赤ずきんは夜明けに笑う

森永らもね

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第一部 三章

18覚えのない記憶(挿絵あり)

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「……っ! こりゃあ……」

 話を聞いて飛んできたエドガーは声を失った。前半分を中心に食い荒らされた死体とその匂いに、腕で鼻を覆い隠す。これまで見てきたどの死体よりも酷い状態だ。頭部を失い、突き出た骨に赤黒い器官が引っかかって、ぼんやりと光っている。

「……最期まで、悲惨だったな。リーゼ」

 出てきたのは哀れみの言葉だった。死体を前に落ち着いていられるのはどこか安心もあった為だろう。
 元より自分はジェラルドを殺したリーゼロッテを殺すために家を出た。それもこれも、グレッグの時に止められなかった腹いせ。ジェラルドから二度目の幸せを奪った悪魔への報復のつもりだった。
 けれど、その怒りは今となってはすっかり萎んでしまっている。娘を庇ってくれた彼女は決して悪い奴ではなかった。ジェラルドの死の真実を知り、追っていた奴の最後を見届け、複雑な気持ちになりながらも心は既に「これで良かった」のだと収まりがつく。

「……エマから聞いたぞ。お前が守ってくれたんだってな……俺は、お前を勘違いしていたのかもしれない」

 悪かった、エドガーは一人そう付け足して言った。せめて供養はしてやろう。ジェラルドが愛したリーゼロッテとエリンと共に。
 道具を持ってくるかと背を向けた時、背後からずるりと引きずるような音が聞こえた。吸い込まれるような空気の流れに逆らわず、ゆっくりと振り返る。

「……なっ」

 一瞬だけなにかの光が見えた気がした。自発的なものではなく反射光だ。その直後、無惨な死体は仰向けの状態で起き上がる。カクカクと動く様が、人形のようだ。
 食いちぎられた跡は骨、次にそれを取り巻くように筋肉を生成し、ピキピキと音を立てながら枝分かれして元の手足を再生した。膨らみ生み出された臓器は肉で覆われ、体に収められていく。最後に元の頭部、髪の順に生えると、肉塊だった者は上を向きながらその場に倒れた。

「な、んだ……これ……」

 言葉が続かない。狼狽した目が揺れ動く。目の前で、殆ど肉塊だった死体が、体の組織を再生させた? ありえない。けれど、たった今目の前で起きた事実だ。
 非現実的な恐怖で足が竦み、エドガーは崩れ落ちる。息が荒くなり、早くなった鼓動を落ち着かせようと深く呼吸をした。やはり悪魔は化け物なのか―――何も身にまとわない状態で倒れているリーゼロッテに、エドガーはただ、立ち尽くした。




『私は、生まれてきても良かったのかな』


 骨組み状態の鉄骨が野ざらしになり、雨によってカンカンと音が鳴り響く。今広がる世界とは全く異なった灰色の世界だ。

「ちっ、うるせぇな!!」

 ドッ、と衝撃を受け、黒髪の少女は蹴り倒された。雨の日は決まって痛い思いをする。あの怖い人の機嫌が悪くなるから。殴られて、傷を作って、だからいつも包帯と絆創膏を体に張りつけていた。雨の日が嫌いだった。

「……ねえ、ママ。パパはいつ戻ってくるの?」

 その問いかけに母が振り返った。綺麗だった黒髪は傷み、カサついた不健康な唇には真っ赤な紅が塗ってある。目元にも殴られたようなキラキラの紫が付いていて、なんだかお化けみたいだ。そんな私を見る母の目は冷たく、怖い人と向き合っているよりも背中がピンとする。

「いつも言ってるでしょ。いい子にしてたらいつか会えるから。何度も言わせないでちょうだい」

 母はそう言い、私を置いて仕事に行った。いい子にしていたらパパに会える。その言葉を信じて、少女はいい子になれるように頑張った。ちゃんと言うことを聞いて、家から出ないように大人しくした。家から出ると、また母が周りの人に色んなことを言われて悲しんでしまう。世の中の大抵の事は自分が我慢することで解決すると、幼くして少女は知っていた。
 ある日。母と怖い人が荷物を持って家を出た。母はよく、私を置いてあの怖い人と一緒にどこかへ行く。いつも三、四日程で帰ってくるし、そういう時は定期的に電話もくれた。
 ご飯はカップ麺や買い溜めした惣菜といつもより多く食べられる。勿論おやつも。だから一人になるのは好きだ。一人になった方が気は楽だ。なにより、友達のチッチーが一緒だったから、寂しいと感じることはなかった。

