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マリナ視点:動きに気づく午後
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午後のサロンは、
窓から射し込む光で淡い金色に染まっていた。
紅茶の香り。
書類のざらつき。
薔薇の影。
いつもなら安らぐはずの光景が、
今日だけは“落ち着かない”。
マリナは書類を丁寧に揃えながら、
ほんのわずかな異変を感じ取っていた。
(……静かすぎる)
王都全体が、
息を潜めているようだった。
「お嬢様……あの、公爵家の動きが……少し妙でして」
リディアが控えめに扉を開けた。
「妙?」
「はい……。
普段は礼儀正しい侍女たちが、
一様に“噂話をしない”んです」
マリナの指が止まる。
「しない?」
声が低く落ちる。
「はい。
シャーロット様の件を聞かれても
“存じません”とだけ……。
まるで、“口外するなと命じられている”ようで」
(……口外禁止?
そんなはず……)
しかし胸の奥で、
ひとつ言葉が冷たく響いた。
(――王家の指示?)
続いて、別の侍女が駆け込んできた。
「お嬢様! 写場の職人が……!」
「どうしたの?」
「先日の慈善夜会の“影の図版”ですが……
写場の職人が、“鏡の継ぎ目が広かった”と言い始めて……」
空気が鋭く震えた。
「誰に言ったの?」
「さ……侍女仲間に……。
それが噂になりつつあります」
マリナはゆっくりと椅子の肘掛けに手を置いた。
優雅な姿勢なのに、
指先だけが僅かに力をこめている。
(継ぎ目……。
あの半寸のずれに気づいた?
職人が喋った?)
胸の奥で
小さな怒りがじくじくと膨らむ。
(……あれは“わざと”よ。
でも、それを口にされては困る。)
さらに、リディアが続けた。
「お嬢様……今朝、
“近衛の侍女頭マーガレット”様が、
公爵家に向かったそうです」
「――何のために?」
「わかりません。
ただ……封書を手にされていたようで……」
部屋の空気が静かに凍った。
(封書……
それは“身上書”か、“花束の件”か……
どちらにせよ、動いている?
何かを掴んで?)
「……その話、確かですか?」
「はい。侍女仲間が……」
「もう結構よ」
マリナは甘い声で遮ったが、
その声は氷のように冷たかった。
マリナは立ち上がり、サロンを歩いた。
窓越しの午後の薔薇園が、
いつもより風にざわついて見える。
(――嫌な気配。
何か……動いている。
何かを……隠している)
だが、理由は分からない。
(クリスの動き?
王妃の指示?
それとも……シャーロット?)
胸がざわめいた。
あの大人しい令嬢が、
“沈黙の裏で何かを守っている”ような、
そんな奇妙な予感。
マリナは扉の前で足を止める。
(噂が……止まっている)
王都は、噂が“速い”。
そして“広い”。
本来なら、
影の図版は瞬く間に炎のように広がり、
シャーロットは社交の場で窒息したはず。
なのに――
(どうして、鎮まっているの?
どうして、静かなままなの?)
まるで風向きが変わったのだ。
(……風。
風向き――。
誰が止めたの?
王家? 近衛?)
考えるほど、
胸の内側がゆっくりと締めつけられていく。
「リディア」
「はい……お嬢様」
「伯爵家の印刷所に……
“新しい版下”を手配しなさい」
「版下……新たな噂を?」
「そうよ。
“火”が弱まったなら、
こちらで焚きつけるまで」
しかしリディアは、
ほんの一瞬だけ躊躇した。
「……お嬢様。
本当に……続けるのですか?」
その問いは、
まるで薄い刃物のように
マリナの胸を掠めた。
「――何が言いたいの?」
「い、いえ……ただ……
この静けさが……こわくて……」
マリナはリディアに歩み寄り、
彼女の頬にそっと手を添えた。
優しい仕草。
美しい笑顔。
けれど、その奥の目は笑っていなかった。
「怖がる必要なんて、ないのよ」
「……お嬢様……」
「風向きは、
“私に”吹いている。
吹かせているの。
わかる?」
リディアの肩が震えた。
(……違う。
風向きは、変わってる。
あなたが気づいていないだけ……)
そんな言葉を、
侍女は飲み込んだ。
マリナは再び窓辺に立ち、
ゆっくりと外を眺めた。
陽光が淡く揺れ、
薔薇の花弁がひとひら落ちる。
ひらり――
白い花は風に乗った。
ただ、その落ち方が
なぜか悲しく見えた。
(……何か、来る)
マリナは胸に手を置いた。
(風が……
冷たくなってきた)
それは、
彼女自身が無意識に
“焦り”を覚え始めた証だった。
窓から射し込む光で淡い金色に染まっていた。
紅茶の香り。
書類のざらつき。
薔薇の影。
いつもなら安らぐはずの光景が、
今日だけは“落ち着かない”。
マリナは書類を丁寧に揃えながら、
ほんのわずかな異変を感じ取っていた。
(……静かすぎる)
王都全体が、
息を潜めているようだった。
「お嬢様……あの、公爵家の動きが……少し妙でして」
リディアが控えめに扉を開けた。
「妙?」
「はい……。
普段は礼儀正しい侍女たちが、
一様に“噂話をしない”んです」
マリナの指が止まる。
「しない?」
声が低く落ちる。
「はい。
シャーロット様の件を聞かれても
“存じません”とだけ……。
まるで、“口外するなと命じられている”ようで」
(……口外禁止?
