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第1章ルーキーPartⅠ『天空の未来都市』

第6話 第4ブロック階層/遭遇と火花

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 その時、背後から二人に声がかけられた。

「何事だね? 二人とも随分と賑やかにやっていたが?」
「おぉ、チャーリーたちか。どうだったね?」

 背後には、ガドニック始め、他のアカデミーメンバーが居る。メイヤーは目線でこのフロアの一角にあるカフェテラスのコーナーを指し示した。それを受けて、ガドニック教授は苦い笑みで答えた。

「そうだな。まぁ合格点と言うところか」
「日本の料理なんてそんなものでしょ?」
「いや、エリザベス。そうでもないぞ。ここの料理は余り誉められた物ではないが、日本のシェフの全てがそうではないよ。そうまで言うなら、一度、日本の1流のシェフの所に招待しようじゃないか」
「あら? 教授は、こんな国にも西洋の味覚が理解できる人間が居るとでもおっしゃいたいの?」
「そうだな。居るぞ、至る所にな」

 ガドニック教授は、エリザベスの方を向いて彼女の目を見つめた。教授は微笑んでいた。それを受けて、エリザベスは拗ねた様な表情になった。

「エリザベス、君は日本と言う国を余りに誤解しすぎているよ。確かに、我々白人社会から見れば理解し難いロジックを持つ民族だが、理解する事を放棄するには、もったいない国だ」

 エリザベスは、ガドニック教授の言葉を俯きながらじっと聞いている。そして、ふと顔を上げると物悲しそうな顔で答えた。

「まだわたしには判らないかもしれない」
「心配無い。そのうちに必ず判るようになる」

 そう言って、ガドニック教授はエリザベスの肩を叩いた。

「みんな、そろそろ行こう。もう会場に入ってもいい頃だ」

 皆が同意し集団が動き始める。ブロック内の小エレベーターに彼らは向かった。そして、そこからやや所ではフィールとディアリオが何やら会話をしていた。アカデミーの面々を遠巻きに見守っていたのである。

「フィール。それでは私はそろそろ、鏡石隊長の所に戻らせてもらうよ。他のサミット参加者の方たちもそろそろこの第4ブロックに着く頃だろうからね」
「うん、それじゃあたしも、教授たちの所に戻る事にする。でも、どうせ途中までいっしょ何でしょ? よかったらいっしょに行かない?」

 親しさを隠さぬままに問いかけてくるフィールに、ディアリオは毅然として答える。

「いや、これは仕事だからね。それに私の持ち場はここではない。あるべき形に戻らねば」
「そっか。そうだね」

 フィールがしみじみとした表情で告げた言葉に、ディアリオは大きくうなづくとフィールの気持ちに寄り添うようにその肩をそっと叩いた。

「それじゃ、行くよ」
「うん、気を付けてね」

 二人は、挨拶もそこそこに分れ、別々の方角へと歩き出した。ディアリオはゴンドラエレベーターの下りで第1ブロックへと降りる。鏡石隊長に直接会うためだ。一方のフィールはアカデミーの人々の所へと向かう。現れたフィールの元に、アカデミーの一団は集ってくる。そして、フィールを先頭にして再び移動し始める。フィールに同行しているSPたちもアカデミーメンバー警護を継続させる。
 ビルの中には、ゴンドラエレベーターの他にも小型のブロック内エレベーターが幾つも存在する。彼らはその内の一つに向かう。第4ブロック階層の床面フロアへと降りていくためだ。そのブロック内エレベーターへと通じる展望フロア通路を進んで行く。光の降り注ぐ透過性の外壁が終わり光を通さない構造体の外壁が始まった。
 
 通路は、左へ左へと軽くカーブをしていた。視線はそのカーブの向こうへは届かず、その向こう側は見えない。だがアンドロイドであるフィールには聞こえてくる物があった。彼女には人間以上の聴覚が完備されているのだ。
 フィールが不意に立ち止まり、警護官もフィールの動きに機敏に反応した。
 その場が一気に緊張感に包まれ、円卓の会のリーダーのウォルターが問う。

「フィール君。何が――」
「静かに」

 フィールがウォルターにたしなめる頃には、異様な音が徐々に響いていた。
 フィールは自分からその集団の前に進み出る。警護官たちも即座にアカデミーメンバーの周囲を固める。それを確認してフィールは懐から拳銃を取り出した。
 