「チッチーはいつも元気だね……」

 滑車を回して走る様子を頬杖しながら眺める。小さな体でモゾモゾと動くその姿は見ていて飽きなかった。とはいえ、ゲージの中だけだとやはり狭そうにも見える。こうして家から出られない自分と重ねてしまい「今日だけは特別だよ」とチッチーをゲージから出した。

「お母さんには内緒ね」

 しっーと口元に指を当てて笑ってみせる。寝転がりながら、チッチーを腹に乗せたり、家を冒険させたりして普段できないような遊びをした。

「チッチーはお母さんがどこに出かけているか、知ってる?」
「お母さんはね、あの怖い人と楽しいところに行ってるんだよ。お仕事だっていつも言ってるけど、私知ってるんだ」
「お母さんは私のことが嫌いなのかな。でもね、前はとても優しかったんだよ。パパがいなくなって寂しいだけなんだ」
「パパが戻ってきたらきっと、お母さんも元に戻るよ」

 瞼が重くなる。きっと、そうだよと、言い聞かせるように言って少女は目を瞑った。

 夢を見た。パパが帰ってきて、お母さんが前のように優しくなって。遊園地で遊んだ帰りは二人に両手を繋いでもらって、飛び跳ねる。そんな、幸福で心地のいい夢だ。


 瞼の隙間から漏れだす朱色の光に目を覚ました。どうやらあのまま寝てしまったらしい。気がつけばもう夕方だ。

「ん……?」

 開いたままのゲージを見て何度か瞬きし、少女は青ざめた。チッチー!? 張り詰めた声を出し、起き上がって周囲を見回すと、自分の手元に擦り寄ってくる毛玉がいることに気づく。

「良かった……」

 手のひらで動くその小さな命に安心した。放っておくと冷蔵庫の裏にまで行ってしまうので、チッチーからは目を離せない。なにより、ゲージから出すのは本来禁止されている。今日は運が良かったなと、指先で背中を撫でてみればチッチーは心地よさそうに目を細めた。次からは寝ないように気をつけなくては。

「帰ったわよ」

 がらり、と家の戸が開く音がした。思わず肩が跳ねる。もう帰ってきてしまったらしい。チッチーを素早くゲージに入れ、少女は帰ってきた人物を見上げた。

「×××、ただいま。いい子にしてた?」

 母と、怖い人を目にし、無言で頷いた。母が近づくとなんだか甘い香りがする。あまり好きじゃない強い匂いだ。どこに行ってきたの? なんでいつも連れて行ってくれないの? そういうのも無駄だって知っていたから、閉口してニコニコと笑ってみせる。二人の機嫌がいいうちに早く部屋に戻ろうと踏み出した時だ。

「あー! 俺のジャケットが……!」

 怖い人がなにかに気づいて持ち上げる。見ればジャケットには齧られた跡があり、糞もこびりついていた。すぐにチッチーの仕業だと分かる。怖い人はわなわなと震えながら真っ先にこちらを睨みつけた。

「おい、×××。ゲージからそいつ、出しただろぉ?」

 凄まれ、その目に怯えながらも少女はゆっくりと首を振った。嘘つくんじゃねえ! と蹴りつけられ、ゲージを落とす。そうしてから怖い人はチッチーを手に取った。

「あっ……ご、ごめんなさい! ゲージから出しました! ×××が悪いの! チッチーは悪くないの!」

 青ざめ、離してもらえるように慌てて口に出した。けれども怖い人は全くもって耳を貸す気がない。握りしめるように拳に力を入れ、そのままチッチーを壁に向かって投げつけた。ボールのような鈍い音がし、チッチーは床に落ちて動かなくなる。

