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復仇の一矢
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ズーンに向け、先頭を切って騎竜を駆けさせるボルドゥだったが、その胸中には一抹の不安があった。
異母妹に付けてバローンに送り込んだフレルノムが何者かに殺されたというのだ。
おかげで、ズーンを相手取る間にバローンで王位継承争いを炎上させ、こちらへの介入を防ぐという目論見はご破算になった。それに、側近中の側近を失ってしまったことも痛手だし、彼が殺害されるに至った経緯も気にかかる。
(いや、今はそのようなことに囚われている場合ではない。とにかくズーンを速攻で陥とす。今俺が考えるべきはそのことだけだ)
不安を振り払うように、ボルドゥは乗騎に鞭を打ち込んだ。
話が違う――。
シャルモールが違和感を抱くようになったのは、バローンに嫁いでしばらく後だった。
最初は良かったのだ。
勇猛というより粗暴、という評判も耳にしていたオストハーン王子は、思いの外優しかった。側室の子として生まれ、二十二歳になるまでしかるべき家柄の女性を正室に迎えることが出来なかった彼としては、シャルモールを娶れたことがよほど嬉しかったらしい。
シャルモールも母親の実家の後ろ盾が弱いせいで苦労してきた身であり、その境遇を脱するべく野心を抱いてきたことに、お互い共感し合う部分もあった。
この人にバローンの王位を獲らせよう――。あらためてそう心に誓ったシャルモールであったが。
王太子アーセマーンを追い落とすのは一朝一夕に叶うようなことではなく、武力を用いるのは最後の手段。そのはずだった。
にもかかわらず、彼女に随伴してきたフレルノムたちとオストハーンとの間で、蜂起の具体的な計画が密かに、しかし着実に進められている。
フレルノムが言うには、オストハーンが起てばボルドゥもこれを支援する、という手筈になっているらしいのだが。
「兄上……。最初からそのつもりで!」
幕舎の一室で、シャルモールは歯噛みした。
ボルドゥにとっては、オストハーンがバローン王位を獲れるかどうかなどどうでもよく、単にバローンを混乱させられればよい。その真意が、シャルモールにもようやくはっきりと見て取れた。
「姫様のご心中、お察し申し上げます」
アリマという名の侍女が、痛ましげな表情で言う。
彼女は、今回シャルモールがバローンに嫁ぐにあたり、側に仕えるようになった者たちの一人だ。
ヒュンナグの有力氏族の一つ、オクトルゴイ氏族の一員とのことで、族長のシドゥルグから嫁入りの手向けとして付けられた内の一人である。
ヒュンナグ内でも特に影響力の大きいオクトルゴイ氏族が後見に付いてくれたことの意味は大きく、シャルモールとしては嬉しい限りだったし、その上このアリマという娘は、聡明で気も利く上に、騎射にも秀でているということで、すっかり頼りにするようになっていた。
「ねえ、アリマ」
ずいと身を乗り出し、侍女の顔を真っ直ぐに見つめながら、シャルモールは言った。
「はい。何でしょうか、姫様」
「あなた、人を射たことがあるわね?」
心の奥底まで見通すような眼差し。アリマの心臓がどくりと跳ねる。シャルモールはアリマの詳しい経歴までは知らない。しかし、理屈抜きで確信めいたものがあった。
「包丁や刺繍針と同様に弓矢に慣れ親しむ草原の女でも、実際に人に矢を向けたことのある者はそう多くない……。ねえ、お願い、アリマ。フレルノムを始末して。お膳立てはあたしが整えるわ」
それを聞いて、アリマはさっと顔を伏せた。事の重大さに困惑しているのだろうと解釈したシャルモールは、居住まいを正し、穏やかな声で語り掛ける。
「あなたが処罰されることのないよう、あたしの名誉に掛けて守るからその点は安心して。それに、お礼もあたしにできる範囲で、望みのものを取らせるわ。だから……」
「いえ、申し訳ございません。少々驚いてしまいまして。承知いたしました。姫様の御為《おんため》ならば、どのようなことでもいたしましょう」
アリマはそう答えた。内心の喜悦を覚られぬよう、顔を伏せたまま――。
