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第十八章
102話 厳戒態勢
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神に祈りが届いた、と。
ありがたく実感することが人生でどれほどあるだろうか。
慎吾はふるえる手を握りしめる。
つい先ほど、白月丸を見つけたのだ。社務所に駆け込んでから、まだ幾分も経ってはいないというのに、なぜかいま、絹のような髪を乱した水守が社務所入口に立っている。
水守くん、とつぶやく声もふるえた。
「どうしてここに──」
「白はどうした」
「こ、こっちだ」
まさか、無意識のうちに念じた神への祈りが、本当に龍神──つまりは大龍のもとへ届いていたとでもいうのだろうか。だとすれば、神職であることをこれほど誇りにおもった日はない。
人払いをした部屋に敷かれたタオルの上、ぐったりと横たわるウサギを見て、水守は髪を揺らしてすばやく寄った。
「草陰に倒れていた。とにかく血が止まらんので、ここの神社の子に血止め薬をさがしてもらってるところなんだが──」
「持ってきた」
「え?」
水守が、懐からちいさな薬壺を取り出す。
これは慎吾も見たことがあった。たしか、鎌鼬の三男坊が似たようなものを常に抱えていたっけ。
すると彼は、あろうことか自らの手で薬を指で掬い、白月丸の身体に塗り込めだしたのである。普段ならば、こういうことは下々のだれかにやらせそうなものだが──と、慎吾は彼の横顔を盗み見た。
手が血で汚れるのも構わずに、水守は一心に薬を塗る。時折くちびるがふるえるのは、思いのままに名を呼ばんとするおのれを抑えているのか。
慎吾は眉を下げた。
「ほかに眷属は?」
「置いてきた。いま、彼処を手薄にはできぬ」
ひと通り、薬を塗り終えたらしい。
水守はゆっくりと上体を起こして、白月丸からちらりとも視線をはずさない。顔こそ無表情だけれど、よほど心配していると見える。
「薬を持ってきてくれて助かった。ありがとう──しかし本当に、いったいあの一時間のあいだになにがあったんだ」
「白月丸がまとっていた気は、こやつのものだけではなかった。この邪気には嗅ぎおぼえがある。……玉嵐だ」
「玉嵐ってあの、森のなかで水緒のこと襲ったやつだな。どうして白月丸のこと──」
「…………」
水守は答えない。
しかし、その理由に心当たりはあるようだった。彼に問うても仕方がない。慎吾は「いや」と首を振る。
「そんなことはいいんだ。とにかく白月丸を安全なところに連れていきたいな、水守くん頼めるか」
「──そのために来た」
といって、彼はタオルに包まれたウサギをゆっくりと胸に抱えて、部屋の隅でおとなしい弥太を一瞥した。
「弥太は残れ。慎吾の用が済んだなら、ともに神社へもどってこい」
「水守くん」
「玉嵐の気は弱っている。白月丸によって深手を負ったはずだ。そうすぐには動けまい」
「……白月丸」
「貴様がやられると面倒だ。ここを護るは国津神──加護をたのんでおく」
と、水守はひとり社務所を出ていく。
初めて出会ったころは、この義理の甥子をどうしたものかとおもったものだが、味方になるととても頼もしい。
慎吾はちらと三つ脚のカラスに手を伸ばし、おいでとひと声かける。たしか名を弥太といったか。カラスはピョンピョンとこちらに跳ねてきた。
「君もどこぞの神様のご眷属なのか。なんだかありがたいなァ。私たち人間は……本当に、ふつうに生きているだけじゃ、なんにも見えちゃいないんだ」
という慎吾のつぶやきに、弥太はカァとひと声鳴いて頭を手のひらに擦り付けてきた。
──はー幸せって、思うんですよう。
あのときの笑顔を思い出す。じわりと眉間があつくなる。
「……いっしょにウナギ食うんだろ、白月丸」
