上 下
127 / 462
第1章ルーキーPartⅢ『天空のコロッセオ』

第19話 来訪者/―カミソリと呼ばれる男―

しおりを挟む
「では、ご武運をお祈りします」

 その外務省の一団は近衛に対して深々と礼をしてその場を去っていった。それに対して近衛は――
 
「ご協力、ありがとうございます」

 ――と警察式の敬礼で見送った。
 外務省の面々が姿を消した後、入れ替わりに姿を現したのは鏡石である。警備本部のあるビルの片隅に置かれた簡素な応接対応ルーム。外務省職員を見送り終え、応接ルームから姿を現した近衛に声をかける。
 
「近衛課長」

 狭い廊下の中、近衛は振り向くと鏡石に答え返した。
 
「鏡石。状況はどうだ?」
「順調です。情報機動隊の隊員の全てと連絡が取れ、第3ブロックまでの状況はまとまりつつあります」
「それで?」
「サミット参加の全来賓のうち、半数以上が第3ブロックまでで安否が確認できました。残る37人は残念ながら第4ブロック階層に閉じ込められているようです。それと国別では英国のみが全員が第4ブロックにて消息をたっています」
「そうか、やはりディアリオからの報告に頼らざるをえない様だな」
「えぇ。ですが彼らなら必ず成果を上げてくれるはずです」

 〝彼ら〟――特攻装警の事を示しているのは明らかだった。
 
「そうだな。あいつらなら必ず事態を打開してくれるはずだ」

 鏡石の言葉に近衛も頷き返す。すると鏡石は話題を変えて語りかけてくる。
 
「それはそうと、先ほどの外務省の方々は? なにか嫌味でも?」

 鏡石も、事態の進捗と海外からの来賓の安否情報の遅れを外務省が叱責しに来たのだと思っていたらしい。だが、それに対する近衛の言葉は意外であった。
 
「いや、逆に激励されたよ」
「え?」

 近衛の言葉は鏡石の予想を超えるものだった。それだけに誇らしげな近衛に驚きの声を出さずにはいられなかった。

「外国政府からの問い合わせへの対応や、海外メディアとの折衝は全てこちらで行うから、警察の方々は事態打開に専念してくださいと言ってくれてね。今後のことも全面協力してくれるそうだ」

 近衛はそう語りながら、外務省職員が立ち去っていった方向に視線を走らせる。
 
「今回の事件では間違いなく外国からの来賓にも被害が出る。場合によっては国際問題に発展するだろう。だが、そう言った部分も外務省側で対応してくれると明言してくれた。懸案事項が1つ軽くなったよ」

 そう語る近衛の表情は間違いなく安堵を漂わせていた。こう言った特殊な身分の人物たちが絡む事件では、警察だけでは対処しきれないケースが往々にして出てくる。ましてや、一切の情報が絶たれた状況で言葉も通じない海外メディアからの口撃にさらされても、近衛の立場ではできることが限られている。それをその筋のプロたちが協力してくれるというのだから、これほどありがたい事は無かった。

「そうだったんですか」
「どうやら、外務省でも今回の事件が発生した初期段階から独自に情報収集を行なっていたらしい。その際に、この有明1000mビルが外部との通信手段をビルの基幹インフラに完全に頼った構造となっているため、敵テロリストにビルを完全制圧された場合、情報収集が極めて困難になるとの判断で、すべての対処を行っていたらしい。
 私の所に顔を出してきたのも海外の治安当局や政府諸機関へのいいわけの口実をつくるためなんだ」
「あぁ、なるほど。実際に現場に足を運んで確認した。事件現場の対応チームにも圧力をかけた。やる事はやっている――、と言うわけですね?」
「まぁ、そういうことだ。その代わりだが、警備本部で得られた情報を外務省とも共有することとなった、一部の機密情報を除いて一般情報については出来る限り流してやってくれ」
「はい。わかりました」

 鏡石が近衛に頷き返した――その時だった。
 1人の機動隊員が駆けて来る。そして、近衛の近くで敬礼しつつ声をかける。
 
「警備本部長、面会希望の方がいらっしゃってます」
「なに?」
「特攻装警のセンチュリーとの面会を希望されます」

 機動隊員はそう告げながら面会希望者から渡された一枚の名刺を差し出してくる。
 
〔 ブルームトレーディングコーポ 〕
〔 総務部長           〕
〔          氷室 淳美 〕

 その名刺を手にとり、そこに書かれた名前とその所属組織の名を目にした時、近衛の表情が一変した。沈黙したまま何も語らなくなる。背中越しにもその剣呑な気配が伝わってくる。
 
「あの――、近衛さん?」

 恐る恐るに近衛に声をかける鏡石だったが、振り返った近衛から帰ってきた声は〝冷酷〟そのものである。これまで何度も近衛とやり取りしてきた鏡石だったが、今まで一度も聞いたことのないドスの効いた冷たく重い口調だった。
 
