マリアの騎士―名高き王と古の眷属―

草宮つずね。

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第一部 はじまりの物語

第十四章 知恵の悪魔

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 豪華ではなくともなかなか美味な食事を堪能すると、皆、泥のように眠りについた。
 深い闇が辺りを包み込み、月明かりのみがかがやいている。マリアだけは寝付けず、そっと外へ抜け出した。レイヴァンが起きていたなら、もれなく説教が飛んでくるだろう。だが疲れていたようで、深く夢の世界へ沈んでいる。
 青白い光がマリアの姿を、くっきりと映し出す。淡い優しい光を反射して、薄い金の髪がきらめいた。まるで絵画のような景色は、もし画家がいればすぐにでも筆を執ったであろう。けれども冷たい外気と優しい月の光、夜行性の動物たちしかいない。
 ただ無言で月明かりを見つめていれば、背後で土を踏む音が聞こえてきた。ふりむくと、ソロモンがいる。

「どうかしたのか」

「いいえ。あなた様がおられなかったので、探しておりました」

「迷惑をかけてしまった、すまない」

 あやまると、ソロモンはゆるりと首を横に振る。そしてマリアのとなりに立つ。よい月夜ですね、と、静寂を壊さぬよう声をひそめた。

「あなたはなぜ、レイヴァンとともに旅立つと決められたのですか」

 冷たい風がふきぬけて、月に向かって花を舞い散らした。

「悔しかったからだと思う」

「悔しい、ですか」

 ああ、と、肯定する。後ろで、黒い影がうごめいた。

「無知で無力で、いつもレイヴァンを困らせてばかりだ。そんな自分が許せなかった。考え出したら、とても空しくて悔しい気持ちばかりがふくらんでいく。だから自分の足で立って、我が国を見てみたくなったんだ」

 前をまっすぐに見据えるマリアを見て、ソロモンは「ふっ」と息を漏らした。ふりかえって、影に声をかける。

「だ、そうだ」

 振り返ると、レイヴァンがいた。おどろいて固まってしまうマリアに、ソロモンが片眼をつむり口角を上げた。

「さて、わたくしはもう寝るとしよう。ではな」

 ソロモンの姿が闇に溶けると、レイヴァンが近づいてきた。マリアが少し表情をかたくする。緊張しているように、見えなくもない。

「先ほどはすまなかった」

「あれはすこし俺が苛立っただけです。あなたに“関係ない”と言われて、距離を感じてしまって」

「わたしの存在が、足枷になっているのではないかと思って。ごめんなさい、傷つけるつもりはなかったんだ」

 肩を落とせば、レイヴァンが優しく抱きしめる。

「よかった。あなたに嫌われたわけではなくて」

「嫌うだなんて、あるわけないじゃないか。わたしはレイヴァンのためなら、犠牲にする覚悟でついてきたんだ」

 抱きしめる手が強まる。あなたは何も犠牲にしなくて良いんですよ、と、黒い騎士がささやいた。俺はあなたのためなら命だって差し出せます、と。

「お前には幸せになって欲しい。だから、わたしのために傷ついて欲しくはないんだ」

 マリアを愛おしそうに、レイヴァンがなでる。ギルが起きて二人の姿を見つけた。甘い空気に出て行く機会をうしなう。草むらに身をやつして、ようすをうかがった。
 そっとレイヴァンが腕の力をゆるめる。自分の方へ向かせると顔を近づけ、唇が重なりそうになった刹那。闇に染められた草が音を立てた。ギルがぎくりとしたが、ただ風で揺られただけであった。ほっと胸をなで下ろしたが、姿が見えたのであろう。レイヴァンが「あと少しだったのに」と、ギルを見下ろしている。

「は、ははは……お、お邪魔しました」

 そそくさとギルは退散する。心の中で「あと少しだったのに」とぼやきながら。


 日が開けると、小屋から旅立ったのだが。

「なんで、お前たちまでいるんだ?」

 あきれるレイヴァンに、ソロモンが「まあまあ」とおどけた調子だ。

「なあに、せっかく面白そうな娘と出会えたのだ。この出逢いを逃していては、神に怒鳴り散らされよう」

「お前、楽しんでいるだろう」

 どうかな、と、ソロモンは満面に笑みを浮かべていた。

「姫様、どうですかな。ひとつ、わたくしの知恵を借りてみては」

「お主は知恵者なのか」

「少なからず、レイヴァンよりは頭が回りますよ」

 悪かったな、と、レイヴァンがうしろでぼやいた。マリアは苦笑いを浮かべながらも、ソロモンに「城での役職」を訊いた。せんえつながら参謀に似た任につかせていただいておりましたと、かるく頭を下げる。

