1 / 16
1「勇者」と「魔王」
1
しおりを挟む
その洞窟は、天然の要害ともいえる険しい岩山にあった。
入り口には牙のように鋭い岩が伸び、奥から吹きすさぶ風は獣のうなり声のようにこだまする。王国の者は恐れて誰一人近づかないその洞窟に、勇者はたった一人で攻め込んだ。洞窟の最奥で待ち受ける、魔王イルフィニアンを討伐するためだ。
既に数多の魔物を打ち倒し、いくつもの村や町を救ってきた彼である。数年来の魔物襲撃に苦しんでいた王国の民達からは、名実ともに「勇者」と崇められ、国王からも大きな信頼を寄せられている。
勇者は岩の隘路を進み、その圧倒的な剣技でもって襲いくる魔物達をなぎ払うと、ついに魔王の待つ最深部へとたどり着いた。
「なるほど。勇者よ、噂どおりなかなか腕が立つようではないか」
魔王の威厳ある声が静かに響き渡る。
そこは洞窟の中とは思えないほど開けた空間だった。玉座の周りにはかがり火が燃やされているものの、その灯り以外はほとんど暗闇に覆われている。
岩の玉座に足を組んで腰掛ける魔王は、一見若く美しい女性のようだ。黒い鎧から伸びた素足はなまめかしいほどにすらりと白く、人間でいえば二十歳前後の瑞々しい体躯である。光り輝くような銀髪は腰まで豊かに伸び、しかし髪よりさらに目を引くのは、宝石のように透き通る赤い瞳だった。
赤い目は魔物の証だ。
魔力をもたない人間からは魔性の象徴として恐れられるその瞳を、魔王は周囲を照らす松明より爛々と輝かせて、不敵に微笑んでいる。
「しかし剣の達人とはいえ所詮は人間。私の魔力の前では、その刃も役に立たないことを教えてやろう」
魔王が座ったまま手を伸ばし、剣を構える勇者へと掌を向ける。しかし勇者はまったく怯むことなく、一直線に魔王へと駆け出した。
「愚かな。人間ごときが魔王に抗えるか!」
掌に集まった赤い光が、燃えさかる炎となって勇者へ飛ぶ。
その瞬間、勇者が口の中で何事かを呟いた。
同時に剣が赤い光に包まれて、
「え?」
驚愕に目を見開いた魔王の前で、炎が刃によって斬り払われた。
まるで剣の光に飲み込まれるように火球は消滅し、それはすなわち、勇者が魔王と同等の力――魔力を使ったことに他ならなかった。
「……さすが魔王、強力な魔術を使うね。でも、僕も同じくらい強くなったんだよ、イルフィ」
剣を下ろした勇者が、何故か嬉しそうにそう言った。
イルフィ。かつての――人間だった頃の懐かしい名前を呼ばれて、魔王イルフィニアンことイルフィは、目の前に立つ青年が誰なのかを悟った。
「そんな、まさか……ハヴェル?」
「――――やっと会えたね、イルフィ」
■
人々を襲い国に災厄をもたらす魔物達の王・魔王イルフェニアンが、勇者により討伐された。その報せは瞬く間に王国中を歓喜の色に染め上げた。
王都への勇者凱旋は国民達により熱狂的に迎えられ、城では王から直々にねぎらいの言葉がかけられた。
「よくやった、勇者ハヴェル。おまえこそまことの勇者よ」
「すべては王のお力添えあってのこと。お役に立てて光栄です」
片膝をついた勇者が謙虚に頭を下げるので、王はますます感激に打ち震える。
王が傍に控える姫に目配せすると、王国一の美貌と誉れ高い姫は頬をほんのり赤く染め、はにかみながらもこくんと頷いた。
「どうだ勇者よ。我が姫の夫となり、次期国王の座についてはくれないか。私からおまえに与えられる、最大の褒美だ」
居並ぶ臣下達からどよめきが起こる。
