落ちこぼれの半龍娘

乃南羽緒

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第十九章

105話 黄泉への夢路

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 平陵高校校門前。
 午前中の部活を終えた男子サッカー部が、ぞろぞろと連なって校門を出る。最後尾を歩く大地の肩を、同級生の高橋がゆるく叩いた。
「おまえってやっぱ、天沢とつきあってんの?」
 と、真剣な顔で聞いてくる。
 耳にタコができる質問に、大地は「さぁ」と投げやりにつぶやいた。いつもならここで引いてくれるのだが、今日の彼はひと味違うようである。
「じゃ、俺狙っていいよな」
「あん」
「このあいだ、うちの練習試合観に来てたじゃん。そんときちょっとしゃべったんだけど、なんか普通にいいよなアイツ」
「は? 普通にいいってなんだよ」
 くっ、と笑う大地。
 ずいぶん愉快そうだが、すこしうしろから黙って聞く英二は、焦れてちらりと彼の表情をうかがうもよく見えない。
「擦れてねえしさ。いやてか俺もともとボブの女子めっちゃ好きなんだよ。かわいいべ。でもアイツ前はショートだったよな、女子って髪伸びんの速ェ」
「え、あぁ──ッははは! ま、まあな。アイツは特別速ェよな」
「特別?」
「いやいや。ま、好きにすれば。おれは知らねえよ」
 大地は逃げるように高橋と距離をとる。
 こら高橋、と英二は咄嗟にフォローをいれた。
「わるいこと言わねえから天沢はやめとけ。あの大地とめちゃくちゃ仲良くつるんでるんだぜ、天沢のなかの男基準はたぶん──大地レベルじゃなきゃ無理だぞ」
「いやアイツはそういうレベルで男を測るような女じゃないから」
「そうだぜ英二、みんなお前とおんなじだと思うなよ」
「…………」
 なぜか、フォローしたはずの大地にまでたしなめられる始末。英二は喉元に込み上げる怒りを押し止め、なおもつづけた。
「まあ、そうかもしんねえけど。……じゃあま、無理だと思うけどがんばれよ。無理だと思うけど」
「なんで二回言うんだよッ、性格わりぃな!」
「おまえが一時の気の迷いで恥かかねえよう忠告してやってんだ。ありがたく思え」
 英二は無愛想につぶやいて大地の肩を組み歩き出した。が、その足はまもなく止まる。視線の先に見覚えのある顔があったからだ。
 青年姿の阿吽龍である。
 大地もふたりに気がつくや、ひっつく英二もかまわず駆け寄った。おかげで英二はバランスを崩し、高橋の肩からさがるエナメルバッグをつかみ引き倒す。
 いてえなッ、とわめく高橋。見向きもせずに、大地は阿吽龍の肩をつかんだ。
「どうした、こんなとこまで。まさかアイツなんかあった?」
「あ、いえ。そうではないんですが──大地さまと英二さまのご様子をうかがいに参ったしだいで」
「おれたちの……天沢の命令か?」
「というよりは大龍さまの」
「だっ、大龍さまの? もしかしてまたなんか危険なことでもあるんだな」
 と、大地は周囲を気にして声をひそめる。
(神社に行く)
 ちらと英二を見てアイコンタクトを送ると、彼は高橋とじゃれついていたが、通じたらしい。わずかにうなずいた。

 ※
 大龍神社聖域の動きがあわただしくなる。
 御簾の間より、各所で警備にあたっていた眷属および鎌鼬に招集がかかり、麒麟の話を踏まえた龍宮四つ門への出撃手筈を伝達する。
 今宵、月が空にあがるころ──われわれも龍宮へゆく。
 大龍のことばに、一同はふるえる身体を抑えてうなずいた。

