SOLNEFIA(ソルネフィア)

森永らもね

文字の大きさ
64 / 68
第一部 五章 コロッセオの騎士編

59 忘れない

しおりを挟む
「はぁ……はぁ……っ、くそ! どこにあんだぁ!」
 コロッセオ全体を見渡せる特等席に、息を荒げた男が一人侵入していた。石造りの部屋は荒され、脱ぎ捨てられた服や割れた酒瓶などが床に散乱している。
(折角、ここまで侵入できたってのに……こんじゃあ、意味がねぇ……!)
 拳で寄りかかる男―――グレゴリーは怒りのまま強く壁を殴り付けた。乱闘後、闘士たちが入ってきた入口を狙い、ここまで侵入してきたのだ。あの優勝者に送られる指輪さえあれば、組織にいなくとも金持ちになれると思っていたのに。
(なんのために今まで、あのリオンにペコペコしてきたんだ……!)
 元よりグレゴリーがリオンの下についていたのは、闘技大会時に用意される高額な景品を狙っての事だった。そのために、リオンに媚びを売り、コロッセオ内の構造も、闘技大会の内容も事前に把握しておいた―――そして今日、計画を実行し、大金を手に入れるはずが。
「あのクソ野郎!! ふざけやがって!! どこに隠しやがったぁ!!」
 リオンの奴は冷酷だが、報酬はしっかりと与える質だ。鍛え上げられた闘士軍団をそれによって制御し、作り上げ、一度は閑散としたコロッセオ運営をここまで復活させてみせた。景品はそれを目的とし、闘技大会に参加する馬鹿共を釣り上げる象徴でもある為、傷一つつかない場所に保管される。ましてや自分で身につけることは絶対にしないはずだ。
「クソ……!」
 全てが上手くいかず、怒りが収まらない。足を撃ったリオンも、あのクソガキと目つきの悪い女も、みんな許せない。金が入ったら真っ先に奴隷にしてやる―――グレゴリーは壁に頭をつけながらそう思った。
(まあ、リオンのやつは戻りそうにないけどなぁ……)
 先程の光景を思い出す。まさか、あんな化け物に姿を変えるなんて。あいつが暴れるせいで途中壁が崩れて散々だった。
 とはいえ、あの化け物のおかげで、ここまで計画が進められたのも事実。何があったかは分からないが、ともかく今は自分に運が向いている。このチャンスを逃すわけにはいかない。上手く行けば、自分はあの貴族と並ぶ人間になれるのだ。
「ひははははっ! 待ってろよ! 全員俺の前に跪かせてやる……!」
 これからのことを想像し、手を広げ下品に笑う最中「探し物はこれですか?」と声が聞こえた。ズドォン! 聞き覚えのある音を耳にする。
 薬莢が落ちる音。硝煙の臭い。瞬時に焼けるような痛みがして、目線を下げてみると、自身の胸元に風穴が空いていた。
「銃というのは便利ですね。手が汚れなくて済むので」
 入口に立つ、見知らぬ男の姿。その手元にはキラリと光る指輪が見えた。ごふっ、咳き込むようにして血を吐き出し「て、めぇ……それ……」とグレゴリーがその場に崩れ落ちる。動かなくなった体の下からは、赤黒い血が広がっていった。
「……すみませんね。こういう時の為に、別働隊で私がいたので。先に回収させて頂きました」
 もう聞こえないでしょうけど、付け足されたその言葉に感情はない。茶髪の襟足を一つに結んだ男、リアムは倒れたグレゴリーを通り過ぎ、吹き抜けとなった窓からコロッセオの様子を見下ろした。生臭い風が彼の茶髪を揺らす。
「さて、レオさん達はどう動きますかね……」
 現在の状況は最悪と言っていいだろう。混乱した現場を目に映し、リアムは場にそぐわぬ穏やかな笑みを浮かべた。