「さ、参謀!? 戦略指揮をおこなっていたのか」

 マリアのみならず、ギルやクレアもおどろいているようであった。レジーは相変わらず、ひょうひょうとしている。かと思えば、「なにそれ」と首をかしげる。どうやら意味がわかっていなかったようだ。

「姫様がおっしゃったように、戦争において戦略指揮を助ける者です。ですが、わたくしは似た任務についていただけで、参謀ではございませぬよ」

 レジーが納得いったのか。「ふうん」と、どこかに目を移していた。すぐに興味がなくなったのだろう。相変わらずだな、と、ソロモンに視線を戻す。

「お主がそうだったのか。特定の人としか会えなかったから、あまり知らないんだ。父上はわたしに武器すら持たせたがらなかったから」

 ソロモンがうなづく。周りからはよく過保護だと言われていたが、陛下は信念を曲げはしなかった。なぜだかわかりますか、と、マリアに問いかけた。

「父上が周りから、言われていたのか?」

「ええ。毎日と言っていいほど、かならず誰かが言いました。けれどもあなた様には決して、武器を持たせなかったのです」

 マリアが言葉を失う。うつむいて、うなって、苦虫を噛みつぶした顔をうかべた。

「愛情です。たとえ王族であろうとも親という者は子どもに危険な目に遭わせたくはないものです。わたくしから言わせてもらえれば陛下は、とてもあなたに甘い。飴に砂糖をまぶしたぐらい甘い」

 マリアは呆気にとられた。だからあまり無茶をしてはいけませんよ、と、やわらかく笑む。

「でも、誰もうしないたくはないもの。武器をとるのはいけないの」

 武器をとらないのもまた戦略の一つ、と、ソロモンが説いた。顔を上げれば、ほほえむ参謀がいた。

「あなたになら、できる?」

「ええ、できますとも。あなた様が望まれるのであれば、知恵を授けましょう」

 マリアの目つきが変わり、ソロモンを見つめ返した。

「欲しい。誰もうしないたくはないから」

 マリアの手をとると「あなたのために尽くさせていただきます」と、ソロモンがうやうやしく頭を垂れた。

「ありがとう。けれども、わたしは返せるものがない」

「かまいませんとも。将来、お返しいただければ」

 目をまたたかせたが「ああ」と、うなづいた。足をはやめると、ソロモンは前を行くエリスに話しかける。マリアがぼんやりとながめていると、レイヴァンがとなりに来る。

「変わり者ですから、鵜呑みにしてはなりませんぞ」

「だが、信頼関係は一番大切だろう? 信頼していなければ、身動きできなくなってしまう」

 ソロモンの異名が不吉だからと、忠告したらしい。聞かない方がいいですよ、と、レイヴァンにもったいぶらされて異名が気になってしまう。マリアがあまりに目をかがやかせて、見つめるものだから口を開いた。

「知恵の悪魔と、呼ばれています。しかも“知恵王”と名が同じであるからか、王が使役したとされる悪魔の名をとってもう一つ異名があったのですが忘れました」

 もう一つの異名も気にはなったが、目的は達成されたので胸がすく。

「レイヴァンは異名、あるのか」

「さあ、周りを気にしない質なので」

 そうか、と、落胆の色を見せる。ふと顔を上げて「ないなら考える」と、意気込んで考え始めた。
 考え込んでいるマリアを見て、レイヴァンはやはり可愛いと見つめてしまうのだった。

***

 ベスビアナイト国、王都ベスビアスをラースがグレンとともに旅立っていた。グレンは第一王子をコーラル国へ連れて帰ると表面上はしながら、マリアがいるであろう場所へ向かっている。ラース王子はなかなかマリアに会えないからか。しびれを切らして、かんしゃくを起こし始めていた。

