18 / 26
第18話「クリスの過去」
旧友との集まりの話が出たのは、その翌週のことだった。
夕食の席でクリスが「来週、学生時代の友人たちと食事をする予定がある」と言った。
「そうなの」
「お前も来るか」
誘われるとは思っていなかったので、少し驚いた。
「……わたしが行っても、いいの?」
「構わない。むしろ来てほしい」
その言葉が素直に嬉しかった。
「じゃあ、ご一緒するわ」
クリスが短く頷いた。
それだけだったけれど、胸の奥がじわりと温かくなった。
集まりは、こじんまりとした料理店で行われた。
クリスの旧友は三人いた。
一人目はレオン・ハワード伯爵。背が高くて陽気な人で、わたしたちが入ってきた瞬間に立ち上がって
「おお、これが噂の奥方か!」と大きな声を上げた。
「レオン、声が大きい」クリスが静かに言った。
「細かいことを言うな。いやあ、お綺麗ですね奥様。クリスにはもったいない」
「ありがとうございます」わたしは笑った。
二人目はセシル・モンロー子爵。物静かで眼鏡をかけた人で、丁寧に頭を下げた。「初めまして、お噂はかねがね」と落ち着いた声で言った。
三人目はフィン・アーチャー男爵。少し人見知りらしく、はにかんだ笑顔でわたしに会釈した。
三人ともクリスとは学生時代からの付き合いらしく、気の置けない雰囲気だった。
食事が始まると、話が弾んだ。
レオンが特によく話した。学生時代の話、昔の失敗談、お互いの近況。テーブルが笑いに包まれることが何度もあった。
クリスはあまり多くは話さなかった。でもいつもより表情が柔らかくて、ときどき小さく笑った。
この顔も、好きだと思った。
普段あまり見せない、気の置けない人たちの前での顔。
それを見せてもらえていることが、嬉しかった。
食事が中盤になった頃、レオンがわたしに向かって身を乗り出した。
「奥様、クリスのやつ、昔からずっと真面目でねえ。もう少し羽目を外せばいいのにって、いつも思っていましたよ」
「今も十分真面目ですよ」わたしは笑った。
「でしょう。昔からそうなんですよ。ただ一つだけ、そのクリスが妙に熱心になることがあって」
「レオン」クリスが静かに牽制した。
「まあまあ」レオンが手を振った。
「奥様なら知っていて当然のことですよ」
わたしは少し身を乗り出した。
「なんですか?」
「クリスのやつ、学生の頃からずっと、幼馴染の令嬢の話をするんですよ」
幼馴染の令嬢。
わたしは一瞬、心臓が跳ねた。
ミリアのことだ、と思った。
「何かあるたびにその令嬢の話が出てきてね。正直みんな呆れていましたよ。そんなに気になるなら直接言えばいいのにって」
「それは……」
「いつも心配ばかりしていた。その令嬢が社交界でうまくやれているか、誰かに意地悪にされていないか、ちゃんと笑えているか」
わたしは相槌を打ちながら、胸の奥がずきりとするのを感じた。
ミリアのことを、そんなに心配していたのか。
やはり、そうだったのだ。
「奥様、実はですね」レオンが声を低くして、でも楽しそうに続けた。
「その幼馴染の令嬢というのが、奥様のことなんですよ」
わたしは、動きが止まった。
「……え?」
「クリスが話していたのは、奥様のことです。ずっと」
わたしは思わずクリスを見た。
クリスが目を逸らした。
珍しいことだった。あの人が目を逸らすのを、初めて見た気がした。
「……本当に?」
「嘘をついてどうするんですか」レオンが笑った。
「ミリア嬢のことも存じていますが、クリスが一番よく話していたのは奥様のことでしたよ。困ったことがあれば奥様は大丈夫か、楽しそうにしていれば奥様も連れてきたいとか」
セシルが静かに頷いた。
「そうですね。クリスの話に奥様が出てこないことはなかったと思います」
フィンも「そうそう」と頷いた。
わたしは頭の中が、真っ白になった。
幼馴染の令嬢。
ミリアではなく、わたしのことだった。
ずっと、わたしの話をしていた。
心配して、気にかけてずっと。
「クリス」
名前を呼ぶと、クリスがゆっくりとこちらを向いた。
その顔が、珍しく困っていた。
あの人が困った顔をするのも、初めて見た気がした。
「……レオンが余計なことを」