 ◆


 一方、ダトラントは得体の知れぬ化け物の存在に混乱状態となっていた。化け物の遠吠えと住民達の悲鳴が混ざる。
「うわぁぁあ!!」
「なんなんだ! あの化け物は!」
「ママぁ~!!」
 化け物の通った後は破壊され、瓦礫の道を作っていた。その中には住居の下敷きになって動けなくなっている者達もいる。
「酷い……」
 この様子じゃ、本当に地下街が全壊してもおかしくはなかった。老若男女の声を耳にし、思わず目線を取られるツグナに「いちいち構うな」とレオナルドが呟く。駆けていく二人の手には松明が握られていた。
「……でも」
「あいつを止めない限り、負傷者は増える一方だ。救助は連中に任せればいい。自分のやるべきことを見失うな……奴を見つけたら言った通りに行動しろよ」
 ひたすら前だけを見続けるレオナルドに「……本当に上手くいくかな」と不安げにツグナが眉を下げた。さあな、返されたレオナルドの言葉はいつになく自信がなさそうだ。
「……なあ、今更だけど。これを実行して、お前は本当に後悔しないか?」
 ふと思いつき、ツグナは立て続けに問いかけた。しばらく返事がなく、下を向きながら走り続ける。「後悔なんてしない」答えるのに数秒、間を開けてレオナルドが返した。その返事は、先程のものよりはっきりしている。
「……あいつを止める。ただ、それだけだ」
 先へ行く声の主の表情は見えなかった。意志の固さを感じ、胸のモヤを抱えながら、破壊の道を辿る。

「ウォォォォォオオオオ!」

 その雄叫びに「見つけた」とレオナルドが松明を掲げる。変わり果てたリオンは体をぶつけるようにして街を破壊していた。手足を叩きつけ、自身の頭部を執拗に打ち付け。これじゃあ、破壊しているというより―――
「なんだか、苦しそうだ」
「……」
 ツグナの一言に、レオナルドは一瞬瞼を痙攣させた。地下街の住民からしたら悪魔のような存在に見えるのだろうが、その姿はもがき苦しんでいる人間のソレだ。助けて欲しい、そんな悲鳴が自身には聞こえた。
「……お前はそっちの道から回れ。このまま追い込んでいけば、あいつらに合流出来るはずだ。いずれ道は狭くなり、あの場所へとたどり着く」
「あの場所……?」
 首を傾げるツグナに「ほら、行くぞ」と背中を押した。一度顔を合わせ、頷き合ってから、それぞれ別の道へと分かれる。
(なんか、緊張してきた……)
 裏道から回りこみ、ツグナは再び化け物の姿を捉えた。化け物を挟んだ正面にはレオナルド、そしてその隣の道には一つ前の道で分かれた闘士達の姿がある。空いている道は一つだけ―――
「ぐっ、ぎぎぎっ……」
 松明の炎を嫌がってなのか、化け物は空いている道へと逃げ出した。このまま行くぞ、と遠くからレオナルドの声がし、先ゆく道でまた三手に分かれる。
(一体何処に向かっているんだろう……)
 とにかく言われた通りにしているが、レオナルドのしたいことがいまいちよく分からない。普段こんなに走る機会もなく、足が度々もつれた。息を切らし、街外れの方へとたどり着く。
「はあっ……はあっ……! ここって……っ」
 途中で切れた線路や木のトロッコ。だいぶ前に使われていた地下採掘場跡地のようだ。今はロープで入れないようにしている。そういえば、地下に来た時採掘場があると言っていたっけ。膝に手を付き、息を整えるツグナに「体力なしめ」とレオナルドが隣に立った。その後ろからゾロゾロと闘士達が松明を持ってやってくる。
「ギギギギッ……」
 松明を持った集団に追い詰められたリオンは、木で塞がれた洞穴へと入っていった。「あっ!」とツグナが声を上げる。
「逃げられちゃったぞ……せっかく追い詰めたのに」
「いや、これでいい」
 前に出たレオナルドは振り返り「お前らは街に戻って住人の救助を手伝え」と言い放った。周囲にどよめく声が広がる。
「で、でも……俺らは……」
 渋る様子の闘士達に「お前らはコロッセオで沢山人の命を奪ってきたのだろう」と続けた。
「なら今度は多くの命を救ってみろ! ……お前らは俺の知ってる闘士とは違っている。お前らの力が、きっと役に立つだろう」
 戸惑う闘士達を目にしつつ「ツグナ、お前もだ」と緑眼を向けた。真っ直ぐとその赤目を見つめる。
「ひとまずこの場所に誘導は出来たからな。あとは俺が……」
「まだ止まっていないだろ」
 何故かムスッとした様子のツグナに「は?」と眉を顰める。なんでこのガキは自分の思い通りに動いてくれないのだ。「さっき、街の住人を気にしていただろ」腹立たしさが見えるレオナルドの声に「二人で止めようって言った」とツグナが返した。
「街の人はこの人達に任せて大丈夫だ……みんな思っていたより良い奴みたいだし。行ってくれるなら、僕は必要ない。でも、お前にはきっと僕が必要だ」
 その自信にレオナルドは、はぁ、と大きくため息をついた。こうもリオンと似たようなことばかり言われると調子が狂ってしまう。
「……勝手にしろ。邪魔はするなよ」
 顔を見せず、洞穴に入っていくレオナルドに「うん!」とツグナは嬉しそうに答えた。立ち往生している闘士達の方を振り返る。
「あ、っと……僕は行ってくるから……街の人達の事はお願い、な?」
「でも俺らはアレックスに、お前らを助けろと言われて……」
 闘士達の言葉には主体性がない。きっとここまで協力してくれたのは、アレックスが言った通り自分たちを助ける為なのだろう。出会ったばかりのクラリスを思い出し、なんだか懐かしく思った。
「それなら、僕の代わりに町の人の救助をしてくれないか? そしたら僕達の助け、になるからさ」
「あ? ああ……まあ、そういうことなら……」
「……! ありがとう! お願いな!」
 言い残し駆けていくツグナを見送り、闘士達は顔を見合せ、頭をぼりぼりと掻いた。


