落ちこぼれの半龍娘

乃南羽緒

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第二十一章

115話 反撃開始

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 天狗軍と刃を交える銀月丸の上を、ふたつの影が飛び去る。
 一瞬ではあったが、動体視力の長けたオオカミの目がとらえた。いま飛び去ったなかに、大地のからだが紛れていた。ただよう残り香にも大地の匂い、そして──。
「ダキニの姐さま」
「なんやとォ」
 紅玉が、影のゆく先へ目を向ける。するとこれまで息もつけぬほどにはげしく攻め立ててきた東西烏天狗の動きが止まった。周囲の小天狗も一斉に沈黙する。
「なんじゃ」銀月丸が乱れた服をととのえる。「もうしまいか」
「──我らの役目はここまで」
「しょせんはダキニさまが龍宮へ来よるまでの時稼ぎじゃキのう。あとはせいぜいそちらさんで踏ん張りんさいや」
「あっ、オイ!」
 烏天狗は背中の翼を広げ、この場から退散せんと浮遊する。紅玉と銀月丸は鉾を振り上げるも、杠葉だけは冷静に天狗軍へと背を向けた。
「これ杠葉、どちらへゆく!」
「足止めがなくなったいま、ここに留まるは愚かでしょう。主と合流します。……それにいま、ダキニを追っていたあの影も気になります」
「ふむ──それがしの知らぬ匂いじゃった」
 銀月丸は面の下で鼻梁にシワを寄せる。

 杠葉が飛ぶ。
 紅来門までおよそ千メートルを切った幽湖上空、そこに見えるは仲間のすがたである。銀月丸の鼻をかすめた狐の臭いで、つい先ほどまでここに稲荷がいたのだと予想する。おそらくはこちらとおなじく、足止めでも食らっていたのだろうと彼らを見た。
 が、足場となる阿吽龍、その背に乗る仲間たちは、みな一様に紅来門の方角を向き、呆然と立ち尽くしたまま動かない。
(なんだ?)
 銀月丸がクンと匂いをかいだ。
 水緒の残り香がある。しかしそのすがたはどこにもいない。別れる前は阿龍に乗っていたはずだが──。
「オイ」
 と、紅玉がさけんだ。
「どうしたきさんら。ぼうっと立ちんぼのまま動かんで、なんかあったんか」
「あ、ち、チィ兄。みなさんもご無事で」
 翠玉がはっとこちらを見た。まさか、声をかけられるいまの今まで気が付かなかったのか。明らかに動揺する弟に眉をしかめる。
 しかめたのはこちらもおなじだ。銀月丸は阿龍の上に立つ庚月丸のもとへ渡った。
「おい、なにがあった。水緒さまがここにおったな。どこへゆかれた?」
「……銀。い、いま」
「おおそうじゃ。いましがた、ダキニの姐さまが大地どのを抱えてここを通ったろう。むこうの天狗軍はとたんに消え去った。ここは、稲荷に足止め食ろうとったようじゃが──」
「い、稲荷なんざより大変じゃ。大変じゃ銀月丸ッ」
 朱月丸がさけんだ。
 吽龍の背を駆けあがって人型のまま阿龍の背に立つ銀月丸に飛びつく。タヌキのすがたならば愛らしいその動きも、青年姿ではうっとうしい。しかしなんだかんだと世話焼きな銀月丸はよろめきながらもやさしく受け止めた。
「だからいったいなんだと──」
「ほいじゃから水緒さまが、水緒さまが……り、龍に」
「なに?」
「御身を龍にして、ダキニの後を追ってった!」
「龍に。…………」
 阿吽龍以外は、初めて見たであろう水緒の龍姿。彼女は、こちらが恐怖で固まってしまうほどの怒りをはらんで飛び去っていったのだと庚月丸はつぶやいた。そのためか、いまだ身をすくませる阿吽龍。
 ともに試練を乗り越えた彼らでさえ、龍となった水緒の怒りようは相当おそろしかったのか。銀月丸はあわれみ、足場となるその身を撫でてやる。

