異能怪奇譚

時雨鈴檎

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-後宮事変-

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まだ夜明け前、静けさの中で布団の塊が大きく動き、布の擦れる音が静寂を破る。そうして、ゆっくりと目を開いたリシャナは体を大きく伸ばして体を起こした。

「んっ……くぁ……日々飼い殺されてる気がする」

下女の頃に比べれば、随分と楽、よりは暇を持て余す。日頃の有り余る体力のために、ここ数日目が覚めるのはこの時間であった。後宮に連れて来られる前の生活に比べれば、起きる時間はあまり変わらない。
動き回るのに最適な、広々とした部屋の真ん中で、体を大きく回す。次に、両手を体の前と横に構えると、軽く拳を振り空を殴る。目に見えない相手と対峙するように、体制を屈めれば足を払う。しばらく虚空との対人戦をすませると軽く息を吐く。伝う汗を拭い窓を見ると陽が、塀の向こうからさしていた。

侍女は三人という少人数で回していたらしい蘭姫宮で、追加された侍女リシャナの仕事は何もなかった。
だからと言って、下女の仕事に回されるでもなく、やって姫へ貢物を届けたり、荷の整理ぐらい。後は、やれ頂き物の饅頭だ。やれ砂糖菓子だ。と日に幾度も、姫だけでなく歳上の侍女たちから餌付けされて過ごす。
する事もなく、調薬が出来るかといえば、機材もない上、匂いは付き物なので気楽に出来はしない。
来て数日、貴重な専門書や図録を借りて読むくらいで、殆ど食っちゃ寝状態が続いている。

「太らせて出荷される牛はこんな気持ちなのかも知れない……」

などと、場違いなことを考えながら、確かに以前より丸みのます、頬をむにむにとつまむ。元より、服毒に寝食を忘れる事なども当たり前だった、不摂生に細身だった身体なだけに、今は健康的な見た目になってきている程度ではあるが。
顔を洗い、侍女服を手に取る。胸元までの巻き布に、鶯色の前に開いた独特の衣服。レイハクの故郷から持ち込んだ服なのだろう、隣国なのもあり似てはいるが、少し違う前合わせと心持ち垂れる袖、何より太く硬い帯は少々苦労する。

「早く慣れないとなっと。よし」

巻くよりも結ぶ方が難しく、何度も結ぼうとしては緩み、巻きなおす事を繰り返す。不格好ながらもそれなりに形が整うと、結び目を後ろへと回す。少しは慣れて来たが、それでも毎朝苦戦する。鏡の前で少し体をひねり後ろを確認する。少し歪んではあるが上出来だろうと、部屋を出る。

「帯が曲がっている」
「んぐっ……おはようございます。ダメでしたか」

扉を出れば気配もなく、ぐいっと後ろから腰を思いっきり引っ張られ、声をかけられた。振り向けば、独特の黒い髪に毛先だけ明るい青で染めた頭髪が揺れる。きつく上でまとめ、黒い瞳につり目、侍女と言うよりは武官の方が合うのではないかと思えるほど、引き締まった体躯と身長を併せ持つ女性だった。この蘭姫宮のたった四人の宮侍女たちを取りまとめる、侍女頭補佐のユイだ。
リシャナの言葉にも眉ひとつ動かさず、慣れた手つきで帯を結び、軽く背中を叩く。

「あらー、惜しかったわねぇ。でも少しずつ上手くなってきてるわよお」
「ヒイラギさん……」

後ろに気を取られ、ユイから背を押されて離れたリシャナは絡めとられる。ユイのように毛先だけを橙に染め、緩く後ろでまとめて流す女性ーーヒイラギは、リシャナの少し残った寝癖撫で、コツンと指先で額をつく。
おっとりと間延びした声と、どこを見ているかわからない狐目が、いつも微笑んでいるようにも見え、何もかも見透かされるようで視線を合わせづらい。

ここ数日で侍女達が何かしらの武芸に精通している、と言うのを痛感したリシャナにとって、ヒイラギは特に気配が全く読めず、柔らかい表情に騙されそうになるが、これで、隙が全く見えないために、苦手な部類である。気づいたら側にいて、何考えてるか読めない侍女頭。
服装はユイと同じく藍色の服を纏う。

藍はレイハクの色なのだそうで、最も古い付き合いの二人は、その色を賜っているらしい。リシャナの渡された鶯色の着物は、年若いもう一人のここにはいない侍女に合わせてあつらえたと言っていた。リシャナは年が近かったこともあり、同じ色を当てられた。
腰帯の白と黄色の網合わせが、少し落ち着いた色を持つ服を彩る。帯は全員共通だが、レイハクのこだわりだと本人が楽しそうに語っていた。