 ◆


 身体中が熱い。あつくて、永遠と燃やされているかのようだった。受けた風は神経を逆撫でし、気が狂いそうなほどの痛みを与える。
 何故こんなに苦しいのだろう。オレは今、何を、している―――?
「グギャァア!!」
 自分の喉から自分じゃない声がした。獣か。いや、これじゃ化け物だ。思考がぼうっとし、自身の後頭部の上に意識があるかのような、不思議な感覚がする。
(ここは、暗いな ……)
 悶えるほどの熱から逃げ込んだ洞穴は冷たく、とても暗い。まるで自分の人生そのものだ。暗闇を進んでいったところで、その先に光なんてないのに。

 両親は喧嘩ばかりだった。その腹いせが自分にぶつけられることも珍しくなく、それが怖くて、いつも親の顔色ばかりを伺っていた。そうやって生きることしか知らなかった。クソだなんだと言っても、やはりそうなってしまったのは、自分のせいなのではないかと心のどこかで思ってしまう。
 人間は二つだ。敵か味方か。味方を増やすには人に都合よくならなくてはいけない。優しく、寛容にならなくてはいけない。自分の感情を捨て、何でも受け入れていれば、嫌われることは無いのだから。
 そんなオレを慕ってくれる奴らがいた。兄と慕ってくれるのは、自分が必要とされているようで嬉しかった。こんなオレでも愛してくれる者がいるのだと。正直、必死だったんだと思う。自分に自信が無いから、誰でもいいから愛されたくて。
 自分が嫌われないうちは、愛されているうちは離れていかない。自分が何かを我慢すれば、嫌われないように優しくしていれば、どんなときも明るくいれば、人からは愛される。だから、努力し続けた。それがオレなりの愛だ。
 けれど、オレが愛したかったものは全部手元から滑り落ちていく。そうなるのは全部自分が悪いのだと、運が悪いのだと、そう思っていた。思わざるを得なかった。
 愛は執着だ。心の底から愛したものも、いつか失うかもしれない。奪われるかもしれない。奪ったやつも、自分の傍から離れていくやつも許せない―――あの女と、レオナルドも。
 許せない。許せないはずなのに、なんだか心にぽっかりと穴が空いているみたいだ。辛くて、寂しくて。あの親子の愛が羨ましくて。なぜこんなに虚しい気持ちになるのだろう。

