『すり替えられた婚約、薔薇園の告白

柴田はつみ

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第三十八章「花嫁の影(シャーロット×涙)」

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 夕暮れのヴァレンタイン邸。
 白薔薇の垣根が揺れ、
 風が色を変えて吹き抜けていく。

 侍女アンナが慌てた様子で駆け込んだ。

「お嬢さま……っ、これを……!」

 差し出されたのは、
 王都中に広まった号外だった。

《公爵家後継者、近衛騎士との縁談か――
 慈善夜会で“寄り添う影”を確認》

「…………え」

 紙が指の先で震えた。

 次の瞬間、
 胸がつっと冷えていく。

(そんな……
 わたし……何も……)

 記事の中央には、
 白い裾と黒衣が並んだ、淡い“影”。

 確かに自分のドレスに似ている。
 でも――あれは自分ではない。
 なのに、影は嘘をつかず、
 “物語”を勝手に作り出しているようだった。



「お嬢さま……!
 噂が……王都中で……」

「アンナ……みんな……なんて?」

 アンナは言い淀んだあと、
 苦しそうに答えた。

「“ヴァレンタイン嬢は、
 騎士様の花嫁になるそうよ”と……
 “もう決まったのだろう”と……」

 喉がきゅっと締まった。

(違う……違うのに……
 どうして……)

 シャーロットは号外を握りしめ、
 廊下の壁にもたれた。

「……カルロス様は」

 その名前を口にした瞬間、
 胸が痛んだ。

「カルロス様は……
 こんな噂を……どう思われるのかしら」

 幼い頃からずっと隣にいた人。
 彼の隣で笑うためだけに、生きてきた。
 なのに――

 彼の名と自分の名のあいだに、
 別の人の影が入り込んでしまった。



「……クリス様にも失礼よ。
 こんなの……」

 侍女アンナが泣きそうな顔で近くへ寄る。

「お嬢さまは悪くありません……!
 皆わかっています……!」

「でも……
 “影”が語ってしまっているの」

 シャーロットの声は震えていた。

「――わたしが、
 誰かの花嫁になると」

 そこまで言うと、
 耐えきれずに目を伏せた。

(いや……いや……
 そんなの……認めてしまったら……
 カルロス様に、本当に届かなくなる……)

 沈黙は時に守ってくれる。
 でも今回は――
 沈黙が、彼女を沈めようとしていた。



「シャーロット……」

 控えめな声がした。
 兄のアレンが、重い足取りで入ってきた。

「外の噂は本当ではない。
 だが……お前の名誉は危うい」

「……お兄さま」

「“訂正するかどうか”
 王家が動き始めている」

 シャーロットは息を呑んだ。

王家?
あの王妃が?

「お前の沈黙は、
 “婚約を認めた”と取られかねない。
 噂は……早い」

「わたし……何も言っていません」

「だから危ないんだ」

 兄はそっと肩に手を置いた。

「――シャーロット。
 お前は、誰の花嫁になりたい?」

 その問いは、
 胸の奥にしまっていた痛みを
 静かに引きずり出す刃だった。

 シャーロットは涙を拭い、
 震える指で胸元を押さえた。

「……わたしは……」

(カルロス様……
 ずっと、ずっと……あなたが……)

「……でも……
 わたしの想いなんて、
 もう届かないかもしれない」

 アレンは姉の顔を見つめ、
 静かに首を振った。

「お前の沈黙を、沈黙のままにしない男なら――
 どれほど噂があろうと、必ず動く」

 その言葉に、
 シャーロットはハッとした。

(カルロス様は……
 動いてくれるでしょうか……)

 胸が、痛いほど締めつけられた。



そのとき――
廊下の遠くから重い足音が響いた。

公爵家の紋章をつけた伝令が立っていた。

「ヴァレンタイン嬢へ。
 “公爵カルロス殿下、
 ただちにお会いしたいご所望”」

 シャーロットの心臓が跳ねた。

「――カルロス様が?」

「はい。
 “誤解を正したい”とのことです」

 その言葉に、
 胸が熱くなり、涙があふれた。

(……カルロス様……
 わたしの名を……
 まだ、呼んでくださるの……?)

 影に飲み込まれかけた心に、
 わずかな光が差しこんだ。

 だがまだ――
 影は消えていない。
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