月明かりの下、青白い光に照らされた草原で、二人の男女が密会していた。話している内容は、恋人同士の甘い逢瀬などとは程遠かったが。
「なるほど。シャルモール妃のほうから話を持ち掛けてきましたか。意外……、いや、これもサラーナの想定の範囲内なのかな」
呟くようにそう言った男は、ドルジ。竜神の里の若者で、今回志願して、アーセマーン王子との連絡役としてバローンに来ている。
「そうだな。ボルドゥとその配下どもと、シャルモール妃とでは、思惑が微妙に異なるはず、というのはサラーナ殿も推測しておられたようだしな。まあ、この展開まではさすがに予想しておられなかったかもしれぬが、我が手で一族の仇を討てるのは嬉しい限り」
そう言って、アリマ、いやオルツィイは嗤った。
サラーナがシドゥルグを説き伏せ、オクトルゴイ氏族の一員という名目で偽名を名乗りシャルモールの側に潜り込んでいた彼女。元々、バローンで事を起こすであろうボルドゥ配下の排除は、彼女の主任務ではあった。シャルモールがフレルノム暗殺のお膳立てをしてくれるというのなら、願ってもない話だ。
「オルツィイ殿、くれぐれもお気を付けて」
心配げな表情でこちらを見るドルジに、オルツィイは力強く頷いて見せた。
その二日後。
シャルモールは、余人を交えず話がしたいという口実で、フレルノムを遠乗りに誘った。
アリマことオルツィイは草むらに潜み、一族の仇が近付いて来るのをじっと待っていた。
あと数歩で必殺の間合いに入る――と思ったその時、弓弦の音がした。
オルツィイ以外にもう一人、少し離れた位置に、シャルモールの侍女の中でも一番の弓の名手だという女が配されていたのだが、その女が矢を放ったのだ。
(早いわ、馬鹿者!)
心の内で罵るオルツィイ。
しかし、一番の弓の名手というだけのことはあり、矢はフレルノムに向けて狙い過たず飛び、確実に的を射抜く――かと思われたのだが。
フレルノムは動じることなく右手をかざし、矢は彼に命中する直前で弾き飛ばされた。
そして、そのまま右手を刺客の方に向けると、爆発的な突風が起こり、女を吹き飛ばす。
「これは何の真似ですかな、シャルモール様?」
穏やかな口調の中に怒りを込めて、フレルノムがシャルモールに詰め寄る。
彼がボルドゥ配下随一の魔道士だということは知っていたが、不意打ちで矢を射掛ければ仕留めることは可能だろう、などと甘く見たのが間違いだった。
シャルモールは顔を蒼ざめさせながらも、懸命に虚勢を張る。
「あなたの軽挙妄動はヒュンナグとバローンの関係を損ねると判断したが故です」
「両国の関係?」
フレルノムが鼻で嗤う。
「中々面白いご冗談ですな。しかし、あなたがそのようなおつもりなら、こちらもしかるべく対処する他ありません。ご心配なさらずとも、オストハーン殿が仇を討ってくださるでしょう。あなたに刺客を差し向けたアーセマーン殿に対して」
シャルモールが歯噛みしながら思わず目を瞑った時、オルツィイが立ち上がり、大声で叫んだ。
「仇討ちならこちらが先だ、フレルノム!」
矢を構えるオルツィイを、フレルノムが嘲笑する。
「無駄ですよ。魔道士を射倒すなら、多人数で周りを囲んで一斉に矢を射掛けでもしない限りは……あ?」
自信満々の講釈が途切れる。フレルノムの眉間には、オルツィイが放った矢が突き立っていた。
当のフレルノムも、シャルモールも呆然とした表情だ。そして、フレルノムの体がどぅっと地面に転げ落ちる。
「やれやれ、本当に竜神様には、いくら感謝してもし切れぬな」
里を発つ前に、竜神から手渡された矢。フレルノムが優れた魔道士だと聞いて、念のために用意してくれたものだ。竜神の真呪が矢柄に刻まれたその矢は、人間の魔道士が張り巡らす程度の結界ならば薄布同然、という触れ込みは全く掛け値無しだった。
一族の直接の仇を討ち果たし、オルツィイの目に涙が滲んだ。
ズーンが「触れずの地」に兵を進め、ヒュンナグとの間で戦が始まったとの報が、サラーナが放った飛竜によってドルジたちに伝えられたのは、それからほどなくしてのことだった。
ズーン軍はその兵力のかなりの部分を「触れずの地」に投入していた。