そんなはず……)
しかし胸の奥で、
ひとつ言葉が冷たく響いた。
(――王家の指示?)
続いて、別の侍女が駆け込んできた。
「お嬢様! 写場の職人が……!」
「どうしたの?」
「先日の慈善夜会の“影の図版”ですが……
写場の職人が、“鏡の継ぎ目が広かった”と言い始めて……」
空気が鋭く震えた。
「誰に言ったの?」
「さ……侍女仲間に……。
それが噂になりつつあります」
マリナはゆっくりと椅子の肘掛けに手を置いた。
優雅な姿勢なのに、
指先だけが僅かに力をこめている。
(継ぎ目……。
あの半寸のずれに気づいた?
職人が喋った?)
胸の奥で
小さな怒りがじくじくと膨らむ。
(……あれは“わざと”よ。
でも、それを口にされては困る。)
さらに、リディアが続けた。
「お嬢様……今朝、
“近衛の侍女頭マーガレット”様が、
公爵家に向かったそうです」
「――何のために?」
「わかりません。
ただ……封書を手にされていたようで……」
部屋の空気が静かに凍った。
(封書……
それは“身上書”か、“花束の件”か……
どちらにせよ、動いている?
何かを掴んで?)
「……その話、確かですか?」
「はい。侍女仲間が……」
「もう結構よ」
マリナは甘い声で遮ったが、
その声は氷のように冷たかった。
マリナは立ち上がり、サロンを歩いた。
窓越しの午後の薔薇園が、
いつもより風にざわついて見える。
(――嫌な気配。
何か……動いている。
何かを……隠している)
だが、理由は分からない。
(クリスの動き?
王妃の指示?
それとも……シャーロット?)
胸がざわめいた。
あの大人しい令嬢が、
“沈黙の裏で何かを守っている”ような、
そんな奇妙な予感。
マリナは扉の前で足を止める。
(噂が……止まっている)
王都は、噂が“速い”。
そして“広い”。
本来なら、
影の図版は瞬く間に炎のように広がり、
シャーロットは社交の場で窒息したはず。
なのに――
(どうして、鎮まっているの?
どうして、静かなままなの?)
まるで風向きが変わったのだ。
(……風。
風向き――。
誰が止めたの?
王家? 近衛?)
考えるほど、
胸の内側がゆっくりと締めつけられていく。
「リディア」
「はい……お嬢様」
「伯爵家の印刷所に……
“新しい版下”を手配しなさい」
「版下……新たな噂を?」
「そうよ。
“火”が弱まったなら、
こちらで焚きつけるまで」
しかしリディアは、
ほんの一瞬だけ躊躇した。
「……お嬢様。
本当に……続けるのですか?」
その問いは、
まるで薄い刃物のように
マリナの胸を掠めた。
「――何が言いたいの?」
「い、いえ……ただ……
この静けさが……こわくて……」
マリナはリディアに歩み寄り、
彼女の頬にそっと手を添えた。
優しい仕草。
美しい笑顔。
けれど、その奥の目は笑っていなかった。
「怖がる必要なんて、ないのよ」
「……お嬢様……」
「風向きは、
“私に”吹いている。
吹かせているの。
わかる?」
リディアの肩が震えた。
(……違う。
風向きは、変わってる。
あなたが気づいていないだけ……)
そんな言葉を、
侍女は飲み込んだ。
マリナは再び窓辺に立ち、
ゆっくりと外を眺めた。
陽光が淡く揺れ、
薔薇の花弁がひとひら落ちる。
ひらり――
白い花は風に乗った。
ただ、その落ち方が
なぜか悲しく見えた。
(……何か、来る)
マリナは胸に手を置いた。
(風が……
冷たくなってきた)
それは、
彼女自身が無意識に
“焦り”を覚え始めた証だった。
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