SOLNEFIA(ソルネフィア)

森永らもね

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第一部 四章 ミシェルの追憶編

46 赤と赤(挿絵あり)

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「……いっ」
 鋭い風が自身の首めがけて襲いかかってきた。素早く避けたが、ツグナの細い首からは血が溢れ出し、思わず傷口を抑える。
「いってえ……いきなり何するんだ! 危ないだろ!」
 白髪がさらさらと風に揺れる。それを見ていたミシェルは驚いたように目を見開いた。あのラニウスの手癖が、避けられた―――? そんなの初めて見る。ハッとし、目の前の赤髪の青年に目線をやった。
「あはっ、あははははははははは!」
 弾ける笑いに、心臓に刃が突き立てられたような寒気を感じる。ラニウスの表情は、ミシェルでさえも見た事がないほどに口角が上がっていた。瞳孔を開き「いいねえ! いいねえ!」と興奮冷めぬ声を上げている。
「最っ高だよ! 俺のナイフを初見で避けたのは君が初めてだ! 君、名前は?」
 攻撃してきたと思ったら急に名前を聞いてくるなんておかしな奴だと、ツグナは顔を歪めた。けれど、名前を聞かれたら答えるのが礼儀だとシアンには教えられている(場合を考えろとも言われた)
「……ツグナ。ツグナ・クライシスだ」
「ばっ……!」
 なんでこいつはそんなに素直に名乗ってしまうのだとミシェルが勢いよく隣を見つめた。ツグナ! そうか! と声を明るくするラニウスに、これはまずいとミシェルが冷や汗を垂らす。
「俺はラニウス・ダートルって言うんだ。まさかこんな所で君みたいな強いヤツに会えるなんて、今日はとてもいい日だ!」
 人懐っこく笑みを浮かべるラニウスに、ツグナはますます混乱した。先程までは殺気高かったのに、急に人が良さそうに接してくる。じゃあ、とラニウスは笑みを浮かべながらつま先を鳴らして続けた。
「やろうか」
 その足を踏み出したかと思えば急に距離を詰められ、ツグナは腹を殴られた。ほぼ予備動作もなく、完全に油断していたツグナは路地の向こうへと飛んでいく。ツグナ! ミシェルは顔で追って声を上げた。
「っぐ……」
 歯を食いしばり顔を上げた。そこには既に踏みつけようと足を構えているラニウスがいる。反射で横に避け、何とか立ち上がった。その後も休む暇なんて与えられない。次から次へと攻撃してくるラニウスをギリギリで避けながら、ツグナはどんどん後退していく。
「あははっ! ほらほら~早く攻撃してきてよ! もっと俺を楽しませてくれないと!」
 楽しそうな声と共に足を払い、ラニウスが転ばせようとする。あっ、と体勢を崩したままラニウスを見ると、彼は既に次の攻撃体制に入り、足を突き出そうとしていた。ツグナは地面に手をついて空中でそれを避ける。避けきり着地するが、正面からラニウスに顔面を蹴られ、後ろへとさらに吹き飛ばされた。三回跳ね上がるように転がり、ぼたぼたと鼻血が出る。速い。守り体勢が追いつかない。
「……やめろって、言ってんだろ! ラニウス! そいつは関係ない!」
 が、しかし、さらに追い打ちをかけようとするラニウスの体が寸前で止まった。後ろから肩に組み付いて、ミシェルが攻撃を止めようとする。
「うっさいなあ。弱者は黙っててよ」
 ミシェルの腹に向かってラニウスが肘で殴りつける。ぐっと、呻きを上げて腹を抑えるミシェルに回し蹴りが放たれ、そのまま地面に尻をついた。
「ミシェルから……離れろ!」
 同時にツグナが後ろから拳を振り上げる。ミシェルもやられたままでは終わらず、しりをついた箇所を中心に素早くまわって起き上がると、ラニウスに向かって振り上げた足を下ろした。殆ど同時に攻撃されたものを、ラニウスはそれぞれ受け止める。ギリギリと力を入れて押し込もうとするが、二人がかりだというのにラニウスはピクリとも動かない。