もちろん、「触れずの地」そのものは占領してもそれほど大きな意味は無い。大軍でもって威嚇することで、ヒュンナグを屈服させようという意図だろう。
――と、思わせておいて、それが陽動である可能性も、ボルドゥは考慮していた。
これ見よがしに手薄にされたズーンの本拠地。そこへ誘い込んでおいて、取って返してきた本隊で背後を衝き、ヒュンナグ軍を壊滅させる。
(俺がズーンの王ならば、そうするだろうな)
それを承知の上で、ボルドゥはあえて誘いに乗った。すでに対策は打ってある。
まあ、大軍で威嚇するだけで腰砕けになるだろう、というくらいに甘く見られている可能性も十分にある。むしろそちらの可能性の方が高いと思ってはいるのだが。
「触れずの地」のズーンの本隊を迂回して接触を避けつつ、その本拠地を一気に衝く。ボルドゥの指揮の下、ヒュンナグ軍は常識外れの速さで進軍した。
ズーンの王宮である幕舎群を遠望できるところまで迫った時、東の方角から、馬に乗った一団が駆けて来た。
ズーン領の東の端、草原から森林、山岳地帯に遷移するあたりに暮らし、狩猟採集を生業とする民族、シュシェン族。
騎竜が入手しにくい森林地帯でもっぱら馬に騎乗し、草原の民に勝るとも劣らぬ弓の名手でもある剽悍な戦士たち。
草原の騎竜の民からは下に見られている彼らを懐柔し、ズーン侵攻に呼応して反乱を起こさせる、というのが、ボルドゥが密かに打っていた策の一つだった。のだが。
シュシェンの一団を代表して、一廉の将らしき男が開口一番、
「ヒュンナグの僭王、ボルドゥ殿とお見受けする」
「せ、僭王だと!?」
王を僭称する者――。ボルドゥの王位の正統性を真っ向から否定する物言いに、ボルドゥも周囲の者たちが色めき立つ。
「父王を弑し、王位を簒奪したる無道の王よ。我らシュシェン、ズーンとの長年の友誼を重んじ、汝らには味方せぬ」
友誼が聞いて呆れる。彼らはズーンから見下され、しばしば戦の駒として激戦地に送り込まれたりもしてきて、その恨みは深い。
それに、中原の大商人であるチャンを通じて、彼らの主産品である毛皮や人蔘の交易の便宜も図ってやるという話になっている。それに対して、色よい返事を返していたはずではなかったのか。
「ふん、堅っ苦しい言い方はこの辺で止そう。チャン殿が持ってきた話は確かに悪くなかった。が、中原への窓口はあの男だけではない。一方ジムス殿は、バローンを通じての西方交易について、旨い話を持ってきてくれた」
「ジムスだと!? 何を馬鹿な……」
何故ここで、死んだはずのジムスの名前が出てくるのか。さすがのボルドゥも混乱するばかりだ。
「それに、ズーンの王太子エルデニ殿は、美人のお妃ともども直々に我らの許を訪れて、腹を割った話もさせてもらった。今こうして参上したのは、おぬしらとの間に密約があるのではないかなどと、ズーン王にいらぬ疑いを持たれぬよう、きっぱり断りを入れに来たのだ」
シュシェンの将はそこで一度言葉を切り、侮蔑の笑みを浮かべ、
「ああ、それと最後にもう一つ。我らシュシェンは勇者を貴ぶ。腰抜け玉無し野郎はとっとと去《い》ね」
と言いたい放題言い捨てると、シュシェンの一団はくるりと馬首をめぐらせ、一斉に逃走を開始した。
怒りにかられたヒュンナグ軍の一部が、ボルドゥの制止も聞かず後を追う。
しかし、短時間の脚の速さでは、騎竜はとうてい馬には及ばない。そして、シュシェン兵が振り返りざまに射放ったトリカブトの毒矢で、無用な死傷者を出す羽目になった。
ボルドゥはチャンを通じて、ズーン内の他の少数民族にもいくつか声を掛けていたが、最大にして最強の勢力であるシュシェンがこの有様では、とうてい内応は期待できないだろう。
何かがおかしい。一体どこで狂い始めたのか――。
ボルドゥの胸中に、不安が湧き上がる。
いや、それでも、ズーンを滅ぼしてしまえば十分にお釣りが来るはずだ。少数の留守部隊を殲滅し、取って返してきた本隊も迎え撃って打ち破る。自分にはそれができると、ボルドゥはなおもそう信じていた。
ボルドゥは彼の命に背いてシュシェンを追った者たちを斬り捨てて軍紀を糺し、再び進軍を開始した。
そして、ボルドゥ率いるヒュンナグ軍と、ズーンの王宮を守る留守部隊との交戦の幕が上がる。
