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第2章エクスプレス サイドB①魔窟の洋上楼閣都市/洋上スラム編

Part9 覚悟/絶望

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「行きます!」

 よく通る住んだ声が響き渡る。軽く膝を曲げてしゃがみ込むと大きく息を吸い込む。しかる後に全身のバネを炸裂させてラフマニは一気に加速した。両足のブースターがフルに推進力を吐き出しラフマニの身体を加速させていく。その姿は残像のように途切れ途切れになり甲高い残響だけがその場に響き渡るのだ。
 
――キィィィィィィーーーーーーー……――

 肉眼で捉えるのが困難なほどに加速を続けながら、ラフマニはベルトコーネの周囲を周回し始めた。円を描いて飛び回りながら、右腕から超高純度の金属単分子ワイヤーを放射し張り巡らせていく。幾重にも幾重にも単分子の糸を張り、ベルトコーネの身体と周囲の建築物を結びつけていく。
 その様子はさながら蜘蛛が巣にかかった獲物を確実に捉えるために糸でがんじがらめにしていく光景を思い出さずには居られなかった。だがそれは同時にベルトコーネをあえて破壊するのではなく、捕らえて捕らえて、拘束に拘束を重ねて逃げ場を奪い去る事に狙いを定めていた。
 
――力任せに破壊しようとしても奴は必ず再生復活してしまう――
――どんな破壊兵器を使ってたとしてもそれは一時的なダメージだ――
――だったら縛り付けて身動きできなくしてしまうしかねぇ!――

 ラフマニは自覚していた。己が非力であり有効な功績手段を持たないことに。
 ベルトコーネの様な剛拳も、一撃のもとに敵を破壊せしめる特殊兵器を身に着けているわけではない。ただほんの少し常人より早く動けて、単分子ワイヤーを扱う機能が備わっているだけでしかない。
 だがそれこそが、彼がベルトコーネと言う稀代の破壊魔に一矢報いれるチャンスに他ならないのである。
 
「頼む! うまくいってくれ! アイツを! 今少し! もう少し押さえ込めるだけでいいんだ!!」

 ベルトコーネの右腕を、左腕を、足を、肩を、頭部を、首を、白銀に光る目に見えない超極細のワイヤーが瞬く間に縛り上げていく。
 そして、周囲一帯の構造物・建築物に対して、同様のワイヤーを放射して結びつけていく。
 一本、一本のワイヤーでは暴走するベルトコーネの力を押さえ込むことは出来ないだろう。だがそれを何百本も何千本も重ねていくことで、不可能を可能にすることができるはずなのだ。今少し、あと少し、ラフマニはココロの中で叫び続けていた。もはやこれ以外に彼らが講じれる手段は残されていないのだから。
 
 己の命を絞るようにして戦いに赴き、己以外のすべての人の無事を彼は願っていた。
 それはまさに報われるべき存在であったはずだ。彼の願いは聞き届けられるべきであったはずだ。
 しかし、運命の歯車はなおも回り続ける。
 幸せを得るために、平穏を得るために、ささやかな居場所を護るために、隣人の笑顔を絶やさぬために、彼らの戦いは報われるべきであった。
 だがそれを成就させるようには、運命の歯車は出来ては居なかったのである。
 
【 両脚下腿部内              】
【  高電磁イオン反応炉心ブースターユニット】
【 アラート:異常加熱           】

 ラフマニの素早さを保証していた装置が異常事態を発し始めていた。
 
「やべぇ!」

 両足内のブースターユニットが加熱限界を迎えている。連続使用の限界状態を迎えてしまったのだ。だがそれはさらなる異常事態を招こうとしていた。
 
【 サイバネティックス人工人体ユニット   】
【           統括制御プログラム 】
【 生命維持処理システム          】
【 警告>拒絶反応、兆候確認        】

 ラフマニに移植されている義肢に備わった生命維持監視システムが、彼の身体の異常事態を警告し始めていた。特殊機能の無理な連続使用がもたらしたのは、最も避けるべき〝拒絶反応〟と言う結末であった。そしてそれは最悪のタイミングで発現してしまったのである。
 突如としてラフマニの全身を切り裂くような激痛が襲った。その次に彼を襲ったのは激しい嘔吐である。普段は義肢の装着部位における免疫反応の抑止処置によって抑えられているが、それを凌駕する激しい運動や義肢使用における肉体負担などにより、強い急性拒絶反応発作が引き起こされてしまったのだ。
 ラフマニ自身の命を保護するため、そのプログラムはラフマニの義手義足の特殊機能を瞬間的に遮断した。ブースターユニットを停止させ、単分子ワイヤー装置を停止させる。そしてラフマニは高速移動のための制御を失い、そのまま一直線に投げ出されていった。投げ出された先は奇しくもローラとオジーのそばであった。路上の上を転げ回り、うつ伏せに伏してしまう。そしてそれっきり立ち上がることはなかった。
 ラフマニの戦いは終わらざるを得なかったのである。
 
