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010 絶望

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 意識を取り戻したかえでは、違和感に気付いた。
 体の自由が利かない。
 見ると、足が鎖でつながれていた。
 両手は後ろで縛られている。

「え……え? え? 何これ」

 辺りを見渡す。
 そこは10畳ほどの、何もない部屋だった。
 楓が目を細める。気分が悪かった。
 そしてその理由が、部屋の様子にあることに気付いた。

 無機質なコンクリートに覆われている。
 壁も天井も真っ白。
 あちこちに備え付けられた照明も白熱灯。
 その光が絶妙に交差していて、影もほとんど見えない。
 どこを見ても真っ白だった。

 自分の姿を確認する。
 足枷あしかせも鎖も、服も全て白だ。
 髪は恐らく束ねられていて、キャップの様なもので覆われているようだった。
 頭を振り、髪の色で目を休めようとしたが、全く視界に入って来ない。
 肌も衣服で完全に隠されていた。

 どこを見ても白い。
 段々と、目の焦点が合わなくなってくる。
 楓は眩暈めまいを覚え、目をつむった。

 一体何が起こったんだろう。
 さっきまで私は、引越センターの人と電話をしていた。
 この楽園から逃れる為に。
 そして……

 そうだ。あの時自分の部屋に、男たちがなだれ込んで来たんだ。
 みんな、見知ってる人たちばかりだった。
 いつも笑顔で挨拶してくれて。
 何かあったらすぐに駆け付けてくれる、優しい人たち。
 でもあの時。彼らは皆、怒りに満ちた目で私を見ていた。
 私は恐怖におののき、叫ぶことしか出来なかった。

 この部屋に連れてこられると、次に女たちが入ってきた。
 律子さんも、ちづるさんもいた。
 でもみんな、感情のない瞳で私を見つめ、服を脱がしていった。
 何を言っても、どれだけ叫んでも無駄だった。
 みんな表情一つ変えることなく、淡々と私の服を変え、そして拘束したのだ。




「なんで……なんでこんなことに……」

 そうつぶやき、身を震わせる。

 一体何が起こったのか。
 私はこれから、どうなってしまうのか。

 目を開けると、真っ白な世界が広がっている。
 その景色は、楓の神経を追い詰めていった。
 心が休まらない。
 焦点が合わなくて不安になる。

 恐怖。

 真っ白な世界。それは恐怖なんだ。
 そう理解した。



 何もない世界に放り込まれた楓には、時間の概念もなくなっていった。
 耳に聞こえるのは、規則的な空調音だけ。
 本当に何もない世界。
 楓は声を上げた。

「誰か! 誰かいないの! ねえ、お願い! 誰でもいい、誰でもいいからここから出して! こんな所にいたら私、おかしくなっちゃう!」

 声が虚しく響く。

「嫌ああああああああっ!」

 何もない世界で一人、楓は叫んだ。




 それからどれくらいの時間が経ったのか。
 静かに扉が開き、中に一人の男が入ってきた。
 男も楓と同じく、真っ白な衣服に身を包んでいる。頭からフードをかぶり、顔は白いマスクで隠されていた。楽園の住人だろうが、誰なのか分からない。

 目の前に置かれた白いトレイ。おかゆが乗っていた。
 スプーンでそれをすくうと、楓の口元に向ける。しかし楓は首を振り、拒絶した。
 男は楓の口元を押さえてこじ開けると、少し乱暴におかゆを流し込んでいった。
 恐怖におののく楓は、抵抗出来ぬままにそれを飲み込んだ。
 見開いた目から、涙が止めどなく流れる。
 全てを食べ終えると男は立ち上がり、部屋を去ろうとした。

「待って! ここから出して! 謝るから! ここであったことは誰にも言わないから! だから助けて! お願い!」

 しかし男は振り返ることなく、無言で部屋から去っていった。




 それからまた、どれだけの時間が経ったのか。
 再び扉が開き、二人の男が入ってきた。
 やはりマスクをしているので、誰なのか分からない。
 力なく体を起こした楓に男たちは歩み寄り、荒々しく腕をつかんだ。

「嫌……嫌ああああっ! お願い、お願いです! 酷いことしないで! 痛いことしないで!」

 楓の訴えには反応せず、男たちはその無機質なマスクで楓の顔を覗き込んだ。

「お前はクズだ! 恩を仇で返すクズだ! ここに来てからだって、どれだけの恩を受けてきたと思ってるんだ! みんなお前のことを思い、お前の幸せを望んだ! お前はみんなのおかげで、職場でもいい成績を修めることが出来た! 違うか!」

「違わない、違わないです……でも、でも……」

「楽園の住人はな、見返りなんて望んじゃいないんだ! ただただここで、みんなが幸せに暮らしていく、それだけが望みなんだ! でもな、それでもな! それを受ける側は、それだけじゃ駄目だろ! 受けた恩に感謝する、その心ぐらい、持ってないと駄目だろ!」

 男たちの言葉が、楓の心を刺し貫く。楓はうーうーうなりながら、目を見開いて涙を流す。

「お前はそういうやつだ! 親に対してだって、育ててくれたことを当然ぐらいにしか思ってなかった! 
 お前の本当の父親は、小学生の時に死んだ。その後、母親と再婚した新しい父親に対してだって、お前は感謝どころか、不信感しか持ってなかった! あの男に、お前を育てる義理はないんだ! それなのに妻の子供、それだけの理由でお前を愛し、育ててくれたんだ! 大学にまで行かせてくれたんだ! それなのにお前は感謝どころか、その家を捨てた! 家族を捨てたんだ! 後は自分の好きに生きますってな!」

「なんで……なんでそんなこと知ってるのよ!」

「中学時代、いじめられていたお前を助けてくれた子がいたよな! その子だけは、誰が何を言おうとお前の傍にいてくれた! それなのに、高校に入ってその子がいじめられだすと、お前は他人ですって顔でそいつから離れていった! 違うか!」

「嫌あああああああっ!」

「それがお前の本質だ! お前はそうやって、人から受けてきた恩を全部捨てて生きてきたんだ! 唾を吐きながら、一人で生きてきましたって顔でな!」

「やめて、もうやめて!」

「お前は腐ってる! 人間のクズだ! お前みたいなクズ、生きる価値なんてないんだよ!」

「やめてええええええっ!」
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