「ちっ……! ネズミなんて飼ってんじゃねえよ。お気に入りだったのに……これはもう捨てるしかねえ」
「あっ……あ……」

 慌てて駆け寄る。その小さな体はぐったりとし、小さな口から液体が溢れ出していた。動かない。死んでしまったのだと悟り、その瞬間に一気に目元の熱が溢れ出した。

「うっ……ひぐっ……うああああ!」

 ギャンギャンと泣き出す少女の様子に、未だ怒りの収まらない怖い人が「うるせえ!」と勢いよく蹴飛ばした。壁に背中を打ち、一瞬だけ呼吸が出来なくなる。

「うー……! うー……! ううーー! うぐっ……うーーーー!」
「くそ……! うるせえっつってんだろ! そんなネズミごときにいつまで泣いてんだ!」

 覆いかぶさり、少女は片手で首を絞めつけられる。幼く細い首は少しの力で喉を押し潰され、気管を封じた。ちょっと! と母がすかさず口を出す。

「殺したらどうするの! 貴方が捕まったら私……」
「安心しろ。殺しはしねえよ。いつも通り、落とすだけだ」

 言いはするが止めようとしない母を少女はただ見つめた。目の前が霞む。掴まれた首がどくどくと脈打っているのが、怖い人の手を通じて感じた。耳が熱い。自分から発される音がいつもより大きく聞こえた。

「いっ!」

 体の脱力を感じながらも抵抗した足が怖い人の顎に直撃した。その衝撃で怖い人が体から離れ、少女は逃げ出すように立ち上がる。
 お腹が痛い。いつも蹴られているのに、今日は一段と目の前がクラクラする。呼吸もいつもと音が違っていて、口端から泡みたいな唾液が止まらない。手足が重くなり、お腹を抑えて引きずるように歩いた。足元がふらつく。視界が二重になって定まらない。

「ぅ……ぱぱぁ……ぱ、ぱぁ……」

 パパがいた時は楽しかった。お出かけの時に手を繋いでくれて、沢山撫でてくれて、いつも心が暖かかった。一緒にゲームしたり、お絵描きしたり……似顔絵を書いた時は沢山喜んでくれた。なのに、パパがいなくなってから全てが変わってしまった。
 本当は知っていた。母が言うようにどんなにいい子になっても、もうパパには会えないのだと。パパはチッチーみたいに天国に行ったんだと。それでも、もう一度パパに会いたかった。もう一度抱きしめられたかった。そこまで考えてからふと、思ったのだ。

 もし、このまま天国に行けたら、パパとチッチーに会えるのだろうかと。

 ふらついた足元に、落ちていた衣類が引っかかった。足を滑らせ、少女は真正面から地面に向かって倒れる。
 ガンッ! 痛々しい音が聞こえた瞬間、少女の体は完全に動かなくなった。頭部を中心に熱が出ていく。寒い。けれど、不思議と怖くも、痛くもなかった。地面に伏した顔のまま目を開けると、そこには大好きなパパの姿がある。それを見た少女は心の底から安心したように笑い、そのまま息を引き取った。


 気がついたら見知らぬ場所に座っていた。夢にまで見た外の光景に目を見開く。自分の真上には星空が広がっていて、足元の方から溢れ出した光が自身を囲うようにぐるぐると飛び交った。窓から眺めていたあの世界とは比べ物にならないものだ。
 近づいてきた足音が止まり、振り返る。そこには、見知らぬ大人の男性が呆気に取られた様子でこちらを見つめていた。

「誰? パパ……じゃない?」

 その言葉に答える声はない。踏み出すその足に、びくりと背中を震えさせた。また殴られるかと身構える少女を目にし、男性は持っていた物をその場に落とす。そうしてから、徐々に早足になっていき、すかさず少女を抱きしめた。

「……?」

 鼓動の速さがよく分かる。困惑し、目をキョロキョロさせていると、抱きついた男性が泣いていることに気づいた。少女を強く、強く抱きしめる。

「リーゼ……! すまなかった……!」

 抱きしめられるなんていつぶりだろう。その言葉を理解することは出来なかったが、なんだか安心でき、もたれかかった。
―――ああ。あったかい。


 今初めて出会ったその人の優しい抱擁に、少女はボロボロと涙を流した。





 目を開けると、見覚えのある天井が広がっていた。目元から顎先にかけて濡れた感覚がし、手で触る。どうやら寝ながら泣いていたようだ。失ったはずの右目も何故か治っていて、久しぶりに両の目の景色を目の当たりにする。