 寂しい。一人は、悲しい。
 自分を愛してくれる、家族が欲しかった。

(誰、か……助けて、くれ……オレを愛して……)

「リオン!!!」

 その声に自我を失っているはずのリオンが反応した。開けた場所で振り返る。群生しているヒカリダケが青白く洞穴内を照らしていた。それを見たレオナルドは松明の炎を消す。
「えっ、消したら……! あいつが……」
 次の瞬間、ツグナが言いきるよりも先にリオンが襲いかかってきた。二人でバラバラに攻撃を避ける。
「あ……っ」
 素早く避けたことで、ツグナの持っていた松明の炎が消えた。それにより、恐怖を失ったリオンが覚醒したように動き出す。
「グオォォォア!」
 雄叫びをあげ、狭い洞穴内を素早く移動し、大きな体で飛びかかってくる。まるで銃弾だ。ギリギリで避け、殴りつけられた壁が大きな音と共に崩壊した。相変わらずなんて速さなのだろう。力も尋常じゃない。
(狭いし、さっきのスピードに戻っているし……! どうするつもりなんだ、レオナルドは……っ)
 そうこうしている間に、大きな体で逃げ道を失ったレオナルドが、壁に押さえつけられるようにして捕まった。叩きつけられ、体と共に壁が陥没する。
「……っぐ」
「っ! レオナルド!」
 助けに行こうとした瞬間、変な臭いがしてツグナは咳き込んだ。頭がクラクラする。煙草とはまた違った臭いだ。思わず鼻を腕で抑える。
「……ははっ。リオン、覚えてるか? この場所……コロッセオに行く前まで、俺たちが働いていた場所だ」
 語り出すレオナルドの口角は優しく上がっていた。「もう、だいぶ前に廃坑になったけどな」と更に続ける。
「エディやダン、リリーもいて。五人でさっさと抜け出そうなんて考えていたよな。けど、抜け出した先も地獄だった……この世はこの洞穴のように、暗くて先が見えない。だが―――お前達と過した日々は、俺を照らし出す確かな光だった」
 だから忘れない。震えながら呟き、レオナルドは押さえつけられた体を前に傾ける。
「止めてやるさ、絶対。お前は俺の愛する家族だからな」
「ギィヤァアアアァ!」
 地を震わせる程の悲鳴。レオナルドが愛用の折れた剣をリオンの腕に突き刺し、自力で抜け出したのだ。臭いで動けなくなっているツグナを腕に抱え、入口へと走り出す。
「げほっ、げほっ! レオ、ナルド……」
 開けた洞穴から少し離れた事で呼吸ができるようになったのか、ツグナが絞り出すように声を出した。レオナルドは前を向いたままポケットからライターを取り出し、カチカチと火打ちを鳴らす。そうして着火したライターを、ガスの溜まる洞穴へと投げ込んだ。

 じゃあなル・ディヴォルジョ 愛しの兄弟アリヴェーチェ・リオン

 ガスに触れたライターの炎は空間全体に広がっていく。その一瞬をレオナルドは自身の右目に映した。
 炎に包まれるリオンがこちらをじっと見つめている。そこには自身の死に対しての抵抗が見られない。皮膚を失ったリオンの目は、まるで笑っているかのようにみえた。
(ありがとう、レオ)

 ドゴォォン!

