『すり替えられた婚約、薔薇園の告白

柴田はつみ

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第二十章 公爵家会議(カルロス)

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 ヴァレンタイン公爵家・大書院。
 高い天井には古い油絵が並び、
 窓辺から差す光が緋色の絨毯に長い影を落としていた。

 重臣たちのざわめきが、低い波のように続く。

「……ご覧あれ、閣下。これが例の“密会図版”でございます」

「近衛と……シャーロット様が……?」

「いや、本物ではない。だが……街ではそう騒がれております」

 老公爵の前に置かれた新聞紙の上。
 白と黒の影が寄り添って写っている。

 老公爵は深い溜息をついた。

「シャーロットは……あの子は、そんな娘ではない」

「それは確かに。しかし、噂というものは……」

「事実より速い、というやつだな」

 重臣たちは困惑しながらも、
 視線をひたすら紙に落とし続けていた。

 ――その奥の扉が、重い音を立てて開く。

「……失礼する」

 カルロスが姿を現した。

 重臣が続々と立ち上がる。

「公爵家後継、カルロス様。
 この件について……お考えを伺いたく……」

「……考えは、もう決まっている」

 いつもは静かな男の声が、
 この日は、低く鋭く響いた。



 カルロスは机上の図版を手に取り、
 ただ一瞥した。

「これは偽造だ」

「し、しかしシャーロット様のお姿が……」

「違う」

 カルロスの声が、
 書院の広い空気を一気に張り詰めさせる。

「まず、あの白い影の裾。家の刺繍が左右反転している。
 ヴァレンタイン家のレースは反転しない。
 近衛の礼装のボタンも数が違う。
 紗幕の位置も舞踏室の構造と合わない」

 重臣たちは言葉を失った。

 老公爵だけが、静かに息をつく。

「……よく見ておるな、カルロス。
 だが、街の者はそこまで見ない。
 『影が寄り添っている』――その一点だけで騒ぎ立てる」

「だからこそ……」

 カルロスは図版を机に叩きつけた。

「――黙ってなど、いられない!」

 はじめて、
 公の場で感情を露わにした瞬間だった。

 重臣たちが驚きに息を飲む。


 カルロスは深く息を整え、
 言葉を続けた。

「まず、公爵家として声明を出す。
 “図版は事実と異なる可能性が濃厚である”と」

「しかし……相手は伯爵家ですぞ。
 角の立つ対応をすれば、派閥が――」

「角が立って困るのは“図版を作った側”だ」

 カルロスは静かに重臣の顔を見渡した。

「このまま沈黙してみろ。
 シャーロットの名誉はどうなる?
 あの子がどれほど心を痛めるか、わからないのか」

 その言葉に、老公爵が小さく目を細める。

「……シャーロット嬢のため、か」

 カルロスは否定しなかった。

「彼女を守ることが……
 ヴァレンタイン家の名を守ることになる」

「……ほう」

 若い後継者が口にした“守る”という言葉。
 それはただの情ではなく、
 家の責務としての重みを帯びていた。


「そして――」

 カルロスは図版を指で押さえながら言う。

「この影の角度。
 鏡、照明、紗幕……仕組んだ者が必ずいる」

「まさか……伯爵家……?」

「名指しはしない」

 しかし。

 カルロスの目が鋭く光った。

「だが、“角度を作れる立場の者”は……限られている」

 その瞬間――
 老公爵が静かに呟いた。

「……マリナ嬢、か」

 書院の空気が、さらに冷たくなった。

 カルロスは答えない。
 だが沈黙そのものが答えになっていた。



「カルロスよ。
 お前は……あの娘をどれほど想っておる?」

 唐突な問い。
 重臣たちが息を飲む。

 カルロスは、ほんの一瞬目を伏せた。
 答えること自体が、
 公爵家の未来を決めるのだと分かっているから。

 そして。

「……幼い頃からずっと……大切に思っている」

「“幼馴染として”か?」

「……いいえ」

 カルロスは顔を上げた。

「――“一人の女性として”です」

 書院が静まり返る。

 老公爵は深く頷いた。

「そうであろうと思っていた。
 ならば……シャーロット嬢の名誉は、家を挙げて守る。
 この件、ヴァレンタイン家が動く」

 重臣たちが一斉に立ち上がる。



「声明文を作れ。
 筆頭家令は印刷ギルドへ走れ。
 近衛にも正式に協力要請を出す」

「はっ!」

 怒涛のように命が飛び、
 重臣たちが散っていく。

 カルロスは机の前に立ち尽くしていた。

(シャーロット……
 影のせいで泣くことなど、させない)

 手が拳を握る。

(必ず……取り戻す)

 その決意は、
 静かな炎のように燃え続けていた。
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