「うっ……」

 随分懐かしい夢を見た気がした。けれど懐かしさの理由は自分には分からない。過去をどれだけ振り返っても、覚えのない記憶だった。あの人達は一体誰だったのだろう。考えるだけで心が沈む。首についた痕を触り、呼吸を意識した。

「……夢?」

 本当に夢だったのか? それにしてはあまりにもリアルすぎる。何となく、リーゼロッテは重苦しい胸に手を当てた。鼓動がよく聞こえる。それに安心すると同時に、意識を失う前のことを思い出して徐々に目を見開いていった。

「あ……っ、ああっ……」

 断片的な記憶が過り、耳を塞ぐようにして頭を抱えた。ふらついた体のままサイドチェストにもたれ掛かり、水の入った瓶を床に落とす。がちゃん! その音に身体をガクガクと震わせ、項垂れたまま広がっていく水を見つめた。自身の中に流れる赤と重ねてしまい、自然と神経を通って全身に駆け回る痛みを感じる。
 痛い、いたい。頭も、体も、何もかもが痛んで、ピリピリする。腕を片手で掴み、嫌な汗を吹き出しながら呼吸を整えようと息をついた。ふと、悶え苦しむリーゼロッテの部屋にノックの音が響く。

「……っ! リーゼちゃん……!」

 良かった、と入ってきたエマが涙目になりながら抱きしめた。まだ頭の処理が追いつかずに固まる。

「エマさん……あ、アレク、は……?」

 いつも傍に居る彼の姿がないことに気づき、リーゼロッテは震えながらも声に出した。その言葉にエマの体が跳ねる。

「アレクね……あの変な人たちに捕まって……レヴィナンテの王城に、連れてかれちゃった……もう、四日も前に……」

 どうしようと、その言葉は掠れ、エマは抱きしめていた力を強くした。リーゼロッテの表情がみるみるうちに青ざめていく。そんな時だった。

「起きたか」

 その低い声にエマを抱きしめたまま顔を上げると、入口に寄りかかってこちらを見ているエドガーの姿があった。ゆっくりと歩み寄り「少し話がある」と真剣な目で見つめられる。

「エマ、少しだけ席を外してくれ。頼む」

 いつになく弱々しさを感じた。エマはしばらく抱きしめていたが「分かった」と離れ、部屋を出ていく。しん、と場が静まり返った。

「エドガーさん……あの……」
「アレクが捕まったのはエマから聞いたな」

 ゴクリと、固唾を飲み込む。はい、と答えるリーゼロッテに「俺の知っていることをお前に話す」とエドガーは椅子を持ってきて座った。

「あの日……もう四日前になるが。俺はお前たちを襲っている人間がグレッグだったとエマから聞いて、そっちに向かった。けれど、遅かったんだ。奴らは全て終わった後の帰りに俺と鉢合わせして、俺は半ば衝動的にグレッグに切りかかった。だが……」

 その時のことを思い出す。多くの人間の仇―――そして自分の人生をめちゃくちゃにされた恨み。理由なんてそれだけで十分だ。見つけた瞬間に奴だと判断し、無我夢中で切りかかろうとした。けれども、奴は素早く避けるなり、自分の弱みでもある腰の部分を強く蹴りつけたのだ。

『がっ……あああ……』
『アンタは確か、腰を痛めていたよなあ? エドガー……あの時殺さないでやったのに、今更死ににきたのか?』

 じゃあな、動けなくなったエドガーに手を振り、グレッグとアレクを連れた月狼は村を出ていった。何も出来ずに、悔しさのまま嘆き、エドガーが目にした先には、守ってきたジェラルドの家が半壊だったという。

「グレッグ……!」

 クソ、とそれを聞いていたリーゼロッテが顔を強ばらせて、膝上に乗せていた手を拳にした。どこまでも腹立たしいゲス野郎である。
 そういえば、エリンとリーゼロッテを襲った悪魔がグレッグの仕業だと、この人は知っているのだろうか。言ってまた無理をさせてもなと、口に出すか迷う。直後「俺が言いたいのはそれだけじゃない」とエドガーはじっとリーゼロッテを見つめた。

