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第十九章
108話 黒安門の来訪者
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地球はまわる。月がのぼる。
八咫烏とともに帰った慎吾は、元気になった白月丸をふるえる腕で抱きしめた。それから、龍宮へ向かうという一行に、無事を祈念し祈祷をあげる。──願う神も同行するのだから、おかしな話である。
「兄御前、御前さま。神社を頼みます」
離れにて、銀月丸は深々と頭を垂れた。
見送りに出た慎吾、美波、大地に相対するはものものしい様子の眷属と鎌鼬、緊張したようすの水緒である。水守と大龍、奇蹄族は聖域で待機しているためここにはいない。
雄々しい彼らに、美波はすこし気弱な顔をしたけれど、最後には笑みを浮かべてうなずいた。
「だれひとり欠けるんじゃないわよ。ちゃんと帰ってくること、いいね」
「ハイ」
「神社のことは心配しないで、思いきりやってきなさい。弥太がそばにいてくれるみたいだから」
「それはよござんした」
朱月丸がほっこりわらう。
「…………」
大地は、水緒を見つめたままなにも言わない。じっくりと見つめられると、視線が気恥ずかしい。けれどこれから起こることを思えば、この視線から逃れるのもイヤだった。
しばしのあいだ、視線が交わる。
すると大地はフッと微笑して、水緒の肩を叩いた。
「あした学校で、待ってるから」
「…………」
「いつもどおりに来いよ。お前のこと待ってるから、ずっと」
「…………うん」
「負けんなよ」
大地は肩に置いた手にぐっと力を込めて、水緒のからだを抱き寄せる。その男らしさに、見ている周りはパッと頬を染めたけれど、当の水緒はいまにも泣きそうで、大地の胸に顔を押しつけた。
寂しいんじゃない。哀しくもない。ただすこし、心細いだけ。これから行くところに大地がいない、ただそれだけなのに。
ふるえる水緒の背中をやさしく擦って、大地は満面の笑みで身を離した。
「行ってこい!」
「…………っうん」
涙をぬぐって水緒もわらった。
空の月は憎らしいほど煌々と世界を照らしている。月を背に、一行は聖域へとすがたを消した。
美波が大地へ目を向けてにっこりわらった。
「大地くん、婿入りで神職なんて興味ない?」
※
山中の石祠を通り、黒々とした水が揺蕩う湖。水面に浮かぶ一艘の小舟には目も暮れず、一行は龍となった四匹の使役龍に乗って幽湖をわたる。
こんな方法があったのね、と阿龍の背に乗る水緒は、握り飯を阿龍の口に放り込む。ともに阿龍の背に乗り、水緒の腕にしがみつくサルの庚月丸は「なんの」とわらう。
「水緒さまだって龍になれるんでしょ。それで飛べばよかったのに」
「あたし、あれから龍になったことないもん。どうやったらなるのかも知らない。たぶん、試練でなれたのはまぐれだったんだ──」
「ええっ。おい銀月丸、どういうことじゃ。なんで教えとらんの」
という庚月丸の視線は、杠葉の背で臥せながら握り飯を食べるオオカミに向けられた。そこにはともに紅玉も乗っている。
「それがしに言うな。龍へのなり方なんぞそれがしオオカミが知るわけなかろ。そんなのは、一度なれたら自然と出来るものと思うていたぞ」
「でも、お嬢やで。そんなん無理やろ」
「はぁ、まあ言われてみれば──」
「ちょっと!」