勇者は魔王から国を救った英雄に違いないが、どこの馬の骨とも知れぬ身だ。そんな男が姫の婿にして次期国王とは、王はちょっと早まり過ぎではないのか。
そんな臣下達の穏やかならざる心中を知ってか知らずか、当の勇者は王に向かってまた深々と頭を下げると、
「もったいないお言葉です。ですが、私は王の器ではありませんし、麗しの姫にはもっと誠実で賢く、位の高い方こそが相応しいでしょう。私の役目は、魔王を倒した時点で終わりました」
なんと潔い。王をはじめ、人々が驚きに目を見開く。
臣下達はむしろ感心を深めたが、姫は心なしか憂いを帯びた表情だ。
それもそのはず、魔物達に毅然と立ち向かう勇者ハヴェルは、微笑みひとつで国の女性達を虜にしてしまう美貌の持ち主でもある。
王国では珍しい漆黒の髪は襟足と前髪がやや長く、それは無精ではなく色香を彼に添えている。精悍な顔立ちでありながら、黒目がちな垂れ目は人好きのする甘さを印象づけ、すらりとした長身とバランス良く身を包む筋肉は、武骨さよりも優美さと凜々しさを際立たせている。
そんな美丈夫な勇者は、控えめながらよどみなく王に語りかけた。
「しかし王様。もし私めの願いを叶えていただけるというのであれば、国の外れの森を領地としていただけませんでしょうか」
王は再び驚いた。
国の外れの森といえば、魔王の討伐された今もなお魔物が住み着く僻地にして魔境である。そんな危険なところを領地にと?
「だからこそ、私が赴くべきなのです。いずれは魔物の残党を平らげ、王が安心して治められる土地にしてみせましょう。どうか王様、あの森を我が住処としてお与えください」
重ねて懇願し頭を垂れる勇者に、王は反対の言葉をもたなかった。
彼の言うとおり、あの森は国の中にあって王の支配が及ばない特殊な場所だ。彼が魔物を――魔物に限らず不都合なものを駆逐してくれるのならば、王としては願ったり叶ったりなのである。
「よしわかった。勇敢にして慈悲深き勇者よ、おまえの望み、この王が確かに聞き入れた」
かくして勇者ハヴェルは王都に別れを告げ、国の外れの広大な森――そこに隠されていた魔王の屋敷を手に入れた。
この森の中の屋敷こそが、そしてそこに、実は生け捕りにしていた魔王イルフィニアンを閉じ込めることこそが、勇者の真の目的であるとは誰も知らないままに。
入り口には牙のように鋭い岩が伸び、奥から吹きすさぶ風は獣のうなり声のようにこだまする。王国の者は恐れて誰一人近づかないその洞窟に、勇者はたった一人で攻め込んだ。洞窟の最奥で待ち受ける、魔王イルフィニアンを討伐するためだ。
既に数多の魔物を打ち倒し、いくつもの村や町を救ってきた彼である。数年来の魔物襲撃に苦しんでいた王国の民達からは、名実ともに「勇者」と崇められ、国王からも大きな信頼を寄せられている。
勇者は岩の隘路を進み、その圧倒的な剣技でもって襲いくる魔物達をなぎ払うと、ついに魔王の待つ最深部へとたどり着いた。
「なるほど。勇者よ、噂どおりなかなか腕が立つようではないか」
魔王の威厳ある声が静かに響き渡る。
そこは洞窟の中とは思えないほど開けた空間だった。玉座の周りにはかがり火が燃やされているものの、その灯り以外はほとんど暗闇に覆われている。
岩の玉座に足を組んで腰掛ける魔王は、一見若く美しい女性のようだ。黒い鎧から伸びた素足はなまめかしいほどにすらりと白く、人間でいえば二十歳前後の瑞々しい体躯である。光り輝くような銀髪は腰まで豊かに伸び、しかし髪よりさらに目を引くのは、宝石のように透き通る赤い瞳だった。
赤い目は魔物の証だ。