「やっと攻撃してくれたと思ったら、その程度なの?」
 突き放すように振りほどき、ツグナには足を、ミシェルには肘を突き出して二人同時に吹き飛ばす。それでも負けじと二人はラニウスに攻撃を仕掛けるが、どちらにも目を向けず気配だけを察知して次々と繰り出される攻撃を受け止め、弾いていった。ツグナが拳を放つ勢いでカウンター攻撃をし、路地の奥へと吹き飛ばす。
「ツグナ……!」
 吹き飛ばされた方を見て声を上げるミシェルに「ミシェルはこっち」と言葉と同時に顔を殴りつける。鼻血を出し、一度は呻いて後退するが、ミシェルは負けないと蹴りつける足を突きだした。
「……おっ」
 その突き出された足をラニウスが受け止めようとした瞬間、放たれる直前でミシェルの足の軌道が変わり、頭部に直撃した。やるじゃん、と笑みを浮かべつつ、その頭部を今度はミシェルの額に打ち付けた。耐えきれず、その場でミシェルが倒れたところに、ラニウスは胸に向かって勢いよく足を振り下ろす。
「俺の邪魔をするならミシェルでも許さないよ~」
 力を入れると、下から「ぅあ゛あ!」とミシェルの苦しそうな声がする。その様子を背後から見ていたツグナはやめろ! と顔を抑えながら声を張り上げた。
「あっ、君もそっちの方が燃えるタイプ? なら、この場で殺しちゃってもいいよ。いいの? こいつ死んじゃっても」
 はっ、とその言葉に息を飲む。死ぬ。ミシェルが死ぬ? 過ぎるのは施設で見た人間たち。力なく倒れていくラヴァル卿。ヴェトナで見た腹に穴のあいた男女。そして―――
『しにだくな゛いよ……!』
 ぶづぶづと首を引きちぎられるグレーテ。途端にザワザワと背中から這い上がってくるものを感じる。嫌だ。それだけは絶対に嫌だ。
 ナイフを構えるラニウスが見える。僅かな光を反射させて輝きを帯びるそれに、体は自然と動いた。その背中を蹴りつけ、ラニウスは地面に手をついて体勢を直しながら、ツグナと向き合った。
「へえ、いい表情になったね」
 睨みつけるツグナにラニウスは嬉しそうに笑った。目の前の少年は獣のようにふうふうと食いしばった歯から息を漏らしている。雰囲気が変わって力も強くなった。やはり君もそのタイプか。地面を蹴り、瞬間的に距離を詰めてくる少年の攻撃をラニウスはギリギリで避けた。後退しながら互いの攻撃をぶつけ合う。
 不思議なやつだ。攻撃も避け方もはっきり言って素人同然。勘の良さもセンスも感じられない。先程からの攻撃だって瞬発力だけで避けているみたいだし、予測ができないなんて頭が悪い。避けきれていないし、体を粗末にするような戦い方だ。
 当たればかなりの衝撃が来るが、正直数だけの攻撃は子供騙し。簡単に避けられる。攻撃力と瞬発力だけの戦闘未経験者。それはそれで面白い。
 ツグナの蹴りを避け、ラニウスは足を掴む。体を捩り、ツグナは逆さの状態でその手を振りほどくが、ラニウスの膝蹴りが横腹に直撃し、そのまま路地の壁に衝突した。背中をぶつけた衝撃で息が止まりそうになる。すぐさま反射で動こうとするが、顔面を鷲掴まれ、壁に押さえつけられる。
「ふぅー……ふぅー……」
 攻撃が頭の芯まで響く。一発一発が重い。武器を使うシアンと戦った時とは比べ物にならなかった。人間の打撃でこんなに強いなんて。というか彼は本当に人間なのだろうか。
「うーん。惜しいなあ。いい線いってるんだけど」
 攻撃が読めるせいで緊張感がないんだよねと、ラニウスが間延びして言った。やっぱり期待はずれかなと考えていると、先程少年の首につけたはずの傷が塞がっていることに気づく。避けられたとはいえ、出血量からしてかなり深めのはずだったのに。ああ、そうか、君もなんだとラニウスは口角を歪め、ツグナの腹目掛けて拳を振るう。