「家には首なしで、腹部を食いちぎられた惨たらしい死体があった。エマには言ってないけどな……お前は、間違いなく死んでいたんだよ。リーゼ。そして、俺の目の前で肉塊から身体を再生して、生き返った」

 その言葉に悪寒が腰から背中を撫で上げた。肩に重力を感じ「え……」と声に出す。じゃあ、あの断片的な記憶は夢じゃなかったのか? それじゃあ私は本当にアレクに―――

「なあ教えてくれ、リーゼ。お前は何者なんだ?」

 ゆっくりと息を吸う音がした。リーゼロッテは固まったまま何も答えることが出来ずに地面を眺める。あの記憶が現実なら、確かに今の自分は存在していること自体がおかしい。それならなぜ、何故? 自分は何故生きている? 何者なんだ? とわけがわからないまま自問する。

「だんまりか……まあ、そうだよな」

 半ばエドガーは分かっていたように諦観のため息をついた。額を押え、遠くを見つめながら考える。

「そもそもお前らはこの世界にとってイレギュラーな存在なんだ。異世界から来て? 魔力を保管する器官もなければ、言語能力もない……後者に関してはあるやつもいるみたいだが」
「すみません……私も、分からないんです。悪魔だっていうのも、父が死ぬ間際まで本当に、知らなくて……」

 すみませんと、リーゼロッテは付け足して項垂れる。最早何に謝っているのかも分からない。そう考えてみれば、自分は本当に悪魔について何も分かっていなかった。自分が何者なのか……今まではジェラルドの娘という自信のもとで生きてきたのに。今となっては、自分で自分が分からなくなっている。不安に包まれた心臓が重くなって、息苦しかった。

「……そうか。いや……そもそも、お前らを人間の常識で考えるのが間違っているのかもな」
「と、いうと……?」
「お前らは悪魔。悪魔については、まだまだ分かっていないことの方が多いんだ。もしかしたら、俺達には知られていない能力があるのかもしれない……例えば、不死身だとかな」

 不死身、の言葉に背中を伸ばした。確かに話を聞くにそうとしか言いようがないが、それにしても情報が少なすぎる。

「そ、それは……どうでしょう。自分で見てはいないので、分かりません。確かに、傷の治りは昔から早い方でしたけど……死んでも生き返るなんて」
「ああ、それも悪魔のひとつの特徴だろうな。奴隷として買われる悪魔はどんなに殴られようがすぐに怪我が治っちまうっていうタフさが売りだ。他の種族よりも圧倒的にな。それと、不死身を裏づける事実は一つじゃない。お前はこの村で最低でも二回……いや、三回死んでいる」

 目まぐるしい情報の波にリーゼロッテはただただ困惑して「えっ」と眉をひそめた。

「一度目はお前らがこの村に来た時。エマから聞くに、お前は一度高熱のまま心肺停止した。もうダメだと思っていたが、しばらくして息を吹き返したらしい。ただラッキーな奴だと思っていたが、今は違うんじゃねえのかと踏んでいる」

 そういえばアレクもそんなことを言っていたっけと寝ている間の苦労話のことを思い出す。

「そして二つ目。お前が惨たらしい姿で家に倒れていたアレだよ。初めて復活する現場を目撃した。この目で……三つ目はその後だ」
「あと?」
「……復活したお前を見た時、気が動転しちまってな。俺がお前を殺した」

 小さな声が喉から出る。エドガーは目を逸らすように俯いたまま「悪かったとは思っている。だから、こうしてお前をここまで連れてきたんだ」と独りごちるように返した。

「だが、お前は何事もなかったかのように息を吹き返した。これを不死身と言わずして何と言う? どの生物にも、命あるものには必ず終わりがあるというのに。なのにお前は、今もこうして目の前で普通に俺と話しているんだ」

 不気味でしかないと付け足された本音に、リーゼロッテは無言でエドガーを見つめた。自分が殺されたというのに変に心は落ち着いている。まるで、もう何度目かのようなそんな感覚だ。