魔力をもたない人間からは魔性の象徴として恐れられるその瞳を、魔王は周囲を照らす松明より爛々と輝かせて、不敵に微笑んでいる。
「しかし剣の達人とはいえ所詮は人間。私の魔力の前では、その刃も役に立たないことを教えてやろう」
魔王が座ったまま手を伸ばし、剣を構える勇者へと掌を向ける。しかし勇者はまったく怯むことなく、一直線に魔王へと駆け出した。
「愚かな。人間ごときが魔王に抗えるか!」
掌に集まった赤い光が、燃えさかる炎となって勇者へ飛ぶ。
その瞬間、勇者が口の中で何事かを呟いた。
同時に剣が赤い光に包まれて、
「え?」
驚愕に目を見開いた魔王の前で、炎が刃によって斬り払われた。
まるで剣の光に飲み込まれるように火球は消滅し、それはすなわち、勇者が魔王と同等の力――魔力を使ったことに他ならなかった。
「……さすが魔王、強力な魔術を使うね。でも、僕も同じくらい強くなったんだよ、イルフィ」
剣を下ろした勇者が、何故か嬉しそうにそう言った。
イルフィ。かつての――人間だった頃の懐かしい名前を呼ばれて、魔王イルフィニアンことイルフィは、目の前に立つ青年が誰なのかを悟った。
「そんな、まさか……ハヴェル?」
「――――やっと会えたね、イルフィ」
■
人々を襲い国に災厄をもたらす魔物達の王・魔王イルフェニアンが、勇者により討伐された。その報せは瞬く間に王国中を歓喜の色に染め上げた。
王都への勇者凱旋は国民達により熱狂的に迎えられ、城では王から直々にねぎらいの言葉がかけられた。
「よくやった、勇者ハヴェル。おまえこそまことの勇者よ」
「すべては王のお力添えあってのこと。お役に立てて光栄です」
片膝をついた勇者が謙虚に頭を下げるので、王はますます感激に打ち震える。
王が傍に控える姫に目配せすると、王国一の美貌と誉れ高い姫は頬をほんのり赤く染め、はにかみながらもこくんと頷いた。
「どうだ勇者よ。我が姫の夫となり、次期国王の座についてはくれないか。私からおまえに与えられる、最大の褒美だ」
居並ぶ臣下達からどよめきが起こる。
勇者は魔王から国を救った英雄に違いないが、どこの馬の骨とも知れぬ身だ。そんな男が姫の婿にして次期国王とは、王はちょっと早まり過ぎではないのか。
そんな臣下達の穏やかならざる心中を知ってか知らずか、当の勇者は王に向かってまた深々と頭を下げると、
「もったいないお言葉です。ですが、私は王の器ではありませんし、麗しの姫にはもっと誠実で賢く、位の高い方こそが相応しいでしょう。私の役目は、魔王を倒した時点で終わりました」
なんと潔い。王をはじめ、人々が驚きに目を見開く。
臣下達はむしろ感心を深めたが、姫は心なしか憂いを帯びた表情だ。
それもそのはず、魔物達に毅然と立ち向かう勇者ハヴェルは、微笑みひとつで国の女性達を虜にしてしまう美貌の持ち主でもある。
王国では珍しい漆黒の髪は襟足と前髪がやや長く、それは無精ではなく色香を彼に添えている。精悍な顔立ちでありながら、黒目がちな垂れ目は人好きのする甘さを印象づけ、すらりとした長身とバランス良く身を包む筋肉は、武骨さよりも優美さと凜々しさを際立たせている。
そんな美丈夫な勇者は、控えめながらよどみなく王に語りかけた。
「しかし王様。もし私めの願いを叶えていただけるというのであれば、国の外れの森を領地としていただけませんでしょうか」
王は再び驚いた。
国の外れの森といえば、魔王の討伐された今もなお魔物が住み着く僻地にして魔境である。そんな危険なところを領地にと?