「余計なことじゃないですよ」レオンが笑った。「奥様に知っておいていただいた方がいいでしょう」
「余計なことだ」
「つれないなあ」
テーブルが笑いに包まれた。
わたしも笑った。笑いながら、目の奥が熱くなるのを感じた。
帰り道、馬車の中は静かだった。
レオンたちと別れて、二人きりになると、クリスはまた窓の外を向いた。
でも今夜は、昨夜のような張り詰めた沈黙ではなかった。
どちらかというと居心地が悪そうだった。
わたしはそれが少し可笑しくて、こっそり笑った。
「レオンさんたち、楽しい方たちね」
「……ああ」
「また一緒に食事したいわ」
「そうか」
クリスがわたしをちらりと見た。
「笑っているな」
「笑っていないわ」
「笑っている」
「……少しだけ」
わたしは窓の外を向いた。夜の街に灯りが流れていった。
「クリス」
「なんだ」
「昔の話を聞けて、良かったわ」
クリスが何も言わなかった。
「わたしのことを、気にかけてくれていたのね。ずっと」
「……迷惑だったか」
その言葉が、思いのほか真剣な声だったから、わたしは少し驚いた。
「まさか」わたしは首を振った。
「嬉しかったわ」
クリスがわたしを見た。
「本当に?」
「本当よ」
クリスが視線を前に戻した。
少しの間があって、静かに言った。
「……そうか」
たった二文字だった。
でもその声が、いつもより少し柔らかかった。
馬車が屋敷の前で止まった。
降りながら、わたしはもう一度レオンの言葉を頭の中で反芻した。
クリスが一番よく話していたのは、奥様のことでしたよ。
ミリアではなく、わたしのことを。
ずっと、ずっと気にかけていてくれた。
それが嬉しくて、でも、まだ怖かった。
気にかけることと、好きなことは違うかもしれないから。
そう思い直して、わたしは笑顔を作った。
でも今夜の笑顔は、少し前より本物に近い気がした。
部屋に戻って、窓の外を眺めた。
星が出ていた。
クリスはずっと、わたしの話をしていた。
その事実が、じわじわと胸の中に広がっていった。
信じていいのかな、とまだ迷っていた。
でも今夜は信じてみたい、と少し思った。
それだけで、星がいつもより少し、明るく見えた。
夕食の席でクリスが「来週、学生時代の友人たちと食事をする予定がある」と言った。
「そうなの」
「お前も来るか」
誘われるとは思っていなかったので、少し驚いた。
「……わたしが行っても、いいの?」
「構わない。むしろ来てほしい」
その言葉が素直に嬉しかった。
「じゃあ、ご一緒するわ」
クリスが短く頷いた。
それだけだったけれど、胸の奥がじわりと温かくなった。
集まりは、こじんまりとした料理店で行われた。
クリスの旧友は三人いた。
一人目はレオン・ハワード伯爵。背が高くて陽気な人で、わたしたちが入ってきた瞬間に立ち上がって
「おお、これが噂の奥方か!」と大きな声を上げた。
「レオン、声が大きい」クリスが静かに言った。
「細かいことを言うな。いやあ、お綺麗ですね奥様。クリスにはもったいない」
「ありがとうございます」わたしは笑った。
二人目はセシル・モンロー子爵。物静かで眼鏡をかけた人で、丁寧に頭を下げた。「初めまして、お噂はかねがね」と落ち着いた声で言った。
三人目はフィン・アーチャー男爵。少し人見知りらしく、はにかんだ笑顔でわたしに会釈した。
三人ともクリスとは学生時代からの付き合いらしく、気の置けない雰囲気だった。
食事が始まると、話が弾んだ。
レオンが特によく話した。学生時代の話、昔の失敗談、お互いの近況。テーブルが笑いに包まれることが何度もあった。
クリスはあまり多くは話さなかった。でもいつもより表情が柔らかくて、ときどき小さく笑った。
この顔も、好きだと思った。
普段あまり見せない、気の置けない人たちの前での顔。
それを見せてもらえていることが、嬉しかった。
食事が中盤になった頃、レオンがわたしに向かって身を乗り出した。
「奥様、クリスのやつ、昔からずっと真面目でねえ。もう少し羽目を外せばいいのにって、いつも思っていましたよ」
「今も十分真面目ですよ」わたしは笑った。
「でしょう。昔からそうなんですよ。ただ一つだけ、そのクリスが妙に熱心になることがあって」
「レオン」クリスが静かに牽制した。