「でも……他の悪魔が死ぬところを私は見ています」

 大蜘蛛戦で自分を庇った悪魔の少女を思い出して奥歯を噛み締める。その答えに対して「じゃあ、お前の特殊能力だと?」とエドガーが顔を上げた。それは分かりません、とリーゼロッテが俯く。しばらく沈黙が続いた後「ははっ」と小さな笑い声が生まれた。

「私……こんなに、自分の事。知らなかったんですね」

 この村に来てから色んなことを聞かされた。父さんのことも、悪魔狩りのことも、何ひとつとして知らなかった。ずっと満たされていた気でいただけで、自分はこんなにも空っぽだったのだ。いや、だからこそ、父さんは自分を無知という檻に閉じ込めて守っていたのかもしれない。知らない方が救われる時もある。少なくともその方が、幸せのままでいれた。

「でも私、旅に出て本当に良かったと思います。色んなことがあったけど、沢山の人に出会えて、自分のことを知れて―――ようやく父さんと、ちゃんと向き合えた」

 ゆっくりとその場から立ち上がった。見つめてくるエドガーは「もう行く気か?」と問いかける。

「奴らが国の使いだとするなら、もうお前は世間的に死んでいることになっているだろう。そんな中にまた危ない目にあってまで城にノコノコ顔を出す気か? 捕らえられたらまた収容施設に逆戻りだぞ」

 リーゼロッテの足が止まった。互いに背中を向けながらエドガーは更に続ける。

「……お前はエマの恩人だ。以前はああ言ったが、ここで匿ってやっても構わないと俺は考えている」

 何度か瞬きをし、リーゼロッテは大きく息を吸って上を向いた。気持ちはありがたいですが、と口を開く。

「アレクは私の仲間です。彼がいたからここまで来れた。連れ去られたのなら、連れ戻す……ただ、それだけ……それに、元々城の方には野暮用があったので。何を言われても意思を変えるつもりはないです」

 その言葉にエドガーは少しだけ目を見開いた。ふっ、と呆れたように鼻で笑ってから「ああ。そう言うと思っていたよ」と返す。

「武器は一階の壁に立てかけておいた。それから、これ」

 リーゼロッテが振り返ると、前からキラリと光を反射させて角笛のネックレスが飛んできた。両手で捕らえ、手の中のものをじっと見つめる。

「出るなら急げよ、リーゼ」

 こちらに向けた横顔がかつての父と重なる。目に光を灯し、リーゼロッテは「はい」と短く張り切ったように返してみせた。



 まだ夜が残る黎明の空。支度を終え、髪を短くしたリーゼロッテはヴェナトル家の前に立っていた。旅支度をしっかり整えた上で三人と向き合う。

「本当に馬はいいのか?」
「はい……大丈夫です」


 アレクのためにも急ぐべきだとは分かっている。それでも、クリフ以外の馬を連れていくのはなんだか気が引けた。エドガーは腕を組みながら「まあ、勝手にしろ」と入口に寄りかかる。

「分かってるな? 城はここからずっと西の方角だ」
「はい、分かってます」
「それと……俺のガジェットアーム。使い方は大丈夫か?」
「はい。何度か練習もしたので……」
「その格好……もうボロボロなんだから新しく変えたらどうだ?」
「これは父さんから貰った赤ずきんなので。これでいいんです」
「じゃあ……」

 こほん、とエドガーの問いかけを咳払いが遮った。そんなに心配ならついて行ったらどう? と軽く笑ってみせるクレアに「う、うるせえ」とエドガーがそっぽを向く。

「全く、素直じゃないんだから……リーゼちゃん。良かったらこれ、道中で食べて」

 そう言ってクレアから握り飯を渡され「ありがとうございます」と受け取る。一方でエマは未だ眉を下げたまま「本当に行っちゃうの?」と投げかけた。

「せっかくまた、友達になれると思ったのに」

 また、というのはジェラルドの実子であるリーゼロッテのことを言っているのだろう。

「リーゼちゃんまで居なくなったら……あたし……」

 沈痛した様子のエマに「大丈夫ですよ」としっかり見上げて返した。

「アレクを連れ戻したら、必ずまた会いに行きます。別れはそれまでの間です」

 真剣な表情のまま、リーゼロッテは自分からエマを抱きしめた。少し驚き、戸惑いを見せたエマだったがすぐに「信じてるよ」と抱き返す。

「はい。それでは……どうも、お世話になりました」

 行ってきます。深々と頭を下げてからリーゼロッテは背中を向けた。これ以上この一家を巻き込むわけにはいかない。リーゼロッテとエリンの殺された真実には口を閉じ、ヴェナトル一家に見送られながらも真っ直ぐと前を歩き始めた。