「……っ、ふっ」
 その瞬間にツグナは拳を受け止めると、膝を突き上げてラニウスの腕を折った。驚くラニウスに頭突きし、怯んだところに蹴りを入れて距離を離す。
「腕を折ってごめんな……もう、やめよう。これ以上傷つけたくない」
 フラフラと踏み出すツグナにラニウスは「はあ?」と呆れたように眉を顰める。
「なにそれ。そんなにボロボロになって人の心配? もう勝てた気でいるの?」
「だって……痛いのは辛いだろ?」
 何とか説得してこの場を収めようとするツグナにラニウスは「あはははははは!」とまた弾けたように笑い声を上げた。
「腕一本がなんだっていうんだ。まだ俺は満足できてない。やっぱり君いいね。強いし、気に入った」
 笑顔を浮かべ「これはハンデだ」と負傷していない片腕でツグナの頭を鷲掴み、ラニウスは膝で蹴りあげる。後退するように怯んだツグナに「君には少し本気を出してあげる」と回転するように蹴りつけた。
 強く鈍い音が腹に突き刺さる。今までとはまた違った蹴りの強さに、ツグナは勢いよく通りまで蹴り飛ばされた。
「がはっ……」
 突然の浮遊感。下には水路が広がっている。すぐさま追うようにラニウスが駆けると、水路の囲いを超え、その腹に向かって空中から振り下げた。高い水柱を生み出して、ツグナは水路の水に沈んでいく。
 先程とは違った浮遊感に目を開けた。口から上空へと泡がのぼっていき、どんどん離れていく。その泡沫を掴もうと手を伸ばすが一向にその距離は縮まらない。息をしようとして口を大きく開くが、喉に流れ込んでくるものによってまともに息も吸えやしない。
 耳のすぐ近くでぶくぶくとバブル音が聞こえた。体が重い。慌てて戻ろうと藻掻く。けれど自分の意思に反して、水面の光から遠のいていく。苦しい。この感覚は前にも―――
『じゃあね、俺の×××』
 水面の向こうに誰かがいる。闇に溶け込む黒髪で、上げられた口角の持ち主はこちらを見て楽しそうに笑っていた。世にも珍しい黄金の瞳は猫のようで、誰かとよく似ている気がする。誰だっけ―――? 
 ぼやけた視界に誰かの腕が伸びる。その腕は自身の白髪を掴むと勢いよく水の中から引きあげた。
「っげほ……はー……あっ、はあ……」
 外の空気に思わず大きく深呼吸する。流石に死ぬかと思った。けれど、すぐさま映った目の前の赤髪に顔を歪める。
「あははっ、生きてた生きてた。良かった……これぐらいで死なれたらつまらないし」
 そう言って殴りつけると、ツグナは力なく横に倒れた。ばちゃんと水音がなり、雨のように自身を濡らす。先程の水柱で、囲いの向こうにはザワザワと人が集まってきていた。
「やめろ……ラニウス!」
 フラフラと囲いに手をついて、ミシェルは水路に落ちた二人を見下ろす。あ、来たんだとラニウスはツグナの髪を掴みながらミシェルを見上げた。
「全く、彼みたいな強い奴がいるなら教えてくれればいいのに。ミシェルも意地悪だなあ」
「そんなっ、一方的に殴ってあんたは満足かよ……!」
「満足なわけないだろ? だから本気になるまでこうして痛めつけてるんじゃん」
 そう言ってナイフを取り出すと、ラニウスはツグナの首に押し当てた。少しずつ深く切りつけていく。
「ん゛ん! いああ゛あ!」
「ほらほら。回復力が高くても、痛みは変わらずあるんだろ? 早いとこ本気出さないと、痛いだけだよ」
 ギリギリと深く切り込んでくる。背中を逸らし、歯を食いしばりながらツグナはガクガクと震えた。
「やめ……」
「ラニウス!!」
 人混みの中で、ミシェルとは違った声が飛ぶ。艶めかしさがありながらもどこか力強い女声。聞き覚えがあり、ミシェルがその声の主を探すと、向こう岸に綺麗な黒髪を生え伸ばした少女の姿があった。囲いの柵に手を置いて、下の赤髪を鋭く睨みつけている。
