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10 接近する二つの現実

10-002 大ジメ

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安東さんに対する報告も、約束通りおこなった。かなり迷ったのだが、ひつきのことなど、聞いた通りのことを安東さんに伝えた。

「……なるほど。じゃあ仇討ちは無しですね」

難しい顔をして聞いていた安東さんは、存外簡単に納得した。

「神様が相手じゃしょうがありませんや」

吐き出すように  そう言って軽く舌打ちする。ちなみに安東さんは、須軽さんの小人のことを知っていたらしい。なので、この常軌を逸した話も受け入れやすかったのだろう。

「佐一って人には、何かしますか?」

見ようによっては、親父が死んだのも佐一のせいだと言えなくはないので、訊いてみたのだが、安東さんは笑うだけだった。

「兄さんも子供じゃありませんからね。騙されたんならともかく、自分で手ェ突っ込んだ結果なら、あたしがどうこうすることじゃありませんや。まあ、ご自分でご自分のケリをつけた、ってことでしょう」

僕も親父の死に様については、考えれば考えるほど自業自得としか思えなかったので、安東さんもこういう結論に達してくれてほっとしていた。

「しかし、佐一ってヤツのやってることにはちょっと興味が出てきましたねェ」

「あ、読んでみます?」  
僕は安東さんの返事を待たず、仕舞っておいたT.M.Mのチラシを持ってきた。

「何ですかこりゃあ?」
「志摩さんの妹にもらったんですけどね。佐一が主宰してる教室の宣伝チラシですよ。LCCとは別のやつです。『T.M.M』って略称らしいですよ」

科乃に会ったあとの帰り道で一枚未夜に貰っておいたのだ。

「……メンタル・メソッド……。自己実現、心理学ねえ……。なるほどね」  

安東さんは、思ったよりも熱心に表、裏と細かく読んでいる。

「なんか、成功哲学みたいなのを教える塾みたいなものらしいですよ。今、教室の数も増えてるみたいです」

まだ教室は都内だけのようだが、いずれ他県にも進出するつもりだろう。

「こりゃあ大ジメですな」

大真面目な顔で、安東さんは呟いた。大ジメとはテキヤの用語である。多くの人数を集めてやる、大がかりなバイのことだ。バイ、は商売のバイ。

「いや、これ露天でやってるんじゃありませんよ。ちゃんとどこか、部屋を借りて……」

「坊っちゃん、わかってませんねェ。こんなのはみんな似たりよったりですよ」
安藤さんは、忍び笑いを漏らしながら口を開く。

「でもこれ、社会人向けの学校みたいなものですよ。そりゃ怪しげなのは認めますけど、テキヤと一緒にはならないでしょう」

「テキヤだって昔はリツやミンサイやってたでしょうが」
自信満々で安東さんは言った。

リツ、は法律の解説本、ミンサイは催眠術の説明本のことである。流れるようなタンカや大道芸で聴衆を煙に巻き、何となく役に立ちそう、とか面白そうだ、と思わせて売りつけるのだ。

「ウチの会社も、通販で英会話のテープだの睡眠学習の機械だの売ったでしょう?  その類ですよ。これは」

言われてみれば安東さんの言うことも、もっともな気がする。

「しかしなかなか上手いもんだ。兄さんが一枚噛んだのもわかる。ロクマも一緒にやってんのかな?  俺なら絶対そうするけど……」
安東さんはまだブツブツ言っている。

「占いですか?」
僕は意外に思い、話を促すように相槌を打った。

ロクマ、もテキヤ用語である。占いのことだ。語源はよくわからない。

「ええ。こんなもんに引っかかるヤツってのは、だいたい欲や依存心の強い野郎です。この何とかいう教室でロクマもやれば絶対売れますよ。太鼓判押します」

なんとも配慮に欠ける言い方だったが、一理ある気はする。

のち、須軽さんにこの時の話をしたら『さすが安東さん』と言って、珍しく闊達に笑っていた。
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