留守部隊を率いる将は、若き王太子エルデニ。そしてその傍らには、側室アルタントヤー妃の仲介で客将となったションホルの姿があった。
異母妹に付けてバローンに送り込んだフレルノムが何者かに殺されたというのだ。
おかげで、ズーンを相手取る間にバローンで王位継承争いを炎上させ、こちらへの介入を防ぐという目論見はご破算になった。それに、側近中の側近を失ってしまったことも痛手だし、彼が殺害されるに至った経緯も気にかかる。
(いや、今はそのようなことに囚われている場合ではない。とにかくズーンを速攻で陥とす。今俺が考えるべきはそのことだけだ)
不安を振り払うように、ボルドゥは乗騎に鞭を打ち込んだ。
話が違う――。
シャルモールが違和感を抱くようになったのは、バローンに嫁いでしばらく後だった。
最初は良かったのだ。
勇猛というより粗暴、という評判も耳にしていたオストハーン王子は、思いの外優しかった。側室の子として生まれ、二十二歳になるまでしかるべき家柄の女性を正室に迎えることが出来なかった彼としては、シャルモールを娶れたことがよほど嬉しかったらしい。
シャルモールも母親の実家の後ろ盾が弱いせいで苦労してきた身であり、その境遇を脱するべく野心を抱いてきたことに、お互い共感し合う部分もあった。
この人にバローンの王位を獲らせよう――。あらためてそう心に誓ったシャルモールであったが。
王太子アーセマーンを追い落とすのは一朝一夕に叶うようなことではなく、武力を用いるのは最後の手段。そのはずだった。
にもかかわらず、彼女に随伴してきたフレルノムたちとオストハーンとの間で、蜂起の具体的な計画が密かに、しかし着実に進められている。
フレルノムが言うには、オストハーンが起てばボルドゥもこれを支援する、という手筈になっているらしいのだが。
「兄上……。最初からそのつもりで!」
幕舎の一室で、シャルモールは歯噛みした。
ボルドゥにとっては、オストハーンがバローン王位を獲れるかどうかなどどうでもよく、単にバローンを混乱させられればよい。その真意が、シャルモールにもようやくはっきりと見て取れた。
「姫様のご心中、お察し申し上げます」
アリマという名の侍女が、痛ましげな表情で言う。
彼女は、今回シャルモールがバローンに嫁ぐにあたり、側に仕えるようになった者たちの一人だ。
ヒュンナグの有力氏族の一つ、オクトルゴイ氏族の一員とのことで、族長のシドゥルグから嫁入りの手向けとして付けられた内の一人である。
ヒュンナグ内でも特に影響力の大きいオクトルゴイ氏族が後見に付いてくれたことの意味は大きく、シャルモールとしては嬉しい限りだったし、その上このアリマという娘は、聡明で気も利く上に、騎射にも秀でているということで、すっかり頼りにするようになっていた。
「ねえ、アリマ」
ずいと身を乗り出し、侍女の顔を真っ直ぐに見つめながら、シャルモールは言った。
「はい。何でしょうか、姫様」
「あなた、人を射たことがあるわね?」
心の奥底まで見通すような眼差し。アリマの心臓がどくりと跳ねる。シャルモールはアリマの詳しい経歴までは知らない。しかし、理屈抜きで確信めいたものがあった。
「包丁や刺繍針と同様に弓矢に慣れ親しむ草原の女でも、実際に人に矢を向けたことのある者はそう多くない……。ねえ、お願い、アリマ。フレルノムを始末して。お膳立てはあたしが整えるわ」
それを聞いて、アリマはさっと顔を伏せた。事の重大さに困惑しているのだろうと解釈したシャルモールは、居住まいを正し、穏やかな声で語り掛ける。
「あなたが処罰されることのないよう、あたしの名誉に掛けて守るからその点は安心して。それに、お礼もあたしにできる範囲で、望みのものを取らせるわ。だから……」
「いえ、申し訳ございません。少々驚いてしまいまして。承知いたしました。姫様の御為《おんため》ならば、どのようなことでもいたしましょう」
アリマはそう答えた。内心の喜悦を覚られぬよう、顔を伏せたまま――。
月明かりの下、青白い光に照らされた草原で、二人の男女が密会していた。話している内容は、恋人同士の甘い逢瀬などとは程遠かったが。
