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第2章エクスプレス グランドプロローグ

プレストーリー 滅びの島のロンサムプリンセス/サイレントクリスマス

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 人の行う企みが、全てにおいて成功するわけではない。
 稀代の巨大経済計画である東京アトランティスプロジェクト。それは多くにおいて成功を収めつつあったが、すべてが成功していたわけではなかった。ある一点において、後世にわたり悪しき足跡を残す事となる。
 その地の名は『東京アバディーン』
 世の人々に『ならず者の楽園』と呼び称される事となる外国人不法居留地である。

 東京アトランティスプロジェクトの前哨戦として日本の警視庁はある作戦を行った。
 新宿や新大久保と言った外国人が多く住むエリアに対して徹底的なローラー作戦を行ったのである。犯罪組織の構成員のあぶり出し、ビザを持たない不法滞在者の摘発、無戸籍で生まれた私生児の保護――、あらゆる犯罪行為や違法行為を徹底的に浄化するために、時には非人道とも言える取り締まりを行った。
 それは一定の成果を収めたが、ある弊害を生み出したのだ。
 不法居住外国人の移動である。
 
 それまで不法外国人が住んでいなかったエリアへと次々に移動していく。
 そして、それを警察が捜査する。

 イタチごっこの末に日本に住んではならないはずの彼らがたどり着いた場所。
 それが東京アバディーンである。

 かつてそこは中央防波堤と呼ばれるエリアだった。
 100万人都市東京から排出される膨大なゴミを集積し処理するための〝夢の島〟だったのだ。
 それが集積場として限界を迎えつつあった時に、オリンピックが開催され、その競技エリアとして開放された。
 人類のスポーツの祭典は大成功を収め、その勢いは東京アトランティスプロジェクトへと発展的に継承されることとなった――、はずであった。
 だが、そこに例のローラー浄化作戦が行われた。
 不法滞在外国人の一部が、オリンピック以後の中央防波堤エリアへと流れ込み始めた。
 
 そこにさらに発生したのが、中央防波堤エリアの土地の不明瞭な転売であった。そこは東京都の管理で生み出された人工の土地であり、当初はオリンピック以後は自然公園として開発される予定であった。だが、自然公園の規模は縮小され、一部が商業エリアとなることが急遽決まった。
 日本国内外の様々な開発業者や不動産業者が入り乱れ、土地の奪い合いが行われた挙句、ステルスヤクザのフロント企業や、多国籍企業に偽装した外国籍マフィアなどがその地に深く根を下ろす結果となった。あとはなし崩しである。

 その地は、有明お台場と江東区の若狭、そして、大田区大井の城南島の3方向から海上橋によってアクセスが可能となっている。だが、現在ではその3つの道を通ることは命の危険があるとさえ言われている。東京再開発において東京アトランティスプロジェクトのシンボルとなるはずだった夢の人工島は、いまではもはや無国籍な不法エリアへと変貌しつつあった。
 東京23区から見渡せる側には自然公園が帯状に築かれ島の内部を隠すシェードの役割を果たしている。その向こう側では外国語が入り乱れ、派手なネオンで飾られ、島の周囲には所有者不明の高級クルーザーと、粗末なジャンク船が浮かぶ結果となった。自然公園はホームレスや不法滞在者が居着く事になり憩いの場としては機能していない。
 今ではその島へと渡る者は不法滞在外国人か犯罪者のいずれかであるとまで言われている。
 かつては大田区と江東区とで領土争いの対象となったが、治安の悪化に伴い暫定的に警視庁の第1方面管区にて管理することが決まる。そして、現在では東京23区の何処にも属さない番外の特別監視対象エリアとされている。

 そこは日本警視庁と日本政府の、外国人対策の失敗の墓標として長く君臨することとなるのだ。
 もはやそこを中央防波堤と呼ぶ者は誰も居ない。
 その島の名は『東京アバディーン』
 後の世まで悪名を轟かせる事となるならず者の楽園である。


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「メリー・クリスマス!!」

 夕暮れ時の街を行き交う人々に声をかけているのはサンタクロースだ。
 赤い衣装を身にまとい白い付け髭をつけた宣伝用のサンタクロース、手にはチラシの束を握っていてチラシとともにお試し品の電子マネーカードを行き交う人々に渡している。
 
