二番目でいい。それがあなたの隣にいられる唯一の方法だから

柴田はつみ

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第6話「突然の求婚」

 クリスはまた来た。
 翌週の昼過ぎ、また「近くに用があった」と言いながら現れた。その次の週も、また翌週も。
 気づけば、週に一度会うのが当たり前になっていた。

 特別なことをするわけではない。ただ応接室で向かい合って、紅茶を飲みながら話す。時間にして一時間ほどのことだ。
 でもその一時間が、わたしの一週間の中でいつの間にか、一番楽しみな時間になっていた。
 いけない、と思う。
 でもやめられなかった。

 その日も、クリスはいつも通りやってきた。
 空は少し曇っていて、風が秋の匂いをはらんでいた。応接室に通すと、クリスはいつものソファに座って、いつものように外を見た。

「今日は寒いな」
「そうね」わたしは向かいに座った。
「もうそんな季節だもの」
「ミリアも寒がっていないといいが」
「北部は冬が早いって聞くわね」
「ああ」
 紅茶が運ばれてきて、しばらく他愛のない話をした。
 いつもと変わらない時間だった……
 のはずだった。

 話が一段落して、少しの沈黙があった。
 クリスが紅茶のカップをソーサーに置いた。それからわたしを見た。
 その目が、いつもと少し違った。
 何かを決めたような、でも迷っているような。そういう目だった。

「アリス」
「なに?」
「一つ、聞いていいか」
 改まった声に、わたしは少し姿勢を正した。

「もちろん」
 クリスが目を伏せた。長い沈黙があった。時計の音だけが部屋に響いた。

 やがて彼が顔を上げた。


「俺と、結婚してくれないか」

 言葉が、頭の中で転がった。

 クリスがわたしに向かって、結婚してくれと言った。
「……え」
 声が出たのか出ていないのか、自分でもわからなかった。
 クリスはわたしをまっすぐ見ていた。冗談を言っている顔ではなかった。いつもの涼しげな顔が、珍しくわずかに強張っていた。

「急に言って悪かった」
クリスが静かに続けた。
「だが、考えてほしい」
「……どうして」
 声が震えていないか心配しながら、わたしは聞いた。
「どうして、わたしなの」
 クリスが少し間を置いた。
「お前のそばにいると、落ち着くから」

 落ち着く。
 その言葉が、胸の奥にじわりと広がった。
 嬉しかった、ものすごく、嬉しかった。
 と同時に、冷たいものが胸をすうっと通り抜けた。

 愛している、ではない。好きだ、でもない。
 お前のそばにいると、落ち着くそれは、傷ついた人間が求める言葉だ。失ったものの痛みを和らげてくれる、安らぎを求める言葉だ。
 ミリアがいなくなって、空いた場所を埋めたい。だからわたしに。
 そういうことだ。
 わかってしまったら、嬉しさと悲しさが一緒になって、どちらが勝っているのかわからなくなった。

「……少し、考えさせてもらえる?」
 なんとかそう言うと、クリスが頷いた。
「もちろんだ。急がすつもりはない」
 立ち上がる気力がすぐには出なかった。わたしはカップを両手で包んで、中の紅茶を見つめた。

 ずっと好きだった。
 だから嬉しい、隣にいられるなら、それがどんな形でも。
 でも愛されていない相手の妻になることが、どれほど苦しいか。
 一生、彼の本当の気持ちを待ち続けることになる。もしかしたら永遠に来ない気持ちを。
 それでもいいのか、とわたしは自分に問いかけた。

 三日間、悩んだ。
 眠れない夜が続いた。
 ベッドの中で天井を見つめながら、何度も考えた。断ればいい。断って、このままでいればいい。幼馴染として、そばにいればいい。

 でももしクリスが他の誰かと結婚したら。
 別の令嬢の隣に立つ彼を見たら。
 その想像をした瞬間、胸が握りつぶされるように痛んで、わたしは布団の中で小さくなった。
 それに比べれば。
 たとえ慰めの結婚でも、彼の隣にいられるなら。
 一生かけて、本当に必要な人になれるかもしれない。
 そう思ったら、答えが出ていた。


 三日後の午後、わたしはクリスに手紙を書いた。
お返事が遅くなってごめんなさい。
はい、よろしくお願いします。
 それだけを書いて、使いに持たせた。
 手紙を出した後、わたしはしばらく窓の外を眺めた。

 空は晴れていた。秋の高い空が、どこまでも続いていた。
 嬉しい、と思う。
 苦しい、とも思う。
 その両方が本当だった。

 これがどんな結末を迎えるのか、今のわたしにはわからない。
 ただ一つだけ決めたことがある。
 どんな形の結婚であってもクリスの隣で、本当に笑えるように。
 それだけを目指して、生きていこうと思った。

 夕方、返事が来た。
 封を開けると、短い文字が並んでいた。
ありがとう。
必ず、幸せにする。

 わたしはその手紙を胸に当てて、目を閉じた。
 幸せにする、と彼は書いた。
 その言葉が嘘ではないと、わかっていた。

 ただその幸せの形が、わたしの望むものと同じかどうかは、まだわからなかった。
 窓の外で、風が木の葉を揺らした。
 秋が、深くなっていく。

その夜、わたしは初めてぐっすりと眠れた。
決めてしまったら、不思議と楽になった。
これが正しい選択かどうかは、まだわからない。
でも後悔だけは、しないようにしようと思った。

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