 洞穴に一瞬で酸素が引き付けられ、衝撃と爆風が通路に勢いよく押し出される。爆風に巻き込まれた二人は、崩れる洞穴の通路に何メートルも吹き飛ばされていった。


 ◆


「がっ……ぁ……はぁ」
 気がつけば暗闇の中にいた。なんだか見覚えがある。ボーッと酷い耳鳴りがして頭が痛い。ふと触った耳からは生温いものが垂れていた。
「なんで……っ……あれ」
 自分の声が煩い。なのに、周囲の音は何も聞こえない。不思議に思い、体を動かす。何かに触れ、下を向いてみると、そこには瓦礫に半身が埋まっているレオナルドがいた。
「レオ……! っ、ナルド……」
 いつもの感覚で声を出そうとして、その大きさに耳を塞ぐ。何が起きているのだろう。記憶が曖昧だ。
 目にしたレオナルドは酷い状態だった。右の顔半分が火傷で目が潰れている。そこで、自分たちが爆発に巻き込まれたのだと知った。
(あれ……でも、なんで僕、なにも……っ)
 そういえば爆発の直前、レオナルドが身を乗り出すようにして自分を抱え込んでくれた。庇ってくれたから、自分は無事だったのかと、目を見張る。
「なんで……僕はっ、すぐ治るって言ったろ……!」
 大粒の涙がレオナルドの頬に当たる。「うるさいガキだ……」レオナルドは片目だけを開いて、力なく笑ってみせた。
「約束通り、リオンのやつに、片目をくれてやっただけだ。お前のためじゃない」
「な、なんだ? 何を言ってるか分からない……」
 口の開きで話していることは分かるが、声が全く届いていないようだった。耳の出血に「鼓膜でもやったか」とレオナルドが呆れる。自分は爆発する想定で来たので、耳に詰め物をしていたが。
「ったく、それでなくても話が通じないガキなのに……」
「? な、なんだよ? 聞こえ、ないって」
 状態が分からずパニックになるツグナを見て、レオナルドは無言で体を押し出した。まるで、さっさと行けと言わんばかりに。
「どうせ聞こえ、ないだろうが、見ての通り俺は動けない。この瓦礫を崩したら、またガスが入ってくるかもしれないしな……このまま立ち去るのがいいだろう」
 元々働いていたこともあってその恐ろしさは知っている。ガス突出の元が見つかったことで、この採掘場も廃坑された。だから、元々そのガスを利用するつもりで来たのだ。
(一人で入るつもりが、結局ついてきやがるんだから……)
 自己犠牲について説かれたが、それでもこれしか方法が思い浮かばなかった。ここを墓場にするつもりだったのに、こいつが来たせいで死ねなかった。全くどうしようもないクソガキだ―――
「でも、まあ……お前のことは認めて、やる」
 聞こえないことをいい事にレオナルドは口を開いた。その言葉はきっと届かない。
「……」
 だが、それを見たツグナは、急に瓦礫の山を強く殴り付けた。瓦礫が吹っ飛び、埋もれていたもう半身が出てくる。
「なっ……!」
 レオナルドの想定通り、瓦礫を吹き飛ばしたせいで先程のガスが流れてきた。激しく咳き込んだあとにツグナが吐き出す。
「伝わっていないとはいえ、考えれば分かるだろ! 何馬鹿なことをやって……!」
 そんな呆れる声も届かず、ツグナは口端から垂れる唾液を拭いながら、レオナルドの体を背負った。「おい! 離せ!」と暴れるレオナルドに「聞こえない」とツグナが返す。
「お前が何を言っても、僕は聞こえない……聞こえないからな! 絶対に、二人で帰る!」
 察しが悪い癖にこういう時の勘は働く。ツグナに背負われたレオナルドは「本当……クソガキだ」と頭を垂れた。

「はあ……っ、はあ……」

 それからどれくらい経っただろう。時間が経てば経つほど、ガスの濃度は上がり、ツグナとレオナルドの体を蝕んでいく。来た時は一本道であっという間だったのに、体力が限界のせいで長く、遠く感じた。
「げほっ……ごほっ」
 吐き出した胃液に血が混ざる。視界が白く霞む。体が震えだし、いつの間にかツグナはレオナルドを引きずるようにして歩いていた。いつもみたいに力が出ない。前に出した足が、止まりそうになった。
(あと少し……あと少しで着くはずだ……)
 自身に投げかけ、なんとか希望を捨てずに意識を保った。いつまでこの洞穴が続くのだろう。早く光がみたくてたまらない。レオナルドと無事に帰って、元気になったミシェルと、アレックスと―――シアン。みんなに会いたい。

