銀の少女

栗須帳(くりす・とばり)

文字の大きさ
上 下
29 / 45

029 少女二人 その4

しおりを挟む
 紅音の部屋のスケールに、早苗は驚いていた。
 私の部屋がいくつ分?二つ、いや三つ?大体自室にグランドピアノって、どこのお嬢様?あ、いや、お嬢様か……
 そんな風に自分の中で突っ込みを入れながら、紅音に促されてクッションに座った。



「でも驚きました……早苗さんと私が、昔会ってたなんて……」

「私も……でも柚希から紅音さんの話を聞いた時、なんだかあの時のことを昨日のことみたいに思い出しちゃって。懐かしいよね」

「はい。私、子供の頃はよく診療所で遊んでいたんです。小さかった私にとって、あそこは不思議な物がいっぱいあったから」

「分かる分かる。病院においてある物って、なんだか魔法の道具みたいで」

「そう、そうなんですよ。だからよく探検してたんです。でもお父様との約束で、患者さんが来ている時は絶対に入っちゃいけないって言われてて」

「そう言えばあの時も、そんな風に言われてたような」

「でも、自分でも不思議なんですけど、あの時なぜか私、中に入ってしまったんです。助けて、助けてって呼ばれた様な気がして」

「いやー、面目ない。私ってば本当に注射が苦手で……でもあの時、紅音さんに頭を撫でられて私、不思議と気持ちが落ち着いたんだ。そして我慢しようって、そう思えたんだ」

「ふふふっ。あの時の早苗さんの顔、今でも覚えてますよ」

「それは忘れて」

「ふふふっ」

「あははっ……それで紅音さん、体の具合ってどうなの?」

「はい、おかげさまで最近はずっと調子がいいんです。柚希さんと会えなかったこの二週間は、ちょっと寂しかったですけど」

「え……」

 確か柚希は、大怪我をしたあの日、紅音に助けられたと言っていたはず……しかしすぐに、先ほどキッチンで晴美が言った言葉が思い出された。

「お嬢様は、薬の副作用でたまに記憶が混乱される時があります。そう言った時には、出来ればそのまま否定せず、話を合わせて頂くとありがたいです」

 そうか、紅音さんはあの日のことを覚えていないんだ……あの時確か、気を失ったって柚希が言ってたよね……そんなショックなこと、わざわざ思い出させることもないか……


「早苗さん、どうかしましたか」

「あ、大丈夫大丈夫、あはははっ」

 笑ってごまかすと、早苗は立ち上がって窓の側に行った。

「綺麗な花壇……そう言えば知ってる?柚希も家で、菜園してるんだよ」

「ええ、前に柚希さんがそうおっしゃってました」

「あ、そうか……柚希から、ね……あはははっ」

「あの……早苗さん……」

「え、なになに」

「早苗さんはその、あの……」

「どうしたの紅音さん。いいよ、何でも聞いて」

「はい……あの、私、今から早苗さんにとても……失礼なことを聞いてしまうかもしれないんですけど……」

「紅音さんってば、気を使いすぎだよ。昔馴染みのよしみじゃない。いいよ、気にせず聞いてみて」

「は、はい、では……あの、早苗さんは……柚希さんのこと、どう思っていますか」

 その問いは、早苗の頭を真っ白にした。

「え……」

「ごめんなさい早苗さん、変なことを聞いてしまって……」

「どうして……」

「私今日、ずっとお二人を見ていました。お二人の間には、どう言ったらいいんでしょう……その、深い絆のような物を感じたんです。
 お二人は私に気を使ってくださって、ずっと私を話に誘ってくれました。そうでなかったら私、ずっと黙ってたと思います……それぐらい、お二人の間には入れない空気を感じてしまったんです」

「紅音さん……」

「ひょっとしたら私、柚希さんと早苗さんの間に割り込んでるんじゃないかって。そう思ったら私、お二人に申し訳ない気がしてしまって……」


 この数週間、早苗は紅音の幻に苦しみ、怯え、嫉妬していた。
 柚希に対する自分の気持ちに気付いた時にも、真っ先に紅音の顔が浮かんでいた。
 今日一緒に来たのも、自分にとって恋敵になるかもしれない紅音の顔を一目見たい、そう思ったからだった。
 そしてそんな自分に対して、嫌悪感を抱いていた。

 しかし今、自分の目の前で精一杯の勇気を振り絞り、自分に申し訳ない気持ちを伝えている紅音は、想像していたよりも遥かに優しく、そして温かい女性だった。
 胸の内を見透かされた早苗は、動揺すると同時に、自分の狭量さを思い知らされた。

