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追尾
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最近、いい噂を聞かないから気をつけろと、大野に言われていた。
その本人が思いもよらないところで目の前にいて、動揺した。
「や、まうち、さん……?」
「なんだよ、他人行儀だな。ああ、そうだ、お前今時間ある? 茶でも行こうぜ」
「あ、いや……の、オレは、これから、社に戻らなきゃで」
「いいじゃん。ちょっとくらい、なんとかなんだろ?」
グイっと引き寄せられる体。
ヤダって思った。
掴まれた腕が。
思い出しそうになる。
この体温を、気持ちがいいと思っていた自分。
今では考えられないのに。
「話があるんだよ。な、夏樹。ちょっとだけ」
「急ぎで、戻らなきゃならないんで……すいません、離して」
「なーつき。俺が話があるんだって」
「オレはないです」
逃げなきゃ。
山内さんの目は、全然変わってないんだ。
あの日、オレを切り捨てた日と同じ、低いままの熱量。
だからオレは、思い切り山内さんの腕を振り払った。
色々と言葉を重ねてくる山内さんに、どう話したのか自分でもよくわからないけど、とにかく必死に言い訳して逃げた。
逃げて、家に帰った。
そして今。
日付も変わろうかという時間帯に、マンションの呼び鈴を鳴らされて、オレは困惑する。
多分、山内さんなんだと思う。
あのヒトと別れて、前の会社を辞めた時に、オレは連絡を断とうと思って携帯を変えた。
でも、そこまでで、引っ越しはしなかった。
ここに山内さんはほとんど来たことがないし、電話とメールを変えて、仕事を変われば縁が切れると思っていたんだ。
息をひそめて、聞き耳を立てる。
足音、聞こえないかな。
早く諦めてほしい。
連絡先はまだ入手していないんだろう、オレのスマホは大人しい。
その分、チャイムとノックが交互になる。
かたん。
部屋のドアについた郵便受けが音を立てた。
そのままじっとしていたら、足音が遠ざかるのが聞こえる。
ほっと息をついたけれど、そのままオレは部屋の中で固まったまま動くことができないでいた。
なんで?
なんで今更、オレにコンタクトをとろうとするんだろう。
なんて、予想はついている。
山内さんはオレをいいように扱っていた。
仕事も、身体の関係も。
だからどっちかを復活させたいんだと思う。
オレが逃げるなんて、思ってもいない。
そおっと動いて、玄関を見る。
郵便受けから落とされたらしい、名刺。
今の仕事の、なんだろうな。
ひとことのメッセージもなくて、裏の余白に電話番号とメールアドレスだけが書かれていた。
どこかで待ち伏せされていたらどうしようと思いながら、まかきゃらやに出社した。
気もそぞろに目の前の仕事を片付けて、そろそろ昼かなってところで、大野から連絡があった。
いつもなら空き時間にメッセージを送ってくるくせに、珍しく通話で。
丁度第二資材室にいる時だったし、あんまり珍しかったから、ついうっかり出てしまった。
そして落とされる爆弾。
『ごめん、なんか山内さんに、連絡先持ってかれたっぽい』
「どういうこと?」
山内さんに、連絡先がばれた。
『プログラマーが足りてないらしいんだよね、山内さんのとこ。で、知ってるとこ片っ端からあたってるって。直に俺のとこ来られたら断ったんだけど、そうじゃなくて、最近入った事務ちゃんのとこから、うまいこと言って連絡先持って行った』
「それ、まずくない? っていうか、いつの連絡先持ってかれた? 今の?」
『この間、バイトしてもらった時に聞いたやつ……ホント、申し訳ない』
ってことは、つきあってた時のじゃなくて、最新の今のやつ。
『うちの社長、超オカンムリ。で、念のためにそういうことがありましたって、持って行かれたプログラマーに連絡しとけって言われてさ』
「どういう仕事の仕方したら、そうなるわけ?」
『俺も聞きてえわ。もう、社内の雰囲気サイアクよ』
うんざりしてますって声で言って、大野がため息をつく。
これから、他の人にも電話しなきゃいけないらしい。
『とにかく、そういうことで、あの人うちの社出入り禁止になったし、お前も気をつけてくれ』
そう言って、通話は切られた。
オレは手の中のスマホを見つめる。
どうしよう。
昨夜、来たのはやっぱり山内さんだったんだろう。
あの時は連絡先を知らなかったから、あっさり諦めたようだけど……
ぶるぶると手の中のスマホが震えだす。
電話。
知らない電話番号だけど、これ、このタイミングってどう考えても山内さんじゃん!
