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第十三話「カイルの、告白」
街は、秋の終わりの色をしていた。
落ち葉が風に舞い、行き交う人々がコートの襟を立てている。空は高く青く、どこまでも澄んでいた。
アリアとカイルは、並んで街を歩いていた。
新しいお菓子屋は、石畳の路地の奥にあった。小さな店構えだったが、焼き菓子の甘い匂いが漂ってきて、思わず足が速くなった。
「アリア様、そんなに急がなくても」
「だって、いい匂いがする」
「昔から、甘いものには目がないですよね」
「失礼ね。品よく好きなの」
カイルが笑った。
屈託のない、温かい笑い声だった。
アリアも笑った。
こういう時間があったのだ、昔。
笑うことが、こんなに軽かった時が。
店に入ると、色とりどりの焼き菓子が並んでいた。
アリアはショーケースに顔を近づけて、一つ一つ眺めた。
「これは何ですか」
「南部の焼き菓子だそうです。蜂蜜とナッツを練り込んだもので」
「これも食べたい。あれも」
「アリア様」
「品よく、全部食べたいの」
カイルがまた笑った。
二人でテーブルに座り、焼き菓子を並べた。
お茶が運ばれてくる。温かい、ハーブの香りのお茶だった。
「美味しい」
アリアが焼き菓子を一口食べて、ふと思った。
「蜂蜜の甘さが、ちょうどいい」
「良かった」
カイルがお茶を飲みながら、アリアを見ていた。
「アリア様」
「なあに」
「最近顔色が良くなりましたね」
アリアは少し、考えた。
「そうかしら」
「ええ。戻ってきた頃より、ずっと」
「……少しずつ、慣れてきているのかもしれない」
「何に?」
「自分に」
カイルが、静かに聞いていた。
「三年間侯爵夫人のアリアでいた。完璧で、隙がなくて、誰にも弱さを見せない。それがあまりにも長くて自分がどんな顔をしていたか、忘れていた気がする」
「今は?」
「少しずつ、思い出している」
アリアが窓の外を見た。
石畳を、人々が行き交っている。
「こうして街を歩いて、美味しいものを食べて、声を立てて笑う。それが私だったんだなって」
カイルが、アリアを見つめた。
「……良かった」
「カイル?」
「取り戻してくれて、良かった」
その声がいつもより、少し低かった。
アリアはカイルを見た。
幼馴染の顔が今日は、少し違う顔をしていた。
お茶を飲み終えて、二人で店を出た。
石畳の路地を並んで歩いた。
風が吹いて、落ち葉が舞った。
「アリア様」
「なあに」
カイルが、歩きながら言った。
「一つ、聞いてもいいですか」
「ええ」
「侯爵様のことはもう、吹っ切れましたか」
アリアは少し、足を緩めた。
「……正直に言うと」
「はい」
「まだ、痛みはあります」
カイルが黙って歩いていた。
「手紙が来るたびに胸が痛くなる。忘れようとしても、ふとした時に思い出す。それはまだしばらく続くと思う」
「そうですか」
「でも」
アリアは空を見上げた。
「前より、ずっと楽になっています。一歩ずつちゃんと歩けている気がする」
カイルが立ち止まった。
アリアも気づいて、振り返った。
カイルは石畳を見つめていた。
何かを決めようとしているような、顔をしていた。
「カイル?」
「アリア様」
カイルが顔を上げた。
いつもの人懐こい笑顔ではなかった。
真剣な、まっすぐな目だった。
「一つだけ言わせてください」
「……ええ」
「吹っ切れたとか、吹っ切れていないとかそういうことは、関係なく」
カイルが、アリアを見た。
「俺はずっと、あなたのことが好きでした」
風が止んだ。
落ち葉が、静かに石畳に落ちた。
アリアは動けなかった。
「子供の頃から。あなたが嫁いでいった時も。三年間、どこかで元気でいるかと思いながらずっと」
「カイル」
