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第2章エクスプレス サイドB①魔窟の洋上楼閣都市/洋上スラム編

Part10 セイギノミカタ/応急処置

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 一方でオジーは危険から子どもたちを遠ざけるべく奮闘していた。
 
「ガキたち逃がすぞ。予備のアジトに移動させる。10歳以上の子供らに命じて小さいのを誘導するんだ。俺はカチュアの容態を確認する」
「わかった。すぐに始めます」

 アンジェリカに命じ、比較的年齢の高い子供ら使って幼い子らを引率する。アンジェリカも事態の深刻さを理解していてすぐに行動を開始した。時刻は夜であり就寝前と言う事もあってグズりがちな子供らを励ましときには叱咤し、迫り来る危険から少しでも遠ざかるべく誘導しようとする。
 同時に瀕死のカチュアを守るジーナの方へにも向かう。カチュアをどうすべきか? 判断が付かない状況にあったのも事実であった。迂闊に動かせない。否、応急処置がこれで適切なのか判断もつかない。だが致命傷は間違いなく負っている。これ以上の放置はできなかった。遠くではローラとラフマニが戦っていたがそれも失敗に終わった。ローラも万策が尽きた。まさに最悪の状況下で逃げることしかできない。
 神様なんて信じないが、この時ばかりは恨み言の一つも出そうになった。
 だが、自分自身に誓ってそれだけはできなかった。いつもラフマニやローラたちの奮闘を目の当たりにしている。特にローラの昼夜を問わぬ献身を目の当たりにして自分がいかに、考えが浅かったか思い知らされることは度々だった。
 ローラとラフマニが子供らを守ろうと決死の覚悟で身を挺している以上、次に身を挺してこの集団を率いるのは自分なのだ。たとえどんなに技量が拙くとも親友であるラフマニの背中に迫るくらいはできるはずだ。
 そう覚悟を決めたその時だった。
 
「なんだ? アイツ?」

 ベルトコーネの狂拳がローラへと振るわれようとしていたその時、ベルトコーネの背後から駆けつけた1人の若者が華麗な回し蹴りをヒットさせていた。一瞬にしてベルトコーネを打ち倒すとローラをかばい自らが矢面に立とうとしていた。
 それが何者なのか、オジーにはわかろうはずがない。生身の人間ではないことは確かだ。だが、それが救いとなりローラはラフマニの元へと駆けつけていた。進退窮まる状況はなんとか脱したのである。安堵の情がオジーの胸中に訪れていた。あとは子どもたちを安全な場へ避難させてカチュアを救うのみである。
 アルビノのアンジェリカが子どもたちを誘導している。その場から少しでも離れて安全な場所へと向かうためだ。災害や犯罪被害の際に万が一にそなえて、普段暮らしている建物とは別に夜露を凌ぐ場所は確保してある。そこへ子供らを移すのだ。
 かたやジーナは、その両腕で傷ついたカチュアを抱いているため思うように動くことができないでいる。オジーはローラたちの方にも注意をはらいながらジーナの方へと歩み寄る。
 
「ジーナ、カチュアの様子は?」

 不安げに問いかければジーナもまた途方のくれた表情で顔を左右に振った。容態が芳しくないのだ。なんとしても応急処置を施して適切な治療を受けさせねばならないのだが、彼らにはその知識はない。ましてや応急処置の医療具すら無い。本来ならそれを可能にする人物が居るのだが――
 オジーは苦虫を潰した顔で思わず呟いてしまう。
 
「シェンの兄貴なにやってるんだよ!」

 そのつぶやきにジーナもアンジェリカも否定も抗議もしない。心のなかでは同じ思いなのだ。いつもなら何かトラブルがあれば呼ばずにも必ず姿を現してくれていた。あのクリスマスの夜の時も多少遅くはなったがこれほどまでに遅れたりはしなかった。
 だが今夜は違う。これほどまでに事態が深刻なのに危険な状態に陥っているのに、メッセージ一つ届かない。そしてその事実は3人にある予感を感じさせた。子どもたちの手を引いて他の場所へと避難しようとしていたアンジェリカがつぶやく。
 
「もしかして、シェンさんになにかあったんじゃない?」

 その一言を耳にして3人とも蒼白になる思いがした。
 ここは東京アバディーン、何がおきてもおかしくない最悪の街である。不慮の事態はいくらでも考えうるのだ。だがオジーは自らの中に湧いた不安を否定する。仮にもこの場を引率する立場にある者としてうろたえるような姿は見せるわけにはいかないのだ。オジーはあえてアンジェリカを叱責した。
 
「滅多なこと言うんじゃねえ。ガキたちに聞かれる」

 声を潜めつつ明確に告げる。その言葉にアンジェリカは「ごめん」と一言答えた。
 
「とりあえず避難先に逃げていてくれ。事態が解決したら向かう。俺はジーナとカチュアを医者に運ぶ。このまま待っている訳にはいかないからな」
「うんわかった。気をつけてね。ジーナも」
「うん」

