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三部
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しおりを挟むノックの音がした。
月奈は目を覚ましたが、返事はしなかった。夢の続きかもしれないと思うほど、意識はぼんやりとしている。起きているのか、まだ眠っているのか、自分でもはっきりしない。布団の中でゆっくりと寝返りをうつと、ベッドのスプリングがぎし、と鳴った。
そのとき、頬に誰かの温かい手が触れた。指先が髪をやさしく梳き、まぶたのあたりをそっとなぞる。そして、指はすうっと首筋に沿って降りていった。
「きゃっ……!」
月奈は驚いた声をあげて身を起こした。目の前にいた人物を見て、目を丸くする。
「……どうして英作さんが、家に?」
ベッドの上に座っていたのは英作だった。夢か現か確かめるように、まぶたをこすった。
「……寝ぼけてるのか。それとも、昨夜の話をすっかり忘れたのか」
英作は呆れたように言いながらも、月奈の間の抜けた表情を見ると、いつものように穏やかな笑みを浮かべた。月奈が心から好きだった、あの微笑み――けれど、今見るそれは、胸を締めつけるように辛かった。
頭の中が空白になっている気がして、月奈は記憶をたぐる。英作がここにいる理由を、ようやく思い出す。
それは昨夜のこと。料亭での食事の帰り、駐車場で父が英作にこう言ったのだった。
『なあ、英作。俺たちと一緒に住まないか? これからは家族として、三人で過ごしたいんだ』
そう――これから自分は、英作と一つ屋根の下で暮らすのだ。
食事のあと、英作はそのまま父の車に乗って、今夜は月奈の家に泊まった。父と二人、リビングで酒を酌み交わしながら、夜遅くまで話し込んでいたようだ。
きっと月奈の知らない昔のことや、亡き母の思い出話をしていたのだろう。父の友人であり、そして――義弟でもある英作と。
「さっそく引っ越しの準備をしろ、だってさ。優次郎さんも、ずいぶん気が早いよ。君にすべてを話せて、安心したんだろうな」
英作はため息をつきながら言った。
「俺たちの関係も知らないで……」
その瞳は、どこか影を落としていた。月奈は小さく肩を震わせ、布団の中へもぐりこんだ。
「ほら、いつまで寝てるんだ。大学に遅れるぞ」
容赦なく布団をめくりあげられる。丸まった月奈は、目をぎゅっと閉じたまま、英作の顔を見ないようにする。
「……行きたくない……」
かすれる声でつぶやく。人と顔を合わせる気力など、どこにもない。眠っていても何も変わらないのはわかっている。でも、身体が鉛のように重たくて、どうしても起き上がれない。
「……俺はパパみたいに甘くないからな。仮病で休むのは、許さない」
「……」
「大学へ行くんだ」
英作の声が、いつになく厳しい。まるで、保護者のようだった。叔父として接するという現実が、急に現実味を帯びてきて、月奈は抵抗するようにうつぶせになった。
子供のように、駄々をこねるようにしばらくじっとしていると、また髪を撫でる手が触れた。指先が首筋をなぞり、そのまま背中へ――月奈ははっとして、その手を勢いよく払いのけた。
「やめて! 触らないで!」
弾かれたように起き上がり、壁に背を預ける。涙を浮かべながら、英作を睨んだ。
「この間まで、あんなに抱かれてたのに……ずいぶん冷たい扱いじゃないか」
英作が皮肉めいた笑みを浮かべる。
「……パパのためにも、これからは“叔父さん”として接して」
そう言いながら、月奈は視線を伏せた。もう手遅れかもしれない。でも、まだ引き返せるのなら――父に償いたい。
昨夜、涙をこらえきれなかった父の瞳を思い出す。血のつながりがなくても、娘として受け入れてくれた。そのまなざしが、月奈の胸に深く残っていた。
「関係を終わりにしたいってことか」
英作の声は冷たい。
「……だって、こんなこと、最初からおかしかったんだよ。全部……間違いだった……」
怖さに喉が震えながらも、月奈は言葉をしぼり出した。けれどその言葉の途中で、英作が彼女をベッドに押し倒した。
肩を掴む指が、痛いほど強い。
「いや……!」
何をされるのか、察して月奈は身をよじり、足を固く閉じる。けれど、男の腕力には敵わない。
「どこが“嫌”なんだ? 言ってみろ」
冷たい目が、真上から見下ろしていた。
*
「起きてたのか。遅刻しちゃうぞ」
父が月奈の部屋に入ってきた。月奈はぴくりと肩を震わせ、きちんと着直したパジャマの裾をぎゅっと握りしめた。
「ん? なんで英作がいるんだ?」
父の何気ない問いに、月奈は目をそらす。ベッドの上に座る英作は、何事もなかったように微笑んだ。
「もう時間だから、月奈を起こしに来たんだ。叔父さんとして、最初の務めを果たそうと思ってね」
その表情には、さきほどまでの影も気配もない。父に気取られぬよう、涼しい顔を保っていた。
月奈は熱を持った頬が冷めないまま、父の目を見ることができなかった
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