「……っ。な、んで」
 たどり着いた場所は木の板で完全に塞がれていた。ここには絶対出口があったはずなのに。
「なんでだよ……! 誰か……っ」
 ガスを吸いすぎた体は痙攣し、ツグナの叩きつけた拳が脱力する。声も張れない。呼吸さえままならなかった。
「……なる、ほど。ガスが漏れ、て、塞がれた、かっ……当然、だな」
 採掘場において、メタンガスによる爆発はよくある事だ。ガス漏れが発覚する度に、酸素を入れまいと穴という穴は全て塞がれる。例え中に、生きていた人間がいたとしても。
「な、で……っ」
 必死になって叩きつけた拳が下に滑っていき、その場でツグナは膝を着いた。レオナルドと一緒に地面に伏せる。もう、声を出すこともしんどい。
「ははっ、ここ、までか……」
 地面に倒れた状態でレオナルドが呟く。元から死を覚悟してきた故、諦観は早かった。あいつとここで眠れるならそれもそれで悪くない。けれど―――
(やはり、死ぬのは怖いもんだ)
 急激に足元から冷たくなっていく感覚に、レオナルドは目を閉じた。

「ぅおらぁ!!」
 バキバキバキッ! 目の前の木の板が大きな拳によって破壊された。微かな光が二人を照らす。
「おい! 兄ちゃん達! 大丈夫か!」
 聞き覚えのある声と影。その背後から「ちょっとどいて!」と華奢な何者かが割って入った。倒れた白髪頭を見るなり、すぐさま手を伸ばす。
「ツグナ!!!!」
 もう一度見たかったヘーゼルの瞳。ツグナは光の失った赤目で彼女を認識し、抱き寄せられた体のまま意識を閉ざした。


 ◆


 ガラガラガラ

 尖り屋根の建物が大きな音を立てて崩れていく。吹き抜けとなった巨大な穴からは、落ちていく水の音が大量に流れ込んできた。
 体が、動かない。どうやら地面に倒れているみたいだ。何者かが遠くから話しかけてきている。目をキョロキョロと動かしていると、突然首を鷲掴みにされた。その細い腕からは考えられないような力で引き上げられる。
『聞いてんの?』
 首を掴んできた人物は、黒いモヤのようなものを纏っていた。剥いた目に映る風景にも似たようなものが見える。なんだか、現実味がない。意識がふわふわしていて、自分という存在が別人のように思えた。
『俺はお前を守ってきたのに、お前は俺を否定するんだね』
 言葉の意味が分からない。頭全体にノイズが走る。閃のように一瞬、見覚えを感じた。
 奴はなにやら話しながら歩き、吹き抜けとなった穴に向かって自分を掲げた。宙ぶらりんの足下には巨大な滝壺が広がっている。