「ここから離れろ。絶対に近づくな」

 戸惑い沈黙している鏡石に、近衛は振り返り怒号を発する。
 
「何をしている! 急げ!」

 その言葉に弾かれるように鏡石は駆け足で立ち去っていく。その姿を確認すると同時に傍らの機動隊員にも指示を出す。
 
「お前もこのまま現場に戻れ、絶対にこの面会希望者に会うな」

 その言葉を耳にし機動隊員は軽く敬礼すると無言で立ち去る。
 そして、近衛は先程の機動隊員が現れた方へと視線を向ければ、その面会希望者2名は何の許可もなく警備本部のある建物の中へと入ってくる。
 二人とも仕立てのいい高級ビジネススーツに身を包んでいる。1人は目元にサングラスを掛けた痩身の男で髪はポマードで隙無く固めてある。もう一人は髪を短く刈り上げたガタイのいい筋肉質の日焼けした男。どこをどう見ても真っ当なビジネスマンには見えなかった。
 その二人のうち、痩身の男が声をかけてくる。
 
「警視庁警備部の近衛警視――で、らっしゃいますね?」

 近衛は全身に張り巡らせた緊張を解くことなく、冷静な口調で答え返す。
 
「いかにも。私が近衛だが」

 近衛の答えを耳にして、オールバックの髪の痩身の男はサングラスを外しながら、

「これは失礼。手前ども、小さな貿易会社を営んでおります氷室と申します。許可無く入ってきたことは、ひらにご容赦を」
「できれば許可が出るまで待っていただきたいものですな」
「申し訳ない。時間があまり無いもので」

 そう答える氷室の目を近衛は伺ったが、その真意は表情からは見えては来なかった。

「それでご用件は? センチュリーとの面会希望とのことだが、彼なら今任務中ですが」
「えぇ、存じております。危険な現場に空高く飛んでいかれたのでしょう? なに要件をお伝えするだけです」

 氷室が発したその言葉に近衛は戦慄を覚えた。報道管制と現場封鎖が行われているにもかかわらず、この男はどこまで知っているのだろう?
 
「立ち話と言うわけにも行きません。こちらでお話を伺います」

 近衛は、その2人を応接ルームに招き入れる。入室の際の立ち振舞をみても一切の隙がない。近衛は一切の警戒を緩めること無く二人の後を追って応接ルームへと入っていった。
 
 
 @     @      @
 
 
 質素な応接セットのソファーで、近衛と氷室は向かい合わせに座る。氷室に付き従っている男は少し離れて壁際に立っている。剣呑で張り詰めた空気の中、先に会話を切り出したのは氷室だった。
 
「単刀直入に申しましょう。私が来たのは今、このビルで起きている事件に関する重要情報をご提供するためです」
「それはどのような?」

 近衛は言葉も口調も表情も、最新の注意を払いつつ尋ね返した。
 氷室は静かに微笑みを浮かべていたが、目元だけは鋭い眼力を伴いながら、近衛の挙動をじっと捉えていた。近衛の問いかけに氷室はただ簡素に、そして、明確にこう告げた。
 
「マリオネット・ディンキーはすでに死亡しています」

 にわかには信じがたい。氷室が発した言葉が何を意味するのか、理解してその胸中に収めるには、少しばかり時間がかかった。近衛の沈黙に対して氷室は冷静なまま、さらに言葉を発する。
 
「今から約3年ほど前にディンキーは死亡しており、今、マリオネット・ディンキーの活動とされているのは全て、ディンキーの配下であるアンドロイドたちが独自に行なっているものです」

 驚きを顔に出さないように己を制しつつ、近衛は細心の注意を払いながら言葉を選ぶ。相対する氷室も表情を変えること無く淡々としていた。
 
「その根拠は?」
「私共、海外での活動が多いのですが、海外では日本よりテロや凶悪犯罪に遭遇する可能性が高いので、情報収集には細心の注意を払っています。その中で人種差別的なテロの代表的な存在としてディンキー・アンカーソンの存在は際立っております」
「確かに」

 海外の活動――それが真っ当なビジネスによるものだとは到底思えない。だが、それだけに収集される情報の質は表社会に流布するものとは比較にならないほど確信に近い物のはずだ。

「それ故、数年前から世界中でディンキー・アンカーソンの動向は追求されていましたが、3年ほど前からある点において行動パターンが変化していることに気づきました」

 ある点――、その言葉を耳にした時、近衛の脳裏にひらめくものがあった。近衛は氷室の目をじっとっ見つめると静かに告げる。
 
「国境の越境手段ですな?」

 口調は穏やかだったが視線は鋭かった。近衛のその言葉に氷室は相好を崩して不気味なくらいに愉悦の顔を浮かべる。そして、歓喜の滲んだ声でこう答えた。
 
「さすがは〝狼〟」

 狼――その言葉が近衛の中の疑念を確信へと変える。
 
「相当にキレる頭をお持ちですな」

 氷室の言葉に近衛はあえて表情を変えずに静かに切り返した。
 
「いえ、〝カミソリ〟ほどには切れないなまくらですよ」

 カミソリ――、近衛のその切り返しに氷室はさも楽しそうに笑みを浮かべていた。それは狩人が得物を見つけた時の歓喜にも似ていた。氷室はそこで笑みを消すと冷静な面持ちで静かに言葉を続ける。

