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第2章エクスプレス サイドB①魔窟の洋上楼閣都市/グラウザー編 

Part17 オペレーション/脳出血

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 シェンに指示されたとおりに朝がコンテナを準備する。朝ももとより警察官として与えられた指示を正確にこなすという当然の技能については嫌と言うほど鍛えられている。ましてやこの手術を失敗させるわけには行かないのだ。協力の意思にも力が入ろうと言うものだ。
 朝がコンテナを準備する間にシェンはさらにオペの次の段階へと入ろうとする。
 まずはここまでのオペの結果を確認するとともに、呼吸心拍などのバイタル各データを再確認する。
 
「呼吸、心拍、異常無し、頸部脊髄部位を操作したことでの基本身体機能への影響も無しだな。いよいよ頭部の処置へと移行する」

【 頭部、手術対象エリア確認        】
【 CTスキャナー、及び          】
【    弱出力核磁気共鳴センサー同時起動 】
【 頭部組織構造スキャニング開始      】
【 3D細密ホログラフィにて頭部内状況を  】
【              空間投影表示 】
 
 頭部の頭蓋内状況を探知すれば、頭部左側サイドに大型の血腫の影を見ることとなった。頭部を殴打されての内部出血。広範囲ではないが血腫の存在が大脳皮質を内部側面から圧迫しているのがわかる。

「急性硬膜下血腫だな。頭部を殴打された際の症例としてはオーソドックスな物だ。適用手技は患部開頭の後の血腫除去だ」

【 直接照明器具設定            】
【 >照度最大               】
【 >各アングル別モニターカメラスタンバイ 】
【 >出血血液回収ドレーンチューブ     】
【     及び、血液回収ポンプスタンバイ 】 
【 >皮膚切開プロセス開始         】

 マニピュレーターアームが動き出しカチュアの頭部皮膚へと近づく。そしてマニピュレーター先端から姿を表したのは超音波振動をするセラミック製の切開刃である。そして頭部の受傷部位を覆っていた滅菌フィルムを2本のマニピュレーターアームが摘んで慎重に剥離させていくのだ。
 
【 プロセス1:              】
【 施術部位洗浄処置            】
【 >患部保護用滅菌フィルム剥離      】
【 >出血血液ドレーンチューブにて吸引   】
【 >同部位を滅菌済み生理食塩水にて洗浄  】

 フィルムを剥がせばその中からは溜まっていた出血液が溢れ出そうとしている。それを速やかにドレーンチューブにて吸引し、残った凝固血を洗浄していく。そして患部がクリアになったところで次のプロセスへと移るのだ。
 
【 プロセス2:              】
【 皮膚切開、皮膚層、筋層剥離       】
【 >外傷受傷部位をさらに広げる形で    】
【    セラミック製滅菌切開刃により切開 】
【 >皮膚層、筋層を切開した後に      】
【  サブマニピュレーターアーム6本にて  】
【  皮膚層筋層を同時に頭蓋骨より剥離開始 】

 マニピュレーターに備えられた鉗子アームにて皮膚の切開端をつまみ、慎重に筋膜を剥離させていく。そして打撃により破損している頭蓋骨部位を完全に露出させた。
 そこに見えてきたのはかつてのベルトコーネの殴打により粉砕させられた直径8センチ程度の領域であった。そこからはなおも血液がにじみ出ている。内部において血管が傷ついていることの証であった。
 
「粉砕している骨片を除去。しかる後に頭蓋骨を患部領域で切断剥離させて硬膜を露出させる」

【 プロセス3:              】
【 破損頭蓋骨除去、頭蓋骨切開       】
【 >破損骨片を慎重に除去         】
【 >指定領域の頭蓋骨を切断した後に剥離  】

 次にシェンは自らデーターグローブを用いてマニピュレーターアームを操作し始めた。先端がラジオペンチ形状であり骨片のような硬いものを摘むのに適していた。それを用いて粉砕されている骨片を慎重に採取していく。その骨片の下には硬膜がある。硬膜に不用意な傷がつかない様に慎重を喫する必要があるのだ。
 シェンの手技が正確かつ速やかに骨片を採取していく。途中、斜めに硬膜へと食い込んでいる骨片を発見するがこれもまた慎重に採取を終えていた。採取した骨片は8つほど。それらを除外した後に残存する頭蓋骨の患部領域のエリアを覆っている頭蓋骨を切断する。用いるマニピュレーターの先端ツールは回転ノコ形式の物で、内部の硬膜を傷つけずに頭蓋骨のみを切断することが可能な優れものである。
 そのツールに対して朝が問う。

「中の硬膜まで切ってしまわないんですか?」
「それについては心配ない。回転ノコ刃自体に触覚センサーと対物距離センサーが付いていてね予め指定された設定により、骨のみ切断して硬膜を残したり、皮膚のみ切断して脂肪層は切らないといった微細な設定が可能なんだ。手術の省力化と高速化のために作り上げたものだ」