ビビってしまって、机の上にスマホを投げた。
どうしよう。
鳴り続けるスマホを、黙って見つめる。
と、止まってくれないかな……そしたら、その隙に電源切るからさ。
いい加減諦めたらいいのにってくらい、鳴り続けたスマホが、やっと止まる。
大急ぎで、電源を落とした。
次に電源入れるのが怖いけど、でも、ちょっとこれはまずい気がする。
「どうしよう……」
昼間はまだいいだろう。
山内さんだって仕事があるっぽいから、オレにばっかり関わってもいられないはず。
まかきゃらやに再就職したことも、社の場所もバレてない。
けど、夕方から夜は……また、昨夜のように部屋に来るかもしれない。
「いや、まて、落ち着けオレ……」
壁に貼られたカレンダーを見る。
絶対に部屋にいちゃいけないのは、夜と土日。
今日は木曜だから、ネットカフェでも行って時間つぶして、明日の始発で部屋に戻って最低限の荷物とって……金曜の夜から土日は部屋に戻らないようにして……
って、逃げたとして、いつまで? って思うと、気が重くなる。
けど。
オレは山内さんが怖い。
絶対に会いたくない。
元々オレの性的指向は男で、でも、それまでは誰ともつきあったことがなかった。
あの人がオレの初めての男で、オレに色んなことを教え込んだ人。
もう、あの人に気持ちはないのに……ないんだけど、ずっとあの人に添ってきた自分がいるのも確かで。
例えば顔を合わせて少しでも優しくされてしまったら。
無理やりだとしても身体を開かれてしまったら。
多分、オレはあの人に逆らえなくなる。
刷り込みみたいなもの。
資材室の机の上に、今日もおかれていたロリポップ。
……大丈夫。
ぎゅっと握って、言い聞かせる。
後ろめたくなるようなことには、絶対しない。
したくない。
だから、山内さんには会わない。
ちゃんと毎日、会社で会って、笑って要さんに挨拶できる自分でいる。
要さんに顔向けできないようなことは、しない。
絶対。
その本人が思いもよらないところで目の前にいて、動揺した。
「や、まうち、さん……?」
「なんだよ、他人行儀だな。ああ、そうだ、お前今時間ある? 茶でも行こうぜ」
「あ、いや……の、オレは、これから、社に戻らなきゃで」
「いいじゃん。ちょっとくらい、なんとかなんだろ?」
グイっと引き寄せられる体。
ヤダって思った。
掴まれた腕が。
思い出しそうになる。
この体温を、気持ちがいいと思っていた自分。
今では考えられないのに。
「話があるんだよ。な、夏樹。ちょっとだけ」
「急ぎで、戻らなきゃならないんで……すいません、離して」
「なーつき。俺が話があるんだって」
「オレはないです」
逃げなきゃ。
山内さんの目は、全然変わってないんだ。
あの日、オレを切り捨てた日と同じ、低いままの熱量。
だからオレは、思い切り山内さんの腕を振り払った。
色々と言葉を重ねてくる山内さんに、どう話したのか自分でもよくわからないけど、とにかく必死に言い訳して逃げた。
逃げて、家に帰った。
そして今。
日付も変わろうかという時間帯に、マンションの呼び鈴を鳴らされて、オレは困惑する。
多分、山内さんなんだと思う。
あのヒトと別れて、前の会社を辞めた時に、オレは連絡を断とうと思って携帯を変えた。
でも、そこまでで、引っ越しはしなかった。
ここに山内さんはほとんど来たことがないし、電話とメールを変えて、仕事を変われば縁が切れると思っていたんだ。
息をひそめて、聞き耳を立てる。
足音、聞こえないかな。
早く諦めてほしい。
連絡先はまだ入手していないんだろう、オレのスマホは大人しい。
その分、チャイムとノックが交互になる。
かたん。
部屋のドアについた郵便受けが音を立てた。
そのままじっとしていたら、足音が遠ざかるのが聞こえる。
ほっと息をついたけれど、そのままオレは部屋の中で固まったまま動くことができないでいた。
なんで?