「す、すいません早苗さん、私また失礼なことを……」

 謝る紅音に、早苗は側まで行くと跪き、紅音を抱きしめた。

「早苗……さん……?」

「ごめんね、紅音さん。私ってば、また嫌な自分を出してたみたい」

「そんな、私の方こそ」

「いいよ、紅音さん。今の質問に答えてあげる。でもその前に、私からも一つ聞いていいかな」

「はい……」

「紅音さんは柚希のこと、好き?」

「え……でも私、そんな……」

「いいよ、気にせず自分の気持ちを言って。私も正直に言うから」

「私は……柚希さんと出会って、私の毎日は変わりました。毎日がきらきらと輝いて、いつもいつも、柚希さんとお会いできるのを楽しみにしてました。
 初めは大切なお友達でした。柚希さんはいつも私のことを大切にしてくれて、守ってくれます。柚希さんから『友達』って言われて、本当に嬉しかったんです。

 でも、その気持がいつからなのか……柚希さんのことを考えると胸が苦しくなっていって……今日、久しぶりに会った時、私……柚希さんと離れたくない、そう思ったんです……
 私は……私は柚希さんのことが大好き……です……」

「そっか……」

 紅音を見つめ、早苗が笑った。

「柚希ってば本当、こんないい子に想われて幸せだよね」

「早苗さん……」

「約束だからね、私も紅音さんの質問に答えるよ。
 私は……柚希のことが好き。誰よりも好き。こんなに男の人を想ったこと、今までなかった。柚希のことを考えると私、何も手につかなくなっちゃう。柚希がいない生活なんて、私にはもう想像できない。それぐらい好き。大好きなんだ」

 紅音の瞳をまっすぐ見つめながら、早苗は柚希への思いを口にした。

 紅音はそのまっすぐな視線を受け止め、そして静かに目を伏せた。

「ごめんなさい、早苗さん……やっぱり私、もう柚希さんと会わない方が……」

「何言ってるのよ、おバカ」

 そう言って早苗が、紅音の額を軽く叩いた。

「私たち二人共、あのバカのことが好きなんだよ。と言うことは私たち、これ以上にないぐらい気が合うってことじゃない?」

「早苗さんそんな、柚希さんのことをバカって……」

「バカよバカ。こんないい女二人に好かれてて、それに気付いてないんだよ。そんなやつ、バカで十分だよ」

「ふふっ、早苗さん、バカって言いすぎ……」

「ははっ……でもそうでしょ。私たち、いい友達になれると思う。何より今、こんな恥ずかしい、誰にも言えないような気持ちを告白しあったんだよ。いわば秘密の共有だよ」

「秘密の……共有……」

「私、正直に言うけど、柚希が紅音さんのことを話すたびに、嫌な気持になったんだ。今日ここに来る時も、変な子だったら引き離してやろうって。
 でも、紅音さん。私は柚希にも惚れてるけど、あなたのことも好きになっちゃったの。紅音さん、これから私の友達になってくれないかな」

 その言葉に、紅音は早苗に抱きつき胸に顔を埋めてきた。

「早苗さん……私、女の子の友達、ずっと欲しかったんです……でも私は少し人と違うから、それは望んではいけないことなんだと諦めてました……だから私、嬉しいです……私も、早苗さんとお友達になりたいです……」

 紅音の頭を優しく撫でながら、早苗が言った。

「じゃあ……あらためて。紅音さん、私の友達になってくれる?」

「はい。早苗さん、私のお友達になってください」

「契約成立!」

 そう言って二人がまた抱き合った。

「でも紅音さん、友情と恋愛は別だからね。今日から私たち、友達でもあり恋敵でもあるんだから。私、負けないからね」

「私は……お二人の間に後から割り込んでしまって……そんなこと、私には」

「駄目だよ紅音さん、自分の気持ちに嘘ついちゃ。紅音さん、本当に柚希のこと、諦められるの?」

「柚希さんのことを……いえ、出来ません……」

「でしょ。だったら私たち、正々堂々と戦おうよ」

「本当に私……柚希さんのこと、諦めなくてもいいんですか」

「勿論。一緒にこれから、柚希にアピールしまくろうよ」

「分かりました。私も……私も負けません」

「そうこなくっちゃ。でも……あんな朴念仁のこと、なんで私たち好きになっちゃったんだろうね」

「え?」

「だってそうじゃない?こんないい女が二人も側にいるんだよ。柚希のことを想ってるんだよ。なのにあのバカ、全く気付かないし……大体勉強は出来るけど、他にこれと言ってとりえもないし。まあ写真の腕は認めるけど……顔も並の並だし」