「あっ、メルーラちゃん~。なんでここに?」
「騒がしいからきたんだよ、バカ! お前こんな所で何やってんだ!?」
「何って。強い奴がいたから戦おうと思って」
「バカか! こんな所で騒ぎなんか起こしたら……!!」
「別にどうだっていい。邪魔しないでよ」
 睨みつける青の双眸が鋭くメルーラに突き刺さる。瞳孔が開いて、完全にスイッチが入っているようだ。冷たい声にメルーラは一度怯むが、拳を作りながら「嘘つき」と項垂れる。
「……私との約束は嘘だったのかよ」
 耳に入った声にラニウスの動きが一瞬止まった。遠くで「何事だ!?」と力強い声が聞こえてくる。どうやら、憲兵が騒ぎを嗅ぎつけてきたらしかった。群衆を横目にラニウスはちっ、と短く舌打ちをする。
「……はあ、仕方ない。逃げるよ」
 悔しそうに顔を歪め、ツグナを背負うと、優れた身体能力で柵に捕まり、ミシェルのいる路地へと戻る。対岸には、既に黒髪の少女の姿はなくなっていた。



 気がつくと、目の前には狭い空が広がっていた。ここは路地の何処かだろうか。小さな呻きを漏らし、体を起こそうと手足を動かす。
「あ、起きた」
 突然顔を覗いたのは黒髪に透き通った灰色の瞳を持つ少女の姿。見知らぬ顔に「誰だ?」とツグナは顔を顰めて、起き上がる。
「いっ……!」
 少し顔を動くと首の傷がキリキリと熱を持って痛んだ。瞬間的に先程までのことを思い出す。赤髪の男、踏みつけられるミシェル―――ミシェル?
「あまり、動かない方がいい。治るっていっても、まだちゃんと癒着できていないから……」
「ミシェルは!? いっ……」
 言われた傍から動き出して顔を歪めるツグナに「お前、馬鹿なんだな」とメルーラが細目で凝視する。
「あの女なら、あそこ。ラニウスと話してる」
「あいつ……! うっ……」
 声を上げて怒りのまま動き出そうとするツグナに「話聞いてるの?」とメルーラが再び呆れた。視界の先には路地裏の入口付近で向き合っている二人の姿がある。なにやら話しているようだが、ここからではよく聞こえない。
「……多分、大丈夫。さっきの騒動で憲兵が警戒しているし、派手な動きはしない、と思う。あいつもそこまで馬鹿じゃない」
 二人を見つめるメルーラの言葉に険しい顔をしていたが、しばらくして落ち着き、ツグナは「そうか」と少しだけ肩の力を抜く。
「……お前は?」
「メルーラ。あの赤髪野郎とは……まあ、知り合いってことで」
「知り合い……」
 オウム返しして、再び目線を二人にやる。あんな事をされたのに大丈夫だろうか。心配から口を一文字に結び、眉を下げて二人を見守った。

 路地裏の入口付近で憲兵の動向を見ながら、二人の間には沈黙が流れる。お互い一切言葉を交わそうとせず、ただ気まずい空気が続いた。
「……あんたってあの事、覚えてたのね」
 先に口火を切ったのはミシェルだった。独り言のような呟きに、ラニウスは少し驚いてから「なにが?」とただ前を向いて返す。
「忘れないでって言ったの」
「ああ。そりゃあ、勿論。だからちゃんと覚えていたろ?」
 声の調子が戻ったラニウスに「あんたって変なところで律儀」とミシェルが鼻で笑った。変なところとは酷いなあと、隣でケラケラ笑う。路地から流れてくる風が、二人の髪を撫でていった。
「―――悪かった」
 しおらしいミシェルの呟きに振り返ってみると、彼女はヘーゼルの瞳を真っ直ぐこちらに向けていた。見下ろしながらその瞳に瞬きを繰り返す。目線の高さが違う。いつの間にかこんなにも背丈が違くなっている。手足も自分より細い。そうか、これが男女の差なのだと、ラニウスは改めて理解した。
