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第2章エクスプレス サイドB①魔窟の養生楼閣都市/死闘編

Part39 死闘・ドンキホーテ/老医師ピーターソン

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 無戸籍混血孤児の集団であるハイヘイズ。彼らの住む宿舎ビルから少し離れた路上で、ベルトコーネを封じるべく勇気を振り絞っていたのはハイヘイズのリーダー格の少年ラフマニであった。
 万策尽きた状況で意を決して彼は立ち上がり戦い、そして彼は敗れた。
 不完全なサイボーグ体である彼は戦闘の無理からある症状を発症。命の危機に見舞われていたのだ。その症状とは――
 
〝拒絶反応〟

 体内、または体の一部を人工物と置換、あるいは埋め込み処置を行った後に、装着された人工物を〝危険な異物〟として、残された肉体の免疫機構が〝拒否〟するべく引き起こした様々な症状の事である。
 発熱、吐き気、痙攣、ショック症状――症状は多岐にわたるが放置すれば最悪〝死〟に繋がり兼ねないため放置する事は決してできない。
 当然、ラフマニも一刻を争う状態だった。強い痙攣と嘔吐、そしてショック症状――
 だがハイヘイズは混血児の集まりである。
 同族たる民族でのつながりが重視されるこの東京アバディーンの街では混血は忌避される傾向にある。当然ながら、無戸籍の混血児孤児の集まりであるハイヘイズは疎まれ見放されている。だがそれに救いの手を差し伸べていたが闇社会最強の電脳犯罪者である神電(シェン・レイ)である。
 日夜、あらゆる手段を講じて、ハイヘイズの子らを救うべく奔走していたシェンであったが、何故かこの日だけは現れなかった。当然このままではラフマニの拒絶反応には間に合わない。万策尽きたかに思われたその時であった。
 神はハイヘイズの子らを見放しては居なかったのだ。
 
「大丈夫か!」

 その言葉と同時に姿を表したのが、東京アバディーンの一角に住している非合法医の一人――元軍医のマイケル・ピーターソンである。
 彼はベルトコーネ襲来の噂を聞きつけ、仲間の黒人男性たちと共に事件の場へと駆けつけたのだ。ピーターソンは軍医、それもサイボーグ化兵士の救命処置のエキスパートである。突然の拒絶反応に苦しむ兵士を何百何千と救ってきた。当然ながらラフマニが今見舞われている症状など、彼にしてみれば日常的によくありえる症例の一つである。
 そして彼はラフマニを救った。
 人種間の偏見の壁に阻まれ、触れ合うことすら無かった彼らが、この最悪の夜を通じて得た新たな絆だったのである。
 
 
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 そこはベルトコーネとの闘争が行われたところから裏通りへと入り込みしばらく歩いた場所であった。まだ周囲では戦闘の喧騒音が鳴り響き、そこが安全ではないことを思い知らせていた。
 そこで歩みを停めていたのは、ドクター・ピーターソンと補助の若者たちと治療を受けていたラフマニである。路上にラフマニが布製の簡易担架の上で横たえられている。その周りをドクターともう1人が囲んでいた。
 
「ドクター、どうします? このままでは――」

 言葉を発したのはドクター・ピーターソンに付き添ってきた黒人系の若者であった。
 
「あぁ、このままでは命の危険がある」

 ピーターソンは、布製の簡易担架へと横たえられたラフマニへと視線を走らせる。先程の急性拒絶反応発作の治療を終えてから安全を考えて移動していたのが――
 
「しくじった! コイツは適合不良予備群だ!」
「拒絶反応や異物反応が出やすい個体ですよね?」
「あぁ、軍用サイボーグでは改造適用を除外するか、拒絶反応対策を念入りに行うんだが闇サイボーグでは無理を承知で改造処置を施すケースがあるんだ。あのシェン・レイがそんな迂闊なことをするはずがないから、やはり生活の利便を考えて二重三重の策を講じた上で手足を修復してやったんだろうが――」

 ドクター・ピーターソンはしゃがみ込むと再びラフマニの容態をチェックする。
 
「――おそらく戦闘行動や無理な運動は避けるように厳命していたはずだ。そうでなければこんなひどい状態にはならん!」

 症状初期には嘔吐と痙攣だけであったが、そこに体温低下と脈拍低下が加わっていた。顔面も血色は悪くこのままでは最悪の事態も考えられる。
 
「アナフィラキシーショックが抑えきれない。急いでわたしの診療所に運んで抗拒絶反応剤の補助薬を投与しないと」
「しかしドクター――」

 治療を急ごうとするドクターに対してもう一人の若者の黒人が問いかけてきた。
 
「――状況は悪化しています。新たな阻害要因が介入してきたようです」
「なんだと?」
「ベルトコーネと言う個体とは他に無差別攻撃を企図している武装集団が確認されてます。迂闊に動くことは命取りです。少なくとも護衛役を要請しないと」

 もう一人の補助役の若者には、戦闘経験者の様な身のこなしがあった。おそらく周囲の状況を調査していたのだろう。的確に周囲状況を集めてくる。
 
「しかしだからと言ってこのままここで放置するわけにはいかん!」
「それではドクター――」

 周囲を探っていた方の若者が声を発する。落ち着いた声で、ある種の覚悟を決めていたかのようであった。
 
「強行突破しますか?」
「それしかあるまい。君はどうだね?」

 ドクターの診察の補助をしていた方の若者にも問いただす。だが答えは明白だった。
 
「覚悟しています」
「すまんな二人とも――」

 詫びを入れるように問いかければ、二人は口元に笑みを浮かべながら答える。
 
「気にしないでください。ドクター」
「俺達も彼と同じようにあなたに命を救われました。あなたのためならなんでもしますよ」

 それは心の底からの感謝であった。受けた恩は必ず返す。人として最もシンプルな善意であった。3人に迷いは無かった。そして、ドクターが命じる。
 
「行くぞ」

 その声に応じて二人が布製の簡易担架を持ち上げる。もはや一刻の猶予もならなかった。
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