「まあまあ」レオンが手を振った。
「奥様なら知っていて当然のことですよ」
わたしは少し身を乗り出した。
「なんですか?」
「クリスのやつ、学生の頃からずっと、幼馴染の令嬢の話をするんですよ」
幼馴染の令嬢。
わたしは一瞬、心臓が跳ねた。
ミリアのことだ、と思った。
「何かあるたびにその令嬢の話が出てきてね。正直みんな呆れていましたよ。そんなに気になるなら直接言えばいいのにって」
「それは……」
「いつも心配ばかりしていた。その令嬢が社交界でうまくやれているか、誰かに意地悪にされていないか、ちゃんと笑えているか」
わたしは相槌を打ちながら、胸の奥がずきりとするのを感じた。
ミリアのことを、そんなに心配していたのか。
やはり、そうだったのだ。
「奥様、実はですね」レオンが声を低くして、でも楽しそうに続けた。
「その幼馴染の令嬢というのが、奥様のことなんですよ」
わたしは、動きが止まった。
「……え?」
「クリスが話していたのは、奥様のことです。ずっと」
わたしは思わずクリスを見た。
クリスが目を逸らした。
珍しいことだった。あの人が目を逸らすのを、初めて見た気がした。
「……本当に?」
「嘘をついてどうするんですか」レオンが笑った。
「ミリア嬢のことも存じていますが、クリスが一番よく話していたのは奥様のことでしたよ。困ったことがあれば奥様は大丈夫か、楽しそうにしていれば奥様も連れてきたいとか」
セシルが静かに頷いた。
「そうですね。クリスの話に奥様が出てこないことはなかったと思います」
フィンも「そうそう」と頷いた。
わたしは頭の中が、真っ白になった。
幼馴染の令嬢。
ミリアではなく、わたしのことだった。
ずっと、わたしの話をしていた。
心配して、気にかけてずっと。
「クリス」
名前を呼ぶと、クリスがゆっくりとこちらを向いた。
その顔が、珍しく困っていた。
あの人が困った顔をするのも、初めて見た気がした。
「……レオンが余計なことを」
「余計なことじゃないですよ」レオンが笑った。「奥様に知っておいていただいた方がいいでしょう」
「余計なことだ」
「つれないなあ」
テーブルが笑いに包まれた。
わたしも笑った。笑いながら、目の奥が熱くなるのを感じた。
帰り道、馬車の中は静かだった。
レオンたちと別れて、二人きりになると、クリスはまた窓の外を向いた。
でも今夜は、昨夜のような張り詰めた沈黙ではなかった。
どちらかというと居心地が悪そうだった。
わたしはそれが少し可笑しくて、こっそり笑った。
「レオンさんたち、楽しい方たちね」
「……ああ」
「また一緒に食事したいわ」
「そうか」
クリスがわたしをちらりと見た。
「笑っているな」
「笑っていないわ」
「笑っている」
「……少しだけ」
わたしは窓の外を向いた。夜の街に灯りが流れていった。
「クリス」
「なんだ」
「昔の話を聞けて、良かったわ」
クリスが何も言わなかった。
「わたしのことを、気にかけてくれていたのね。ずっと」
「……迷惑だったか」
その言葉が、思いのほか真剣な声だったから、わたしは少し驚いた。
「まさか」わたしは首を振った。
「嬉しかったわ」
クリスがわたしを見た。
「本当に?」
「本当よ」
クリスが視線を前に戻した。
少しの間があって、静かに言った。
「……そうか」
たった二文字だった。
でもその声が、いつもより少し柔らかかった。
馬車が屋敷の前で止まった。
降りながら、わたしはもう一度レオンの言葉を頭の中で反芻した。
クリスが一番よく話していたのは、奥様のことでしたよ。
ミリアではなく、わたしのことを。
ずっと、ずっと気にかけていてくれた。
それが嬉しくて、でも、まだ怖かった。
気にかけることと、好きなことは違うかもしれないから。
そう思い直して、わたしは笑顔を作った。
でも今夜の笑顔は、少し前より本物に近い気がした。
部屋に戻って、窓の外を眺めた。
星が出ていた。
クリスはずっと、わたしの話をしていた。
その事実が、じわじわと胸の中に広がっていった。
信じていいのかな、とまだ迷っていた。
でも今夜は信じてみたい、と少し思った。
それだけで、星がいつもより少し、明るく見えた。
あなたにおすすめの小説