「ええい、いつになったら姫に会えるのだ!」

 グレンは心の中でため息を零しながら、「もうしばらくご辛抱下さい」といさめた。ラースは顔を歪める。

「やれやれ。こやつが王となったら、滅亡は避けられぬな」

 グレンが心の中でこぼした。一方、ラースは相手の心情などつゆ知らず、ぶつぶつとぼやいている。どうせ不満を一人で勝手に言っているのだろう。こんな主の元では、臣下たちはさぞ苦労するであろう。目に見えてそれがわかるほどに、ラースはできの悪い王子と周りからよくささやかれていた。国王には小心者で一切さからわない。反対に臣下に対しては、怒鳴り散らす。国王も見抜いているのか。次期国王には、第二王子アンドレアスとさだめているようだ。いつだったか。国王がもらしていたのを聞いていた。実際に会ってみると、国王の判断が正しいと認めざるを得ない。
 ベスビアナイト国の王子は、性別を隠して生きている。娘でありながら、なかなかよい剣士を連れている。どこの骨ともわからぬ吟遊詩人も仲間に引き入れている。少なくとも信頼が置ける人間を側に置いているはず。そんな彼女が、気になってしまう。
 あの娘がラース王子に会ったら、どんな顔をしてどんな言葉を吐くのだろう。グレンからすれば、すこし楽しみであった。グレンはグレンなりに、あの娘を気に入っていたのだ。

「あの男も、なかなかあっぱれな男だ」

 剣を交えた男を思い浮かべる。毒を受けてでも、あの男は守ろうとした。たかが吟遊詩人が、命をかけてでも守る主だ。気にならないわけがない。あの距離でグレンを射った男レイヴァンも気になっていた。
 ベスビアナイト国が誇る正騎士だと、すぐにわかった。剣だけでなく、弓の技倆うでもたしかだ。正面対決する日が楽しみだ。
 冷気が馬車の開けた窓から、舞い込んだ。あまりの寒さに身をよじる。冬に近づいた季節。こんなに寒かっただろうか。寒気の中を、姫君は旅しているのか。尊敬にも似た念を抱いてしまう。

「おい、寒いぞ」

 怒気の混じったラースの声色に、現実へ引き戻された。半ば仕方なく窓をと閉めた。やはり悪口は止まない。次から次へと雑言が出てくる口が、「むしろすごいな」と感じてしまうのは毒されているからだろうか。グレンの心境を知って知らずか。なおもぐちぐちと、口跡が続いている。心の中で、ため息ついた。ラースの悪口は止まらないし、馬車も止まらない。ため息混じりに外をながめれば、凍り付いた空と大地が広がっているだけであった。

***

 さむい、と、マリアがこぼした。
 空は氷のように半透明で、大地は凍り付いているかのようだ。冬が近づいている。ベスビアナイト国の気候は朝と夜が寒いが、冬になれば話は別だ。日中でもとてつもなく寒くて凍えてしまいそうになる。一般に夕方と呼ばれる時間には、日も沈んでしまう。雪もうずたかく降り積もり、成人男性の足がすっぽりとおさまってしまうほどだ。マリアの場合だと、足どころか躰がすっぽりと埋まってしまいそうだ。だからこそ、はやく支城へおもむかなくてはならない。そう考えてレイヴァンたちは、やや駆け足だ。
 もちろんほぼ城の中で過ごしてきたマリアは、皆の考えなど知らない。ただ「外は寒かったんだなあ」ぐらいにしか考えておらず、暢気に曇り空を見上げていた。すると、ちらちらと白い物が降りそそいできた。
 エリスが「珍しいですか」と、マリアに近寄った。窓から雪をながめていたため、首を横に振る。

「いつも窓から、ながめるだけだったから。でも外はこんなにも寒かったんだな」

 楽しげなマリアに、エリスの頬がほころぶ。ただ純粋な姫君が、愛らしく思えたのだ。主とか王族とかすべて抜きにして、守ってあげたくなる衝動に駆られる。王子として育てられてきた少女であるが、やはり中身は可愛らしい娘以外の何者にも見えなかった。しかし少女はどうやら、自分の国をよく見たいがために旅立つと決めたという。

「雪も降り始めたようですからね」

 地理的に北方に位置するため、きほん寒い。日中は他の北方にある国に比べれば温かい方のなのだが、気温が低いのはたしかだ。夏から秋口までにかけての日中と、朝晩の気温差は砂漠のように気温差がある。これからは日中だろうと寒くなる。寒暖の差が激しくない点では良いかもしれないが、逆にずっと寒いようでは手足がかじかんで行動力がにぶる。
 エリスが「もうそんな季節か」と、空を見上げた。支城へはやく行って暖まりたいな、と、となりでマリアがほほえむ。苦笑いを浮かべてしまう。城へははじめてのため、どんな建物の構造なのか気になっているというのが本音だ。未知の物に対して夢を抱く自分も、まだまだ子どもだなと自分で笑ってしまう。幼い頃に読んだ本のような世界ではないだろうが、夢を抱いてしまう。ふとエリスは、話題を振った。