「メリー・クリスマス!」

 ここは有明臨海副都心の青海の地。お台場と呼ばれる商業エリアだ。20世紀の末に大規模開発が一度は頓挫したが、その後、奇跡的に開発が進められ、今では東京の湾岸エリアを代表する大規模なエンターテイメントエリアとなっていた。
 時は2039年の12月24日、温暖化の進んだ今日では珍しいが、その日はホワイトクリスマス。ぼたん雪が路面を薄っすらと白く化粧している。青海のお台場の街。テレビ局のビルや大規模なショッピングモールや多種多様な娯楽施設が立ち並ぶ中、街路樹で飾られた遊歩道が長く伸びている。
 その路上で宣伝のチラシと試供品の電子マネーカードを配っているのは、最近になり運行を開始した無人化タクシーサービス会社の宣伝だった。タクシーサービス会社の職員がサンタクロースに扮して宣伝行為に必死だった。既存の有人タクシーとの競り合いになり熾烈な競争下に置かれているからだ。街のそこかしこに即席のサンタクロースが立っている。それは12月24日と言う日を考えるなら、あまりに印象的な宣伝活動と言えた。
 
 その青海の街の路上を一人の人影が歩いている。大人の男性用のコートを肩にかけ頭をすっぽりとフードで覆っている。背丈は150も有れば良いほうで明らかに子供にしか見えない程度だ。コートには雪がまとわりついていてそのシルエットを真っ白にしている。見ているだけでも薄ら寒さを感じるが、その人影はうつむいたままであり、降りかかる雪を払うような仕草は全く見られなかった。
 見本市展示場であるビッグサイトのある有明から夢の大橋をわたって青海へと足を踏み入れる。そのまま人通りの多い遊歩道を、センタープロムナードからウエストプロムナードのある方へと、うつむいたまま歩いていた。誰もが浮かれ気分のクリスマスの極彩色の街の中を、誰とも語り合わず、誰とも手を握らずに、ただ一人だけでとぼとぼと歩いている。
 その足取りには希望は見られない。明日があるようにも見えない。
 ただ、行く宛もなくただ漠然と歩いているに過ぎない。
 ヴィーナスフォートやダイバーシティと言った華やかな商業施設ビルに挟まれたその遊歩道には、エキジビジョンで造られた高さ8mほどのクリスマスツリーが飾られている。気がつけばその人影はイルミネーションで光り輝くクリスマスツリーの真下へとたどり着いていた。
 コートのフードを目深にかぶっていたその人影は、視線を足元から頭上へと移す。そして、その視線の先には純白に光り輝く一つの星がある。ツリーのいただきを飾るトップスターだ。
 人影がトップスターを見つめていると、頭にかぶっていたフードが徐々に滑り落ちる。そして、フードがずり落ちた時、その中から現れたのは一人の少女だった。
 黒髪のショートボブ。色白で緑の瞳。日本人ではなかった。強いて言うならアイルランド系に近い風貌をしていた。少女はツリーを見上げながらポツリと呟いた。
 
「ベツレヘムの星――」

 それは、キリスト生誕の時に聖人が生まれたことを東方の賢者へと知らせた星の名だ。少女はさらにクリスマスツリーに飾られた物を視線で追い始める。
 
「クーゲル」

 少女がまず捉えたのは赤い玉だった。エデンの園の知恵の実であるりんごを意味するものだ。
 
「喜びの鐘」

 次に見つけたのは金色の鐘だ。救世主生誕を祝福するために天上界が鳴らしたものだ。
 
「羊飼いの杖」

 赤白のキャンディーで出来た杖、地上界の迷える羊である人間たちを導くための杖を象徴している。
 
「夜を照らす光」

 ツリーを飾り立てる様々な色の電球の事で、天上界から地上を救うために使わされた救世主を指す。
 
「赦免の茨の冠」

 柊の枝葉で作られた葉飾り。キリストがゴルゴダの丘の上で被せられた茨の冠を表すものだ。それは神が与えた罰を象徴し、人間が持って生まれた原罪からの赦しを意味していた。
 