水緒が怒りに任せてぎゅっと角を握る。阿龍がうっと呻いた。一連の流れを見てわらうのは天羽に乗った蒼玉と白月丸だ。対して吽龍に乗った朱月丸と翠玉は、さすがマイペースな末弟どもである。ひとしきり飯を食べたのち仮眠に入っている。
そのすこし前方。
索冥の背に座る水守は、後方の会話には見向きもせず、ただじっと紅来門の方角を見つめた。
大龍と麒麟は、人型のまま空を飛ぶ。後方の会話に肩を揺らしてわらう麒麟だが「あぁそうだ」と大龍へ視線を移した。
「八部衆に声をかけてみましたが、稲荷と天狗は案の定日和見でしたよ。まあ、始祖に歯向かうなんて出来ませんからね。もしかすればダキニの方に折れるかもしれません」
「もともと龍族の問題だ。奇蹄族がこちらについただけでもありがたいことよ」
「ええ、ただ──意外にも協力してやってもいいなんていう物好きな族がいたのです。どこだと思います? あのね、鬼人族。といっても龍族に根絶やしにされて宿儺どのひとりですけれど」
門前で待つって、と悪びれずに麒麟はいった。
大龍は「さて、ふしぎな話だ」とほくそ笑む。
「この大龍にほとんど消され、始末をつけたのも玉嵐──龍族だったというのに、こちらにつくというのかね」
「鬼人族はたのしい喧嘩が好きですから。劣勢側につきたいんでしょう」
「ふん、劣勢とな。言うものだ」
「ふふふふ──あとね、白虎さんの獅子族とか、鳳凰さんの鳥族も日和見。ま、われわれとちがって堅気な方々ですからムリもありませんけれど」
「堅気なものか。鳳凰め、むかし賭けで約束踏み倒したこと、まだ根に持っとるな」
「はははっ、なんですその話」
「すべておわったら話してやる」
「約束ですよ。……」
麒麟の顔から笑みが消えた。
────。
朱色の大鳥居。
龍宮の南に位置する守護門、紅来門──。
彼の地に住む龍たちは、門前により集まって、大龍の到着を今か今かと待ちわびている。
(こっちに向かう龍の気がある)
ターシャはクン、と匂いを嗅いで、べらぼうに背の高い門番──右門の肩にのぼった。目を細める。南方からはいまだなにも見えない。匂いは東方より近づいてくる。
(青黎門の方角──?)
ターシャは左側へ視線を向けた。
感じる。強く。
この感覚におぼえがある。かつて紅来門前へ黒雲とともに前ぶれなく迫ってきた、水守率いる邪龍の大軍。
いま、その再来を思わせる噎せるほどの穢れが、幽湖の先より迫りくる。
「全軍、青黎門前へッ。玉嵐軍がくる!」
ターシャはさけんだ。
龍たちが一斉にざわめき、うろたえた。青黎門前に集まる彼らの表情は恐怖に満ちる。龍といえど、この四百年ですっかり平和に甘んじた彼らが立ち向かうには、野良の気はあまりにも強すぎる。
「なんなの、あの数は」
「西方だッ。白遊門の方角からもくる!」
「なんですって!」
ターシャはぐるりとうしろを振り返る。絶句した。
空が──濁った気で埋め尽くされて、見えない。
「なんてこと…………」
「こんな数、紅来門の比じゃありません。ターシャ!」
「わかってる。ッわかってる! 半分は白遊門へ。とにかく大龍さまが来るまで持ちこたえなさいッ」
「現し世にこれほど野良がいたということですか? いったい……われらが龍宮にこもるあいだに、下界はどうしたというのだ」
ターシャの踏み台となる門番右門が、つぶやく。ターシャは唇を噛み締めた。いくらなんでもこの数に太刀打ちできるほど、龍宮の龍たちに力はない。
(大龍さま、……大龍さま!)
