さよならジーニアス

七井 望月

文字の大きさ
上 下
11 / 42

それが貴方の生きる道

しおりを挟む
 
 どんな願いも3つまで叶える全知全能のランプの魔人様にも、叶えられない願い事が5つあると言う。

 ……その5つ内の1つに“死者の蘇生”がある。

 これは顔面蒼白髭おじさんでも叶えることが出来ない謂わばフィクションでも起こり得ない事象であって、もちろん現実世界ではもってのほか起ころう筈がない。


 ……なのに何故、過去に死んだ筈の姉が、今俺の目の前に居るのだろうか。


「……姉ちゃん、なのか?」

 俺は何食わぬ顔で佇む姉らしき人物に尋ねる。すると彼女は驚いたように少し眉を釣り上げて、こちらの目を見返した。

「え?、いや、え……?」

 姉、らしき彼女は俺に話しかけられた事に困惑するように大きな目をぱちくりさせる。

 そしてしばらく静寂が続くと彼女は開けっ放しの口の端を引き上げ、ぎこちない笑顔を作り、乾いたか細い言葉を吐き出す。

「……や、やっほー?お、お姉ちゃんだよぉ……?」

 明らかに馴れていないダブルピースを顔の横に添えて、頬を赤らめながら彼女は、……非現実的な、自己紹介をした。

 ……だけど、薄桃色の唇を震わせて発する声、薄く茶色掛かった短い黒髪、柔和な雰囲気を醸し出す僅かに垂れた目。

 間違えなく、これらの特徴は姉、妙本理子のものであった。

 ……気が付くと、俺は姉の事を抱き寄せていた。

「……姉ちゃん、ずっと、会いたかった」

「…………」

 彼女は何も言わず、胸の中で涙を流す俺を宥めるように、優しく頭を撫でた。

 ……温かい。彼女は幽霊でも、夢でも無い。触れることが出来るし、血が流れている。今目の前に、姉はいるのだ。

「……はーちゃん、ごめんね?今までとっても辛い思いをさせちゃったよね。はーちゃんは頑張り屋だから、嫌なことも全部我慢して一人で溜め込んで、母さんの言うことを聞いて一生懸命勉強して来たんだよね。自分で言うものじゃあないかもだけど、私を目標にするなんて大変だったでしょう?そりゃあ私だって努力してきたよ、それもメチャクチャ、本当心が折れそうになるくらい。だけどはーちゃんはそれ以上に頑張ったと思うよ。……私が居なくなって、誰かに甘えることも出来ずに、一人で、ずっと。……だから今は思いっきり甘えていいよ。私の胸の中で、気が済むまで泣いていいよ」

「…………」

 彼女の優しい言葉に包まれながら、俺は泣いた。泣いて、胸の内に溜まっていた物を全て吐き出した。

「……姉ちゃん、俺、頑張ったんだよ。頑張って勉強して、テストで一位取れるようになって、父さんと母さんに喜んで貰える様になった。……だけど、辛かった。嬉しさよりも、辛さの方が勝ってた。……でも、これだけ勉強しても勝てない相手がいる。俺じゃあ足下にも及ばないような、天才が。……俺、もう無理だよ。辛いよ。……俺はお姉ちゃんのような研究者にはなれないんだ……」

 ……初めて、弱音を吐いた。弱音であり、本音だった。

 一位であることを定められた人生。凡人である俺にはとても重すぎる枷で、この枷を付けたままでは、もう歩くことが出来なかった。

 ……だけど、この歩みを止めること、今まで積み上げてきたものを無に帰す事もまた、怖くて出来なかった。

「……俺は、どうすればいいんだよ……」

「……ねぇ、はーちゃん」

 ……姉は俺を抱く腕に力を入れて、強く胸に抱き寄せて言った。

「……もう、逃げちゃいなよ」

「……え?」

「……もう何もかも諦めて、楽になればいいんだよ。別に研究者になることだけが人生の全てじゃあ無いし、私の後追いをしているだけなら尚更よ、もう辞めなさい」

「……で、でも……」

「これからどうするかは貴方が決めなさい。その答えを私は否定しない。つまりは自分の生きる道は自分で決めなさいってこと。……ハイもう甘えるの終わり!男の子がいつまでも泣いてるんじゃありません!!……期待してるよ、頑張ってね、はーちゃん」

「まっ、待って!!」

 姉は抱きついた俺の手を振りほどくと、まるでそよ風のように、刹那に消えていった。





 ※


 姉に言われた言葉が、まるでこだまのように何度も心の中で響いていた。

「……自分の生きる道は自分で決めなさい、か……」

 ……他の誰の物でもない俺自身の人生。その行く先を決めるののもまた、他の誰でもない俺だ。

 俺はどうしたい?自問自答を繰り返す。お前の目指す場所は、お前の生きる道は、一体何処なんだ?

