26 / 44
第4章 泡沫の愉悦
026 天使の囁き
しおりを挟む「悪魔も死神も、そして天使も。どうしてそうやって、全部分かってるような顔をするんだ。
確かに俺たち人間は、あんたらに比べたら取るに足らない、下等な存在なんだろう。それでもこう見下されて、気分がいい訳ないだろう」
雅司の言葉に、カノンが真顔になった。
「ご気分を害されたようですね、申し訳ありません。そういう意図はなかったので、謝罪させてください」
立ち上がり、深く頭を下げる。
その言葉に嘘はない、そう感じた。
「あ、いや……俺も言葉が過ぎたようです」
ばつが悪そうに頭を掻く。カノンは微笑み、再びソファーに座った。
「それでどうですか? 私の問いにまだ、答えていただいてませんが」
謝罪しつつも、逃げることを許さない。
やはりこの女、一筋縄ではいかない。そう思った。
「それでは質問を変えてみましょう。雅司さん。もし今、この瞬間、契約が破棄されたとします。やはりあなたは死にますか?」
その言葉に、雅司が動揺した。
以前の自分なら、即答してた問いだ。
――ああ。間違いなく俺は死ぬ。
しかし、言葉が出なかった。
そのことに、自分自身驚いた。
どういうことだ? 俺が望んでるのは、それだけじゃなかったのか?
今すぐに、自分という存在を消し去りたい。何の痕跡も残さず、誰からも認識されぬままに消えてしまいたい。そう願ってた筈だ。
その筈なのに。
あれからまだ、半月しか経ってないのに。
どうして言葉が出ないんだ。
――この半月の日々が、鮮やかに蘇る。
料理を並べて微笑むノゾミ。
ことあるごとに、夜這いを仕掛けて来るメイ。
施設で見た、ノゾミの哀し気な瞳。
感動物の映画で涙ぐむメイ。
ジェットコースターで歓声をあげる二人。
そうか……俺は今の生活を楽しんでいたんだ。
この半月、本当に楽しかったんだ。
これまで経験したことのない、幸せな日々。
知らぬ間に、この生活がずっと続いてほしい、そう願ってたんだ。
生きていることが幸せだと、生まれて初めて感じてたんだ。
「……」
ノゾミと目が合った。彼女もまた、驚きの表情で雅司を見ていた。
メイはうつむき、肩を震わせている。
「本当、人間は面白いですね」
そう言って笑ったカノン。それが雅司を苛つかせた。
分かったような顔しやがって。
お前に何が分かると言うんだ。
絶望なんて感じる必要もない、そんな恵まれた世界で生きてきたお前に、人間の何が分かると言うんだ。そう憤った。
「……いや、それでも俺は……死を選ぶ」
脳裏に蘇る、忌まわしき現実。それが言葉を紡がせた。
「……あんたが感じてる通り、今の俺は人生を楽しんでいる。ノゾミたちと出会って手に入れた、貴重な感情だ。だが、それでも……俺は幸せが続かないことを知っている。俺をずっと見て来たのなら、あんただって知ってる筈だ。人間の末路を」
その言葉に、ノゾミは施設の利用者たちを思い出した。
「どんなに金があろうが、力があろうが。人間の最後はああなんだ。あれが、神が俺たちに課した運命なんだ。それが分かっていて、どうやって未来に希望を持てると言うんだ!」
自分でも驚くほど、声が震えていた。
「どうして神が、こんな運命を背負わせたのか。それは分からない。でもな……俺たちにだって抗うことは出来るんだ!」
「それが、自ら人生を終わらせるということですか」
「……そうだ」
理屈になってない。論理が破綻してる、そう思った。
このままノゾミたちと過ごす未来、それを夢想しなかった訳ではない。もしそんな未来を選べるのなら……そう思ったのは事実だ。
しかし、それを認めたくなかった。
この女の前では。
「それに、契約が無効になることはないんだ。この問いに意味がないことぐらい、あんたも分かってる筈だ」
「そうですね」
「だったらどうして、こんなことを聞く。俺たちの平穏を壊して楽しいのか? それが天使様の愉悦なのか?」
そう言って肩を落とす。
何を言っても無駄だ、そう思った。
気付きたくなかった感情。それに狼狽した。
「契約を無効にすることは可能です」
「……知ってるよ。だがそれは、受け入れられるものじゃない」
「ご存知なのですね」
「契約者たるノゾミの消滅か、魂の譲渡先の変更。ノゾミが死ぬか、俺が別のやつに殺されるか。魅力のかけらもない選択だ」
「別の方法があるとしたら?」
「別……だと?」
「ええ。彼女たちは、あえて言わなかったのでしょう。まあ、気持ちは理解出来ますが」
「何だそれ。お前ら、何か隠してるのか」
振り向くと、ノゾミもメイも、視線を合わせることを拒むようにうつむいた。
「答えてくれよ。ノゾミ、メイ」
「カ、カノン……お願い、それ以上は」
声を絞り出すように、ノゾミが訴える。
しかしカノンは、それを厳しい口調で退けた。
「駄目よ」
「なら……せめてこの場から外させて」
「ここにいなさい」
ノゾミはうなだれ、肩を震わせた。
天使が上位の存在なんだと、思い知らされた気がした。
「契約を全てなかったことにする。それが可能な方法があります」
「……」
「ですがそれには、天使の力が必要です」
「天使の……」
「私には、契約を無効にする権限が与えられています。勿論、代償は必要ですが」
「……また代償か」
「当然です。代償のないものなどありません。それが世界の摂理です」
「……」
「知りたいけれど、自尊心がそれを許さない。そんな顔ですね」
本当に嫌な女だ。
微笑むカノンを睨みつける。
「リセットすることで、契約は破棄出来ます。彼女たちとの出会いも含め、全てなかったことになります。勿論、この半月の記憶もなくなります。
でもそれだと、あなたは元の日常に戻るだけです。遠くない将来、あなたはまた、人生を終わらせる決断をするでしょう。そういう意味でも、リセットはお勧め出来ません。
私が提案するのは、もうひとつの選択。彼女たちとの生活を続けられる、あなたにとって最良の未来です」
「その最良の未来とやらの為に、何を払えと言うんだ」
「あなたではなく、支払うのはノゾミさんになります。まあ、メイさんも希望するのであれば、特例として認めますが」
「……聞いていいか」
雅司の言葉に、カノンは笑みを浮かべた。
「ノゾミさんが人間になるのです」
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
1
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる