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第2章エクスプレス サイドB①魔窟の養生楼閣都市/集結編

Part22 過去の記憶/呉川の過去

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 それが品川駅東にある涙路署の屋上から飛び立ったのは新谷が涙辞書の捜査課に顔を出してから30分ほど経ったあとのことであった。
 新谷と呉川の間で激しいやり取りが交わされる。その話題の中心は無謀な挑戦の末に右腕を粉砕されたセンチュリーについてだ。いつもは飄々淡々としている呉川だが、ことセンチュリーのことになると冷静さを失うことが有る。
 
「たのむぞ! 最優先で回収してくれ! 腕以外にもトラブルが有ったら大変なことになる」
「分かってる! 回収次第、応急処置を施してラボに送る! そっちは緊急修理の準備をしてくれ! 大久保にもグラウザー受け入れの準備を頼むと伝えてくれ1 頼むぞ!」

 新谷が必要事項のやり取りを終えるとすぐに回線を切った。そして大きくため息を吐く。

「まったく呉川のやつ――」

 新谷は左手で頭を掻きながら困惑を口にした。
 
「センチュリーの事になると我を忘れちまう。アイツだけ特別扱いできねーだろうが」

 半ば吐き捨てるような言葉に周囲は戸惑いを隠せなかった。機体の上部で作動しているエンジンが籠もるようなエンジン音をひびかせていた。
 そこは第2科警研オフィシャルのティルトローターヘリの機内であった。有明事件の時にも布平たちを研究所から有明の地へと運んできたあの機体である。米軍で開発された2ローター式のティルトローターヘリを元にした改良機体の民生版であった。小型の機体ながらミニバンクラスの自動車すら搭載可能な輸送能力の高さと、小型プロペラ機並の移動速度を買われて第2科警研で採用された経緯が有る。運用は第2科警研だが、パイロットは警視庁から出向してきた技官である。警視庁の航空隊にて長年慣らしてきたベテランであるため東京都内はもとより関東一円どこでも飛べるだけの力量を有していた。その日も、特攻装警窮地の報を受けて新谷や呉川から出動の指示が出る前に第2科警研に到着してヘリの準備を終えていたのだ。
 そのティルトローターヘリの機内、所定の座席にて新谷の隣に座していた宝田が思わず尋ねた。
 
「あの――何かトラブルでも?」

 宝田の疑問は機内の人間たちすべての疑問である。自然と視線が集まる。新谷は事情を隠すのは無理と判断したのか一言二言ことわりを入れながら話し始める。
 
「これは個人的な事情なんだが――」

 すなわちオフレコにしろと言う無言のメッセージだ。皆が静かに頷いた。
 
「――センチュリーのモデルは、呉川の死んだ息子なんだよ」
「え? 息子さんがモデル?」
「あぁ、できの良い一人息子でな。俺も呉川とは付き合いが古くて家族同士で親戚みたいに頻繁に会ってた。だからアイツの息子の文也君の事は今でもよく覚えてる。だが今から20年位前にバイク事故に遭ってな」
「事故ですか?」
「あぁ、速度違反の暴走トラック弾かれて死にかけたんだ。幸い一命はとりとめたが首を折ってしまい、全身麻痺の寝たきり。リハビリを必死にこなしたが1年の闘病の末に心肺機能の低下から死んじまった。当時優秀な外科の医者だったアイツが病院をやめ、人工臓器や医療用義肢の開発に手を染めるきっかけだった」