「忘れるなって言っておいて、自分が忘れてくれなんて身勝手だった。私は―――過去に捕らわれたくないあまり、大切なものを忘れようとしていた。いや……本当は分かっていたんだ。自分が過去から目を逸らしていたことぐらい……強くなれた気でいた。弱い自分を捨てた気でいた。けど結局、僕はあの頃からずっと、何一つ変われていなかった。あんたのことも遠ざけようとして―――最低だ」
 ミシェルの呟きに赤髪の青年は何も返そうとしなかった。ただ見下ろし、黙ってヘーゼルの瞳を見つめる。
「……自分の罪を受け入れる。もう自分の罪から逃げない。僕はっ……! ありのままの自分で生きる! 自分の意思で選んだんだ! そこに後悔はない! だから」
 突然グイッと胸ぐらを掴まれ、彼女の顔が近くなる。吐息が感じられる距離の彼女の顔に驚き、ラニウスは息を飲んだ。
「あんたも今の私を見てくれ……!」
 必死で、泣きそうになりながらも、確固たる意思が見られるその瞳は、ぶつかっていたあの頃と同じものだった。
「これが私だ! 私がミシェル・ベイカーだ! あんたのしたことは一生許せないけど……でも。やっぱり本気で憎むことなんてできない。あんたの言うように私も、ブライを本気で信じてやれなかったから……罪はお互い様だ。過去は変えられない。だから、私は今あるものを信じると誓う! もう二度と、私の家族を傷つけないで!」
 キラリとヘーゼルの瞳が光る。まっすぐと突き刺すように自分を見つめている。それと同時に気づいた。もう、あの頃の瞳は手に入らないと。
 諦観したように青目を細め、ラニウスは思わずミシェルに顔を寄せた。なにかされるのかと、目にシワができるほど強く目を瞑り、ミシェルが耐える。ブサイクだなあ。それを見下ろし少しだけ微笑んでから、ラニウスは栗毛の髪に軽くキスをした。

 そのまま離れられ、目をつぶっていたミシェルは何が起こったか分からず目の前の人物を見る。
「あー、はいはい。分かったよ! もう、君の邪魔はしないから。それでいいでしょ」
 切り替えるように声を張り上げ、背中を向ける。まるで何かを悟られたくないかのようだ。じっと睨みつけてくるミシェルの視線を感じ「……怪我させてごめん」とラニウスは呟いた。いつになくしおらしい態度に、ミシェルの肩の力が抜ける。
「あっ、でも。ツグナは気に入ったから。また見かけたら勝負しかけていい?」
「全っ然、反省してねえなクソ野郎」
 腕を組んでいたミシェルのこめかみに青筋が立ち、耳を引っ張られた。痛がりながら「酷いなあ」とラニウスが力なく笑う。ああ、なんだか少しだけ昔に戻ったみたいだ。
「なんか……大丈夫そうだな」
「みたいね」
 離れたところで見守っていたメルーラとツグナが二人並んで呟いた。路地から入ってくる光はラニウスとミシェルを照らし出す。その姿は本当の兄弟のように思えた。



「わあ、ベイカー君。随分イメチェンしたね」
 ロザンド街の一角にあるとある某所にて。出会って早々、挨拶もなしに突然ドクターが声をかけてくる。今日はいつもと違う鳥顔マスクだ。何種類かあるのかとどうでもいいことを考えながら「まあね」と流すようにミシェルが返す。
「それにツグナ君も本当に生きてるなんて。いやあ、凄いね」
 相変わらず平坦な声だが、近づくなりツグナの白髪頭をわしゃわしゃと撫で回した。やめろ! と不機嫌そうにツグナが手を払う。
「……にしても、これはこれは。揃うなんて久々だ」
 ラニウス、メルーラ、ミシェル、ツグナの四人をキョロキョロと見てドクターは感心したように言った。何が揃ったのよ? とミシェルが問いかけるが、無視され「ここに彼もいたらねえ」と間延びして残念がる。意味の分からない妄言を吐くのは相変わらずのようだと、ミシェルは口角を引くつかせた。
「……はあ。というか、あんた。ドクターの知り合いだったの?」
「まあね。古い友人でさ。手土産持ってくるついで。あと、メルーラちゃんに会いに」
