上 下
19 / 42

019 寂しくて

しおりを挟む
 

蓮司れんじ、自分からは指一本触れようとしなかった」

「……」

「あいつはいつも、私と距離を取っていた。一緒に歩いていても、部屋で二人きりになっても」

「どうしてそんな」

「私に聞かれてもね、分かる訳もない。次に会った時にでも聞いておいてよ」

 そう言って寂しげな笑みを浮かべる。

「でも花恋かれんさん、さっき言いましたよね。何度もキスしたって」

「うん。でもそれは、いつも私からだった」

「……」

「手を握るのだって、抱き締めるのだってそう、いつも私からだった。もっと蓮司れんじに近付きたい、温もりを感じたい。私を求めて欲しい、触れて欲しい。そう思ってた。
 でもあいつは、自分から触れようとはしなかった。いつも距離を取って、ニコニコしながら私の話を聞いていた。
 私がキスしたら、照れくさそうにしてたよ。そしていつも言ってくれた。『大好きだ』って」

「でも、蓮司れんじさんからは何も」

「なかったね。キスを拒むことはなかったよ。私が言ったら抱き締めてもくれた。でもそれだけ。自分からは決して触れようとしなかった」

「……」

「そんなことがずっと続いてた。初めの頃はね、これが蓮司れんじなのかな、でもまあ、こんな関係もありかなって思ってた。何より私は、そんな蓮司れんじも好きなんだから。
 でもね、流石にそんな状態、何年も続いたら駄目でしょ」

「それは……」

「あいつが私にしてくれたのは、初めてのキスだけ。ひょっとしたらあいつ、私に興味ないのかなって思ったりもした」

「……」

「あいつに抱き締められたい、愛されたい。そんな風に思う私って、ひょっとしておかしいのかな。そう思って泣いたこともあった。
 だから私は、あいつが求めてくれるのを待った。いくら小心物のあいつでも、いつかは求めてくれる筈、そう思って待った。自分からキスするのもやめた。抱き締めたり手を握るのもやめた。二人きりで会っても、今のれんちゃんと私みたいに距離を取って、他愛もない話をして笑ってた。
 でも結局、あいつが私を求めることはなかった」

「それ……蓮司れんじさんに聞かなかったんですか」

れんちゃん。女の私にそこまで求めるの?」

「あ、いえ、その……」

「どうしてキスしてくれないんですか。ずっと待ってるのに、どうして抱いてくれないんですかって、そんなことまで聞かないといけなかったのかな」

「それは……」

れんちゃんはれんくんに聞ける?」

「……」

「そんなこと聞けないよ。少なくとも私には無理だった。でもね、あいつは私といる時、いつもニコニコしてた。私のことを大好きだって言ってくれた」

「でもそれって」

「でしょ? 何だかだんだん腹立ってきてね。私がどんな気持ちでいるかも知らない癖に、嬉しそうにニコニコニコニコしてんじゃねーよ。今日の下着、いくらしたと思ってるんだよってイライラしてた。
 いつもいつも似たような話ばっか。いやいやその話、この前もしたから。それに面白くないから。そんなことより私を抱けよ、男を見せてみろよって心の中で叫んでた」

 その言葉に、れんが耳まで赤くして目をパチパチさせた。そんなれんに気付いた花恋かれんが、しまったと言った顔で紅茶を飲み干し、軽く深呼吸した。

「ごめん、生々しすぎたね」

「あ、いえ、そのその……」

「やっぱお酒はやめておくね。自分でもブレーキかけれなくなりそうだから。あははっ」

 そう言って紅茶を入れ直し、ゆっくりと口に含む。

「……付き合い始めた頃ならそれもいい。でも私たち、何年も何年も一緒だったんだ。恋人だったんだ。なのにどうして、私に触れようとしないの?
 そう思った時に、一つだけ答えらしきものが浮かんだんだ。多分、れんちゃんが今思ったのと同じ」

「私のこと、お人形さんか何かだと」

「正解。流石私」

 そう言って、花恋かれんがにっこりと笑った。

「本当のところは、あいつに聞いてみないと分からない。でも私は思った。あいつにとって私……と言うか、女ってやつはきっと、お人形さんなんだってね。はしたないことなんて考えもしない、けがれを知らない存在。それが女で、あいつは私にそれを望んでるんだ、そう思った。
 多分あいつ、私が綺麗な服を着て床の間に座ってたら、泣いて喜ぶんじゃないかな、あははっ」

 空虚な笑い声が部屋に響く。

「だからね、そんな幻想を壊してやろうと思った。わざとあいつの前でげっぷしたり、『痒い痒い』ってお尻を掻いたり」

 その言葉に、れんが赤面してうつむいた。
 自分にはそんなこと、とてもじゃないけど出来ない。そう思った。

「でも駄目だった。後で死にたくなるような恥ずかしいことをしても、あいつはいつも笑ってた。優しく私をみつめてた」

「……」

「よく分からなくなってきた。もしかしたら、蓮司れんじが変わってるだけなのかもしれない、そう思ったりもした。
 周りは彼氏と旅行に行ったとか、部屋に泊まったとか、私にとって夢のような話でいっぱいだった。彼氏の話をしている友達は、すごく幸せそうだった。本当に羨ましかった。
 そして、いつ頃からかな……蓮司れんじへの想いが薄れていく、そんな自分を感じるようになっていったんだ」

 ティーカップを指でなぞり、寂しそうに微笑む。

「とまあ、こんな所かな。れんちゃんの問いへの答えは。満足してもらえたかな」

「満足ってそんな……そんな訳ないじゃないですか」

「ああごめんごめん、泣かないでってば」




 こんな未来が見たかった訳じゃない。
 誰も笑っていない。誰も幸せになっていない未来。
 そしてこのままいけば、自分もこの未来に辿り着いてしまう。
 嫌だ。絶対に嫌だ。
 でも、でも……どうすればいいんだろう。
 望んだこととはいえ、両肩にし掛かる運命の重さに潰れそうだ。
 自分だけでは支えきれない。
 れんくんだ。
 れんくんに会いたい。
 れんくんならきっと、何とかしてくれる。
 ううん、違う。
 私とれんくん、二人で何とかするんだ。
 明日れんくんに会おう。そして協力してもらうんだ。
 未来を変える為に。

 そう思い、拳を強く握り締めた時、花恋かれんの携帯がなった。


しおりを挟む

処理中です...