――スプリングフィールドXDMコンパクト――

 45口径を使う黒色の金属塊はフィールの華奢な両手の中で日本警察の威を示していた。
 フィールはその背後にアカデミーの面々を護りながら警告を発する

「止まりなさい!」

 フィールの白銀の様な烈迫の気合いがその場にこだまする。

「現在、本建築物の第4ブロック階層はサミットの会場に指定されており、サミット関係者と警備要員以外は立入禁止です! 今すぐに身分と所属を提示しなさい! 提示無き場合は不審人物としてその身柄を拘束します!」

 普段どれだけマスコットめいた可愛らしさを振りまいていても、彼女の本質は警察であり、日々の激務の中で骨の髄まで染み付いていた。犯罪を抑止する――それが自らの存在理由なのだととうの昔に納得している。その毅然とした態度は彼女がプロフェッショナルである事の証拠でもあった。

 フィールの叫びは、本来は無人であるはずの回廊で残響する。普段の幼さの残る愛らしい話し方とは打って変わった、凛々しさと気高さの宿る強い口調だ。その残響がフェードアウトするのと入れ替わりにフェードインしてきたのは足音だ。プラスティックのフロアの上にヒールの堅い音が響き渡る。

 そしてその足音を引き連れて一人の女が現れる。フードの付いた黒いワンピーススーツ、縦一直線の長身のシルエットの中に、成熟女性の曲線が宿っている。そのシルエットにフィールの脳裏にはひらめく物がある。
 
「あれは? たしか扇島の湾岸道路で――」

 それは見覚えのあるシルエットだ。フィールの脳裏に猛烈な警戒心が動き出していた。
 その警戒と緊張を無視するかのように、その女性はスーツのフードを下ろす。するとそこには男性と見まごうほどに短く刈り上げられたプラチナブロンドヘアの女性の姿があった。端正な気品あるシルエットだ。だが、その目だけは別物だ。冬の満月の様な冷気に満ちた目である。極北の大地の餓狼の視線でもある。それはフィールたちの方を一直線に見据える。
 その女は歩みを止めずに、一歩、また一歩と、確実に全身してくる。
 当然のように警護官たちも前進しバリケードを作りアカデミーの人々をその背後へと護る。
 不審者がフィールの警告に反応しない以上、危険人物と断定するのがセオリーだ。警護官たちはフィールを除いて6人、2人はアカデミーの面々を後方へと下がらせ、残る4人がフィールとともに前方に進み出た。
 そして警護官たちと肩を並べながら、フィールはアカデミーの面々に対して語りかける。

「警護官から離れないないで下さい」

 フィールのその言葉に誰それとなく同意していた。シェチューションから言ってプラチナブロンドの女が危険人物である事は間違い無いのだ。警護官の一人が大声で警告する。

「止まれ!」

 女は止まらない。警護官たちは懐から金属製のスタン警棒を一気に振り出す。1mほどに伸びたそれを構え女に近寄る。
 
 その光景をアカデミーの面々は不安げな面持ちで見守っていた。
 ガドニックも、ウォルターも、トムも、エリザベスも――、
 皆、突然始まった捕り物劇に緊張し危機感を抱いている。もっとも、カレルは全く表情を変えずに憮然としている。この様な事件現場はカレルは慣れている。その専門分野故に頻繁に目の当たりにしているのだ。
 しかし、ただ一人異なる反応をしている者がいる。
 ホプキンスだ。彼だけが眼前に展開される情景をじっと見ていた。目に力がこもっていた。何かを凝視している。疑惑と思索の目である。
 警戒され、威嚇されていつというのに女は眉一つ動かそうとしない。ただ彼女のヒールの足音だけが展望フロアの空間に鳴り響いている。警護官が彼女を拘束しようと間近まで近寄っている。だが女は冷たい笑みをたたえたまま足音を停めた。
 
 ――と、その時である。

「いかん! そいつから離れろっ!」

 ホプキンスの絶叫に、警護官の一人が弾かれる様に振り向いた。

「戦闘アンドロイドだ!!」

 その瞬間、その警護官はコンクリート壁の血痕の一部となっていた。獲物を狩る野獣のように飛び出しながら右腕をオーディンの振るうハンマーのごとく一旋する。その拳という凶器は1人の人間の頭部を瞬時にして肉塊と化したのだ。
 そして、拳についた血を振りはらいつつ視線を周囲に走らせて獲物を数えた。
 危険人物であることが確定した瞬間、警護官たちの布陣が形を変える。さらにカレルが襲撃者の来た方とは反対側に視線を向け、それ以上の不審人物が居ない事を確認した上で、すぐそばのアカデミーの人間の手や衿を掴み引っ張った。

