでもないらしい。つまりは貴様が白輪王の補佐役か」
「…………」
 声は黙った。
 しん、と場が静まり返る。気づけば、先ほどまで談笑にふけっていた魂たちの気配もなくなっている。
 朱月丸はおずおずと顔を出した。
「それがしら、黄泉国を荒らしに来たわけではございませんよって。いちどお会いできませぬか」
「承知しています。龍族とダキニさまの因縁、月子、雪丸の死についての真実。それらを聞きに来たのでしょう。しかし──」
 と、声がいっしゅん途切れた。
 そして霧中から、ゆっくりとした足取りでこちらにくる影がひとつ。
「そう易々と通ってもらうと、こちらもすこし決まりというのがありまして」
 左目下に傷をつけた、ひとりの男。
 漆黒の長髪をひとつに束ね、濃紫と黒の装束をまとうその姿は、およそただ者には見えない。
「基本的にこの国はみなの故郷ですから、来るもの拒まずが基本なのですがね。さすがに躯をもった生者まで拒まぬというわけにもいかんのですよ、水守さま」
「……お前をこの爪で引き裂けばよいのか。であれば、御託はなしにさっさとやらせてもらおう」
「まあまあ落ち着いて。つまり、あなた方が躯から離れればよいということです。──ですので、その躯にはすこし寝ていてもらいましょうか」
 というや、男は懐から手鏡を取り出す。
 鏡面をこちらに向けた。
 瞬間、水守がわずかに目を見開く。身体が動かない。頭から指先一本まで、なぜか身動ぎひとつできないのである。
 やがて水守は膝をつき、朱月丸はばったりと倒れた。──しかしそれは、躯の話。
 水守の意識はいまだに凛と背筋を伸ばして立っていた。朱月丸はタヌキにこそ戻ったが、意識は同様である。
「それがしの身体がっ」
「……貴様、なにをした」
魂魄こんぱくを分離させただけですよ。そうピリピリせんでも。ここを立ち去るときには、ふたたび戻しますから」
 男はうっそりと微笑して、踵を返す。
 こちらです。
 と、一声かけて霧中へとふたりを誘い、奥へと歩みをすすめた。

 ※
「昔はここもね、還ってくるものたちを躯ごと迎えていたようなんですが」
 男は言った。
「肉体ってのは、すぐにきたなくなってしまうってんで、いつからか中身だけをお招きするようになったんだそうです。あの世もね、なかなか制度改革してるんですよ。知らないと思うけど」
「神の世界もはなから完璧でないということですなぁ」
「そうそう。だから龍が野良に堕ちることだって不思議じゃないし、人間が完璧になれるわきゃ当然ないんです」
 と、水守に対して意味ありげな笑みを向けた。それにしても、ずいぶんとフランクな男である。タヌキは小首をかしげた。
「ええと、なんとお呼びすればええんじゃろか」
「お好きに」
「補佐役どの、名前ないん?」
「一応、呼ばれる名はありますよ。しかしそれも私がかつて人の躯をまとっていたころの通り名です。それでよければ、どうぞタカムラ、と」
 タカムラ──。朱月丸は口中で繰り返す。
 男は霧を散らすように悠然と歩く。その先に見えてきた、一面の花畑。
(おや)
 朱月丸は目を丸くした。
 そこいらじゅうに、キラキラとした光が花々に群がっているではないか。
 先ほどまで姿の見えなかったなにかが、発光体としてそこいらを駆け回っている。話し声も、顔のないはずの表情まで、朱月丸に見えた。
「これは……」
「"次"を待つ魂たちですよ。うつくしいでしょう、みんなこんなものです」
「はぁ。むかし人間不信のころは性悪説を唱えたもんですが、これを見るかぎりじゃ到底そうではござらんなぁ。ねえ水守さま」
「……道理だろう。躯をもってまもない赤子は、ゆえにまだこの光を包有している」
「あっ、そういやそうじゃ」
 と、朱月丸が光のひとつを鼻先でつつく。
 くすぐったそうに笑う気配がして、光は朱月丸の周囲をまわってから気ままに飛んだ。向かう先はタカムラのもと。
 懐いているのか、光はタカムラにすり寄り、やがてほかの光のもとへ飛び去ってゆく。
 タカムラは瞳を細めた。
「善悪なんてのは人の作った基準で、そんなことばでこの世の真理を語っても意味はない。善いことも悪いこともない。あるのは因果だけなんですよ。それを、肉体を得ると同時に人はいつも忘れてしまう。……まあ、そういう仕組みになっているんだから当然なんですが。さあどうぞ、ここから白輪王のおわすところへゆきますから」
「どうもかたじけない」
 足元には金色の線が一本。
 ここがなにかの境界線なのだろう。朱月丸は水守にぴったりと張りついて、おずおずと先に進む。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

〈完結〉遅効性の毒

ごろごろみかん。
ファンタジー
「結婚されても、私は傍にいます。彼が、望むなら」 悲恋に酔う彼女に私は笑った。 そんなに私の立場が欲しいなら譲ってあげる。

おばさんは、ひっそり暮らしたい

波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。 たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。 さて、生きるには働かなければならない。 「仕方がない、ご飯屋にするか」 栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。 「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」 意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。 騎士サイド追加しました。2023/05/23 番外編を不定期ですが始めました。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

死んだはずの貴族、内政スキルでひっくり返す〜辺境村から始める復讐譚〜

のらねこ吟醸
ファンタジー
帝国の粛清で家族を失い、“死んだことにされた”名門貴族の青年は、 偽りの名を与えられ、最果ての辺境村へと送り込まれた。 水も農具も未来もない、限界集落で彼が手にしたのは―― 古代遺跡の力と、“俺にだけ見える内政スキル”。 村を立て直し、仲間と絆を築きながら、 やがて帝国の陰謀に迫り、家を滅ぼした仇と対峙する。 辺境から始まる、ちょっぴりほのぼの(?)な村興しと、 静かに進む策略と復讐の物語。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

私はもう必要ないらしいので、国を護る秘術を解くことにした〜気づいた頃には、もう遅いですよ?〜

AK
ファンタジー
ランドロール公爵家は、数百年前に王国を大地震の脅威から護った『要の巫女』の子孫として王国に名を残している。 そして15歳になったリシア・ランドロールも一族の慣しに従って『要の巫女』の座を受け継ぐこととなる。 さらに王太子がリシアを婚約者に選んだことで二人は婚約を結ぶことが決定した。 しかし本物の巫女としての力を持っていたのは初代のみで、それ以降はただ形式上の祈りを捧げる名ばかりの巫女ばかりであった。 それ故に時代とともにランドロール公爵家を敬う者は減っていき、遂に王太子アストラはリシアとの婚約破棄を宣言すると共にランドロール家の爵位を剥奪する事を決定してしまう。 だが彼らは知らなかった。リシアこそが初代『要の巫女』の生まれ変わりであり、これから王国で発生する大地震を予兆し鎮めていたと言う事実を。 そして「もう私は必要ないんですよね?」と、そっと術を解き、リシアは国を後にする決意をするのだった。 ※小説家になろう・カクヨムにも同タイトルで投稿しています。

処理中です...