 ローラが来る以前からともに苦楽をともにしてきたジーナとアンジェリカにとって、お互いは姉妹のようなものである。たとえどんなに過酷な現実が在ったとしても互いに支え合いながら生きていくしか無いことを2人は知っていた。
 
 そして、アンジェリカを見送りジーナと二人でカチュアを運ぼうとしたその時である。脇路地の物陰から現れた二人の姿があった。バイカー風の東洋人、日本人に見えなくもない。一見するとバイカー崩れのストリートギャングの様にも見える。スカジャンと革製のブルゾンを着込んでいる。思わず警戒しそうになるが二人のうちのスカジャンを着た一人が声をかけてきた。
 
「おい! 大丈夫か!」

 声をかけたのは朝だ。ついでセンチュリーも声を発する。
 
「助けに来た。頭部をやられたけが人が居るって聞いた」

 二人の口調はやさぐれてそうな風体とは裏腹に落ち着いていて威厳をはらんでいた。そしてセンチュリーはブルゾンの内ポケットから特攻装警専用のブルーメタリックの電子式の警察手帳を取り出した。
 
「日本警察だ。救助しに来た」

〝警察〟その言葉が出たことでオジーたちの顔が引きつり蒼白になるのが分かる。だがセンチュリーは二人を安堵させるかのようにこう告げた。

「安心しろ。ここいらのハイヘイズの事はすでに聞いてる。入国管理局にチクるような真似はしねえ」

 口元を緩めて笑みを浮かべる。そして相好を崩して笑うといつものセンチュリーらしく減らず口を叩き始める。

「それにあいつら頭固くて有名でよ、あいつらに知らせると何でもかんでも連れてこうとするから俺嫌いなんだよ。それにお前らの事情はよく分かってる。ここ以外に行き場が無いってこともな。悪いようにはしねえ。約束するよ」

 センチュリーの言葉を補足するように朝が言う。

「彼は青少年犯罪課所属です。若い人の事情には通じてますから安心してください」

 簡単に心を開けるわけではないが、多少なりとも警戒を解くことはできそうだった。ラフマニとオジーは視線を交わしながら頷きあう。その彼らに朝が更に訊ねる。
 
「それでけが人は?」
「この子です」

 オジーが不安を露わにした口調で告げた。ローラに命じられたとおりに極力動かさぬようにしているため朝たちに見せようと無理に歩いて近づくことは特別しなかった。その代わりに状況を語り始める。

「頭を強く殴られました。首も痛めてます。折れてる可能性があるって仲間が言ってました」

 その説明を聞きながら朝が進み出る。そしてカチュアの容態を確かめながらセンチュリーへと告げる。
 
「センチュリーさん。応急処置しましょう。頚椎骨折の可能性があります。ここから移送できるように全身を固定する簡易担架を作る必要があります」
「サイズは?」
「この子の全身を覆えるくらいで」

 3歳児のカチュアの身長は1m足らずだ。それを頭から足まで確実にホールドできる状況を作らねばならない。センチュリーは朝の言葉を耳にして周囲を眺める。すると傍らには路上放置された1台の1BOXの貨物車が止まっている。センチュリーはその1BOX車に歩み寄ると側面ドアに狙いを定めた。 

「朝、クッションも居るだろ?」
「はい、頭部と頸部は特に念入りにホールドしないと」
「オーケー」

 ドアのガラスを素早く拳で叩き割ると中からドアを開いていく。警報音が鳴る室内を眺めると一言つぶやく。
 
「コイツを使おう。ヘッドレストにシートベルトとかを組み合わせれば手頃なのが作れるだろ」

 センチュリーが見つけたのは助手席のシートだ。その背もたれ部分を使うつもりなのだ。自らの腰の裏側から愛用の特殊ナイフを取り出す。そしてナイフの背峰の鋸歯をつかって蝶番部分を手早く切断する。ついでシートベルトを引き出すとそれを切り取って行く。
 
「お願いします。俺は要救助者を確かめます」

 簡易担架の準備をセンチュリーに任せつつ朝はカチュアの容態を確かめ始めた。内ポケットからペンライトを取り出しジーナが抱えているカチュアを細かくチェックする。だがカチュアの容態をつぶさに確かめれば確かめるほど、状況の深刻さがはっきりと解ってくる。
 その朝の表情が気になったのだろう。ジーナが朝に尋ねた。
 
「あの――、この子の容態は」
「そうだな――」
 
 まぶたを開いて瞳に光を当てる。そしてペンライトを消しながら告げた。
 
「まだ死んじゃいない。昏睡も浅い。出血もそうひどくなさそうだ」

 その言葉が伝わったときジーナとオジーがホッとした表情を浮かべた。
 
「その場の緊急処置が良かったんだ。止血もしっかり出来てるし無理に動かしてないから患部がズレている様子もない」
「よかった」

 ジーナが思わずつぶやく。だが朝はあえてそれをたしなめた。
 
「楽観はまだできない。頭部外傷と頚椎損傷が併発しているからいつショック症状が起きるかわからない。急いで医療設備のあるところに運ばないと。このさいモグリでも何でもいい。どこか良い所はないか?」
「多分――」