 朝はその説明に思わず感嘆せざるを得ない。
 
「すごいですね。どうしてそこまでハイテクを自己開発してまでコストと手間をつぎ込むんですか?」

 朝の問にシェンはかすかに微笑みながら事も無げに答えた。
 
「それは当然〝必要〟だからさ。以前にも言ったとおりこの界隈にはこの島の外の医療機関にはかかれない立場にある弱者がたくさん存在する。かと言って一つの命である以上、医療機関の手にかからずに生きていくわけにはいかない。そして、高度な医療を提供できる状況と立場にあるのが私一人である以上〝助けを求める声〟があるならば、私はそれに全力で答える。この特殊ツールや特殊素材の存在も、電脳犯罪者としての活動も、全てはこの島の〝弱者〟を守りたいがためだ。私にはそれ以上の動機も、それ以下の願望も存在しない。私はね詰まるところは『エゴイスト』なんだよ」

 エゴイスト、普通ならネガティブな意味で使われる言葉だが、今のシェンから語られると、それは不思議と魅力的な響きを伴って朝の耳に届いていた。そしてそれを正当化してしまう説得力とカリスマ性が彼からは感じられるのだ。
 取り外した切断骨を一本のマニピュレーターアームが運んでいく。運ばれた先にあるのはなにやら3Dプリンターのような大きな箱型の装置である。
 
【 骨質素材人工骨、3次元造形システム   】
【 >摘出骨、3Dスキャナーにて形状計測  】
【 >再生骨予定構造計算終了        】
【 >3Dプリンターにて再生開始      】

 箱型構造であり2つある箱部の内の右側に摘出した破損頭蓋骨を収め、その内部で構造を解析、3Dプリンター方式で人工頭蓋骨を再生できる装置だ。その装置にまかせて装置からの報告メッセージを待つことになる。
 頭蓋骨の除去が済んだところで再確認すれば、その先には堅牢な硬膜に覆われた大脳がある。

「よし、患部露出成功、硬膜下のゼリー状血腫の摘出に入る。ここからはデータグローブを用いたマニュアル操作を加える」

【 プロセス4               】
【 硬膜切除、硬膜下出血領域露出      】
【 >マニピュレーターアーム4基により   】
【            硬膜牽引持ち上げ 】
【 >精密操作用マニピュレーターアーム   】
【                2基展開 】
【 >データグローブリンクによる直接手開始 】
【 >剪刀アタッチメントに切り替え     】
【 >硬膜をU字形状に切開         】
【 >鉗子アタッチメント切り替え      】
【 >硬膜を慎重に血腫から剥離       】
【 >サブマニピュレーターアーム展開    】
【 >剥離した硬膜をサブアームにより保持  】

 複数本展開されたマニピュレーターアームにより硬膜を脳表面から持ち上げると、データグローブとリンクされた2本のマニピュレーターアームを用いて脳硬膜を切り開いていく。そしてU字形状に切られた硬膜をめくれば、そこには硬膜下で起こった出血がゼリー状となって大きく広がっているのが見えた。そこに見えるのは脳ではなくまさに血の海である。
 映し出された血腫は頭部の左側面を大きく覆っている。その出血がこぼれだしてこないようにチェアタイプの手術ベッドを大きく傾斜させた。
 
「想像以上に血腫が大きいな――、しかしこれを取らねば先には進まないからな」

【 プロセス5               】
【 ゼリー状血腫を除去、焼結止血処置    】
【 >精密操作用マニピュレーターアーム   】
【        脳ベラアタッチメント接続 】
【 >サブアーム展開            】
【     によりバキュームチューブを保持 】
【 >脳ベラアタッチメントにより      】
【   脳皮質よりゼリー化血腫を慎重に剥離 】
【 >低圧バキュームチューブにより     】
【       血腫を自動制御にて吸引除去 】 

 特殊なヘラ状の器具で硬膜下に溜まっていたゼリー状血腫を慎重に脳皮質から剥離させていく。そして高度人工知能に制御されたサブマニピュレーターアームが吸引用バキュームチューブを操作して血腫を慎重かつ確実に除去していくのだ。
 人間が遠隔操作でマニピュレーターアームを制御し、人工知能との協調制御にて、人体への手術手技を行う。それまでであれば高度な技術を有した専門医師が複数存在して、膨大なスタッフの協力を得て初めて成り立つはずの大手術のはずだ。
 だがそれを今、朝の目の前で行っているのはたった一人の男だ。
 そして、死線をさまよい瀕死の状況にある少女を救おうと、手術作業を実際に行っているのは人間の生身の腕ではなく、精密作業とリアルな触感フィードバック機能を持ったたくさんのマニピュレーターアームであると言う事実だ。
 朝は今、眼前で行われている光景に驚きよりも感嘆の念を抱かずには居られなかった。
 そして朝はこう思うのだ。
 
――俺は今、人間の医療の未来の姿を目の当たりにしているのかもしれない――

 今、朝の心のなかには目の前の男が一人の犯罪者であると言う事実はすっかり脳裏から消え去っていたのである。
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