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005 フェア

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「真夏のカレーフェア?」

 かえでの言葉を祥太郎しょうたろうが繰り返す。

「うん、そう。うちのレストランが仕掛ける、この夏最大のイベント。暑い夏、カレーを食べて元気になろう、って企画で」

 祥太郎に連れられて入ったラーメン屋で、そう言った楓が大きなため息をついた。




 楽園に越して4か月。
 最初の内は戸惑ったご近所付き合いにも慣れ、祥太郎が言っていたように、楓にとって楽園は、居心地のいい場所になっていた。
 外出していても、行動範囲が似ているからか、住人たちと出くわすことも多かった。その都度誘われて街を案内してもらう、そういうこともよくあった。

 特に祥太郎とは親密な関係になっていき、こうして個人的に会い、職場の愚痴や相談事を持ちかけることが多くなっていた。
 楓の言葉に耳を傾ける祥太郎の笑顔は、ここに来て一番の収穫とも言えた。




「それで? そのフェアに、何か不安でもあるのかな」

「企画だけなら問題ないんだけど、このフェアの成績をね、各店舗が競い合ってるらしいの。それが本社に行く訳だから、その……分かるでしょ? 店長からのプレッシャーが半端なくて」

「なるほどね。クリスマスケーキや恵方巻みたいに、ノルマを課せられたってことか」

「そうなの。オープンしたばかりのうちにとっては、初めてのことだし。店長も張り切っちゃって」

「僕に協力出来ること、あるかな。勿論その期間、なるべく店に行くようにするけど。カレー、好きだし」

「ありがとう、祥太郎さん。じゃあ、1枚買ってもらってもいいかな」

 そう言って、楓がチケットを2枚出した。

「1枚1000円、ドリンクとミニサラダ付き。チケットのお客様には、食後にアイスクリームのサービスもあるんだ」

「勿論いいよ。と言うか、どうして2枚?」

「1枚は私からのプレゼント。わざわざ来てくれるんだし、お礼の意味も込めてね」

「いいよそんなの。2枚分払うから」

「それじゃあ、最初から2枚買わせてるみたいじゃない。1枚でいいよ。その代わり、ちゃんと2回来てよね」

「ありがとう。じゃあこれ、1000円」

「これであと28枚だ」

「と言うことは楓ちゃん、30枚がノルマなの?」

「うん、そう。社員は全員、30枚分買取なんだ」

「一人3万円分かぁ。結構きついね」

「でも今2枚売れた訳だし、この調子ならきっと大丈夫だよ。もしも30枚さばけたら、追加で購入してもいいそうだし。どうせやるんなら、店で一番の売り上げをあげたいって思ってるんだ」

「ははっ。楓ちゃんは本当、パワフルだね。でもそういうの、いいと思うよ。僕も応援するから、頑張ってね」

「頑張るよ、私」




 その日の夜、そろそろ寝ようと思った頃にインターホンがなった。
 こんな時間に誰だろう、そう思い応対した楓は、来訪者の声に慌てて玄関を開けた。

東野ひがしのさん。どうされたんですか、こんな時間に」

「夜遅くに済まないね。ひょっとして、もう休んでたかな」

「ああいえ、大丈夫です。それでその、どういったご用件で」

「いやね、さっき祥太郎から聞いたんだけど、楓ちゃん、お店の営業頑張ってるそうじゃないか。それでね、楓ちゃんがよければなんだけど、私にも協力させてもらえないかと思ってね」

「チケットのことですか? いえそんな、悪いです」

「いやいや、楓ちゃんが一人で頑張ろうとしてることは、祥太郎からも強く言われてるんだ。だからひょっとしたら、この申し出は失礼に当たるかもしれない、そんな風にも思ってる。妻からも、くれぐれも失礼のないようにって、釘を刺されてるんだ。気に障ったならすまない」

「そんなことは……と言うか東野さん、頭を上げてください」

「どうも私は、デリカシーに欠ける行動が多いようでね。楓ちゃんの決意を分かってるのに、ついお節介したくなってしまうんだ」

「実はその……祥太郎さんには威勢のいいこと言いましたけど、どうやってチケットをさばけばいいのか分からなくて、正直困ってました。ここに来てまだ4か月、職場とマンション以外に知り合いもいませんので」

「だったら是非、協力させてもらえないかな。それに楓ちゃんは今、ここ以外に知り合いがいないと言ったが、それで十分じゃないか。ここには楓ちゃんを応援したいと思ってる、たくさんの仲間がいる。困ってる時はお互い様なんだ。頼ってくれていいんだよ」

「東野さん……」

「それで? 何枚買えばいいのかな」

「いえそんな、1枚でも助かりますので」

「じゃあひとまず100枚、買わせてもらうよ」

 そう言うと、財布から万札を10枚取り出した。

「ひゃ、100枚ですか?」

「ああ、100枚ね。どうせだから、みんなにも食べさせてやりたいんだ。楓ちゃんのお店のカレーをね」

「でもその……そんな大金、受け取れません」

「遠慮しなくていいんだよ。さっきも言ったけど、これは私の気持ちなんだ。結果を出そうとしている、頑張り屋さんの楓ちゃんへのね」

 そう言って札束を渡し、そっと手を重ねる。

「楓ちゃん。頑張るのは素晴らしいことだ。それはとても美しい。でもね、覚えておいてほしい。困った時、君の周りにはたくさんの仲間がいる。いつでも頼ってくれていいんだよ」

 東野の手を握り返し、楓は肩を震わせた。

「チケットは後からでいいから。とりあえず明日、100枚売れましたって、胸を張って言えばいい。足りなければまた言っておいで。この程度だったら、いつでも協力するからね」

 楓は声にならない声で、何度も何度も礼を言うのだった。




 カレーフェアは大盛況の内に終わった。
 楓の店は、全国でトップの成績を修めたのだった。
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