「返事はいりません」
カイルが静かに言った。
「ただ知っていてほしかった。それだけです」
「……」
「あなたが前を向いて歩いている。それを見ていられるだけで、今は十分です」
アリアは、カイルを見つめた。
幼馴染の顔が今日は、違って見えた。
ずっとそこにいた人がずっとそこで、想い続けていた人が。
「カイル、私は」
「言わなくていいです」
カイルが首を振った。
「今は、言わなくていい」
それからいつもの笑顔を作った。
少し、頑張った笑顔だったが、今日は昨日より自然だった。
「さ、次のお店に行きましょう。確か、この路地を抜けたところに」
「カイル」
「はい」
アリアは真っ直ぐに、カイルを見た。
「ありがとう。ずっと、そばにいてくれて」
カイルが、
「それはこちらの台詞です」
「私からも、言わせてちょうだい」
カイルがしばらく、アリアを見ていた。
それから今日一番の、自然な笑顔を見せた。
「……どういたしまして」
二人で歩き出した。
石畳を、並んで。
落ち葉を踏みながら、秋の街を。
アリアの胸の奥に温かいものが、静かに積もっていった。
痛みとは違う、柔らかい何かが。
カイル。
あなたはずっと、そこにいてくれたのね。
私が気づかなかっただけでずっと。
その夜、アリアは窓辺に座った。
月が出ていた。
引き出しを開けた。
リオンからの手紙が、二通丁寧に折りたたまれていた。
その隣に、今日カイルが言った言葉が声として、残っていた。
俺はずっと、あなたのことが好きでした。
アリアはしばらく、月を見ていた。
私は今どこにいるのだろう。
リオンへの痛みと、カイルの温かさと、エドワードの誠実さと
それぞれが、胸の中で静かに灯っていた。
答えはまだ出ない。
でも今はそれでいい。
アリアは引き出しを閉めた。
布団に入って、目を閉じた。
明日も、一歩ずつ歩こう。
自分の足で、自分の顔で
秋の夜が、静かに更けていった。
落ち葉が風に舞い、行き交う人々がコートの襟を立てている。空は高く青く、どこまでも澄んでいた。
アリアとカイルは、並んで街を歩いていた。
新しいお菓子屋は、石畳の路地の奥にあった。小さな店構えだったが、焼き菓子の甘い匂いが漂ってきて、思わず足が速くなった。
「アリア様、そんなに急がなくても」
「だって、いい匂いがする」
「昔から、甘いものには目がないですよね」
「失礼ね。品よく好きなの」
カイルが笑った。
屈託のない、温かい笑い声だった。
アリアも笑った。
こういう時間があったのだ、昔。
笑うことが、こんなに軽かった時が。
店に入ると、色とりどりの焼き菓子が並んでいた。
アリアはショーケースに顔を近づけて、一つ一つ眺めた。
「これは何ですか」
「南部の焼き菓子だそうです。蜂蜜とナッツを練り込んだもので」
「これも食べたい。あれも」
「アリア様」
「品よく、全部食べたいの」
カイルがまた笑った。
二人でテーブルに座り、焼き菓子を並べた。
お茶が運ばれてくる。温かい、ハーブの香りのお茶だった。
「美味しい」
アリアが焼き菓子を一口食べて、ふと思った。
「蜂蜜の甘さが、ちょうどいい」
「良かった」
カイルがお茶を飲みながら、アリアを見ていた。
「アリア様」
「なあに」
「最近顔色が良くなりましたね」
アリアは少し、考えた。
「そうかしら」
「ええ。戻ってきた頃より、ずっと」
「……少しずつ、慣れてきているのかもしれない」
「何に?」
「自分に」
カイルが、静かに聞いていた。
「三年間侯爵夫人のアリアでいた。完璧で、隙がなくて、誰にも弱さを見せない。それがあまりにも長くて自分がどんな顔をしていたか、忘れていた気がする」
「今は?」
「少しずつ、思い出している」
アリアが窓の外を見た。
石畳を、人々が行き交っている。