「なるほど。シャルモール妃のほうから話を持ち掛けてきましたか。意外……、いや、これもサラーナの想定の範囲内なのかな」
呟くようにそう言った男は、ドルジ。竜神の里の若者で、今回志願して、アーセマーン王子との連絡役としてバローンに来ている。
「そうだな。ボルドゥとその配下どもと、シャルモール妃とでは、思惑が微妙に異なるはず、というのはサラーナ殿も推測しておられたようだしな。まあ、この展開まではさすがに予想しておられなかったかもしれぬが、我が手で一族の仇を討てるのは嬉しい限り」
そう言って、アリマ、いやオルツィイは嗤った。
サラーナがシドゥルグを説き伏せ、オクトルゴイ氏族の一員という名目で偽名を名乗りシャルモールの側に潜り込んでいた彼女。元々、バローンで事を起こすであろうボルドゥ配下の排除は、彼女の主任務ではあった。シャルモールがフレルノム暗殺のお膳立てをしてくれるというのなら、願ってもない話だ。
「オルツィイ殿、くれぐれもお気を付けて」
心配げな表情でこちらを見るドルジに、オルツィイは力強く頷いて見せた。
その二日後。
シャルモールは、余人を交えず話がしたいという口実で、フレルノムを遠乗りに誘った。
アリマことオルツィイは草むらに潜み、一族の仇が近付いて来るのをじっと待っていた。
あと数歩で必殺の間合いに入る――と思ったその時、弓弦の音がした。
オルツィイ以外にもう一人、少し離れた位置に、シャルモールの侍女の中でも一番の弓の名手だという女が配されていたのだが、その女が矢を放ったのだ。
(早いわ、馬鹿者!)
心の内で罵るオルツィイ。
しかし、一番の弓の名手というだけのことはあり、矢はフレルノムに向けて狙い過たず飛び、確実に的を射抜く――かと思われたのだが。
フレルノムは動じることなく右手をかざし、矢は彼に命中する直前で弾き飛ばされた。
そして、そのまま右手を刺客の方に向けると、爆発的な突風が起こり、女を吹き飛ばす。
「これは何の真似ですかな、シャルモール様?」
穏やかな口調の中に怒りを込めて、フレルノムがシャルモールに詰め寄る。
彼がボルドゥ配下随一の魔道士だということは知っていたが、不意打ちで矢を射掛ければ仕留めることは可能だろう、などと甘く見たのが間違いだった。
シャルモールは顔を蒼ざめさせながらも、懸命に虚勢を張る。
「あなたの軽挙妄動はヒュンナグとバローンの関係を損ねると判断したが故です」
「両国の関係?」
フレルノムが鼻で嗤う。
「中々面白いご冗談ですな。しかし、あなたがそのようなおつもりなら、こちらもしかるべく対処する他ありません。ご心配なさらずとも、オストハーン殿が仇を討ってくださるでしょう。あなたに刺客を差し向けたアーセマーン殿に対して」
シャルモールが歯噛みしながら思わず目を瞑った時、オルツィイが立ち上がり、大声で叫んだ。
「仇討ちならこちらが先だ、フレルノム!」
矢を構えるオルツィイを、フレルノムが嘲笑する。
「無駄ですよ。魔道士を射倒すなら、多人数で周りを囲んで一斉に矢を射掛けでもしない限りは……あ?」
自信満々の講釈が途切れる。フレルノムの眉間には、オルツィイが放った矢が突き立っていた。
当のフレルノムも、シャルモールも呆然とした表情だ。そして、フレルノムの体がどぅっと地面に転げ落ちる。
「やれやれ、本当に竜神様には、いくら感謝してもし切れぬな」
里を発つ前に、竜神から手渡された矢。フレルノムが優れた魔道士だと聞いて、念のために用意してくれたものだ。竜神の真呪が矢柄に刻まれたその矢は、人間の魔道士が張り巡らす程度の結界ならば薄布同然、という触れ込みは全く掛け値無しだった。
一族の直接の仇を討ち果たし、オルツィイの目に涙が滲んだ。
ズーンが「触れずの地」に兵を進め、ヒュンナグとの間で戦が始まったとの報が、サラーナが放った飛竜によってドルジたちに伝えられたのは、それからほどなくしてのことだった。
ズーン軍はその兵力のかなりの部分を「触れずの地」に投入していた。
もちろん、「触れずの地」そのものは占領してもそれほど大きな意味は無い。大軍でもって威嚇することで、ヒュンナグを屈服させようという意図だろう。
――と、思わせておいて、それが陽動である可能性も、ボルドゥは考慮していた。