「永遠の絆」

 赤い布のリボン、お互いが永遠の愛情をもって互いを結び合う絆を意味している。
 
 その一つ一つを眺めるたびに、少女の瞳に涙が溢れてくる。

「ツリーの飾りの意味、教えてくれたのはあのジジイだったっけ」

 汚れたコートの袖で少女は涙を拭う。

「去年はウクライナだったっけ。クリスマスを祝ったの」 

 去年はまだ皆がそろっていた。ジュリア、アンジェ、マリー、ガルディノ、コナン、ベルトコーネ――、そして、ディンキー。一人一人の顔が走馬灯のように通りすぎる。
 
「みんな……」

 彼女の主の名はディンキーと言う。稀代のテロリストにして凄腕のアンドロイドエンジニアだった男だ。雪降る街角でツリーを見上げていると、その脳裏に仲間たちとの記憶が蘇ってきてしまう。

「だいたい変なんだよ。テロリストのくせしてクリスマスだなんて――」
 
 彼女の顔に苦笑いが浮かぶ。口を開けば、英国人への恨み言ばかりなのに、仲間たちの前では敵意の片鱗すら見せない。ディンキーにとって配下のアンドロイド、すなわちマリオネットは部下であり執行者であり、仲間であり、そして、大切な家族であった。
 少女があふれる涙を拭おうとすると、その手にひとひらの雪が舞い降りてくる。そしてその粒のような雪は少女の体温で儚く消えてしまう。
 
 消えた――、白い形は溶け去って一滴の水滴となる。そしてそれは元へは戻らない。
 
「そうだ」

 両掌を並べて器を作る。そして、その器で雪を集めようとする。
 
「そうだよね」

 だが、雪は残らない。少女の体温でそれは片端から溶け去ってしまった。過去は元へは戻らない。
 
「もう居ないんだよね」

 考えないようにしていた。思い出さないようにしていた。だが、どんなに押しとどめても、記憶は何かをきっかけにして必ず蘇る。その記憶は少女にある事実を突きつけた。
 
「あたし、やっぱり――」

 少女は悟った。己が一人であるということを。
 少女の両の頬を涙があふれた。それはもう止めようがなかった。祝福の夜を楽しむ人々が行き交う中、少女はただ一人で泣き崩れた。少女は気づいてしまった。彼女の手を握る者は居ない。彼女と語り合うの者も居ない。仲間として立場を共有し、誇り高く理念を共有することもない。たとえ誰からも理解されなくとも彼らは少女にとって仲間でありかけがえのない家族だった。
 少女は気づいてしまった。そう――、自分はたった一人残された“残党”なのだと。
 
 両膝を地面について座り込む。そして、両手で顔を覆う。こらえようとしても涙と嗚咽は止まることはない。受け入れがたい現実が彼女の心を押しつぶしていた。そして、もう1つの現実、誰も彼女を助けてはくれないのだ。
 
 行き交う人々は泣き崩れるその異国の少女を一瞥するが、誰も足を止めることはなかった。
 多忙だから。目的地があるから。約束があるから。同行している人がいるから。愛を語らう相手がすでに居るから。異国人だから。薄汚れたなりをしているから――
 理由はいろいろとあるだろう。だが、この12月末の湾岸の街を行き交う人々は誰もが冷淡だった。
 
 不意に雪が止む。しかし、空は厚い雲で覆われていて星ひとつ見えない。だが、風が吹きすさんでいないだけ、まだ寒さをこらえることは出来る。だがそのためにはどこかで夜露をしのがねばならない。何処にゆけばいい? どうすればいい? もはや少女は立ち上がる気力すら無くしつつあった。
 なぜなら――
 彼女の心を支える仲間たちはもう居ないのだから。
 
 だが、雪はやんだわけではなかった。少女はふと顔をあげる。そしてそこに彼女に降りかかる雪がやんだ理由を知る事となった。
 
「どうした?」

 それは少年の声だ。
 
「何泣いてるんだ?」

 一人の異国人の少年が、コート代わりの布を片手で広げて少女を降りしきる雪から守っていた。
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