婚約者のことが好きで好きで好きで仕方ない令嬢、彼に想い人がいると知って別れを切り出しました〜え、彼が本当に好きだったのは私なんですか!?〜
朝霧 陽月
恋愛
ゾッコーン伯爵家のララブーナは、3日間涙が止まらず部屋に引きこもっていた……。
それというのも、ふとした折に彼女の婚約者デューキアイ・グデーレ公爵子息に想い人がいると知ってしまったからだ。
※内容はタイトル通りです、基本ヤベェ登場人物しかいません。
※他サイトにも、同作者ほぼ同タイトルで投稿中。
【完結】愛する人のために
月樹《つき》
恋愛
カスペル公爵令嬢デルフィーヌは、幼い頃その愛くるしい笑顔に一目惚れしたクリストファー王子に請われ、彼の婚約者となった。
けれど王子妃としての厳しい教育を受けるうちに、彼が好きだった笑顔は滅多に見られなくなり…気がつけば彼の側には、デルフィーヌではなく屈託なく笑う平民の聖女アネモネの姿を見かけるようになる…。
『あなたのために、私は無邪気な笑顔もなくしたのに…』
このお話は愛する誰かのために生きる人達のお話です。
三部仕立てで、お話はそれぞれの視点で描かれております。
※他サイトでも投稿しております。
月夜に散る白百合は、君を想う
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢であるアメリアは、王太子殿下の護衛騎士を務める若き公爵、レオンハルトとの政略結婚により、幸せな結婚生活を送っていた。
彼は無口で家を空けることも多かったが、共に過ごす時間はアメリアにとってかけがえのないものだった。
しかし、ある日突然、夫に愛人がいるという噂が彼女の耳に入る。偶然街で目にした、夫と親しげに寄り添う女性の姿に、アメリアは絶望する。信じていた愛が偽りだったと思い込み、彼女は家を飛び出すことを決意する。
一方、レオンハルトには、アメリアに言えない秘密があった。彼の不自然な行動には、王国の未来を左右する重大な使命が関わっていたのだ。妻を守るため、愛する者を危険に晒さないため、彼は自らの心を偽り、冷徹な仮面を被り続けていた。
家出したアメリアは、身分を隠してとある街の孤児院で働き始める。そこでの新たな出会いと生活は、彼女の心を少しずつ癒していく。
しかし、運命は二人を再び引き合わせる。アメリアを探し、奔走するレオンハルト。誤解とすれ違いの中で、二人の愛の真実が試される。
偽りの愛人、王宮の陰謀、そして明かされる公爵の秘密。果たして二人は再び心を通わせ、真実の愛を取り戻すことができるのだろうか。
知らない結婚
鈴木葵
恋愛
親が決めた相手と11歳の時に結婚した伯爵令嬢、エマ。しかし16歳になっても、いまだに一度も夫に会った事がない。よほど妻に興味がないのか、例えそうだとしても社交界へデビューする日にはエスコートしてくれるはずだと思った。けれど他の女性をエスコートするからと断られてしまう。それに耐えかねて夫の領地まで会いに行けば、宿屋の軒先で女の人と揉めている夫とばったり出会ってしまい……。
こんな婚約者は貴女にあげる
如月圭
恋愛
アルカは十八才のローゼン伯爵家の長女として、この世に生を受ける。婚約者のステファン様は自分には興味がないらしい。妹のアメリアには、興味があるようだ。双子のはずなのにどうしてこんなに差があるのか、誰か教えて欲しい……。
初めての投稿なので温かい目で見てくださると幸いです。
最近彼氏の様子がおかしい!私を溺愛し大切にしてくれる幼馴染の彼氏が急に冷たくなった衝撃の理由。
佐藤 美奈
恋愛
ソフィア・フランチェスカ男爵令嬢はロナウド・オスバッカス子爵令息に結婚を申し込まれた。
幼馴染で恋人の二人は学園を卒業したら夫婦になる永遠の愛を誓う。超名門校のフォージャー学園に入学し恋愛と楽しい学園生活を送っていたが、学年が上がると愛する彼女の様子がおかしい事に気がつきました。
一緒に下校している時ロナウドにはソフィアが不安そうな顔をしているように見えて、心配そうな視線を向けて話しかけた。
ソフィアは彼を心配させないように無理に笑顔を作って、何でもないと答えますが本当は学園の経営者である理事長の娘アイリーン・クロフォード公爵令嬢に精神的に追い詰められていた。