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028 仮説

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 翌日。
 宗一に従った二人は学校を休み、庭に小太郎の亡骸を埋葬した。

 沈痛な面持ちで土をかける奈津子を見て、玲子は思った。
 やはりこの子は強い。
 昨日、あれだけのことがあった。目の前で愛犬の首が飛んだのだ。
 泣き崩れ、このまま壊れるかとさえ思った。

 それなのに。

 朝目覚めると、彼女は既に起きていた。
 時計を見るとまだ6時。それなのに彼女は着替えも済ませ、机に向かって演劇のシナリオを書いていた。
 宗一に聞いた話だと、いつも奈津子は5時に起きて、部屋の掃除をしてから勉強しているらしい。
 それは子供の頃から、何があっても続けている日課なのだそうだ。
 今は亡き父親に、そう厳しく躾られていたらしい。
 しかし何もこんな日まで、そう思った。
 玲子が起きると、「おはよう玲子ちゃん」といつもの笑顔を向けてきた。
 その姿に、玲子は身震いしたのだった。




 埋葬を済ませた二人は、近くの海辺に来ていた。
 肌寒い風が吹く日本海。空を見上げると、厚い雲が広がっていた。

 今年の日本海側には、秋がないかもしれない。

 気象庁の予報通り、もうこの辺りは冬支度に入っていた。
 厚い雲、低い空。それは雪国特有の、冬の空だ。
 大阪で育った奈津子には、息が詰まりそうな空だった。

「……奈津子、大丈夫?」

 海を見つめながら玲子が口を開く。

「うん……まだ頭が追い付いていないけど、とりあえず落ち着いたと思う」

「よかった」

「なんだかごめんね、変なことに巻き込んじゃって」

「そんなことないわよ。奈津子はちょっと気にしすぎ。そんなに気を遣っていたら疲れるわよ」

「そうなんだけど、習慣って言うか」

「それでもよ。ちょっとは自分のことを考えて、変えていく努力もしないと」

「……ありがとう」

「可愛い子だったね、小太郎くん」

「うん……」

「こんなことになるんだったら、もっと早く会ってたらよかった。私も小太郎くんのこと、きっと好きになってたと思う」

 玲子の言葉に、奈津子が小さくうなずいた。

「奈津子、私ね……起きてからずっと、昨日のことを考えてたの」

「昨日のって、小太郎のこと?」

「何が起こったのかってね。勿論、本当のところは分からない。普通に考えたら、ありえないことなんだから」

「そうだよね」

「でも、仮説は何とか立てられたわ」

「……聞いていい?」

「うん。でも……怒らないでね」

「怒ったりなんかしないよ。小太郎のことを思って考えてくれたんだから」

「勿論真剣に考えたわ。でも、奈津子の大切な家族に起こったことを、第三者の私が好き勝手に分析するのは違うかなって」

「ううん、そんなことない。小太郎に何が起こったのか、私も知りたいの。玲子ちゃんお願い、聞かせて」

「分かった。じゃあ言うね……普通に考えたら、首を落とされた動物がまだ動いているなんて、ありえないことだと思う」

「……」

「でもあの時、小太郎くんは僅かな時間だけど、当たり前のように動いてた。尻尾まで振ってね。あれって多分、奈津子が帰ってきた時のいつもの動きだと思うの」

「そうだね。私が帰ると、あんな風に迎えてくれた」

「体と首が離れてるの。その苦痛を考えたら、とんでもないものだと思う」

「でも小太郎、痛みを感じてるようには見えなかった」

「それで思ったの。例えば、そうね……ナイフを奈津子の体に突き刺すとする。奈津子はどうなると思う?」

「それは……場所によっては死んじゃうと思うけど」

「どうして死ぬんだと思う?」

「……玲子ちゃんが何を言いたいのか、よく分からないんだけど……そうね、出血とか、内臓が傷つけられるとか」

「そういうのってね、二次的なことなの」

「どういうこと?」

「死因としては、今奈津子が言ったようなことになるんだと思う。少なくとも医学の世界では、それで正解なんじゃないかしら。でもね、私は思うの。人間、と言うか動物ってね、体に異物が入ることを拒絶するように作られてるんじゃないかって」

「異物?」

「だから痛覚なんてものが存在する。異物が入ったことを知らせる為に」

「……」

「動物は体に異物が入った時、とてつもなく大きなショックを受ける。言ってみれば、ナイフが刺さって死ぬのは、ショック死に近いんじゃないかって思うの。奈津子が言った失血死とかは、あくまで二次的なことなの」

「……話がよく見えないな」

「こんな話を聞いたことがあるの。ある時トラックの運転手が、窓から手を出したまま運転していた。そして突然、腕に衝撃が走った。でも、特に痛みも感じなかった運転手はそのまま運転を続け、到着して窓を閉めようとした時に気付いた。自分の右腕がなくなっていることに」

「なくなってって……何かにぶつかって腕がちぎれたってこと? それなのに痛みを感じずに運転を続けてたってこと?」

「そうなるわね。この話を聞いた時にね、思ったの。動物って言うのは、脳が認識しなければ、痛みすら感じないんだって。これって、小太郎くんの昨日の状況と似てると思わない?
 首を切断された。でも、その切断スピードが余りにも早くて、切断したものに厚みがほとんどなかったから、小太郎くんの脳は首を切られたことを認識出来なかった。だから何事もなかった様に、奈津子の元へと歩いていった。表情も嬉しそうだった。
 あの時小太郎くんは、自分の身に起こってることを認識してなかったの」

「……そんなこと……そんな馬鹿なことってある?」

「そうね、私も馬鹿げてるって思うわ。でもね、その馬鹿げたことが現実に起きたの。私たちの目の前でね。あなたも見たでしょ? 首のない小太郎くんが、尻尾を振って歩いてくるのを」

「うん……」

「でも、いくら脳が認識してなかったとしても、あの状態で長く生きることは出来ない。当然、小太郎くんの生命活動は止まってしまう」

「何者かによって、小太郎は首を切られた。でもそれが一瞬の出来事だったから、しばらく小太郎は生きていた。そういうこと?」

「ええ。ごめんなさい、勝手にこんな推理立ててしまって」

「ううん、さっきも言った通りよ。玲子ちゃんは小太郎の為に、そして私の為に真剣に考えてくれた。怒ったりなんかしないよ」

「ありがとう」

「でも……不思議だな。玲子ちゃんの言ったこと、突拍子もない話なのに、納得出来ると言うか」

「奈津子……」

「でも、誰の仕業かは分からないよね」

「そうね、流石にそこまでは分からない。かまいたちが本当にいたとしたら、納得も出来るんだろうけど」

 玲子の口から、当たり前のように伝説の妖怪の名前が出て来た。
 確かにかまいたちなら、あんな芸当だって出来るのかもしれない。

 奈津子は思った。話すなら今しかないと。
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