「3年前のある時点を境に、偽装パスポートや身分詐称などの手法で活動していたのが、海外コンテナ船や貨物列車への潜入などに切り替わっています。変わったところでは石油タンカーを使ったケースもある。それがどういう事かお分かりでしょう?」

 近衛は頷いて答える。
 
「人として旅客として移動していたのが、あくまでも〝荷物〟としての移動だけになったと言うわけですな?」
「その通り。アンドロイドであれば飲まず食わずで居てもなんの掻痒もないでしょうからな」
「ご明察ですな」

 それは濃密な情報だった。単なる民間貿易会社がどうこうできるものではない。自らの素性を明かしているようなものだ。だが、そうだったとしても今の近衛には明らかに有益な情報である。
 
「重要情報の提供、ありがとうございます」
「いえ、礼の言葉をいただくまでもありません。ただ、センチュリーさんに借りを返しに伺っただけです」
「借り?」
「えぇ、借りです」

 そう言葉を漏らしつつ氷室はうなづく。
 
「あの方は私共にこうおっしゃいました――
『アンタたちのメンツを取り返してみせる』
――とね。いやいや、仮にも警察の末席におられる方が漏らす言葉ではありませんよ」
「アイツがそう言ったのですか」
「えぇ」

 氷室は満足気に笑みを浮かべながら言葉を続ける。
  
「それに、私の所においでになられるまでに、色々とスジを通しながらツテを辿ってらしたようで――、アンドロイドながら仁義の通し方をなかなか弁えていらっしゃる。あの方が人間なら、私の部下に欲しいくらいだ」

 腐っても鯛と言う言葉がある。ヤクザがどんなに犯罪組織化したとしても、根っこは仁義とメンツが支配する独自のドグマがまかり通る異社会だ。そこに強引に力任せに交渉を挑んだとしても情報1つ手に入らないだろう。
 センチュリーもアトラス同様、警察として十分すぎるほどの経験を積んでいることをあらためて感じずにはいられなかった。近衛は冗談交じりに氷室に言う。
 
「それはご勘弁願いたい。我々の秘蔵っ子なので」
「わかってますよ。仮にも狼と呼ばれた男の愛弟子だ。簡単に籠絡できるとは思っておりません」

 氷室は両手の指を組みながら近衛をじっと見つめてくる。カミソリと揶揄された男には似つかわしくない人懐っこい笑みが浮かぶ。
 
「警察がアンドロイドで警官を造る――、そう聞いた時は正直いってどんな税金の無駄遣いに終わるのか内心鼻で笑っていたものです。
 それが、あの〝片目のアトラス〟が姿を現した時、我々は警察の本気を思い知り戦慄しました。そして――
〝ハイウェイの狩人・センチュリー〟
〝電脳の番人・ディアリオ〟
〝鋼鉄の処刑人・エリオット〝
 彼らの存在を前にシノギを諦めた連中も1人や2人ではない。そして、彼らの開発の影には――近衛警視、あなたの存在が常にあった」
 
 氷室が語ったのは闇社会での特攻装警たちに付けられた二つ名だ。それを敢えて口にしたのは、彼なりの特攻装警たちへの賛辞と取れないこともない。近衛は謙遜し、控えめな口調で言葉を漏らす。
 
「買いかぶり過ぎです。私は一介の中間管理職です。ただ、現場を知るものとして、彼らを導くことはできる。ただ、それに専念しているだけです」

 近衛の言葉に氷室は目を細めた。そして、近衛に対して明朗な言葉でつげるのだ。
 
「いえいえ、それが出来る人間こそが、いかなる組織でも恐ろしいのですよ。われわれとしてはね。
 さて、長居してしまいました。そろそろ失礼致します」
 
 軽く会釈して立ち上がる氷室に、近衛も頭を下げて礼をする。
 
「ご協力感謝いたします」

 慣れ合うつもりはないが礼儀は失したくなかった。応接ルームのドアを氷室の同行者が開け、そこから氷室が出ようとする。すると氷室は、ふと立ち止まった。
 
「そうそう、肝心なことを忘れておりました」

 氷室が振り返る。近衛はその時の氷室の視線を剣呑な光が垣間見えたのを見逃さなかった。
 
「センチュリーさんにお伝え下さい。これで〝貸し借り〟は無しだと」

 氷室という名が示す通り、冷たく凍った陰惨な視線だった。これがこの男の本性なのだ。
 近衛は答えなかった。ただ沈黙でもって受け止める。

「それでは失礼――」

 氷室は近衛の反応を待たずに、応接ルームから出て行った。壁越しに、革靴の踵がたてる足音が響いている。その足音が遠くへと遠ざかるのを確かめながら近衛は応接ルームのドアを開れば、氷室の姿はもうどこにもなかった。
しおりを挟む

処理中です...