「それより、御二方は、こんなところで何を?」
「あぁ、カジャク様がお見えになってる。呼び出しだ、急ぎ温室へ」

ユイが、そうだったとヒイラギに気を取られていたのを、慌てて首を振りリシャナへと向く。

「カジャク様が?」
「そぉうよお、因みにわたしは、レイハク様のところに行くのに、ちょうど通りがかっただけよお」

あの男は、随分と朝早い時間に来るものだと眉を寄せれば、ヒイラギの囁きが耳元を擽り、思わず「ひゃんっ」っと体を跳ねさせる。何するんだと抗議の目を向ければ、リシャナを解放したヒイラギは、口元を隠して笑っていた。
ユイもリシャナの反応に、またかとでも言うように呆れた視線をヒイラギへ向ける。解放されたリシャナは、深くため息を吐くと、ユイから同情の温い視線が届いた。
顔を上げて、視線が合えばひくっとユイの口端が上がる。多分これは笑ってるつもりなのだろう。その不恰好な引き攣るユイの表情は、嫌われてるのかとも思えるが、数日過ごせば、リシャナを怖がらせないようにしていたのだと分かってきた。最初は、よくよく判断に困ったものだった。

「あらあらぁ、ユゥイは相変わらず、お顔が硬いわよお」
「っ!私に笑えと言ったのはヒイラギ様でしょう!」

言うが早いか、ヒイラギがユイの頬を手を伸ばして、むにっと揉む。その無理矢理な笑顔を揉みしだかれるのは、既に何時ものやり取りになりつつある。かっと頬を赤らめたユイが、眉を釣り上げてヒイラギに食ってかかるまでが日常だ。

それでも、リシャナへ笑いかける努力はするあたり、日頃の自分の顔が怖いことを気にしてるらしい。どちらかといえば、その笑顔の方が怖いのだが、知れば落ち込みそうなユイを見て、言えずにいるため続いている。

ユイとヒイラギは距離が近い、と言うよりはヒイラギがユイを揶揄うのを気に入っているようで、大概ヒイラギはユイにくっついている。そして今も……距離が縮まれば、当然間のリシャナはどうなるか予想できるだろう。
ちょうどリシャナの後頭部は、ヒイラギの豊満な胸元が押し付けられ、背の高いユイの引き締まった体に目立つ双丘はリシャナの頭の上にある。

(嫌味かちくしょう!)

ユイへとじゃれつくヒイラギによって、リシャナは嫉妬の念を駆り立てる。別にでかいからどうと言うものでもないが、惜しげも無く押し付けられ、否応無く無意識無自覚といえど、ありありと惜しげも無く披露される豊満な体は己の貧相な体と比べて仕舞えば、己の貧相な胸と比べたくもなる。
リシャナとて、例え普段変人、狂人と言われようとも、年頃であることには変わりない。お洒落のおの字も興味は無いとしていようとも全く、気にしていないわけでもない。
いや、特に気にしては居ない。でかくても肩がこるだけだと言う話も聞くし、自分の仕事上あの凸は邪魔だとすぐに判断を改める。

「あっ……の!カジャク様のところに行きたいんですがっ」
「あらあ、そうだったわねえ。ごめんなさいねえ?」

余計なことへ思考がずれていたと、前後から、柔らかい上質な着物に包まれた女性にもみくちゃにされながら、悲鳴に近い声で訴えれば、ヒイラギがそうだったと言わんばかりに離れる。

「それじゃあ、私も後でレイハク様をお連れするわあ」
「はい、お願いします。リシャナはカジャク様に、レイハク様が来られるまでのお相手を頼む。私はヨウカと下女に指示を回しに行きます。この時間ということは内密でしょうから」

ユイが、リシャナをちらりと見てから教えるように、敢えて内密と口に出して頷く。そうして、リシャナにカジャクへの対応を指示すると、ヒイラギに頭を下げて炊事場へ向かっていった。
ヒイラギもそれを見送ると、リシャナの背をとんっと叩く。まるで頑張ってというように、振り返るリシャナに笑顔を向けると、そのまま踵を返して、レイハクの眠る姫の間へ向かっていった。

どうやら、この時間にカジャクが来ることは、初めてでもないらしい。人目につかない時間を狙って来ている様子。

「だったら、事前に使者の一人でも飛ばせばよくない?」

ブツブツと文句をつぶやきながら、姫の私的空間である温室へ向かう。

「あの温室、侍女と皇帝しか入れないって話だったけど……あの女男はいいんだ」

後宮を管理する宦官だからだろうか、と首をひねる。それから実は女官なのでは、とぼんやりと浮かんだ腹立つ顔を思い浮かべる。

「無理ではない……けど、肩幅とか身長とか……あと骨格が違うからないか」

宦官にしては、整った身体つきだよなと他に見かける宦官たちの丸みの帯びた顔や、薄くなる髪を思い出す。そういえば、後ろに着く顔つきの硬い、常に眉間に皺の寄る苦労してそうな男も宦官にしては、筋肉質でどの宦官と見比べても、何より立派な体つきをしていた。

「あのおっさんは、宦官というより武官っぽいよなぁ……手のタコからしても多分武器も持ってそうだし、あの男の護衛だから仕方なくとか?」

そんなに忠義を尽くしたくなるような相手だろうかと、むむぅと唸りながら首をかしげてみるも、当人でもなければ答えもわかるはずもない。考えても仕方ない事かと、頭を振れば、温室へ早足に向かう。
わざわざ、リシャナを温室に向かわせたというならば、訪ねてきた理由に自分もあるだろうと少しだけ、高鳴る胸を押さえるのだった。
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