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007 団欒

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 温かいご飯、賑やかな食卓。
 団欒だんらん
 奈津子が求めていたものが、ここにはあった。

 これまでの生活では、夕食は決まって一人で済ませていた。
 放課後は塾に直行。帰宅するといつも9時を回っていた。
 両親は自室に戻っている。奈津子は一人、台所で用意された夕食を食べるのだった。
 早く食事を終え、風呂を済ませて部屋に戻りたかった。もたもたしていると、父がやって来るかもしれない。それは避けたかった。

 口を開けば成績のことばかり。下がっていれば厳しく問い詰められた。

 気持ちが入っていないからだ。
 お前には真剣さが足りない。
 もっと危機感を持て。

 うんざりするほど聞き飽きた言葉で責めて来る。その言葉ひとつひとつが、自分という存在そのものを否定されているように思えて来る。
 そう考えると、一人で冷えたご飯を食べている方がましだった。

 しかし家族で食卓を囲み、笑顔で過ごすひと時に憧れを持っていたのも事実だった。

 今、憧れていたものが目の前に広がっている。
 宗一も多恵子も自分の帰りを待っていて、一緒に夕食を始める。
 そんなありきたりの幸福がここにはあった。




「今日はちょっと遅かったね」

「ごめんね、おばあちゃん」

「違うわよ、責めてるんじゃないから。バスは30分に一本だし、一つ乗り遅れたらこうなるのも仕方ないからね。ただ暗くなるのも早くなってきてるし、少し心配なだけよ。学校が楽しいのなら、それはそれでおばあちゃん、嬉しいから」

「今日はね、亜希ちゃんの手伝いで、飼育小屋の掃除をしてたの。玲子ちゃんも一緒に」

「勝山さんと和泉さんちの娘さんかい?」

「うん、そう。おばあちゃん、知ってるんだ」

「ご近所さんだからね、昔からよく知ってるよ」

「ご近所さんって……ここからだと、バスに乗っても30分以上かかるよ」

「30分なんて近いわよ」

「……その感覚にはまだ慣れないな」

 そう言って奈津子が苦笑する。

「あの二人、相変わらず仲良しさんなんだね」

「うん。二人を見てるとね、仲良し姉妹みたいで面白いの。勿論、玲子ちゃんがお姉さんで」

「そんな感じよね、あの二人」

「おばあちゃん?」

「なっちゃん。亜希ちゃんもだけど、玲子ちゃんのこと、見守ってあげてね」

「見守ってって、どういうことかな。どっちかって言ったら、私の方が面倒をみてもらってるんだけど」

「あの子、昔はあんな落ち着いた子じゃなかったのよ。すごく気分屋さんで、それでいて泣き虫で。どっちかって言ったら、亜希ちゃんの方が面倒を見てるって感じだったの」

「そうなんだ。今の玲子ちゃんからは想像出来ないな」

「5年くらい前のことなんだけど、玲子ちゃんのお母さん、事故で亡くなって」

「え……」

 事故で母を失っている。今の自分の境遇と重ね、奈津子が言葉を詰まらせた。

「あの子の目の前で車にはねられて……あの時は本当に可愛そうだったわ」

「……そうだったんだ」

「あの頃からあの子、雰囲気が変わったの。泣き虫なのは変わらないけど、我儘わがままも言わなくなって。私も昔見たことがあるんだけど、気に入らないことがあるとあの子、よく癇癪かんしゃくを起こしてたの。あちこちの物に当たったりしてね。でもあの事故以来、そういうこともなくなって。
 人が変わったように大人っぽくなってね。そんなあの子を見て、私たちも何か力になってあげたいって思ってたの」

「私……そんなこと全然知らなかった。玲子ちゃんはクラス委員で、どんな時でも冷静な人。そんな風にしか思ってなかった」

「知らなかったんだから、それでいいと思うわよ。あの子にしたって、それでなっちゃんから気を使われるのも嫌だろうし」

「そんなことを言いながらばあさん、いらん話をしとるじゃないか」

 二人の会話を黙って聞いていた宗一が、お茶を一口含んで静かに言った。

「私はそんなつもりじゃ……でもそうね、お節介なことを言っちゃったかも。ごめんね」

 落ち込んだ様子でそう言った多恵子に、奈津子が慌ててフォローする。

「そういうことって、誰かに教えてもらわないと分からないことじゃない? 私だって玲子ちゃんたちのこと、根掘り葉掘り聞く訳にもいかないし。だから今の話、聞けてよかったと思ってるよ」

「なっちゃんにまで気を使わせて。駄目なおばあちゃんね」

「うはははははははっ。いらんことを口にする、ばあさんのごうってやつじゃな」

 重くなった空気を壊すように、宗一が豪快に笑った。

「とにかく、奈津子が楽しくやってるようで何よりじゃて。奈津子、勉強もええがな、子供らしく伸び伸び過ごすんじゃぞ。陽子や明弘くんだって、あの世でそう願っとる筈じゃ」

 父と母の名を出され、奈津子が微妙な笑顔を向けた。

「うん……ありがとう。おじいちゃん、おばあちゃん」




 部屋に戻り寝間着に着替える。
 玲子が言っていたように、来週は中間試験がある。
 両親の事故、引っ越し、転校と慌ただしかったこの半月は、流石に勉強どころではなかった。前の学校にいたなら、今回の試験は散々な結果だったに違いない。
 でもそれは言い訳にしかならない。環境を言い訳にするのは卑怯者だ、そう言った父の言葉を思い出す。

「確かに……卑怯になるのかな、その考えは」

 机に置かれた家族写真に目をやり、自嘲気味に笑う。

「でもそんな努力……今更必要なのかな。ね、お父さん」

 そう言って写真たてを指ではじき、椅子に座った。

 引き出しから部屋用のノートを出す。
 今日の授業で習ったことを、学校用のノートから書き写す。部屋で奈津子が最初にすることだ。記憶が新しい内にこの作業をすることで、自身の脳内に刻み込む。

「……え」

 部屋用のノートを開いた奈津子が声を漏らす。

「……何、これ……」

 ノートには自分ではない筆跡で、こう書かれていた。




「オマエヲズット ミテイルゾ」
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