「笑止!」

 怒声が轟いた。
 空をもふるわせるその声は杠葉から出たもののようだった。あまりの強い語気に、背上で胡座をかいていた紅玉がビクッと身体を揺らす。
「主人の怒りも受け止めきれず、なにが使役龍か」
「ゆ、杠葉──?」
「主の心を支配する情次第では、野良になることも止められぬ。そうなればお前たちも『止めてやれなんだ』と数百年悔やみつづけることになるのです」
「…………」
 阿龍と吽龍が、目を見開く。
 杠葉はふたたびさけんだ。
「駆けなさい。いますぐッ」
 湖面に波紋が立つ。直後、阿吽龍は飛んだ。
 背上に乗る三人の大龍眷属と翠玉は、慣性の法則によってぐらりとバランスを崩し、必死にたてがみをつかむ。二匹は互いにからだを絡ませながら、速度をあげて紅来門の方角へと飛ぶ。弾丸にも勝るその速度に眷属や翠玉はもはや立ってなどいられない。
 振り落とされぬよう、必死にたてがみへしがみついた。
 残されたのは杠葉と、その背上で美波のつくった握り飯を頬張る紅玉のみ。やがて尾を揺らし、杠葉はゆっくりと阿吽龍のあとを追う。
「…………」
 向かうは紅来門。
 四百年前のあのときに想いを馳せているのだろうか、杠葉はとたんにむっつりと黙ってしまった。
 道中、紅玉が懐に残った握り飯を口に放り込む。 
「終わらせんとな」
 手指についた米粒を舌ですくって、彼は杠葉のからだを撫でた。

 ※
 西方に位置する白遊門前。
 玉嵐率いる野良軍は、大龍方の到着を知るや嬉々として龍宮全体に邪気を吐き散らした。湿った風をうけて邪気はたちまち龍火に変わる。とはいえ、水をつかさどる龍族だけあって火自体にはそれほど恐怖はなかった。もともと躯を持たぬ純龍は炎を受けたところで火傷をするわけではないからである。
 問題なのは、炎がまとう穢れた気。龍宮軍の純龍たちはこれまで、つねに穢れから守られた龍宮で育ってきたため免疫がない。ゆえに、その身を焼かれるあいだは息ができぬほど苦しみもがくことになるのである。
 先ほど龍火にやられた龍たちは、応急処置として宮内にある『浄めの泉』でみそぎをしている。
 情けない話です、とターシャはそのようすを苦々しく眺めた。
「龍宮にて暮らす龍たちが、これほどまで弱体化しているとは。野良ごときの穢れでここまで弱っていては大戦おおいくさなど話にならないわ。大龍さま、申し訳ありません」
 深々と頭を垂れるターシャ。
 しかし大龍が口をひらく前にハッと笑いとばしたのは炎駆であった。
「それよりいまはあの美空を覆う野良どもの始末が先ぞ」
「そのとおり。そもそも大龍がここを放ったらかしにしたのがわるいのだ」
 宿儺もわらう。
「……炎駆、宿儺」
 大龍はバツの悪そうな顔でふたりを見た。
 その表情がよほど愉快だったのだろう。むかって左側の宿儺の顔がわははと大きく口をあけて笑い声をあげた。
「大龍、ひとつ貸しだな」
「わしは族長からの仕事しかせん」
 轟、と。
 空で玉嵐が吼える。その掛け声で野良軍はふたたび攻撃用意の姿勢をとる。大龍はそのようすを一瞥した。
「今宵は」彼はそして、麒麟、炎駆、宿儺に向けて一礼する。
「……我が一族のため──その力、存分に借り受ける」
 野良軍がいっせいに背をそらした。

「むかえうてッ」

 大龍の怒声とともに大龍方はいっせいに空へ飛びたつ。
 龍宮軍の反撃開始の合図である。

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