なんで今更、オレにコンタクトをとろうとするんだろう。
なんて、予想はついている。
山内さんはオレをいいように扱っていた。
仕事も、身体の関係も。
だからどっちかを復活させたいんだと思う。
オレが逃げるなんて、思ってもいない。
そおっと動いて、玄関を見る。
郵便受けから落とされたらしい、名刺。
今の仕事の、なんだろうな。
ひとことのメッセージもなくて、裏の余白に電話番号とメールアドレスだけが書かれていた。
どこかで待ち伏せされていたらどうしようと思いながら、まかきゃらやに出社した。
気もそぞろに目の前の仕事を片付けて、そろそろ昼かなってところで、大野から連絡があった。
いつもなら空き時間にメッセージを送ってくるくせに、珍しく通話で。
丁度第二資材室にいる時だったし、あんまり珍しかったから、ついうっかり出てしまった。
そして落とされる爆弾。
『ごめん、なんか山内さんに、連絡先持ってかれたっぽい』
「どういうこと?」
山内さんに、連絡先がばれた。
『プログラマーが足りてないらしいんだよね、山内さんのとこ。で、知ってるとこ片っ端からあたってるって。直に俺のとこ来られたら断ったんだけど、そうじゃなくて、最近入った事務ちゃんのとこから、うまいこと言って連絡先持って行った』
「それ、まずくない? っていうか、いつの連絡先持ってかれた? 今の?」
『この間、バイトしてもらった時に聞いたやつ……ホント、申し訳ない』
ってことは、つきあってた時のじゃなくて、最新の今のやつ。
『うちの社長、超オカンムリ。で、念のためにそういうことがありましたって、持って行かれたプログラマーに連絡しとけって言われてさ』
「どういう仕事の仕方したら、そうなるわけ?」
『俺も聞きてえわ。もう、社内の雰囲気サイアクよ』
うんざりしてますって声で言って、大野がため息をつく。
これから、他の人にも電話しなきゃいけないらしい。
『とにかく、そういうことで、あの人うちの社出入り禁止になったし、お前も気をつけてくれ』
そう言って、通話は切られた。
オレは手の中のスマホを見つめる。
どうしよう。
昨夜、来たのはやっぱり山内さんだったんだろう。
あの時は連絡先を知らなかったから、あっさり諦めたようだけど……
ぶるぶると手の中のスマホが震えだす。
電話。
知らない電話番号だけど、これ、このタイミングってどう考えても山内さんじゃん!
ビビってしまって、机の上にスマホを投げた。
どうしよう。
鳴り続けるスマホを、黙って見つめる。
と、止まってくれないかな……そしたら、その隙に電源切るからさ。
いい加減諦めたらいいのにってくらい、鳴り続けたスマホが、やっと止まる。
大急ぎで、電源を落とした。
次に電源入れるのが怖いけど、でも、ちょっとこれはまずい気がする。
「どうしよう……」
昼間はまだいいだろう。
山内さんだって仕事があるっぽいから、オレにばっかり関わってもいられないはず。
まかきゃらやに再就職したことも、社の場所もバレてない。
けど、夕方から夜は……また、昨夜のように部屋に来るかもしれない。
「いや、まて、落ち着けオレ……」
壁に貼られたカレンダーを見る。
絶対に部屋にいちゃいけないのは、夜と土日。
今日は木曜だから、ネットカフェでも行って時間つぶして、明日の始発で部屋に戻って最低限の荷物とって……金曜の夜から土日は部屋に戻らないようにして……
って、逃げたとして、いつまで? って思うと、気が重くなる。
けど。
オレは山内さんが怖い。
絶対に会いたくない。
元々オレの性的指向は男で、でも、それまでは誰ともつきあったことがなかった。
あの人がオレの初めての男で、オレに色んなことを教え込んだ人。
もう、あの人に気持ちはないのに……ないんだけど、ずっとあの人に添ってきた自分がいるのも確かで。
例えば顔を合わせて少しでも優しくされてしまったら。
無理やりだとしても身体を開かれてしまったら。
多分、オレはあの人に逆らえなくなる。
刷り込みみたいなもの。
資材室の机の上に、今日もおかれていたロリポップ。
……大丈夫。
ぎゅっと握って、言い聞かせる。
後ろめたくなるようなことには、絶対しない。
したくない。
だから、山内さんには会わない。
ちゃんと毎日、会社で会って、笑って要さんに挨拶できる自分でいる。
要さんに顔向けできないようなことは、しない。
絶対。
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