上 下
2 / 2

A-夏の訪問者

しおりを挟む
西暦20XX年、8月。毎朝天気が良い日には抜けるような青空、そびえ立つ入道雲が見られる季節–––すなわち夏に突入していた。日中のうだるような暑い日差しは苦手なので、外出は夕方にすると決めている。

その日は朝から雨が降っていた。前日の夜から降り出した雨が今朝になって土砂降りに変わり、今や道路や通行人の差している傘に雨粒がはねるくらいの強さになっている。

私は差していたびしょ濡れのコンビニの透明なビニール傘を急いでたたみ、円谷つぶらや団地の004号室のドアを開けて中に飛びこんだ。ドアに鍵をかけ、防犯用のチェーンをノブにかけると今まで焦っていた気持ちが嘘のように落ち着き、心に余裕が生まれる。

「ただいま」

部屋は一人暮らしを想定された作りで、居間とキッチンとお風呂以外のスペースはない。私は小さな白い丸テーブルを置いた居間に入ると、誰にともなくそう声をかけた。
テーブルの上には二頭身の円形の台座付きのフィギュアが二つ、よりそうようにして並んでいる。片方は黒い警察官風の衣装を着た、熊の耳と羊の巻いた角という双方の特徴をごちゃ混ぜにしたようなゆるキャラ––通称パラサイトくん。こちらは私が以前勤めていた(実は事情があって現在逃亡中)日本政府非公認の組織「パラサイト課」のマスコットキャラクター。もう片方はだいぶ前に社長が逮捕される事件があった白峰製薬の白衣を着た白い犬のキャラクター––通称シラミネ太郎である。両者ともどこを見ているのかわからない縦にぱっちりとした楕円形の目を、居間の奥にある薄型テレビのほうに向けている。

「……あれ、帰って来たんですから何かくらいしてくださいよ。これじゃ私、完全に変な人じゃないですか」

私はテーブルの上の二体のフィギュアに向かって一人つぶやく。するとシラミネ太郎のフィギュアがくるりとこちらを向き、私に向かって小さな右手を口の前に持っていって「静かに」というような仕草をする。ここで普通の人ならば驚いて腰をぬかすかもしれないが、私はもうには慣れっこだった。

『しいっ……柴崎くん、今いいところなんだから、静かにしてくれないかね』
「……それは構いませんけれど、一体何見てるんです?」

私に向かって、ムッとした表情で眉をはね上げるフィギュアのシラミネ太郎。その仕草と声と話し方に、私は【ある人】と一緒に過ごした日々を思い出して––また泣きそうになる。いけない。そう思って私はそっと着ている淡いグリーン色のパーカーの袖で涙をふく。

『何って今日のニュースだよ。白峰製薬はあの時閉鎖になったが、そこにいた例の新種のパラサイトたちが何人か脱走したらしい』
「え……?【あの子たち】が、逃げ出したんですか。地下は厳重に管理されてるようでしたし––一体どうやって⁇」

私は涙をふく手を止め、シラミネ太郎に質問をしてみる。腕を組み、顎に手をあてるポーズ。考え中のようだ。

『……残念だが、テレビの報道だけでは方法も理由もさっぱり分からん。彼らに【直接会えれば】、話は早いんだがね』
「それはつまり……私に【彼らを探せ】ってことですか?嫌ですよ、厄介事(やっかいごと)に巻き込まれるのはもうこれ以上––ごめんです」

台座の上のシラミネ太郎は、顎に手をあてたまま「そうか、なら仕方ない」とあっさり引き下がった。

「【霧原さん】それ、わざと言ってません?頼み事があるなら、ちゃんと言ってください。……私の出来る範囲でやってみますから」
『本当かね?あ……いや、私はあくまで霧原眞一郎の脳に【寄生していただけの存在】だ。だから彼であって彼じゃない』

シラミネ太郎––いや、その中に棲みついた寄生生物(パラサイト)が私の言葉に訂正をしてくる。非常にややこしい。

「……じゃあそれは、霧原さん以上でも以下でもないってことになりますよね。それから【あなた】霧原さんの記憶とか意識とか今、全部持ってるんでしょう?だったらもう、【霧原さん】でいいじゃないですか」
『……それはまあ、確かにそうだな。うん』

自分でも半分、何を言っているのか分からなくなってきている気がする。シラミネ太郎はさっきの私の言葉にうんうんと何度もうなずき、自分を納得させようとしているようだ。

『よしわかった。では改めて、私のことは霧原と呼んでくれ柴崎くん』
「……はい、了解です。あっ、そうでした。そろそろ夕ご飯作りますけど何か食べたいものとかありますか?」

私がそう聞くと、霧原さん(シラミネ太郎)と今まで無言だったパラサイトくんがほぼ同時に「食べられるものなら、なんでもいい」と即答した。

「いや、その……もっとこう、具体的な料理名とかないですか?」
『じゃ、おいらは肉100%のハンバーグがいいなあ』
『では私もそれとサラダを頼む』

パラサイトくんの注文にちゃっかりと便乗した霧原さんが、サラダを追加する。意外だ、人の体だった時はあまり食事をしていた印象がないせいだろうか。私は素直にうなずき、食材があるかを確認しにキッチンの小型冷蔵庫に向かう。扉を開けると卵が二、三個、絹ごし豆腐が一丁、冷凍庫には鶏と豚の挽肉(ひきにく)が一袋ずつ残っていた。野菜室には半分になった玉ねぎが一個あったので、ハンバーグを作るには問題なさそうだ。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...