「ふふふっ、早苗さん、それってちょっと、酷くないですか」

「でもなるほどって今、思ったでしょ」

「はい、少し……ふふっ」

「あははははっ」

 二人が抱き合いながら、共に声をあげて笑っていた。

 その時扉がノックされ、その音に早苗が「ぎえっ」と声を上げた。

「失礼致します、お嬢様」

 そう言って晴美が入ってきた。

「そろそろ柚希さんも、お帰りになられる時間かと」

 慌てて時計を見ると、既に時間は九時を回っていた。

「いけない、いつの間にかもうこんな時間に……分かりました、すぐお見送りの準備をします」

「分かりました」

 そう言って一礼し、扉を閉めようとした晴美が、もう一度顔を出してこう言った。

「乙女協定、中々楽しめましたですよ。お嬢様、早苗さん」

「えっ、晴美さん、まさか今の……」

「ぎっ……」

 二人の顔が同時に青ざめるのが晴美に見て取れた。

「むふふふっ」

 笑い声を残し、晴美が扉を閉めた。

「晴美さんったら……ごめんなさい早苗さん、柚希さんには内緒にしてくださいって、後でお願いしておきますから」

「今の顔……」

「え?」

「今の晴美さんのあの扉越しの顔……『シャイニング』のジャック・ニコルソンみたいだった……」

「……ジャック?」



「遅くまですいませんでした」

 玄関先で、柚希と早苗が頭を下げた。

「またいつでも来てくれたまえ。歓迎するよ」

「はい、ありがとうございます」

 そう言ってもう一度明雄に頭を下げた柚希に、紅音が近付いてきた。

「柚希さん、今日は……本当に楽しかったです……」

「はい、僕もその……久しぶりに紅音さんと会えて、嬉しかったです」

「また明日、川でお待ちしてますね」

「はい。僕もカメラを持って行きます」

「おやすみなさい、柚希さん……」

 そう言っていつもの様に、紅音が柚希を抱擁し、頬にキスをした。

(しまった……久しぶりだから忘れてた……)

 紅音の抱擁が済み離れると、柚希は恐る恐る早苗の方を見た。

 しかし早苗は動揺することなく、笑顔でそれを見ていた。

「早苗さん」

 そして紅音が早苗の元に向かい、同じく早苗に抱擁した。

 早苗も紅音を抱きしめ、互いの頬にキスしあった。

「え?」

 その余りに自然な行為に、柚希の方が驚いてしまった。

「ちょっと何よ柚希、目がいやらしいわよ」

「え、あ、いやそんなこと」

「こんなの、友達として普通の挨拶じゃない。ねー、紅音さん」

「はい、そうです」

 そう言ってお互い顔を見合わせ、二人が笑った。

「そうでした、早苗さん」

 そう言って紅音が、晴美から手渡されたあのぬいぐるみ、ルーシーを早苗に差し出した。

「これ……よければ早苗さんが持っててくれませんか」

「え、でもこれ……いいの?」

「はい。私たち、友達ですから。これは今日の記念です」

「そっか……うん分かった。ありがとう紅音さん。私たちをまた出会わせてくれたこの子、大事にするね」

「はい」

「じゃあまたね。先生、晴美さん、今日はありがとうございました」

「また来てくださいね、柚希さん、早苗さん」



 柚希と早苗が、暗くなった路を並んで歩く。

「いい子だったね、紅音さん」

「うん。早苗ちゃん、紅音さんの友達になってくれたんだ」

「私、可愛い物には目がないからね」

「あははっ、早苗ちゃんらしいね」

「それよりさ、さっきのあれ、柚希、鼻の下伸ばしっぱなしだったでしょ」

「え?さっきのあれって」

「キスよキス。全く……これだから思春期の男子は」

「あ、いやそのそれは……」

「晴美さんから聞いてたの。帰りにきっと、私がびっくりする様なことが起こるから、楽しみにしていてくださいってね」

「晴美さん……」

「でもそれは、紅音さんの親愛の証で、心から大切に思っている相手にしかしないことだからって。そこには決して、いかがわしい思いは存在しないから安心して欲しいって」

「なるほど……」

「だから、私にもしてくれて嬉しかったんだ。紅音さんが私のこと、認めてくれたってことでしょ」

 そう言って早苗は、少し柚希の前に出ると立ち止まり、振り返って微笑んだ。

「ねえ、柚希……」

「え……」

 言葉と同時に、早苗が柚希を抱きしめた。

「さ……早苗ちゃ……」

「紅音さんのと一緒。これは私の、柚希への親愛の証」

 柚希の頬に、早苗の唇の感触が伝わった。

「あはっ……」

 そう言って離れると、早苗は前を向いて言った。

「そうだ、朝ご飯の買い物、お母さんから頼まれてたの忘れてた。あのスーパー十時までだから急がないと……柚希、私ちょっと買い物して帰るから」

「え……じゃあ僕も一緒に」

「いいよ、走らないと間に合わないし。今日はこれで……ね。おやすみ柚希っ」
 そう言って早苗は全速力でその場を離れていった。



(柚希……柚希柚希柚希……)

 早苗が、心の中で何度も柚希の名前を叫びながら走っていく。

 抜け駆けみたいで紅音に申し訳ない、そう思ったが、早苗の心は躍っていた。
しおりを挟む

処理中です...