もはやいまのターシャにできることは、かつて紅来門の大戦にて武功をあげた英雄の到着を願うしかない。
ひとりの龍が声を張り上げた。
「北方、黒安門ッ」
北方──まさかダキニが。
ターシャの頭が冷える。が、龍は殊の外声を弾ませていった。
ふたおもての来訪者あり、といった彼の背後から、ものすごい速さで飛び出してきた赤い麒麟とその背に立つ異形の人──いや、鬼か。
ふたつの顔が、四つの目をぎょろりと四方へ向けて舌なめずりをする。
「軍畑はここか。助力のしがいがありそうだ──のう炎駒」
「あんまり遊ぶなよ、宿儺。わしにゃあ族長からいわれた仕事がある」
奇蹄族南方守護役──炎駒と、鬼人族長の宿儺である。
八咫烏とともに帰った慎吾は、元気になった白月丸をふるえる腕で抱きしめた。それから、龍宮へ向かうという一行に、無事を祈念し祈祷をあげる。──願う神も同行するのだから、おかしな話である。
「兄御前、御前さま。神社を頼みます」
離れにて、銀月丸は深々と頭を垂れた。
見送りに出た慎吾、美波、大地に相対するはものものしい様子の眷属と鎌鼬、緊張したようすの水緒である。水守と大龍、奇蹄族は聖域で待機しているためここにはいない。
雄々しい彼らに、美波はすこし気弱な顔をしたけれど、最後には笑みを浮かべてうなずいた。
「だれひとり欠けるんじゃないわよ。ちゃんと帰ってくること、いいね」
「ハイ」
「神社のことは心配しないで、思いきりやってきなさい。弥太がそばにいてくれるみたいだから」
「それはよござんした」
朱月丸がほっこりわらう。
「…………」
大地は、水緒を見つめたままなにも言わない。じっくりと見つめられると、視線が気恥ずかしい。けれどこれから起こることを思えば、この視線から逃れるのもイヤだった。
しばしのあいだ、視線が交わる。
すると大地はフッと微笑して、水緒の肩を叩いた。
「あした学校で、待ってるから」
「…………」
「いつもどおりに来いよ。お前のこと待ってるから、ずっと」
「…………うん」
「負けんなよ」
大地は肩に置いた手にぐっと力を込めて、水緒のからだを抱き寄せる。その男らしさに、見ている周りはパッと頬を染めたけれど、当の水緒はいまにも泣きそうで、大地の胸に顔を押しつけた。
寂しいんじゃない。哀しくもない。ただすこし、心細いだけ。これから行くところに大地がいない、ただそれだけなのに。
ふるえる水緒の背中をやさしく擦って、大地は満面の笑みで身を離した。
「行ってこい!」
「…………っうん」
涙をぬぐって水緒もわらった。
空の月は憎らしいほど煌々と世界を照らしている。月を背に、一行は聖域へとすがたを消した。
美波が大地へ目を向けてにっこりわらった。
「大地くん、婿入りで神職なんて興味ない?」
※
山中の石祠を通り、黒々とした水が揺蕩う湖。水面に浮かぶ一艘の小舟には目も暮れず、一行は龍となった四匹の使役龍に乗って幽湖をわたる。
こんな方法があったのね、と阿龍の背に乗る水緒は、握り飯を阿龍の口に放り込む。ともに阿龍の背に乗り、水緒の腕にしがみつくサルの庚月丸は「なんの」とわらう。
「水緒さまだって龍になれるんでしょ。それで飛べばよかったのに」
「あたし、あれから龍になったことないもん。どうやったらなるのかも知らない。たぶん、試練でなれたのはまぐれだったんだ──」
「ええっ。おい銀月丸、どういうことじゃ。なんで教えとらんの」
という庚月丸の視線は、杠葉の背で臥せながら握り飯を食べるオオカミに向けられた。そこにはともに紅玉も乗っている。
「それがしに言うな。龍へのなり方なんぞそれがしオオカミが知るわけなかろ。そんなのは、一度なれたら自然と出来るものと思うていたぞ」
「でも、お嬢やで。そんなん無理やろ」
「はぁ、まあ言われてみれば──」
「ちょっと!」
水緒が怒りに任せてぎゅっと角を握る。阿龍がうっと呻いた。一連の流れを見てわらうのは天羽に乗った蒼玉と白月丸だ。対して吽龍に乗った朱月丸と翠玉は、さすがマイペースな末弟どもである。ひとしきり飯を食べたのち仮眠に入っている。