 無理やりメルーラの肩を抱き寄せるラニウスに「触んじゃねぇ!」と黒髪少女が声を張り上げる。まさかこんなに近くに知り合いがいたなんて。これからはここに来るのを断ろうとミシェルは「ああ、そう」と答えながら一人思った。手土産については深く聞かないことにしよう。
「……って、ドクターに用事があるんだった」
「はい、これだろ?」
 話を切り替えるミシェルを待っていたようにドクターが紙袋を取り出す。またこの人は人の思考を読んでと、ミシェルが若干引きながら「……ありがとう」と受け取った。
「人の思考を読んで? 違うよ。君たちが来るって手紙がシアン君から来ていたからね」
 一言添えて渡すドクターに、またあの人の仕業かとミシェルが嘆息した。毎回毎回行動を誘導されているようであまりいい気がしない。というか何も言っていないのに、やはり読んでいるじゃないかと睨みつける。その会話を聞いていたラニウスが「シアン?」と言葉を繰り返して問いかける。
「それって、ブラッディ伯爵?」
 敬称をつけるラニウスに珍しく思いつつも「そうだよ」とミシェルが答えた。
「……なに? 知ってんの?」
「当然。ロザンド街の伯爵貴族だろ? もしかしてミシェルって……」
 隠しても仕方がないだろう。ミシェルは「そういうこと」とはっきり告げ、さらに付け足した。
「彼が今の私の主。ツグナも同じよ……分かった?」
 別に居所が分かったところで乗り込んでくるようなことはしないだろう。彼だって伯爵の権威は分かっているはずだ。ラニウスは何か言いたげにしていたが「ふうん。そっか」と目を細めて白髪の少年を見下ろした。その目つきに、散々な目にあっていたツグナは「ひい!」と悲鳴をあげてミシェルの後ろに隠れる。
「怯えられてやがんの、だっせ」
「酷いなあ。さっき謝ったのに。別に怖くないよ? 君の体に興味はあるけど」
 メルーラに揶揄されながら、ラニウスはじっと興味津々にツグナを見つめた。ツグナは脅えてガタガタとミシェルの背中を掴みながら涙目になっている。このままじゃ面倒なことになりそうだなと、ミシェルが再度嘆息して「はい」と口火を切った。
「これで用事は終わり。もう行くわ。じゃ」
 怯えるツグナの腕を無理やり掴んで、ミシェルは出入口のノブに手をかける。ミシェル、背後からラニウスの声が聞こえてきて、一度は戸惑いながらも振り返った。
「また二人で、酒飲みに行こうね」
 無邪気な笑みだった。昔のラニウスと重なる。あのころと何一つ変わらない。
「ああ……またな」
 その笑みに思わず頬が緩んだ。ミシェルはしっかりとラニウスを見つめてから、ドクターの住処を後にした。



「クラリスちゃーん、こっちに追加頼むー!」
 空のジョッキを掲げる男に、クラリスは笑顔を浮かべながら「はい、ただいま!」と返した。ジョッキをカウンターに置き、休む間もなく空いたテーブルの台を拭く。だが、仕事中だというのにあの日のミシェルのことばかりが頭をよぎり、気を抜けばすぐに表情が暗くなってしまう。
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 生きてると知ってからずっと、二人を会わせたかった。だから、ツグナを連れて街に出かけた時は真っ先にクラリスに会いに行くと決めていたのだ。それが今、こうして叶った。
「……あの、ミシェルさん。ラニウスさんとは……」
 一通り感動が落ち着いてからハッと切り替えて、クラリスが恐る恐るミシェルを見つめる。涙を指先で拭うクラリスに「ああ、いいのいいの」とミシェルが向き直った。

「いつも通り。ただの、兄弟喧嘩だから」
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