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ズッ……
―――ミツケタ……
音ではなかった。
頭の中に直接、響いてきた。
―――ミツケタ
子どもの笑い声が、泣いている女性の声が、怒っている男性の声が幾重にも重なって響いてくる。
『ミツケタ』と何度も何度も繰り返される度、さまざまな声と音が重なって気が変になりそうになる。
濃い気配と視線に背筋がゾクゾクする。
怖々後ろを振り返る。
はるか彼方、地平線に黒い何かがいた。
(っ……)
咄嗟に駆け出していた。
立ち上がる気力もなかったのに、身体が動いていた。
(イヤだ……)
死にたくない。
(イヤだっ)
“アレ”と一緒になりたくない。
死ぬよりも、“アレ”と一つになるのだけはイヤだ。
本能が叫んでいた。
―――ミツケタ、ミツケタ、ミツケタ
カチャカチャ、カラカラと何かが擦れる音がまるで笑い声のように響く。
這いずる音が前から聞こえるのに重い気配は後ろから迫る。
脳が揺れ、どんどん感覚がおかしくなっていく。ただまっすぐ進んでいるはずが、右に左に曲がっているように感じる。もしかしたら同じ場所をぐるぐる回っているだけかもしれない。それでも足を動かし続けた。
今度、止まってしまったら次はない。
整えられない呼吸に肺が悲鳴を上げ、胸が痛む。涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして、地面を踏む左足に力を入れ、右足を前に出す。
しかし、右足が地面を踏むことはなかった。
身体がふわりと浮かび、地面に打ち付けられる。
「っ……」
受け身をとることもできず、身体のあちこちが痛い。
頭も打ったのかくらくらする。
―――ツカマエタ……ツカマエタ!
歓喜に空間そのものが揺れる。
(ツカマエタ……捕まえた?…)
ようやく言葉が理解でき、さっと血の気がひいた。
いる。
すぐ後ろに。
上からこちらを見下ろしている。
振り返ってはいけない。見てはいけないとわかっているのに、確かめずにいられない。
ワゴン車一台ほどの大きさの黒い塊だった。上から下へどろどろと黒い液体が流れ、青白い男女の顔がいくつも見えてはまた埋まっていく。
全身が冷えて震えが止まらない。
これは、悪霊なんて生易しいものではない。
妖怪や精霊、神さまの類でもなく、ただ異様で異質な化け物。
そんな化け物からのびた黒い手が右の足首を掴んでいた。
「ヤ…ダッ」
咄嗟に足を動かして振りほどこうとするも、微動だにしない。そして、気づいてしまった。化け物に掴まれた足首のから先の感覚がない。
―――イッショニナロウ
子どもが一緒に遊ぼうと誘うようだった。ひどく楽しそうに、断られることなんて想像もしない純粋さ。それ故に狂気を感じる。
「ッ…ヤ…ダ……」
掴まれた右足がゆっくりと引っ張られる。ズルズルと化け物に近づいていく。
「ヤダッ…ダレか……」
身体を捩ったり、左足で右足を掴んでいる黒い手を蹴ってみたりしても止まることはない。なんとか腕を伸ばして身体を引き寄せようとするが、引っ張られる力が強く、指先と腕が血で赤く染まる。
―――イッショ……ヒトツニ……
化け物から数本の黒い手が出てきて、自由だった左足が絡め取られ、いよいよ右の足先からズブズブと黒い液体の中に埋まっていく。痛みはなかった。熱くも冷たくもない。ただ存在しているはずの肉体の感覚が消えていく。それどころか魂そのものが喰われているようで身の毛がよだつ。
「…ヤ……タスッ…」
小さな声で助けを呼ぶことさえ許されなかった。
化け物の体表にできた水泡が弾け、身体に黒い液体が降りかかる。周囲を満たしていたよりも濃い腐臭が襲い、まるで毒ガスでも浴びたように身体が痺れ呼吸がままならない。
呼吸困難と恐怖、絶望。すべてがないまぜになった涙がボロボロ溢れる。
