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021 穏やかな日常

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 奈津子の背筋に冷たい何かが走る。

「どうして……」

 宗一の語った「宮崎家のごう」が蘇る。
 何者かの残した、あのメッセージが蘇る。
 立ちすくむ奈津子は、両手で口を抑え身を震わせた。

 その時。
 足元にいた小太郎が、勢いよくジャンプして椅子に、そして机の上に飛び乗った。

「え?」

 ハッハと息を荒げ、無垢な瞳を奈津子に向ける。その姿に奈津子は固まった。

「……まさかとは思うけど」

 そう言うと、奈津子は脱力して椅子に座り、肩を震わせた。

「……小太郎……私に何か言うことはない?」

 奈津子がそうつぶやくと、小太郎が嬉しそうに奈津子の頬を舐める。

「ふふっ……何してくれるのよ、この困ったちゃんは」

 そう言った奈津子は、小太郎を力強く抱き締めた。

「あんなに頑張って書いたのに。あなたも昨日見てたじゃない」

 犯人が小太郎だと分かると、奈津子は怒る気にもならなかった。一瞬脳裏に浮かんだ可能性が、こんな形でひっくり返されたことがおかしくて仕方なかった。

「このいたずらっ子め。こうしてやる、こうしてやる」

 そう言って小太郎の腹に顔を押し付け、何度も何度もキスをする。小太郎は嬉しそうに息を荒げ、尻尾を振っていた。




 学校に着いた奈津子は、玲子と亜希に小太郎のことを話した。

「子犬かぁー、いいなあ。私も欲しいよ」

「犬種は?」

「ヨークシャだよ」

「そうなんだ。奈津子、本当に嬉しそうね」

「そう?」

「ええ。こんな興奮してる奈津子、初めてだもの」

「そ、そうかな……」

「うんうん、そう言われて恥じらう姫も、これまた可愛いよ」

「亜希ちゃんってば、からかわないでよ」

「あはははっ。今度私たちにも見せてよね」

「うん、いつでも遊びに来て。人懐っこい子だから、すぐ仲良くなれると思うよ」

「あははっ、姫ってば、やっぱ興奮しすぎ」

「もう、いいじゃない。嬉しいのは本当なんだから」

「ふふっ。それで? シナリオは進んだ?」

「あ……そのことなんだけどね、玲子ちゃん」

「ああ、別にいいのよ。急かしてる訳じゃないから」

「そうそう。この調子だと姫、昨日は何も手につかなかっただろうし。小太郎くんとずっと遊んでたんだよね。いいよ、二人の恋路の邪魔はしないから」

「なんでそうなるのよ、そんなんじゃないから。あのね、昨日いい所まで書き上げたんだけど、朝起きたらノートが破られてて」

「え! 何それ、まさか泥棒とか」

「ううん、違うの。多分だけど、小太郎がやったみたいで」

「なーんだ、そういうことね」

「そうなの。だからごめんなさい、今日帰ったらまた書くから」

「いいわよ、そんなに慌てなくても。練習まで、まだ時間あるんだし」

「ううん、私が書き上げないと、何も進められないから。それに大丈夫、一度書いたんだから、すぐ書ける筈だし」

「やっぱ姫って、頭いいんだね」

「亜希だったら、昨日と全然違うストーリーになるだろうけど」

「玲子ってば、ひーどーいー」

「それにしても奈津子、手書きなんだね」

「私、キーボードで原稿書くのが苦手で。こういう時はいつも、ノートに書いてからまとめて打ち込むの。二度手間だけど、そっちの方が早いから」

「奈津子、打ち込み早いものね」

「多分だけど、あさってには形になると思うよ」

「そう? じゃあ頑張ってね。それと、ペットを飼うってなると、そういうことも想定しないといけないのかもね。ちゃんと手の届かないところに置いておかないと」

「でもでもー、そういうのも含めて可愛いんだよねー」

「確かにね、ふふっ」

「二人共、絶対気にいると思うよ。本当に可愛いから」

 そう言って席に座った奈津子は、引き出しに何かが入ってることに気付いた。

「何かな」

「どうしたの、姫」

「引き出しに何か入ってるの。何も入れてなかった筈なんだけど」

「なになに? それってまさか、ラブなレターとか」

「からかわないでよ。そんなんじゃなくて……え、箱?」

 中に入っていた物。それは少し大きめのマッチ箱だった。

「マッチ箱のラブレターとは、随分変わった告白ね」

「何か入ってる? 何なら私が」

「いいよ、玲子ちゃん。ありがとう」

 嫌な感覚だった。本当なら確認せず、そのままゴミ箱に捨てたい気分だった。
 でもそうすれば、きっと玲子が確認するだろう。それは嫌だった。
 何なのか分からない。でもこれが自分の引き出しにあった以上、自分が確認するべきだ。そう思い、奈津子がゆっくりと箱を開けた。

「え……」




 中に入っていた物。
 それはぎっしりと詰められた、昆虫の首だった。
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