うつむいた慎吾の瞳から、ぽろりとひとつ涙が落ちた。
※
水守はまもなく戻った。
大龍神社内は、これまでにない緊張感に包まれている。空には学校で部活にいそしむ大地や英二を見守る阿吽龍が、境内にはパトロールをする庚月丸と紅玉がいる。
水緒は美波とともに聖域へ、蒼玉は神社外から周囲を警戒、そして銀月丸は社殿の屋根より神社上空に目を光らせるという厳戒態勢だ。
水守は空から聖域へと入った。
屋根上の人型銀月丸が、鉾を伏せて頭を下げる。
「白月丸は──ああ生きてる。よかった……ありがとうございます、水守さま」
「…………」
タオルにくるまれたウサギを抱え、社殿内に足を踏み入れると、中には翠玉が正座をして待っていた。
「若、おかえりなさい。白月丸どののご様子はいかがですかィ。ああ──僕の薬だ。役に立ったようでよかった。ううむ、傷はふさがってきてますがなんで目ェ覚めねんだろう」
「…………」
「とにかくそこへ。この社殿には大龍さまが強く結界を張りましたゆえ、安心です」
翠玉の指定した場所には、浄められた布が敷かれている。水守はそっと白月丸のからだを横たえた。
かすかに上下する胸の動きにうなずき、翠玉は豪瀑の滝壺から汲み上げた水で手ぬぐいを濡らす。ウサギの真白な毛にこびりついた血を、やさしくぬぐいはじめた。
なおも、白月丸から目を離さぬ水守。翠玉は「あのう」と声をかけた。
「あとは僕が見てるんで、大丈夫でさァ。若は大龍さまとお話された方がいいんじゃねえですかィ」
「…………」
御簾の間は奥にある。
なにやら大龍とは別の気配も感じる。水緒と、美波。そしてもうふたりほど客人が来ているようだが──翠玉をちらと見た。
彼の疑問を悟り、顔をあげる。
「奇蹄族が来てるみたいです。索冥どのともうひとり──たぶん族長の麒麟さまが」
「……麒麟」
なるほど、姿が見えないと思っていたが、索冥はどうやら自族長のもとへ帰っていたらしい。水守は立ち上がった。
「…………」
「大丈夫でさァ。この翠玉にお任せを」
水守はいまいちど白月丸を見る。
──やがて足は、御簾の間へ向いた。
ありがたく実感することが人生でどれほどあるだろうか。
慎吾はふるえる手を握りしめる。
つい先ほど、白月丸を見つけたのだ。社務所に駆け込んでから、まだ幾分も経ってはいないというのに、なぜかいま、絹のような髪を乱した水守が社務所入口に立っている。
水守くん、とつぶやく声もふるえた。
「どうしてここに──」
「白はどうした」
「こ、こっちだ」
まさか、無意識のうちに念じた神への祈りが、本当に龍神──つまりは大龍のもとへ届いていたとでもいうのだろうか。だとすれば、神職であることをこれほど誇りにおもった日はない。
人払いをした部屋に敷かれたタオルの上、ぐったりと横たわるウサギを見て、水守は髪を揺らしてすばやく寄った。
「草陰に倒れていた。とにかく血が止まらんので、ここの神社の子に血止め薬をさがしてもらってるところなんだが──」
「持ってきた」
「え?」
水守が、懐からちいさな薬壺を取り出す。
これは慎吾も見たことがあった。たしか、鎌鼬の三男坊が似たようなものを常に抱えていたっけ。
すると彼は、あろうことか自らの手で薬を指で掬い、白月丸の身体に塗り込めだしたのである。普段ならば、こういうことは下々のだれかにやらせそうなものだが──と、慎吾は彼の横顔を盗み見た。
手が血で汚れるのも構わずに、水守は一心に薬を塗る。時折くちびるがふるえるのは、思いのままに名を呼ばんとするおのれを抑えているのか。
慎吾は眉を下げた。
「ほかに眷属は?」
「置いてきた。いま、彼処を手薄にはできぬ」
ひと通り、薬を塗り終えたらしい。
水守はゆっくりと上体を起こして、白月丸からちらりとも視線をはずさない。顔こそ無表情だけれど、よほど心配していると見える。