「姫様は、おとぎ話は好きですか?」

 マリアが「もちろん」と、ほほえんだ。エリスの頬が、少しばかり紅潮する。

「では、灰かぶり姫シンデレラとか白雪姫とか好きですか」

 ずいぶんとメルヒェンだな、と、マリアがつぶやいてしまう。エリスが頬を染めてうつむく。うしろにいたソロモンが、「エリスはメルヒェンが好きだからな」と笑った。

「わたしも好きだぞ? だって、いまだに運命の王子様にあこがれてしまうもの」

 栗毛色の瞳を青い瞳が見つめ返して、やわらかくほほえむと背後を影がさした。顔を向けるとギルがいる。驚いているマリアの後ろから、ぎゅうと肩を抱きしめる。

「王子様にあこがれるなんて、姫様もまだまだかわいいですね」

「ギルっ……」

 マリアが声を上げた。威圧感をまとわせたレイヴァンが、怒りをあらわにして立っている。指が剣の柄にかけられていた。
 エリスは「どうしましょう」と、うっすらと汗をうかべている。ソロモンはおかしそうに「しばらく様子を見よう」と、くつくつとわらうのだった。
 ソロモンとのつきあいが長いエリスであったが、なにが楽しいのかわからなくて首をかしげた。クレアは傍観者としてながめていて、レジーに話し掛ける。

「ギルってば、レイヴァンにうらまれる覚悟で、姫様に接触してどうするつもりなのかしら」

「さあ。ただギルの行動の意味は、なんとなくわかる」

「ええ!? わかるの? あなた意外と人をちゃんと見ているのね」

 レジーは「まあ」と、意に介していないようすだ。好奇心をかき立てられたクレアが、答えを求めてせまる。ギルは「言うな」と、にらんでいた。視線を受けて、ごくりと唾を飲み込むと。

「やっぱり、わからない」

「どっちよ!?」

 レジーの下手くそな嘘の付き方に、ギルは嘆息しかけた。クレアはちっとも、うたがう様子がないので良しとする。自分の背に殺気を飛ばしてくる騎士の方が重傷だ。主を思っているのならば、さっさと告白して恋人でも夫婦でもなればいいものを。なのに気に入らなければ、殺気を飛ばしたりにらみ付けたりするばかりで具体的な行動は起こしていない。
 レイヴァンの彼女に対する執着と過保護は、主従を超えている。おそらく、昔からなのだろう。行動を起こさないのは彼女の出自上なのか。もっと別の所に理由があるのか。思考をめぐらせていると、マリアがたじろいだ。可愛いと思ってしまう自分がいて、どんだけ女性に対して見境がないのだろう。

「なあ、ギル」

 腕の中にいるマリアに話し掛けられて、ぎくりとする。どうかしましたか、と、いつもどおりの調子をつくろった。

「ギルはどうして、わたしについてきてくれたのだ」

 自分でおどろくほどに間抜けな声が、もれた。すこし考えて、後ろにいる騎士にも聞こえるように大きな声を出した。

「決まっているじゃないですか、あなたが可愛い人だからですよ」

 マリアが真意を求めて見つめていると、ギルは優しいまなざしを向けた。

「あなたが主でよかった」

 いままでのお調子者の声じゃない。真剣で熱がこもった声でささやくと、前を進んでゆく。その背中を呆然と見つめていると、「いかがなさいましたか」とレイヴァンがとなりに来た。

「いや、すこし勇気がわいてきた」

 凛と煌めく視線をどこかへ向ける。青い瞳に遠い未来を、映しているかのようであった。レイヴァンが言葉を失う。勇ましい姿を見つめていたが、我に返る。

「あの男になんと言われたか存じませんが、俺はいつでもあなた様の味方ですから」

 マリアが花を咲かせるように、「ありがとう」とかがやく笑顔を向けた。レイヴァンがわずかにほほえむ。かと思えば片眉をつり上げて、なおも近くでと笑っているソロモンに詰め寄った。

「お前は、いつまでわらっているんだよ」

 ソロモンは腹を抱えてわらっている。レイヴァンは怒っているものの、どことなく表情はやわらかい。旧友というだけあって、仲はよいようだ。
 おもしろかった、と、ソロモンはつぶやくとマリアに視線を移す。今度は意地の悪い笑みを浮かべた。