「ラフマニ!!」

 その光景にローラが悲痛な叫びをあげていた。そしてオジーがたまらずにラフマニの所へと駆けつけていく。強烈な拒絶反応発作にラフマニは悶え苦しんでいる。その身を起こしながら彼はラフマニに声をかけた。
 
「馬鹿野郎! だから俺は言ったんだ! こうなるのは分かってたんだ!」
「だって、だってよぉ!」
「いいか! これで彼女やカチュアが助かったって、お前が死んじまったらそれは幸せとは言わねえんだよ!!」

 ローラは悶え苦しむラフマニを案じてオジーに問いかけた。
 
「ねぇ! なんとかならないの?!」

 その声に振り向きながらオジーは告げる。
 
「無理だよ。こいつの拒絶反応発作を止められるのはシェンの兄貴しか居ねえんだ! 畜生! 兄貴のやつ一体何やってるんだよ! アンタが来てくれないともうどうにもならねえんだよ!」

 運命の歯車が再び軋んでいた。耳障りな悲鳴のような音を立てながら、事態を悲劇へと引きずり込もうとするのだ。
 ローラはその腕に瀕死のカチュアを抱きながら、ラフマニとオジーと、そして無数の単分子ワイヤーで拘束されているはずのベルトコーネの姿を交互に見つめていた。
 どうすればいい? どうすれば〝彼ら〟は助かるのだろう? どうすればあの悪魔を打ち倒せるのだろう? どうすれば? どうすれば? どうすればいい?
 不安と疑問と苦しさがローラの胸を締め付けていた。ラフマニが必死の思いでベルトコーネに対して施した〝戒め〟が破られるのであれば、とり得る選択肢はもはや残されていないのだから。
 
 その時、ローラが視線を向けたのは家代わりにしている廃ビルから顔を覗かせているジーナであった。視線で合図をするとジーナもその視線の意図に気付いたのだろう。肩にショールを羽織ったまま、速やかに足早に駆けつけてくれる。そのジーナにローラは歩み寄ると一言告げる。
 
「カチュアを抱いててくれる?」
「え?」
「いいから早く!」

 ローラの強い求めにジーナは疑問を挟まずにカチュアを受け取ろうとする。両手を差し出し、普段からしている赤ん坊の世話、そのままにそっとカチュアの傷ついた身体を支え始めた。

「頭をもっとしっかりと受け止めて、左腕の肘でカチュアの頭を受け止めて――、そうそのまま左腕は動かさないように――、それから右腕で身体を押さえて。多少辛いけど落ちそうになったらオジーかアンジェリカに補助してもらって。それから絶対に揺すらないでね」
「はい――」
「そう、それでいいわ。そのまま〝家〟の中にカチュアを運んでちょうだい」
「えっ? 家の中に?」
「ええそうよ。オジー、あなたはラフマニをお願いね」
「あ? あぁ」

 突然に冷静に指示を与え始めたローラに、ジーナもオジーも戸惑いを見せていた。拒絶反応発作に苦しみながらもラフマニは冷静にローラの言葉の裏を読み取っていた。
 
「なにする気だ? ローラ?!」
「ラフマニ――」
「馬鹿な真似はやめろ! お前! 最後の手段を使う気だろう?!!」

 ラフマニは全身を貫く激痛に顔を歪ませながらも渾身の力を込めて立ち上がった。そして、この荒れ果てた退廃の街の片隅で出会った大切な想い人に駆け寄ろうとしていた。
 両腕をのばしてローラを引き留めようとする。だがローラの身体はラフマニの手からすり抜けてしまうのだ。
 足早にラフマニたちのところからローラは離れようとする。その先にはあの鋼の拳魔が居る。ラフマニが渾身の力を振り絞って作り上げた単分子ワイヤーの戒めが存在している。それを指してローラは告げた。
 
「見て」

 ローラが指差す先で、がんじがらめに絡め取られたはずのベルトコーネは、徐々に徐々にと、単分子ワイヤーを少しづつ引きちぎり始めていた。どれだけの力を振り絞ればこんな事ができるのだろう? 恐怖する事も忘れてあっけにとられるしか無い。その姿にオジーも呆れ果てるしかなかった。
 
「嘘だろう? あの野郎、やられればやられただけ、どんどん強くなってく、振り絞れる力の底に限界なんかないみたいじゃねえか!」

 まさにそのとおりだった。強い力で攻撃されれば、それに相応しい力で反撃する。強靭な拘束を仕掛けられれば、それが強力であればあるほどさらなる力と狂気と暴走をもってしてヤツは――ベルトコーネはそれを打ち破るのだ。
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