「薬を持ってきてくれて助かった。ありがとう──しかし本当に、いったいあの一時間のあいだになにがあったんだ」
「白月丸がまとっていた気は、こやつのものだけではなかった。この邪気には嗅ぎおぼえがある。……玉嵐だ」
「玉嵐ってあの、森のなかで水緒のこと襲ったやつだな。どうして白月丸のこと──」
「…………」
水守は答えない。
しかし、その理由に心当たりはあるようだった。彼に問うても仕方がない。慎吾は「いや」と首を振る。
「そんなことはいいんだ。とにかく白月丸を安全なところに連れていきたいな、水守くん頼めるか」
「──そのために来た」
といって、彼はタオルに包まれたウサギをゆっくりと胸に抱えて、部屋の隅でおとなしい弥太を一瞥した。
「弥太は残れ。慎吾の用が済んだなら、ともに神社へもどってこい」
「水守くん」
「玉嵐の気は弱っている。白月丸によって深手を負ったはずだ。そうすぐには動けまい」
「……白月丸」
「貴様がやられると面倒だ。ここを護るは国津神──加護をたのんでおく」
と、水守はひとり社務所を出ていく。
初めて出会ったころは、この義理の甥子をどうしたものかとおもったものだが、味方になるととても頼もしい。
慎吾はちらと三つ脚のカラスに手を伸ばし、おいでとひと声かける。たしか名を弥太といったか。カラスはピョンピョンとこちらに跳ねてきた。
「君もどこぞの神様のご眷属なのか。なんだかありがたいなァ。私たち人間は……本当に、ふつうに生きているだけじゃ、なんにも見えちゃいないんだ」
という慎吾のつぶやきに、弥太はカァとひと声鳴いて頭を手のひらに擦り付けてきた。
──はー幸せって、思うんですよう。
あのときの笑顔を思い出す。じわりと眉間があつくなる。
「……いっしょにウナギ食うんだろ、白月丸」
うつむいた慎吾の瞳から、ぽろりとひとつ涙が落ちた。
※
水守はまもなく戻った。
大龍神社内は、これまでにない緊張感に包まれている。空には学校で部活にいそしむ大地や英二を見守る阿吽龍が、境内にはパトロールをする庚月丸と紅玉がいる。
水緒は美波とともに聖域へ、蒼玉は神社外から周囲を警戒、そして銀月丸は社殿の屋根より神社上空に目を光らせるという厳戒態勢だ。
水守は空から聖域へと入った。
屋根上の人型銀月丸が、鉾を伏せて頭を下げる。
「白月丸は──ああ生きてる。よかった……ありがとうございます、水守さま」
「…………」
タオルにくるまれたウサギを抱え、社殿内に足を踏み入れると、中には翠玉が正座をして待っていた。
「若、おかえりなさい。白月丸どののご様子はいかがですかィ。ああ──僕の薬だ。役に立ったようでよかった。ううむ、傷はふさがってきてますがなんで目ェ覚めねんだろう」
「…………」
「とにかくそこへ。この社殿には大龍さまが強く結界を張りましたゆえ、安心です」
翠玉の指定した場所には、浄められた布が敷かれている。水守はそっと白月丸のからだを横たえた。
かすかに上下する胸の動きにうなずき、翠玉は豪瀑の滝壺から汲み上げた水で手ぬぐいを濡らす。ウサギの真白な毛にこびりついた血を、やさしくぬぐいはじめた。
なおも、白月丸から目を離さぬ水守。翠玉は「あのう」と声をかけた。
「あとは僕が見てるんで、大丈夫でさァ。若は大龍さまとお話された方がいいんじゃねえですかィ」
「…………」
御簾の間は奥にある。
なにやら大龍とは別の気配も感じる。水緒と、美波。そしてもうふたりほど客人が来ているようだが──翠玉をちらと見た。
彼の疑問を悟り、顔をあげる。
「奇蹄族が来てるみたいです。索冥どのともうひとり──たぶん族長の麒麟さまが」
「……麒麟」
なるほど、姿が見えないと思っていたが、索冥はどうやら自族長のもとへ帰っていたらしい。水守は立ち上がった。
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