これ見よがしに手薄にされたズーンの本拠地。そこへ誘い込んでおいて、取って返してきた本隊で背後を衝き、ヒュンナグ軍を壊滅させる。
(俺がズーンの王ならば、そうするだろうな)
それを承知の上で、ボルドゥはあえて誘いに乗った。すでに対策は打ってある。
まあ、大軍で威嚇するだけで腰砕けになるだろう、というくらいに甘く見られている可能性も十分にある。むしろそちらの可能性の方が高いと思ってはいるのだが。
「触れずの地」のズーンの本隊を迂回して接触を避けつつ、その本拠地を一気に衝く。ボルドゥの指揮の下、ヒュンナグ軍は常識外れの速さで進軍した。
ズーンの王宮である幕舎群を遠望できるところまで迫った時、東の方角から、馬に乗った一団が駆けて来た。
ズーン領の東の端、草原から森林、山岳地帯に遷移するあたりに暮らし、狩猟採集を生業とする民族、シュシェン族。
騎竜が入手しにくい森林地帯でもっぱら馬に騎乗し、草原の民に勝るとも劣らぬ弓の名手でもある剽悍な戦士たち。
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シュシェンの一団を代表して、一廉の将らしき男が開口一番、
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「父王を弑し、王位を簒奪したる無道の王よ。我らシュシェン、ズーンとの長年の友誼を重んじ、汝らには味方せぬ」
友誼が聞いて呆れる。彼らはズーンから見下され、しばしば戦の駒として激戦地に送り込まれたりもしてきて、その恨みは深い。
それに、中原の大商人であるチャンを通じて、彼らの主産品である毛皮や人蔘の交易の便宜も図ってやるという話になっている。それに対して、色よい返事を返していたはずではなかったのか。
「ふん、堅っ苦しい言い方はこの辺で止そう。チャン殿が持ってきた話は確かに悪くなかった。が、中原への窓口はあの男だけではない。一方ジムス殿は、バローンを通じての西方交易について、旨い話を持ってきてくれた」
「ジムスだと!? 何を馬鹿な……」
何故ここで、死んだはずのジムスの名前が出てくるのか。さすがのボルドゥも混乱するばかりだ。
「それに、ズーンの王太子エルデニ殿は、美人のお妃ともども直々に我らの許を訪れて、腹を割った話もさせてもらった。今こうして参上したのは、おぬしらとの間に密約があるのではないかなどと、ズーン王にいらぬ疑いを持たれぬよう、きっぱり断りを入れに来たのだ」
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「ああ、それと最後にもう一つ。我らシュシェンは勇者を貴ぶ。腰抜け玉無し野郎はとっとと去《い》ね」
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しかし、短時間の脚の速さでは、騎竜はとうてい馬には及ばない。そして、シュシェン兵が振り返りざまに射放ったトリカブトの毒矢で、無用な死傷者を出す羽目になった。
ボルドゥはチャンを通じて、ズーン内の他の少数民族にもいくつか声を掛けていたが、最大にして最強の勢力であるシュシェンがこの有様では、とうてい内応は期待できないだろう。
何かがおかしい。一体どこで狂い始めたのか――。
ボルドゥの胸中に、不安が湧き上がる。
いや、それでも、ズーンを滅ぼしてしまえば十分にお釣りが来るはずだ。少数の留守部隊を殲滅し、取って返してきた本隊も迎え撃って打ち破る。自分にはそれができると、ボルドゥはなおもそう信じていた。
ボルドゥは彼の命に背いてシュシェンを追った者たちを斬り捨てて軍紀を糺し、再び進軍を開始した。
そして、ボルドゥ率いるヒュンナグ軍と、ズーンの王宮を守る留守部隊との交戦の幕が上がる。
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侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
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