『すり替えられた婚約、薔薇園の告白

柴田はつみ

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裏章:第四十章「マリナの迎え支度 ――“来るなら来なさい”」

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 ロズモンド邸の午後は、
 わずかに曇っていた。
 風に揺れるカーテンの影が、
 床にゆらりと波を描く。

 侍女リディアが駆け込んできた。

「お嬢さま……!
 公爵カルロス様が、こちらに向かっておられると……!」

 声は震え、
 目には恐怖が浮かんでいる。

 しかし――
 その知らせを受けたマリナは
 ひどく静かだった。

「……そう。
 来てくださるのね」

 むしろ、微笑んだ。



「お、お嬢さま……!
 どうしましょう、どうすれば……!」

 リディアの狼狽を横目に、
 マリナはゆっくり立ち上がる。

「まずは――
 お客様を迎える準備をしましょう」

 優雅な声。
 戦の前なのに、
 まるで茶会の支度のような口調。

「迎える……?
 お嬢さま、相手は“怒って”……!」

「怒りは、
 “気持ちがある証拠”よ」

 その台詞は、
 自分に言い聞かせるようでもあり、
 甘美な期待を含んでいた。

「そして――
 怒っている人ほど、
 “弱い隙”を見せるもの」



 マリナはドレッサーの前へ移動し、
 侍女に髪をゆるく梳かせた。

「カルロス様は、
 必ず“理由”を探しに来るわ」

「り、理由……?」

「“どうしてシャーロット様が泣いたのか”
 “誰が噂を広めたのか”
 “なぜ影が作られたのか”」

 ひとつひとつを指でなぞるように。

「でも――
 “わたくしが犯人”だと決めつけたい気持ちが
 先に動いてしまうのよ」

「……決めつけたい?」

「ええ。
 噂が怖い人ほど、
 “敵を作れば安心する”の」

 マリナは鏡越しに微笑んだ。
 鏡の中の瞳は、静かに燃えていた。



「では……
 本当に、どうされるおつもりなのですか」

 リディアが震えながら尋ねると、
 マリナは淡い紫のドレスを選びながら答えた。

「簡単なことよ」

 ドレスを胸元で合わせ、
 体にぴたりと収める。

「“疑われる隙のない淑女”として、
 彼の前に立つの」

 ゆっくり扇を広げる。

「そして――
 カルロス様に、
 “怒る理由”をひとつずつ溶かして差し上げるわ」

 その声は甘く、
 同時に鋭い刃を忍ばせていた。



「でも……
 お嬢さま、噂は……!
 騎士クリス様との影の件も……」

 マリナは首を振る。

「影など、
 どうとでも説明できるもの」

 鏡の前で、瞼に薄く光を乗せる。

「“護衛実演の準備”
 “侍女の配置ミス”
 “陰影の誤解”
 “慈善夜会の混雑”」

 ひとつひとつ言葉を並べるたび、
 リディアの顔色が変わっていく。

「説明が三つあれば、真実になる。
 説明が五つあれば――
 『真実を信じない側』が疑われるのよ」

 マリナは、
 自分でもその論理が狂気に近いと知っていた。
 だが、“恋”と“野心”が混じると、
 人の心はどこまでもまっすぐになる。



 仕上げに、
 アイリスの香を手首に少しだけつけた。

 それは、
 伯爵家特有の“証拠にも匂いにもなる香り”。

(……この香りが、
 今日のわたくしを証明するわ)

「リディア、
 客間の照明を少し落としておいて。
 刺す光は怒りを強める。
 柔らかい光は、人を弱らせるの」

「は、はい……!」

「それから――
 カルロス様が来られたら、
 必ずこう言うのよ」

 マリナはリディアに顔を寄せ、
 耳元でささやいた。

「“お嬢さまは、
 ずっと閣下のことを心配しておられました”」

 リディアの背筋がぶるりと震えた。

「お嬢さま……
 それは……」

「嘘ではなくてよ?
 カルロス様の動静は、
 いつも気にしていたもの」

 マリナはゆっくりと立ち上がった。

 その姿は――
 戦場へ向かう女ではなく、
 “花嫁として迎えられる準備を整えた淑女”
 そのものだった。



「来るなら、来なさい……
 カルロス様」

 扇を静かに閉じながら、
 マリナは微笑んだ。

「わたくしはもう、
 “影の中の悪役”などではない。
 あなたの未来に――
 “相応しい場所”を手に入れるのよ」

 その瞳は、
 決して折れない光を宿してい。
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