 太陽が落ちていく方角へと歩く。本当の一人旅だ。けれども、決して孤独じゃない。自分にはまだ仲間がいる。首から下がるネックレスと矢筒につけられたお守りに目をやった。

「もう、結構歩いたなあ。アレク、無事だといいんだけど……そうだよね。あの場で殺されなかったのなら、連れてかれるのに何か意味があるんだね、きっと。二人もそう思うでしょ?」

 まるで誰かに話しかけるような口調だ。かれこれ数日はこの調子である。一人という孤独には耐えられない。だから頭の中に話しかける存在を作ったようだ。きっと、大丈夫。そう呟き、歩みを止めない。
 ふと、とある岩場にまで来た時だ。目の前に三人ほどの人間が立ちはだかる。危機を感じ、思わず後退しようとしてみれば、背後にも同じように人が立っていた。自分の横に聳え立つ岩の上にも影がある。取り囲まれたか、と周囲を見回した。

「よお、こんなところに女一人とは……少し不用心じゃねえか?」
「……賊か」

 ヒッヒッヒッと野卑な笑い声にリーゼロッテは真正面を向きながら目だけで辺りを睨みつけた。まずいな。見えているだけで十数名は確実にいる。入り組んだ岩場だし、もしかしたら奴らのアジトが近くにあるのかもしれない。

「ここを通りたいだけなんだけど」
「それなら通行料を払ってもらわないとなあー? 持っている金品、食料をぜーんぶ置いていけ」

 冗談じゃない。なんでこんな奴らなんかに貴重な道具や食料を与えないといけないのだ。とはいえ、この量は流石に手間取るだろうし、とリーゼロッテはその場で考えた。こんなところで体力なんて使いたくない。

「ちっ。どうやら、無理やり身ぐるみ剥がされてぇらしいなあ!」

 やってやろうぜお前ら! リーダーらしき一人が武器を掲げると、それに続いて周囲の人間も「うおおお!」と雄叫びを上げた。認めたくはなかったが、どうやら自分は面倒事を引き寄せる体質らしい。幸い悪魔だとは知られていないみたいだし……隙を見て何とか逃げるかと身構える。

「うわあああ!!」

 岩の上にいた連中が突如宙に投げ出される。はっ? とリーゼロッテはその影を見て、慌てて降ってくる人影を避けた。おかしな格好で地面に伏せる奴らを不思議そうに見つめていると、岩の上から緑色の巨体が飛び降りてくる。

「てめぇら! オレの斧をどこにやりやがったぁぁぁぁ!」


 大口を開けて仰ぎ、咆哮のように怒鳴る姿に、リーゼロッテは目を丸くした。二メートル近くほどある緑の体は爬虫類のような鱗があり、傷だらけだ。

「リザードマン……?」

 なんでそんなやつがこんなところに? と戸惑っていると、視界に入って気づいたのか、突然「ん?」とリザードマンが振り返る。

「お、おお!! 嬢ちゃんじゃねえか! 無事だったんだな!」
「へ?」

 親しげに声をかけられ、眉を顰める。肩を掴まれ、その大口を開けて笑う様子に食べられるのではないのかと体が強ばった。

「オレだよ! オレ! あの悪魔収容施設にいたリカルド……って、あの時意識失ってたんだっけな」

 覚えてないか、と少し残念そうにするリカルドに、リーゼロッテは目を見開いた。確か、自分を救出する際にもう一人手助けをしてくれた友達がいると、アレクが話していたっけ。そのリザードマンも「リカルド」という名前だったはずだ。という事は彼が―――

「かかれぇ!」

 そこまで思い出していた時に、奴らが一斉にサーベルを持って飛びかかってきた。顔を引きしめ、武器を構える。

「仕方ねえ! 話はあとだ!」

 リカルドの声に、リーゼロッテは背中を合わせ、襲いかかってくる敵をじっと見据えた。
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