「姫君、あなたはこれからどうしますか」

「どうするって、旅を続けて――」

「言い方を変えます。いつになったら挙兵し、国を取り戻しに向かわれるのですか」

 はっとする。旅が楽しくて、すっかり忘れてしまいそうになっていた。自分は城を追われて、レイヴァンと合流し、こうして生きている。いつまでも、旅をするわけにはいかない。分かり切っていたのに、旅をして自分の国を見たいという願望ばかりを持っていた。
 国は早く取り戻したい。願いにいつわりはない。しかし、どうすればよいのだろう。まだ幼いのだから、なんてすまされない。だが、自分は甘えていたのだ。自分には何も出来ないと。ただの甘えでしかなかったのに。ソロモンに気づかされて、どうすればいいのかわからなくなってうつむいた。

「姫様。わたくしはコーラル国が、おろかだといいました。なぜだか、おわかりですよね」

「城攻めは、やむなく用いる最後の手段」

 よくできました、と、マリアを少しだけほめて本題へと入っていた。ソロモンが言うには、「戦わずして勝つ」のが一番良い。だが、コーラル国は武力でうったえてきた。

「我が国がコーラル国の策に、引っかかったのはなぜだと思われますか」

 マリアが顔をゆがませる。どうしてなのか、わからなくて困惑しているようだ。すると、ソロモンは人差し指を立てた。

「ひとつ、我が国はかつての参謀の知略によって守られておりましたが、逆手に取られたこと。ふたつめ、勝利の目算を甘んじたこと」

 無知であるマリアに、すこしずつ説いて聞かせた。かつての参謀。つまりソロモンの師が、良くも悪くも知略に長ける人であった。ゆえに国王からの信頼も厚く、彼を悪く言う者もいなかったという。

「昔話もほどほどにいたしましょう。彼が行った戦略は、支城を建てて周辺諸国の状況を見。防衛に力を入れて、向こうが仕掛けてきたら、『敵のくずれを待つ』策略の下、勝利して参りました」

 彼が参謀を降りてからは、新たに参謀につく者もおらず。ただ防衛ばかりに、力をそそいで参りました。何が起こったかわかりますか、と、問われてマリアが考え込む。「裏をかかれたのか」ともらせば、ソロモンがおもおもしくうなづく。

「陛下は間者スパイの存在に気づかなかった。だから間者スパイの口車にまんまと乗せられたのでしょう。『今まで通り守りを固めて相手の隙を見て攻撃に転じましょう』と言われて」

 陛下は部下を皆、信頼してしまうほどお人好しですから。臣下に慕われるゆえんでもありますが、と、にがい顔色を浮かべる。

「今回は仇となってしまった。コーラル国はわざと隙を見せて、攻撃に転じさせた。だがコーラル国は準備をすすめており、戦場では多くの仲間の命が失われてしまった。城門がいくら堅くとも、中にいる仲間が開けてしまえば意味を持たない」

 つまり、今までの戦略がまんまと破られてしまった。戦略は時に応じて変えなければならない。我が国はまんまと引っかかったのだ。隙があると見せかけて、実は隙なんてなかったのだ。コーラル国の策略にも、感嘆の息を漏らさずにはいられなかった。

「だから城へもやすやすと、入って来れたのだな」

「はい。わたくしもはじめは、城攻めを行うなどなんとおろかな策を選んだのだろうと思いました。ですが姫様やレイヴァンの話を聞いて納得いたしました。彼らは知略を持ってして、我が国をおとしめたのだと」

 マリアがぎゅと手を握り締める。凍えた指先が赤くなっていた。ずいぶんと冷えていたらしい。手をさすっていると、エリスが握りしめてきた。あたたかな体温が手を伝う。

「エリス?」

「寒そうにしていらしたから。それに泣いているように見えまして」

 そんな顔していただろうか、と、エリスの茶色の瞳をのぞき込む。

「すまない、エリス。どうやら心配をかけてしまって。大丈夫だから。わたしは、元気だから」

 ふるえる声に胸を打たれて、エリスがぎゅうと手を握る。

「あなたは甘やかに育てられてきた姫君なのでしょう? なのに、どうして甘えてくださらないのですか。つらいときはつらいと、はっきりおっしゃってください。せめて弱音くらい聞かせてください」

 青い瞳が嬉しげにほころんだ。

「ありがとう。でも甘えるのは、もうやめると決めたんだ」

 マリアのするどい視線に、閉口してしまう。ソロモンが「では、いかがなさいますか」と、ふたたび命を請う。

「とりあえず、支城へ向かう。挙兵は戦力が集まり、武器類がととのい次第おこなう」

 了解いたしました、と、策士がうやうやしく頭を垂れた。
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