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019 寂しくて
しおりを挟む「蓮司、自分からは指一本触れようとしなかった」
「……」
「あいつはいつも、私と距離を取っていた。一緒に歩いていても、部屋で二人きりになっても」
「どうしてそんな」
「私に聞かれてもね、分かる訳もない。次に会った時にでも聞いておいてよ」
そう言って寂しげな笑みを浮かべる。
「でも花恋さん、さっき言いましたよね。何度もキスしたって」
「うん。でもそれは、いつも私からだった」
「……」
「手を握るのだって、抱き締めるのだってそう、いつも私からだった。もっと蓮司に近付きたい、温もりを感じたい。私を求めて欲しい、触れて欲しい。そう思ってた。
でもあいつは、自分から触れようとはしなかった。いつも距離を取って、ニコニコしながら私の話を聞いていた。
私がキスしたら、照れくさそうにしてたよ。そしていつも言ってくれた。『大好きだ』って」
「でも、蓮司さんからは何も」
「なかったね。キスを拒むことはなかったよ。私が言ったら抱き締めてもくれた。でもそれだけ。自分からは決して触れようとしなかった」
「……」
「そんなことがずっと続いてた。初めの頃はね、これが蓮司なのかな、でもまあ、こんな関係もありかなって思ってた。何より私は、そんな蓮司も好きなんだから。
でもね、流石にそんな状態、何年も続いたら駄目でしょ」
「それは……」
「あいつが私にしてくれたのは、初めてのキスだけ。ひょっとしたらあいつ、私に興味ないのかなって思ったりもした」
「……」
「あいつに抱き締められたい、愛されたい。そんな風に思う私って、ひょっとしておかしいのかな。そう思って泣いたこともあった。
だから私は、あいつが求めてくれるのを待った。いくら小心物のあいつでも、いつかは求めてくれる筈、そう思って待った。自分からキスするのもやめた。抱き締めたり手を握るのもやめた。二人きりで会っても、今の恋ちゃんと私みたいに距離を取って、他愛もない話をして笑ってた。
でも結局、あいつが私を求めることはなかった」
「それ……蓮司さんに聞かなかったんですか」
「恋ちゃん。女の私にそこまで求めるの?」
「あ、いえ、その……」
「どうしてキスしてくれないんですか。ずっと待ってるのに、どうして抱いてくれないんですかって、そんなことまで聞かないといけなかったのかな」
「それは……」
「恋ちゃんは蓮くんに聞ける?」
「……」
「そんなこと聞けないよ。少なくとも私には無理だった。でもね、あいつは私といる時、いつもニコニコしてた。私のことを大好きだって言ってくれた」
「でもそれって」
「でしょ? 何だかだんだん腹立ってきてね。私がどんな気持ちでいるかも知らない癖に、嬉しそうにニコニコニコニコしてんじゃねーよ。今日の下着、いくらしたと思ってるんだよってイライラしてた。
いつもいつも似たような話ばっか。いやいやその話、この前もしたから。それに面白くないから。そんなことより私を抱けよ、男を見せてみろよって心の中で叫んでた」
その言葉に、恋が耳まで赤くして目をパチパチさせた。そんな恋に気付いた花恋が、しまったと言った顔で紅茶を飲み干し、軽く深呼吸した。
「ごめん、生々しすぎたね」
「あ、いえ、そのその……」
「やっぱお酒はやめておくね。自分でもブレーキかけれなくなりそうだから。あははっ」
そう言って紅茶を入れ直し、ゆっくりと口に含む。
「……付き合い始めた頃ならそれもいい。でも私たち、何年も何年も一緒だったんだ。恋人だったんだ。なのにどうして、私に触れようとしないの?
そう思った時に、一つだけ答えらしきものが浮かんだんだ。多分、恋ちゃんが今思ったのと同じ」
「私のこと、お人形さんか何かだと」
「正解。流石私」
そう言って、花恋がにっこりと笑った。
「本当のところは、あいつに聞いてみないと分からない。でも私は思った。あいつにとって私……と言うか、女ってやつはきっと、お人形さんなんだってね。はしたないことなんて考えもしない、穢れを知らない存在。それが女で、あいつは私にそれを望んでるんだ、そう思った。
多分あいつ、私が綺麗な服を着て床の間に座ってたら、泣いて喜ぶんじゃないかな、あははっ」
空虚な笑い声が部屋に響く。
「だからね、そんな幻想を壊してやろうと思った。わざとあいつの前でげっぷしたり、『痒い痒い』ってお尻を掻いたり」
その言葉に、恋が赤面してうつむいた。
自分にはそんなこと、とてもじゃないけど出来ない。そう思った。
「でも駄目だった。後で死にたくなるような恥ずかしいことをしても、あいつはいつも笑ってた。優しく私をみつめてた」
「……」
「よく分からなくなってきた。もしかしたら、蓮司が変わってるだけなのかもしれない、そう思ったりもした。
周りは彼氏と旅行に行ったとか、部屋に泊まったとか、私にとって夢のような話でいっぱいだった。彼氏の話をしている友達は、すごく幸せそうだった。本当に羨ましかった。
そして、いつ頃からかな……蓮司への想いが薄れていく、そんな自分を感じるようになっていったんだ」
ティーカップを指でなぞり、寂しそうに微笑む。
「とまあ、こんな所かな。恋ちゃんの問いへの答えは。満足してもらえたかな」
「満足ってそんな……そんな訳ないじゃないですか」
「ああごめんごめん、泣かないでってば」
こんな未来が見たかった訳じゃない。
誰も笑っていない。誰も幸せになっていない未来。
そしてこのままいけば、自分もこの未来に辿り着いてしまう。
嫌だ。絶対に嫌だ。
でも、でも……どうすればいいんだろう。
望んだこととはいえ、両肩に圧し掛かる運命の重さに潰れそうだ。
自分だけでは支えきれない。
蓮くんだ。
蓮くんに会いたい。
蓮くんならきっと、何とかしてくれる。
ううん、違う。
私と蓮くん、二人で何とかするんだ。
明日蓮くんに会おう。そして協力してもらうんだ。
未来を変える為に。
そう思い、拳を強く握り締めた時、花恋の携帯がなった。
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