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第3章 絶望の正体

018 アカシックレコード

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「人間の最後に触れ、雅司は絶望した。まあ、それまでのやつも大概だったのだが」

「何かあったの?」

「契約の時に言ってただろう。愛された記憶がないと。親も含めて」

「……言ってた」

「やつの記憶にある親は、本当の親ではない。本当の親は、やつが物心つく前に死んでいる」

「……」

「事故らしい。それで雅司は、親戚夫婦の養子になった。その夫婦には長年子供が出来なくてな、喜んで引き取ったらしい。
 だが……引き取ってすぐに、夫婦の間に子供が出来た。雅司にとっては、義理の妹だ。そのまま家族4人、幸せになれればよかったのだが」

「ならなかったのね」

「血を分けた子供が生まれたのだ。夫婦の愛情は、彼女に注がれることになった。そしていつしか、雅司を邪魔者と思うようになっていった」

「そんな……」

「やつらは幼い雅司に真実を語り、お前は本当の子供じゃない、面倒を見てやってることに感謝しろと言った」

「……」

「だが、雅司は挫けなかった。やつなりに親を、妹を愛そうとした」

「それが報われることは」

「なかった。妹も成長するにつれ、自分の立ち位置を理解したのだろう。雅司のことを見下すようになっていった」

「今は一人暮らしだけど、家族との交流はあるのかしら」

「金だけだな」

「お金?」

「ああ。今のお前があるのは俺たちのおかげ、恩を返せとやつらは言った。それを受け入れ、今も仕送りを続けている」

「中々に……きつい話ね」

「あの環境で生きてきて、よくもまあ、真っ直ぐに育ったものだと感心する」

「そんな彼にこそ、幸せになってほしいと思ってしまう。でも……」

「運命がそれを許さなかった」

「……よね」

「悪魔と契約したあいつには、死しか待っていない。どれだけあらがおうが、やつの未来は決定している」

「そうね」

「それなのにどうして、やつは仕事を続けるのだと思う?」

「それは……」

 ずっと疑問に思っていたことだった。
 彼は言った。生きてる以上、他のやつに迷惑はかけられないと。
 だが、それだけでは納得出来なかった。

「そもそもの話、そこまで悩むのなら辞めればよかったのだ。その方が、死よりよほど合理的な選択だ。それなのにやつは、この仕事に執着していた」

「私も思った。もっと気楽な仕事に変わればよかったのにって。介護だけが仕事じゃないんだから」

「だがやつは、そうしなかった」

「……」

「そういうやつなんだ。自分がどれだけ絶望しようが、心がすり減ろうが関係ない。あいつはただ、目の前の人間を見捨てられないのだ」

「目の前の……人を……」

「雅司が何をしたところで、やつらの未来は変わらない。子供に捨てられ、自由を奪われ、心も体も壊れていくだけだ。
 死ぬことを待ち望まれている邪魔者たち。そんなやつらのことを、雅司は見捨てられないのだ。
 何も出来ないことは分かっている。幸せにも出来ないし、望みを叶えることも出来ない。それでも例え、一瞬でもいい、笑って欲しい。生きる喜びを感じて欲しい、そう思い、やつは働いているのだ」

 メイの言葉に、ノゾミは雷に打たれたような衝撃を受けた。

 昨夜の雅司。
 利用者に罵倒され、暴力を振るわれ。
 それでもずっと、笑顔を絶やさずにいた。
 叶えられることのない嘘を並べ立て、少しでも安心させようとしていた。

 自分自身、幸せとは程遠い毎日を生きている。親に捨てられ、誰からも愛されず、孤独な日々に押し潰されそうになっている。
 それなのに彼らを慈しみ、励まし、包み込んでいる。
 一瞬の笑顔の為に。
 泡沫うたかたの喜びの為に。
 そんな彼を思い、胸を熱くした。

「そんなやつに、私は惚れた」

 そう言って、ぬるくなったミルクを飲み干した。

「だから……ここまで言うつもりはなかったのだが、この際だ。私はな、ノゾミ。お前がやつと契約するのを待っていた」

「え……」

「お前が現れなければ、やつの人生はあそこで終わっていた。私が刈るからな。だが……そうしたくなかったのだ」

「どういうこと? 私に喧嘩まで売っておいて、意味が分からないんだけど」

「少しは本質を見極めろ」

「あんなに大泣きしておいて。あれも演技だったって言うの?」

「いや、あれは……負けたのが悔しくて……」

「確かにあの時、あなたから殺気を感じなかったけど」

「全く……そんな単純な思考だから、見てくれでしか私に勝てないのだ。中身は全く成長していない」

「私が子供だってこと?」

「ああそうだ、子供だ。私はな、ノゾミ。ある意味お前たち以上に、契約の意味を理解してる」

「どういうことよ」

「契約とはすなわち願望、魂の叫びだ。それが叶った時、契約者の心はどうなる?」

「達成感は幸せ。願いが困難であればある程、幸せも大きくなる。そうすれば、感情ゲージが更に上がって」

「やつの場合は?」

「絶望が喜びに……え、メイ、あなたまさか」

「理解したか」

「雅司に幸せになってほしい、そう思ってるってこと?」

「分かったのなら、改めて言わなくてもいい」

「でもそんな……任務を蹴ってまで、雅司に幸せを感じて欲しかったの?」

「……人間など、くだらん下賤の生き物だ。寿命も短く、浅慮で目先しか見えない愚か者だ。だが、それでも……幸せを感じるぐらい、あってもいいだろう」

「メイ、あなた」

「だからノゾミ、契約を果たせ。私がここまで言ったのだ。無理でした、出来ませんでしたなど、言わせんからな」

 頬を染め、口をとがらせる。

「やつを幸せにしてやれ。絶望の沼で溺れている癖に、それでも他人の為に歩み続けるれ者に」

 メイの言葉に、ノゾミは心が晴れていく様な気がした。

「ありがとう、メイ。少し元気が出たわ」

「全く……何故に私が、こんなことを言わなければいけないのだ。いいかノゾミ、あんまり長引くようなら、その時は雅司の魂、問答無用で刈り取るからな」

「それをしたら協定違反、戦争になるわよ」

「うるさいうるさい! それならお前を滅するまでだ!」

「ふふっ……はいはい、私には勝てないでしょうけどね」

 そう言って微笑んだ。

「ミルクのおかわり、いる?」

「ああ、頼む」

 メイも微笑み、カップを差し出した。


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