そのすこし前方。
索冥の背に座る水守は、後方の会話には見向きもせず、ただじっと紅来門の方角を見つめた。
大龍と麒麟は、人型のまま空を飛ぶ。後方の会話に肩を揺らしてわらう麒麟だが「あぁそうだ」と大龍へ視線を移した。
「八部衆に声をかけてみましたが、稲荷と天狗は案の定日和見でしたよ。まあ、始祖に歯向かうなんて出来ませんからね。もしかすればダキニの方に折れるかもしれません」
「もともと龍族の問題だ。奇蹄族がこちらについただけでもありがたいことよ」
「ええ、ただ──意外にも協力してやってもいいなんていう物好きな族がいたのです。どこだと思います? あのね、鬼人族。といっても龍族に根絶やしにされて宿儺どのひとりですけれど」
門前で待つって、と悪びれずに麒麟はいった。
大龍は「さて、ふしぎな話だ」とほくそ笑む。
「この大龍にほとんど消され、始末をつけたのも玉嵐──龍族だったというのに、こちらにつくというのかね」
「鬼人族はたのしい喧嘩が好きですから。劣勢側につきたいんでしょう」
「ふん、劣勢とな。言うものだ」
「ふふふふ──あとね、白虎さんの獅子族とか、鳳凰さんの鳥族も日和見。ま、われわれとちがって堅気な方々ですからムリもありませんけれど」
「堅気なものか。鳳凰め、むかし賭けで約束踏み倒したこと、まだ根に持っとるな」
「はははっ、なんですその話」
「すべておわったら話してやる」
「約束ですよ。……」
麒麟の顔から笑みが消えた。
────。
朱色の大鳥居。
龍宮の南に位置する守護門、紅来門──。
彼の地に住む龍たちは、門前により集まって、大龍の到着を今か今かと待ちわびている。
(こっちに向かう龍の気がある)
ターシャはクン、と匂いを嗅いで、べらぼうに背の高い門番──右門の肩にのぼった。目を細める。南方からはいまだなにも見えない。匂いは東方より近づいてくる。
(青黎門の方角──?)
ターシャは左側へ視線を向けた。
感じる。強く。
この感覚におぼえがある。かつて紅来門前へ黒雲とともに前ぶれなく迫ってきた、水守率いる邪龍の大軍。
いま、その再来を思わせる噎せるほどの穢れが、幽湖の先より迫りくる。
「全軍、青黎門前へッ。玉嵐軍がくる!」
ターシャはさけんだ。
龍たちが一斉にざわめき、うろたえた。青黎門前に集まる彼らの表情は恐怖に満ちる。龍といえど、この四百年ですっかり平和に甘んじた彼らが立ち向かうには、野良の気はあまりにも強すぎる。
「なんなの、あの数は」
「西方だッ。白遊門の方角からもくる!」
「なんですって!」
ターシャはぐるりとうしろを振り返る。絶句した。
空が──濁った気で埋め尽くされて、見えない。
「なんてこと…………」
「こんな数、紅来門の比じゃありません。ターシャ!」
「わかってる。ッわかってる! 半分は白遊門へ。とにかく大龍さまが来るまで持ちこたえなさいッ」
「現し世にこれほど野良がいたということですか? いったい……われらが龍宮にこもるあいだに、下界はどうしたというのだ」
ターシャの踏み台となる門番右門が、つぶやく。ターシャは唇を噛み締めた。いくらなんでもこの数に太刀打ちできるほど、龍宮の龍たちに力はない。
(大龍さま、……大龍さま!)
もはやいまのターシャにできることは、かつて紅来門の大戦にて武功をあげた英雄の到着を願うしかない。
ひとりの龍が声を張り上げた。
「北方、黒安門ッ」
北方──まさかダキニが。
ターシャの頭が冷える。が、龍は殊の外声を弾ませていった。
ふたおもての来訪者あり、といった彼の背後から、ものすごい速さで飛び出してきた赤い麒麟とその背に立つ異形の人──いや、鬼か。
ふたつの顔が、四つの目をぎょろりと四方へ向けて舌なめずりをする。
「軍畑はここか。助力のしがいがありそうだ──のう炎駒」
「あんまり遊ぶなよ、宿儺。わしにゃあ族長からいわれた仕事がある」
奇蹄族南方守護役──炎駒と、鬼人族長の宿儺である。
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