『じゃあね、俺の―――抜け殻』

 支えていた一本がパッと離される。その瞬間、重力が下へ下へと自分を落とし込んでいった。


「……あれ」
 覚ました目に、白い天井が映し出される。窓から差し込む月光が、久々のように思えた。ツグナは何度か瞬きし、冷や汗を拭うようにして額に手を置く。
(守ってきた……? 否定する……? 何の話だ?)
 非現実的な夢を見るのはよくある事だが、それにしても気になる内容だった。徐に上半身を起こし、考えに耽っていると「起きたか」と隣から声が聞こえてきた。
「っ! レオナル、ど……?」
 目に映ったレオナルドは包帯で全身をぐるぐる巻きにされていた。唯一見える部位といったら、左目ぐらいだろう。腕を組み、真正面を見続ける様子は、明らかに重体なそれを感じさせない強さがあった。
「……お前はもう戻ったのか。傷の治りが早いのは便利でいい」
「戻った? ……あっ!」
 言われて気がつく。気絶する直前まで聞こえなかった耳が元に戻っているようだった。普通に話しても煩くない。やった! と喜びのまま両拳を突き上げるツグナに「騒がしいやつだ」とレオナルドが呆れたように息をついた。
「お、お前は……その。大丈夫、か……それ」
「大丈夫に見えるならお前の目は節穴だ。肋骨は折れるわ、腹は裂かれるわ、火傷はするわ……散々だ。どんなに順調でも全治に三・四ヶ月はかかるだろう」 
 冷めたレオナルドの返しに「うっ……そうだよな。ごめん」とツグナが首を竦めた。あの火傷なら、この先両目が揃うことも二度とないかもしれない。一生このまま、片目で―――
「目も……ごめんな。僕のせいで……見えなくなっちゃったよな」
 俯きながら、拳を強く握りしめる。結局大会中はずっとレオナルドに助けられっぱなしだった。強くなったと自負して、頑固になって、周りを巻き込んで―――正しいと信じ行動したことが、結果的に周りを傷つけることになった。罪悪感に押しつぶされ、体を小さくするツグナにレオナルドが鼻で優しく笑う。
「……別にいい。これが、俺の選んだ道だ。それに、命があればなんとでもなる……そうだろ?」
 前向きな一言に思わず目が潤む。ここに来るまで多くの言葉を交わしてきたが、ようやくレオナルドと心が通じ合えたように思えた。「うん、そうだな」穏やかに目を細め、ツグナが朗らかに返す。窓から入ってきた風が優しく二人の頬を撫でていった。

 あの日、地下街は突如現れた化け物によって半壊した。だが、倒壊した建物によって多くの負傷者が出ても、死んだ人間は誰一人としていなかったという。
「きっと、リオンが街を守ってくれたんだろう」
 その後の話をしている最中で、レオナルドが遠くを見つつぽつりと呟いた。
 化け物の体に支配されながらも、人を傷つけないようにリオンがしてくれた。だから、街の被害は最小限に抑えられたのだと。あいつは、自分の生まれを心から憎んでいたが、思い出を育んだあの場所を心から愛してもいた。誰よりも優しくて、不器用なやつだから。最後、またあのリオンに会えて良かった―――そう語るレオナルドはどこか寂しそうだった。
 実際のところは分からないが、何となく僕もそうなんじゃないのかと思った。あんなに派手な倒壊で人の死がなかったなんて偶然とは思えない。制御のつかない力が暴走して、自分も苦しいのに、リオンって人は完全な化け物にならなかった。本当に強い人は、きっと彼のような人なのだろう。「凄いなあ」ツグナは伏せ目がちに独りごちた。
「……軽率だったのかもな。あの日、あの時、リオンが死んだなんて。ただの願望だ……そしたらリオンを見捨てて地上に来たことも、仕方がなかったと言える。結局自分を肯定したかっただけだ」
「レオナルド……」
「あいつは……お気楽でお人好しのように見えて、本当は誰よりも辛かったんだ……一度だけ、リオンに親のことを聞いた事がある。よく暴力をふるわれていたと……なんで分かってやれなかったんだろうな。俺には親がいないから、いるだけ羨ましいと思ったんだ……そんなことないのにな」
 本当の意味で、レオナルドの本音を聞いている気がした。目を伏せ、俯いたレオナルドが組んだ手を落ち着きなく組み直す。
「寂しかったんだ、誰よりも。だからマフィアになんてなった。善悪を理解してても、自ら進んで悪さをする子供のように。ずっと、俺に止めて欲しかったんだろう。自分が本当に愛されているかどうかを確認する為に……もっと早く気づいてやればよかった」
 口にされた後悔に、ツグナはただ黙って耳を傾けていたが、いてもたってもいられず口を開く。
「……お前は命懸けであいつを止めたんだ。それだけ大切な人だって、きっとあいつにも伝わったよ」
 何となく天井を見上げて返すツグナに「そうか……そうか」とレオナルドが掠れた声で呟いた。