「こっちだ!」

 カレルの言葉に、皆が一斉に走り出す。アカデミーの側に下がり彼らを守っていた警護官2名は、その集団を庇う様に行動をともにした。
 フィールはその混乱する状況の中で必死に判断を巡らせようとする。そして、その手のスプリングフィールドの狙いをつけると引き金を引く。45ACPのフルチャージ弾が発射され命中するが、弾丸は女の胸板で涼しい音を立てて弾けた。次の瞬間、残りの3人の警護官たちも有効な行動を何も出来ずに、頭部、頸部、左胸――急所を瞬時に砕かれて為す術無く崩れ落ちたのである。 フィールは残った2人の警護官に告げた。

「ここは引き受けます! アカデミーの人たちを優先してください!」

 フィールの言葉を受けて警護官は逃散するアカデミーの人々と行動をともにして姿を消し去った。

 フィールはそれを確認し終えると、襲撃者の方に向き直り再び引き金を引く。
 
「胸部は装甲が厚い、ならば目だ!」

 特攻装警の射撃は常人のレベルを遥かに越える。ありとあらゆる射撃にまつわる不確定要素を瞬時に内部プロセッサーでシュミレートし、正確さを飛躍的に向上させて射撃する。常識的な至近距離ならほぼ99%命中させる事が出来るのだ。

 だが――
 
「えっ?!」

――弾丸はフィールの予想を裏切った。
 その女の動態視力が尋常ではないのか、弾丸は虚空を通り過ぎた。そしてフィールが敵の回避行動に気づいたのとほぼ同時に、フィールは彼女から当て身を食らったのだ。
 当て身と同時に右肘の猿臂をフィールの胸部へとねじり込む。それと同時にフィールの右の手首を自らの左の脇の下に強固に挟んでいた。銃を構えていたその姿勢へと肉薄すると同時に、フィールの右手を封じたのだ。
 さらにそのままフィールの胸元に当てた右腕を前方へとひねると、いとも安々とフィールの右腕を根本から毟り取ってしまう。
 当て身から右腕破壊まで僅か1秒たらず。
 鈍い音とともに、高圧の電磁火花がほとばしる。
 
「ああぁっ!」
 
 フィールは悲鳴をあげながらその場に崩れ落ちた。対して女は無言でフィールの腕を捨てた。
 眼下に腕を毟られたショックでうずくまるフィールがいる。女はフィールの存在を無視して進む。すでにアカデミーの皆の姿は無くさらなる追跡が必要だった。
 そして女は、何か呟いていた。どこかに無線の様なものがあるのだろうか、何者かに報告をしているようだ。

「ジュリアだ。ネズミを見つけた。だが邪魔が入ったので逃げられた、これより――」

 女は自らをジュリアと名乗った。
 だがジュリアは報告途中で言葉を止める。彼女のその視界の中に真紅に燃え上がった一発の弾丸が飛び込んできたからだ。
 回避行動をとるジュリアの頭部をかすめだ弾丸は彼女の額を深く傷つける。だが、そこから血は一滴たりとも流れてこない。そのジュリアに強い口調で語りかける声がある。

「以前、聞いたことがあります。素手で戦う暗殺用戦闘アンドロイドは極めて頑丈であらねばならないため、確実に重量が上がる。そのため、どんなに外見を取り繕っても足音が微妙に重くなると。アカデミーのあの方もその事に気づいたのでしょう」

 ジュリアは、弾丸が撃ち込まれてきた方向を見た。そこには1m長の大形電磁警棒を手にし、白銀色に光るオートマチック拳銃を構えた人物がいた。その者の名をフィールが呟くいた。

「ディ、ディアリオ兄さん――」

 今、この瞬間、ディアリオは怒り狂っていた。アンドロイドでありながらも、沸上がる感情と言う名の情報とエネルギーの渦にその身を震わせずは居られない。その久しぶりに感じる底なしの激怒の感情であった。理性派が特徴的な彼だったが、今この瞬間だけは感情を爆発させずには居られなかったのである。

「来い、お前を解体して、その頭脳に直に尋問する」

 ジュリアは目前のディアリオを睨んでいた。ジュリアは呟いた。

「訂正、機械仕掛けの日本犬が現れた。処分する」

 ディアリオは2度目の引き金を引く。その瞬間。ジュリアの身体が突風の様に駆け出していた。
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