「だからこそ、私が赴くべきなのです。いずれは魔物の残党を平らげ、王が安心して治められる土地にしてみせましょう。どうか王様、あの森を我が住処としてお与えください」
重ねて懇願し頭を垂れる勇者に、王は反対の言葉をもたなかった。
彼の言うとおり、あの森は国の中にあって王の支配が及ばない特殊な場所だ。彼が魔物を――魔物に限らず不都合なものを駆逐してくれるのならば、王としては願ったり叶ったりなのである。
「よしわかった。勇敢にして慈悲深き勇者よ、おまえの望み、この王が確かに聞き入れた」
かくして勇者ハヴェルは王都に別れを告げ、国の外れの広大な森――そこに隠されていた魔王の屋敷を手に入れた。
この森の中の屋敷こそが、そしてそこに、実は生け捕りにしていた魔王イルフィニアンを閉じ込めることこそが、勇者の真の目的であるとは誰も知らないままに。
12
あなたにおすすめの小説
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
ざこてん〜初期雑魚モンスターに転生した俺は、勇者にテイムしてもらう〜
キノア9g
BL
「俺の血を啜るとは……それほど俺を愛しているのか?」
(いえ、ただの生存戦略です!!)
【元社畜の雑魚モンスター(うさぎ)】×【勘違い独占欲勇者】
生き残るために媚びを売ったら、最強の勇者に溺愛されました。
ブラック企業で過労死した俺が転生したのは、RPGの最弱モンスター『ダーク・ラビット(黒うさぎ)』だった。
のんびり草を食んでいたある日、目の前に現れたのはゲーム最強の勇者・アレクセイ。
「経験値」として狩られる!と焦った俺は、生き残るために咄嗟の機転で彼と『従魔契約』を結ぶことに成功する。
「殺さないでくれ!」という一心で、傷口を舐めて契約しただけなのに……。
「魔物の分際で、俺にこれほど情熱的な求愛をするとは」
なぜか勇者様、俺のことを「自分に惚れ込んでいる健気な相棒」だと盛大に勘違い!?
勘違いされたまま、勇者の膝の上で可愛がられる日々。
捨てられないために必死で「有能なペット」を演じていたら、勇者の魔力を受けすぎて、なんと人間の姿に進化してしまい――!?
「もう使い魔の枠には収まらない。俺のすべてはお前のものだ」
ま、待ってください勇者様、愛が重すぎます!
元社畜の生存本能が生んだ、すれ違いと溺愛の異世界BLファンタジー!
今日もBL営業カフェで働いています!?
卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とBL営業をして腐女子のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ
※ 不定期更新です。
お兄ちゃんができた!!
くものらくえん
BL
ある日お兄ちゃんができた悠は、そのかっこよさに胸を撃ち抜かれた。
お兄ちゃんは律といい、悠を過剰にかわいがる。
「悠くんはえらい子だね。」
「よしよ〜し。悠くん、いい子いい子♡」
「ふふ、かわいいね。」
律のお兄ちゃんな甘さに逃げたり、逃げられなかったりするあまあま義兄弟ラブコメ♡
「お兄ちゃん以外、見ないでね…♡」
ヤンデレ一途兄 律×人見知り純粋弟 悠の純愛ヤンデレラブ。
魔王の息子を育てることになった俺の話
お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。
「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」
現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません?
魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL
BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。
BL大賞エントリー中です。
ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました
あと
BL
「お兄ちゃん!人肌脱ぎます!」
完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け
可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…?
攻め:ヴィクター・ローレンツ
受け:リアム・グレイソン
弟:リチャード・グレイソン
pixivにも投稿しています。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
給餌行為が求愛行動だってなんで誰も教えてくれなかったんだ!
永川さき
BL
魔術教師で平民のマテウス・アージェルは、元教え子で現同僚のアイザック・ウェルズリー子爵と毎日食堂で昼食をともにしている。
ただ、その食事風景は特殊なもので……。
元教え子のスパダリ魔術教師×未亡人で成人した子持ちのおっさん魔術教師
まー様企画の「おっさん受けBL企画」参加作品です。
他サイトにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる