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036 この関係を守る為に

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「でも……やっぱりちゃんと言って欲しかったな」

 涙を拭いながら花恋かれんが言う。

蓮司れんじがずっと、過去の傷に苦しんでいた。自分のことを、その……けがらわしいって……そんな哀しいことを思いながら生きてきた。
 でもね、蓮司れんじ。あなたにとって、私って何だったのかな。私はあなたの彼女だったのよ? 辛い気持ち、苦しい気持ち。そういうことを打ち明けてこその恋人じゃないの?」

「それは花恋かれんさんにも言えることじゃないんですか」

れんちゃん?」

「私、昨日花恋かれんさんと話しててずっと思ってました。今の話……辛すぎて心がちぎれそうになりました。そんな気持ちを背負って生きてきたれんくん、蓮司れんじさんは本当に辛かったと思います。
 でも花恋かれんさん、れんくんなんですよ? 蓮司れんじさんなんですよ? いつも物思いにふけっていて、物語のことばかり考えていて。デートしてる時だって、話をするのは私ばかり。れんくんはただ、私の話を笑顔で聞いてくれるだけ。そんなれんくんにそこまで求めるのは、少し違う気がするんです。
 だけど花恋かれんさん、あなたは違う。あなたは赤澤花恋あかざわかれん、私なんです。思ってることを口にしないと死んでしまう、そのせいでいつもトラブルを起こして、れんくんに後始末をしてもらう迷惑娘。それが私なんです。
 なのに花恋かれんさん、私に触れてほしい、寂しいって、どうして言わなかったんですか」

「それは……」

「『あなたのことが好きです』こう言うのって、本当に恥ずかしいです。でもその言葉を口にすることで、相手に喜んでもらえる。だから私も、恥ずかしくてもれんくんに言ってました。
 でも不満や不信感となると、伝えることで今の関係を壊してしまうかもしれない。そんな恐れがあったから、言えなかったんじゃないですか」

「……そうね、それはあると思う。でもね、れんちゃん。それは間違ってるのかな。おかしいのかな。
 私はただ、蓮司れんじとの関係を守りたかったの。少しぐらい不満を持っていても、自分が我慢して済むならそうする、それはそんなに責められることなの?」

「でもそのせいで花恋かれんさん、蓮司れんじさんと別れてしまったじゃないですか」

「それは……」

「大事なものを守りたいから我慢する、それは理解出来ます。でも花恋かれんさん、守れなかったじゃないですか。寂しい思いをしてたじゃないですか」

「……」

「大人になれば、言いたいことも言えなくなる。よく先生や母さんにも言われます。今よりもっと広い世界の中で、多くの人と生きていくんだ。本当の気持ちを押し殺す時もあるんだって。
 それが大人になるってことなんですか? そしてそれは、子供の頃から一緒だった幼馴染にも当てはめないといけないんですか? 私はこれかられんくんと、本当の気持ちを隠したまま付き合っていかないといけないんですか?」

 花恋かれんは何も言い返さず、黙って聞いている。

「おかしいよ、そんなの間違ってる」

 れんが哀しげな眼差しで花恋かれんに詰め寄る。そのれんの手を、れんがそっと握った。

れんくん……」

「もういいよ、れん

「……」

花恋かれんさんは未来のれんなんだ。そんなに自分を責めちゃ駄目だよ」

「……うん……ありがとう、れんくん……」

 れんの笑顔に頬を染め、れんが小さくうなずいた。

れんちゃんの言ったこと……そうだな、私もよく思ってたよ。なんでみんな、そんなに我慢してるんだろう。お互いもっと言い合えばいいのにって。
 そう思って生きてきた筈なのに、私もいつの間にか、そんな風になってたのかもね。ごめんなさい、蓮司れんじ

花恋かれんが謝ることじゃないよ。僕も言いたいこと、ちゃんと言えないんだから」

「あなたはもう少し、伝える努力をするべきだけどね」

「ははっ……確かにそうだ」




 見つめ合う二人を見てれんは思った。
 やっぱり私にとってれんくん、蓮司れんじさんの存在は大きい。
 こんな無防備な笑顔、自分でも見たことがない。
 私はれんくんといる時、こんな顔をしてるんだ。
 私はこんなにも、れんくんのことを信頼してるんだ。
 私にはれんくんしかいない。
 れんくんだけが、私を本当の赤澤花恋あかざわかれんにしてくれる、そう思った。

蓮司れんじさんにもお聞きしていいですか」

「うん。ちゃんと答えるよ」

蓮司れんじさんの心には、まだ昔の傷跡が残っている。だから花恋かれんさんに触れることをためらっていた。でも花恋かれんさんにはそれが耐えられなくて、別れることにつながっていった。
 蓮司れんじさんはどうなんですか。今でも花恋かれんさんのことを好きだと言ってくれた蓮司れんじさんは、どうして花恋かれんさんとの別れを選んだんですか」

「僕の場合は、ものすごくシンプルな答えしかないよ。僕はね、れんちゃん。こうして話してる今でも思ってる。自分は花恋かれんにふさわしくないって。
 花恋かれんを幸せにする自信もないし、このまま一緒にいても、花恋かれんの笑顔を守っていけると思えないんだ」

「それも過去の出来事が原因なんですか? 自分に自信がないのは、かつてクラスメイトたちから否定されたから」

「ないとは言わない。ずっと否定されてきたんだからね。でもそれだけじゃない。そうなる前から僕は、自分がちっぽけな存在だってことを自覚してたんだ」

「何よそれ」

 そう言って、花恋かれんが呆れ顔で蓮司れんじの頭を小突く。

「僕は子供の頃から、人に誇れるようなものを何一つ持ってなかった。成績も普通、運動はからきし。他人とコミュニケーションをとるのが苦手。いつも一人で本を読んでる、そんな男なんだ。
 でも、それでいいと思ってた。これから先、自分が生きていくだけの仕事さえ出来れば、誰にも迷惑をかけずに生きていける。僕は一人、大好きな本に囲まれて静かに暮らしていくんだ、そう思ってた。
 そんな僕に、花恋かれんはずっと寄り添ってくれた。僕を責める訳でもなく、むしろ僕を肯定してくれた幼馴染。本当に感謝していた。
 だから僕は思ってた。花恋かれんにだけは幸せになってほしい。花恋かれんを守る為ならなんでもするってね」


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