 朝の問いにオジーが答える。
 
「一番近い中華の街に行けばあると思います。俺たちあの辺の人達には良くしてもらってるんで」
「よし、そこへ行こう。この子の固定処置が終わったらすぐにだ」
「はい。俺も手伝います」

 彼らがそんなやり取りをしていれば、傍らではセンチュリーが作業を終えたところだった。助手席シートの背もたれを外し、後部席のシートからもクッション材のスポンジを取り出していく。それに加えてシートベルトも長めに数本切り出した。準備は完了だ。
 
「センチュリーさん。それをこっちに持ってきてください。この子の真下に置いてください」

 指示された通りに作ったばかりの簡易担架を設置する。固定用のシートベルトを広げ、その上にシートの背もたれを横たえる。首のヘッドレストの辺りには首の形状に合うようにシートのクッションスポンジを加工して置いてあった。
 
「よし、全員で全身をホールドして静かに下ろそう。絶対に首を動かすな。わずかでも動いたらアウトだからな」

 その言葉にジーナもオジーも頷いていた。それに朝とセンチュリーを加えて4人での作業だ。ジーナと向かい合わせにオジーが手を出して支え、足元をセンチュリーが、頭部を朝がホールドする。そして4人でカチュアを囲むと、掛け声の合図とともにそのままそっと下ろして。
 
「行くぞ。ゆっくりとだ。そうだそうそう――、この速度でゆっくりと――」

 それは息するのもはばかられるような緊張感の中で行われていた。ゆっくりゆっくり、全身が均等に同時にシートへと横たえられねばならないのだ。そして3分ほどかけて簡易担架にほぼ寝かせ終えると足元の方から順番に手を離して行く。

「よしいいぞ。体の上に毛布か何かかけてくれないか?」

 朝がカチュアの頭を抑えたままで問えば、ジーナは自分の肩にかけていたショールを脱いでそれをカチュアに掛けていく。その後に切り出したベルトを使って足元から固定していく。そして最後にシートのクッションスポンジを駆使して頸部と頭部を両側からもホールドしてそれをベルトで固定すれば完了である。出来上がりを確かめながら朝が言う。

「よしこれでいい」
「何とか形がついたな」
「えぇ、あとはこれを運ぶ手数がほしいところです」
「この人数では無理か?」
「人数がなるべく多いほうが運ぶ時に振動を減らせるんです。それに一人一人の負担が減るから楽ですし」

 朝とセンチュリーがそんな会話をしているとオジーが問いかけてくる。
 
「あの――ありがとうございます」
 
 その声に二人が振り向けばオジーは更に尋ねてきた。

「お詳しいんですね」

 オジーがカチュアの救急処置について言っているのはあきらかだった。

「警察になる時にみっちり仕込まれたんだ。それに死んだ親父が応急処置がもっと早ければ助かったって言われててね、自分でもその事をずっと意識しているからこの手の事の勉強は欠かさなかったんだ」

 それは朝なりに自らの過去に学んだ結果であった。そしてオジーは朝が肉親の死という過去を乗り越えて今日に至っていることを知った。その姿にオジーは口をついて出た言葉があった。
 
「俺も〝学ぶ〟事ができますか?」

 学ぶ――それは今の境遇から抜け出し家族である仲間たちを幸せにするために欲している行動だった。それは朝にとって、ハイヘイズと言う境遇の子どもたちについて、この街にきてからその実態を理解したからこそ、オジーの言葉に感じ入るものがあるのだ。朝は明確にオジーに告げる。
 
「できるさ。ヤケにならずに前向きに生きることを忘れなければな」
「はい――」

 朝の言葉に頷くオジーの顔には深い自信に繋がる安堵感が現れている。
 そして、時、同じくして朝とセンチュリーが現れた方からまた新たに人影が数人近づいてくるのが見えた。それを目にしてジーナは言った。
 
「あ! 中華街の人よ」
「どうやらそうらしいな」
「ちょうどいい、彼らの手を借りよう。中華街の中の医療施設についても聞ける」

 そう確認しあい、オジーが彼らに向けて手を振った。オジーたちの存在に気づいて中華街から来た彼らは足早に駆け出し始めたのだ。
 

 @     @     @
 
 
 そして、オジーやローラや、さらにはグラウザーたちに至るまで、監視の目を光らせている者たちが多数存在して居た。物陰に潜み、高所に居場所を見つけ、気配を消して潜伏している。その彼らを統率する立場の男がいる。初老の痩せ型のシルエットのロシア人だ。
 彼は状況を見下ろせる場所として近くの倉庫ビルの3階に潜んでいた。声を殺して周囲の状況に自らの気配を隠していた。
 
Майорマイオール

 耳につけられたイヤホン越しに呼びかけてくる声がある。そのイヤホンから掛けられた声は、その初老のロシア人に向けた尊称である。

〔Подготовка завершена〕
〔да.Как это белый ожидание〕

 周囲の様々な場所に潜伏しながら、彼らはチャンスが到来するのをじっと待っていたのである。彼らはまだ動かない。ただじっとその時を待って待機するだけである。彼らが狙うのはまさに〝ベルトコーネ〟だけなのだから。
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