 人にはそれぞれに現在へとつながる過去が有る。宝田たちは想像を超えた事実に言葉を失うばかりだ。容易に口にできない過去を思い出しながら新谷は続けた。
 
「人が変わったように研究に打ち込むアイツを、おれはロボット技術者としての立場から応援することしかできなかった。あいつは息子のように体の自由の効かなくなった人々を何とか助けたいと無我夢中だったんだろう。そのうち俺が第2科警研での特攻装警開発の話を引き受けることになって、真っ先に呼び寄せたのが呉川だった。はじめは渋ったが、より優れた警察官を生み出して社会の治安を守るのも大切なことなんだと説得した。そして紆余曲折あって、奴が自分の手で生み出したのが第3号機のセンチュリーだったんだ」
「それが、その文也さんという息子さんがモデルに?」
「モデルではあるが、そうなったのは偶然なんだ。呉川はもともと医療用義肢やサイボーグマテリアルの開発が得意分野だったから、それを活かせるのは当然、アトラスのような外骨格ではなく、体の芯に骨がある内骨格タイプ。そしてアイツは自らのそれまでの研究成果を可能な限り集めて詰め込んだ。そして出来上がったのがセンチュリー。その顔面部の造形や、全体のプロポーションやボディバランス。はては人格教育に至るまで呉川が決定したんだが、その過程で無意識のうちに亡き息子さんが頭のなかでイメージとして浮かんでいたのだろう。出来上がったセンチュリーを見て、アイツ自身が呆然としていたよ」

 過去をしのぶように新谷は続けた。
 
「でもセンチュリーが成功して任務について活躍するに至って、やっとアイツは過去を振り切った。やつを縛り付けていた息子さんの死という事実をアイツは乗り越えた。そしてセンチュリーもその事を無意識のうちに理解しているんだろう。アイツにとって父親とは紛れもなく呉川のことだ。センチュリーが呉川を〝オヤジ〟と呼ぶのは実はとても意味深なことなんだよ。だが――」

 新谷は大きくため息をつく。
 
「それだけにセンチュリーがピンチに陥ると我を忘れる時が有る。息子を二度も失いたくないという強い思いからなんだろうが、組織の論理でそれを受け入れきれない事もしばしばだ。そのたびに呉川が複雑な思いを抱くことになる。だから俺はセンチュリーに常に言っているんだ。『必ず生きて帰れ。お前には待っている人がいるんだ』ってな。それなのにあのバカ! 無装備でベルトコーネとやりあうなんぞ無茶すぎる!」

 新谷が漏らした言葉は任務と本心の間で複雑な立場にある特攻装警たちへの苛立ちであった。そして新谷の言葉は更に続いた。
 
「それに――ワシも今回のエリオットの一般捜査任務への同行は内心では反対だったんだ。いきなり放り込む任務の難易度が高すぎるんだ。東京アバディーンへの潜入任務だ。歌舞伎町とは訳が違う! 違法サイボーグや国際マフィアがひしめく魔窟の様な街だ。野球を始めたばかりのボールボーイに大リーグのマウンドに登らせるようなものだ。何かあってからではすまないと言うのに早速の音信不通だ。一体どう責任を取るつもりだと言うんだ! 代わりを作れと言われてもパソコンを組み立てるのとはわけが違うんだぞ! まったく!」

 押し隠していた義憤といらだち押さえきれなくなり呉川は思わず吐き捨てていた。周囲もその言葉の粗さの中に隠された複雑な事情を感じずにはおられず問いかける言葉を失っていた。沈黙が支配しつつ有るその時だった。
 鳴り響いたのは新谷のスマートフォンだった。背広の内側から取り出し通話相手を見る。
 
【 警視庁警備1課・近衛警視        】

 その人物名を見て新谷の表情が変わる。苛立ちを追い払うといつもの冷静な新谷に戻り通話を始める。
 
「はい! 新谷です!」

 新谷が呼びかければ相手の声はすぐに帰ってくる。
 
〔新谷所長、私です! 近衛です〕
「近衛さん。一体どう言う状況になってるんだね? 次から次へと予定外のことばかりでワシにもどうして良いかわからんぞ!」

 思わず漏れてしまう苛立ちに返ってきた近衛の声は落ち着いた物だった。否、冷静である事を自分に言い聞かせているのだろう。
 
〔新谷所長、あなたには詫びねばならない。私の読みが甘かったのは事実です。本当に申し訳ない〕

 電話の向こうから返ってきたのは謝罪の言葉だった。それは現在進行している事態が近衛の想定すら超えた代物である事を如実に示していた。新谷はそれ以上の抗議はせずに近衛に言葉の先を促した。
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