 そのとなりの部屋。
 ぐったりと横たわる白月丸の身体をやさしく撫でながら、美波は御簾の間からもれ聞こえた会話に耳を向ける。
「また」視線をウサギにもどした。「どっかにカチコミすんだって」
「…………」
「水緒ったら喧嘩なんてしたことないのよ、私の娘なのに。そんな勇姿──アンタ見送ってくれないの? しろ、……」
 フフフ、とちいさくわらう。
 まもなく襖が開き、水守が出てきた。彼の視線はふたたび白月丸に注がれる。
 出撃まで数時間。
 大した準備もないのだろう、水守は美波の横に片ひざをたてて座り、白月丸をおのれの膝上へ抱き寄せた。
「白月丸、ぜーんぜん起きない。きっとまだ眠いのね」
「…………」
「さて、と。みんな夜に出掛けるんでしょ。だったらそれまでに兵糧つくっとかないと。水守ちゃん、白月丸のことおねがいね」
 といって、美波は離れへと向かう。
 部屋には水守と白月丸のふたりが残る。色の白い大きな手で、水守はやさしくウサギの身体を撫でた。
「……白月丸、起きろ。白月丸」
「…………」
 しかしウサギは起きない。
 それ以上声をかけることはしなかったが、いつもは凛と伸びた彼の背筋が、わずかに折れる。ウサギに触れていた手が拳をつくる。水守は、奥歯を噛みしめていた。

 ────。
 白月丸はふわふわとした気持ちでいる。
 周囲は暗くてなんにも見えない。けれど恐怖を感じないのは、ぬくもりに包まれる感覚がおのれの身体にあるからだろうか。
(ここはどこかのう)
 ぼんやり周囲を眺め見た。
 さんざん目をこらして耳を動かしていると、闇の奥にわずかな光を見つけた。出口かな?
 あぁよかった、と数歩駆けたところで、目の前にひとりの男が立ちふさがった。
「これこれ」男はゆっくり膝をつく。「なにしにそちらへゆかれます」
 白月丸どの、という声に、ウサギはアッと目を見開いた。この声には見覚えがある。ずっと遠い、むかしの記憶だ。
「ほ、補佐役さま?」
「いかにも。ずいぶんとご無沙汰でしたな」
 タカムラである。
 四百年ほどむかしに、すこし話した程度だったが、彼も白月丸もふしぎとよく覚えていた。ウサギはよろこびのあまり、両前足をタカムラの膝に置く。
「よかった。それがし、いつのまにやらよう知らんところに紛れ込んでしもうたようで──心細いなぁと思うていたところでした」
「そうですか、しかし……白月丸どの、ずいぶんと無茶をなされた」
「無茶?」
「玉嵐と一戦を交えたとか。その折、身体に深い傷を負ったではありませんか。おぼえていませんか?」
 手鏡を持っている。
 ウサギはくりっとした丸い目を鏡とタカムラへ交互に向けた。言われてみれば、ここに来るまでの記憶がひどく曖昧だ。たしか二之宮へ慎吾の付き添いで向かい、境内でその背を送り出したところまでは覚えている。
 それから、そう。玉嵐がやってきて──。
「あ、ああ。ええ──そうですね。そうでしたねえ。いやはやすっかり抜け落ちとりましたが、それがしはそのう、……負けましたね。玉嵐との戦いに敗れて、それで。あっ、補佐役さまがいらっしゃるということはもしやそれがし、死んだ?」
「いつでも動じないのは、白月丸どのの良いところですな。しかし──いいえ。白月丸どのの躯はまだ頑張っとりますよ。深手ではありましたが、水守さまが鎌鼬の薬を手ずから塗って、なんとか一命を取り留めております」
「えっ、み、水守さま。水守さまがそれがしをお助けに?」
 白月丸の顔が焦ったように歪んだ。
 ええ、とタカムラは微笑した。
「白月丸どのは身体こそ傷が治ったというのに、意識が戻らぬ状態なのです。ですからまあ、ここはつまるところ──」
 生死の境といったところでしょうか。
 タカムラはウサギの頭を撫でた。
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