「こうして街を歩いて、美味しいものを食べて、声を立てて笑う。それが私だったんだなって」
カイルが、アリアを見つめた。
「……良かった」
「カイル?」
「取り戻してくれて、良かった」
その声がいつもより、少し低かった。
アリアはカイルを見た。
幼馴染の顔が今日は、少し違う顔をしていた。
お茶を飲み終えて、二人で店を出た。
石畳の路地を並んで歩いた。
風が吹いて、落ち葉が舞った。
「アリア様」
「なあに」
カイルが、歩きながら言った。
「一つ、聞いてもいいですか」
「ええ」
「侯爵様のことはもう、吹っ切れましたか」
アリアは少し、足を緩めた。
「……正直に言うと」
「はい」
「まだ、痛みはあります」
カイルが黙って歩いていた。
「手紙が来るたびに胸が痛くなる。忘れようとしても、ふとした時に思い出す。それはまだしばらく続くと思う」
「そうですか」
「でも」
アリアは空を見上げた。
「前より、ずっと楽になっています。一歩ずつちゃんと歩けている気がする」
カイルが立ち止まった。
アリアも気づいて、振り返った。
カイルは石畳を見つめていた。
何かを決めようとしているような、顔をしていた。
「カイル?」
「アリア様」
カイルが顔を上げた。
いつもの人懐こい笑顔ではなかった。
真剣な、まっすぐな目だった。
「一つだけ言わせてください」
「……ええ」
「吹っ切れたとか、吹っ切れていないとかそういうことは、関係なく」
カイルが、アリアを見た。
「俺はずっと、あなたのことが好きでした」
風が止んだ。
落ち葉が、静かに石畳に落ちた。
アリアは動けなかった。
「子供の頃から。あなたが嫁いでいった時も。三年間、どこかで元気でいるかと思いながらずっと」
「カイル」
「返事はいりません」
カイルが静かに言った。
「ただ知っていてほしかった。それだけです」
「……」
「あなたが前を向いて歩いている。それを見ていられるだけで、今は十分です」
アリアは、カイルを見つめた。
幼馴染の顔が今日は、違って見えた。
ずっとそこにいた人がずっとそこで、想い続けていた人が。
「カイル、私は」
「言わなくていいです」
カイルが首を振った。
「今は、言わなくていい」
それからいつもの笑顔を作った。
少し、頑張った笑顔だったが、今日は昨日より自然だった。
「さ、次のお店に行きましょう。確か、この路地を抜けたところに」
「カイル」
「はい」
アリアは真っ直ぐに、カイルを見た。
「ありがとう。ずっと、そばにいてくれて」
カイルが、
「それはこちらの台詞です」
「私からも、言わせてちょうだい」
カイルがしばらく、アリアを見ていた。
それから今日一番の、自然な笑顔を見せた。
「……どういたしまして」
二人で歩き出した。
石畳を、並んで。
落ち葉を踏みながら、秋の街を。
アリアの胸の奥に温かいものが、静かに積もっていった。
痛みとは違う、柔らかい何かが。
カイル。
あなたはずっと、そこにいてくれたのね。
私が気づかなかっただけでずっと。
その夜、アリアは窓辺に座った。
月が出ていた。
引き出しを開けた。
リオンからの手紙が、二通丁寧に折りたたまれていた。
その隣に、今日カイルが言った言葉が声として、残っていた。
俺はずっと、あなたのことが好きでした。
アリアはしばらく、月を見ていた。
私は今どこにいるのだろう。
リオンへの痛みと、カイルの温かさと、エドワードの誠実さと
それぞれが、胸の中で静かに灯っていた。
答えはまだ出ない。
でも今はそれでいい。
アリアは引き出しを閉めた。
布団に入って、目を閉じた。
明日も、一歩ずつ歩こう。
自分の足で、自分の顔で
秋の夜が、静かに更けていった。
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