「……俺の、生きる道は……」




 ◇◆◇




「ふぅ、ビックリしたぁ、本当に」

 ……私、芳山理子、否、妙本理子はホッと溜め息を吐いた。

「……まさか、認識阻害装置が不備を起こすとは、しかもあのタイミングで……」

 私が造った発明品の1つ、認識阻害装置。簡単に効力を説明するなら、人や物の認識を阻害する装置です。うん、ハイ。

「まあ、でも良かったよ。言いたいことは言えたし、私が芳山理子ってことは分かって無かったみたいだしね」

 私は笑顔を浮かべ、夕暮れの空を眺める。愛しい弟よ、大志を抱けと、心の中で唱えながら。

「頑張ってね、はーちゃん♪」

 ……あの子も、随分と大きくなったものだ。もう一丁前な一人の男だ。……不意に抱きつかれたとき、少しだけときめいたのは内緒ってことで。

「……ところで、先に家に帰ってるかなぁ。トガちゃん」




 ※





「はーちゃん、テスト、返ってきたわよね?」

「……ハイ」

 家に帰ると、玄関で母親が待ち構えていた。これは完全無欠誤魔化し不可能の四面楚歌、背水の陣で地盤沈下の阿蘇山大噴火。

 ……てな感じで、俺の思考はショート寸前。言い訳を考えるのでいっぱいいっぱいの頭はテレビの裏のコードくらいにこんがらがっていた。

「見せなさい」

「……どうぞ」

 母親に言われるがまま、俺は得点用紙を鞄から取り出す。せめてもの反抗として俺は得点用紙を裏にして母親に渡した。

「…………?」

 しかし、いつもは自信満々にテストを見せる俺の勿体振った態度に不信感を感じたのか、母親は僅かに眉間に皺を寄せた。やべぇ。

 ……そして得点用紙を表にして、母親は俺のテストの結果を見る。

「……7教科で682点。……2位ね」

「…………」

 ……母親は静かに、得点用紙に書かれた俺の結果を読み上げた。……背筋が凍るような悪寒を俺は感じた。

 ……その後、少しの間無言の時間が流れる。母親は怒っているのか呆れているのかも分からない。感情を読み取らせない無表情で暫くじっくりと得点用紙を眺めていた。

 そして、母親が口を開く。

「……とりあえず、お疲れ様」

「え?あ、ああ、ハイ」

 ……開口一番に労いの言葉が出てきたことに、俺は驚く。てっきり怒られるものだと思っていたから、拍子抜けだ。

「……今回は初めての2位という結果で、続けてきた連続一位の記録は途切れてしまったわけだけども」

「はい、申し訳ないです……」

「謝る必要は無いわよ。……ただ、はーちゃんには選んで貰う2つの選択肢が有るわ」

「……選択肢?」

「そうよ。1つはこのふがいない結果の罰を受けるという選択肢、もう1つは、勉強なんてやめて、全て擲って研究者の夢を捨てて生きる。そうすれば罰ゲームもない。この2つよ。さあ、どうするのかしら?」

「…………」

 突如投げ掛けられた選択肢は、これからどう生きていくかというかなりヘビィなものだったが、……偶然だろうか、俺は先程その問いを聞かれ、答えを決めてきたばかりだった。

 ……俺の生きる道の先に何を目指すのか?

 自分の生きる道は自分で決めなさい。俺はそう姉に言われ、自分なりに考え、考え抜いて、答えを見つけ出した。

「……俺の、生きる道は……」

「…………」

「……姉ちゃんみたいな、いや、姉ちゃんを越える研究者になることだ」

 ……その言葉に、母親はフッと微笑んだ。

「……なら、罰を受けるのね?」

「ああ、その夢の為ならどんな困難でも甘んじて受け入れると決めた。今回みたいなヘマはもう二度としない!!」

「……そう。……それが貴方の生きる道なのね」

「そうだ」

 俺は決めた、研究者として姉を越えると。決して生半可な努力では成し遂げられない事だ。だけども俺の心は未だかつて無いほどに燃え上がっていた。

 今までは目標などは持たずに、ただなあなあと言われるがままに勉強してきた。だけど今は違う。自分で決めた道だ。誰のためでもない、自分の為に努力をするんだ。言われたことしかやってこなかった俺にはまだまだ伸び代はある。俺はまだまだ成長できる。

「……じゃあ罰だけど、私にタメ口を利いた分も含めて、取り敢えず今月は家の仕事ぜーんぶはーちゃんにやってもらおうかしら?いやー、楽になるわね♪」

「え?ちょっと、待って下さい」

「はい口答え、プラス一週間♪」

「…………」


 そんな感じで、俺のサクセスストーリーはいきなり前途多難なスタートで始まったのだった。




しおりを挟む

処理中です...