―――ミツケタ……
音ではなかった。
頭の中に直接、響いてきた。
―――ミツケタ
子どもの笑い声が、泣いている女性の声が、怒っている男性の声が幾重にも重なって響いてくる。
『ミツケタ』と何度も何度も繰り返される度、さまざまな声と音が重なって気が変になりそうになる。
濃い気配と視線に背筋がゾクゾクする。
怖々後ろを振り返る。
はるか彼方、地平線に黒い何かがいた。
(っ……)
咄嗟に駆け出していた。
立ち上がる気力もなかったのに、身体が動いていた。
(イヤだ……)
死にたくない。
(イヤだっ)
“アレ”と一緒になりたくない。
死ぬよりも、“アレ”と一つになるのだけはイヤだ。
本能が叫んでいた。
―――ミツケタ、ミツケタ、ミツケタ
カチャカチャ、カラカラと何かが擦れる音がまるで笑い声のように響く。
這いずる音が前から聞こえるのに重い気配は後ろから迫る。
脳が揺れ、どんどん感覚がおかしくなっていく。ただまっすぐ進んでいるはずが、右に左に曲がっているように感じる。もしかしたら同じ場所をぐるぐる回っているだけかもしれない。それでも足を動かし続けた。
今度、止まってしまったら次はない。
整えられない呼吸に肺が悲鳴を上げ、胸が痛む。涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして、地面を踏む左足に力を入れ、右足を前に出す。
しかし、右足が地面を踏むことはなかった。
身体がふわりと浮かび、地面に打ち付けられる。
「っ……」
受け身をとることもできず、身体のあちこちが痛い。
頭も打ったのかくらくらする。
―――ツカマエタ……ツカマエタ!
歓喜に空間そのものが揺れる。
(ツカマエタ……捕まえた?…)
ようやく言葉が理解でき、さっと血の気がひいた。
いる。
すぐ後ろに。
上からこちらを見下ろしている。
振り返ってはいけない。見てはいけないとわかっているのに、確かめずにいられない。
ワゴン車一台ほどの大きさの黒い塊だった。上から下へどろどろと黒い液体が流れ、青白い男女の顔がいくつも見えてはまた埋まっていく。
全身が冷えて震えが止まらない。
これは、悪霊なんて生易しいものではない。
妖怪や精霊、神さまの類でもなく、ただ異様で異質な化け物。
そんな化け物からのびた黒い手が右の足首を掴んでいた。
「ヤ…ダッ」
咄嗟に足を動かして振りほどこうとするも、微動だにしない。そして、気づいてしまった。化け物に掴まれた足首のから先の感覚がない。
―――イッショニナロウ
子どもが一緒に遊ぼうと誘うようだった。ひどく楽しそうに、断られることなんて想像もしない純粋さ。それ故に狂気を感じる。
「ッ…ヤ…ダ……」
掴まれた右足がゆっくりと引っ張られる。ズルズルと化け物に近づいていく。
「ヤダッ…ダレか……」
身体を捩ったり、左足で右足を掴んでいる黒い手を蹴ってみたりしても止まることはない。なんとか腕を伸ばして身体を引き寄せようとするが、引っ張られる力が強く、指先と腕が血で赤く染まる。
―――イッショ……ヒトツニ……
化け物から数本の黒い手が出てきて、自由だった左足が絡め取られ、いよいよ右の足先からズブズブと黒い液体の中に埋まっていく。痛みはなかった。熱くも冷たくもない。ただ存在しているはずの肉体の感覚が消えていく。それどころか魂そのものが喰われているようで身の毛がよだつ。
「…ヤ……タスッ…」
小さな声で助けを呼ぶことさえ許されなかった。
化け物の体表にできた水泡が弾け、身体に黒い液体が降りかかる。周囲を満たしていたよりも濃い腐臭が襲い、まるで毒ガスでも浴びたように身体が痺れ呼吸がままならない。
呼吸困難と恐怖、絶望。すべてがないまぜになった涙がボロボロ溢れる。
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