「……には、追って話すことに……」
 ギィ、突然軋んだ音と共にしんみりとした空気が破られた。部屋に入ってきた人物を見るなり、ツグナの目が輝き出す。
「ミシェ……ル」
 気がついたらツグナは衝動的に駆け出していた。目線をもう一人に向けていたミシェルは気づくのに遅れ、突進された勢いのまま地面に尻をつく。
「いっ! ……てぇ。ちょっ、なに!? 病みやがりなんだから大人しく……」
「ミシェル……ミシェルだぁ……生きでる……よがっだぁ、よがっだぁぁ! 無事だったんだ」
 服にしがみつく少年の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっている。過去一と言っていいほど酷い顔だ。その様子を見て、ミシェルが眉を下げながらクスリと笑った。
「言ったでしょ、私は死なないって……心配かけてごめん。また、あんたに救われたね。目が覚めて、本当に良かった」
 やけに落ち着いた様子でミシェルが泣きじゃくるツグナの後頭部を優しく撫でた。その手の温かさに安心し、次から次へと溜まっていたものがツグナの目淵から滂沱と溢れ出す。今はただ、良かった。良かったと、嬉しさで涙が止められなかった。
「レオも起きたか」
 ベッドから二人を眺めていたレオナルドは、その明瞭な声にハッとした。ミシェルの後ろから顔を出した人物を目にし、反射的に立ち上がる。
「お嬢様! 申し訳ございません!」
 動けないはずの体で主人の前に跪いた。顔を俯かせ、声を上げる。
「お、おい。その体であまり無茶を……」
「私はっ、自分の役目を放棄し、それどころかお嬢様に救われた命を、自分勝手にも捨てようとした! お嬢様が私の為に贈って下さった眼鏡も壊してしまい……情けない……っ、私はっ……アーノルド家の騎士、失格ですっ! こんな体になってしまってはもう、貴方をまともに守ることさえできない……もう、貴方のそばにいることは……」
「顔を上げろ、レオ」
 懺悔に似た嘆きが凛とした声に遮られる。レオナルドは、唇をかみ締めながら恐る恐る顔を上げた。ブレンダは至って冷静な表情で更に続ける。
「先程、リアムから報告を受けた……任務は無事成功した、と。それぞれの活躍は私がアーサーに報告している。明日にでも陛下から賞賛が送られることだろう。実に名誉な事だ……私は鼻が高い。そんなレオのどこに責める理由があるんだ」
「ですが……っ」
 納得出来ず食い下がるレオナルドに対し「……寧ろ詫びるのは私の方だ」とブレンダが声音を落とした。包帯に巻かれたレオナルドの顔に触れる。
「私は、レオが地下で苦労してきたと知りながら、今回の任務に推薦した……本当は辛かっただろうに。君が断れないことをいい事に、利用したんだ」
「お嬢様……」
 いつにない発言に驚くレオナルドを、ブレンダが強く、優しく、抱きしめた。背筋を真っ直ぐ伸ばしレオナルドが硬直する。
「こんなにボロボロになってまで……すまなかった……そして、ありがとう。レオが帰ってきてくれて本当に、本当によかった」
 震えるブレンダにレオナルドは目を見開いた。掠れた声は鼻にかかっていて、泣いているのだと悟る。人に弱さを見せないあのお嬢様が初めて―――動揺し、内心の焦りからかける言葉を失った。こういう時、何をするのが正解なのだろう。
『一人でも行けるね? レオ君』
 ふと、ナターシャとの別れ際が脳裏に過ぎる。温かくて強い、あの抱擁を。
 レオナルドはしばらく固まっていたが、震えた腕でブレンダを抱き締め返した。迷いながらも、確実に。今度は離さない。ちゃんと愛したものを守りたい、と。

「これは、邪魔しちゃ悪いかね」
「……? なにがだ?」
 抱き合う二人を見て呟くミシェルにツグナが首を傾げる。「あんたって本当鈍感」ミシェルははぐらかせて、地面に尻をついたまま天を仰いだ。
しおりを挟む
感想 12

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...