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第九章「離縁の準備」
ルカスが帰ったのは、三日後の朝だった。
馬車に乗り込む直前、彼はエリシアの手を両手で握った。二十二歳の青年の手は大きくて、温かかった。
「お義姉様、元気でいてください」
「ルカス様こそ、お体に気をつけて」
「また来ます。今度はもっと長く」
「歓迎します」
「兄上のこと、よろしくお願いします」
エリシアは答えなかった。
ルカスは答えを求めていなかった。言いたかったことを言い切った顔で、そのまま馬車に乗り込んだ。窓から顔を出して、腕ごと大きく振った。エリシアも手を振った。
馬車が砂利道を進んでいく。門をくぐる。遠ざかる。
蹄の音が消えた。
屋敷に静けさが戻った。
エリシアは手を下ろした。
春の朝の風が、頬を撫でた。温度のある風だった。ルカスがいた三日間は、この屋敷の空気がずっとこの温度だった気がした。
また、二人だ。
思って、すぐに打ち消した。
最初から二人だった。何も変わっていない。
ルカスが去ってから、日が経った。
エリシアはいつも通りの毎日を送った。夜明け前に起きて、書斎で書類を片付けて、午後は領地を歩いた。夕食を取って、夜に書き物をして、眠った。繰り返した。
変わらなかった。
ただ一つだけ、変わったことがあった。
レオンハルトが、話しかけてくるようになった。
朝食で「昨日の領地はどうだった」と聞いた。
夕食で「薬草畑を広げるのか、ベアトリスから聞いた」と言った。
廊下ですれ違いざまに
「今日は雨が強い、無理に出るな」と告げた。
どれも短かった。会話と呼べるほどのものでもなかった。
でも確実に、増えていた。
エリシアはそのたびに答えた。笑顔で、穏やかに、必要な分だけ。それ以上踏み込まなかった。踏み込もうとするたびに、自分で止めた。
これは習慣だ。ルカスが来たことで空気が変わっただけだ。しばらくすれば元に戻る。意味を持たせるな。
そう言い聞かせながら毎晩、机の引き出しを開けなかった。
便箋が、そこにある。
わかっていた。でも手が伸びなかった。
転機は、ルカスが去ってから十日後に来た。
何か特別なことが起きたわけではなかった。
その夜、エリシアは書斎に座っていた。灯りを一つ点けて、膝の上には何も置かずに、ただ考えていた。
冷静に、感情を切り離して、今の自分の状態を一つずつ確認する作業だった。
私は今、何をしているのか。
問いかけた。
レオンハルトが話しかけてくるようになった。それが嬉しい。嬉しいと感じている自分がいる。フェリクスの言葉を、信じかけている。ルカスの笑顔に、温かさを感じた。そして便箋を、もう二週間近く、開けていない。
一つ一つ、並べた。
待っている。
何かが変わることを、待っている。
その事実が、胸の中にはっきりと像を結んだ。
馬鹿だ。
エリシアは目を閉じた。
初夜の言葉を忘れたのか。好きになるな、と言われた。あの声の低さを、冷静さを、忘れたのか。セレスティアを見たときの夫の顔を、忘れたのか。
何かが変わったか。何も変わっていない。話しかけてくるようになっただけで、夫の心がどこにあるかは、最初と何も変わっていない。
それなのに待っている。また傷つくとわかっていて、それでも待っている。
これが続けば壊れる。
フェリクスの言葉が頭に蘇った。
折れない人間は、気づいたときには既に壊れていることがある。
ならば。
壊れる前に、出ていく方が正しい。
それが、私にできる最後の賢い選択だ。
エリシアは目を開けた。
引き出しを、開けた。
便箋を取り出した。
ペンを手に取った。
宛先はクラウスにした。
父グレゴールへは後にする。父は感情で動かない人間だが、この話を最初に持っていけば、体裁と利害だけで判断する。クラウスなら感情で動く。でも頭がいいから、最終的には現実的な落としどころを見つけてくれる。
書いた。
感情を乗せなかった。事実だけを書いた。
この結婚を、穏便に終わらせたいこと。公爵家の名誉を傷つけない形で。レオンハルトの人生を壊さない形で。自分だけが静かに、跡形もなく消えるような形で。
持参金の扱いの確認。離縁後の身の振り方。実家への帰還が難しい場合の別の選択肢。
一つ一つ、丁寧に書いた。
書きながら手が、震えないことに気づいた。
震えない。
覚悟ができているのか。それとも感覚が麻痺しているのか。
どちらかわからなかった。どちらでも、今は構わなかった。
書き終えた。読み返した。冷静な手紙だった。感情のない、事務的な文章だった。これがそのまま、今の自分の状態だと思った。
封をした。宛名を書いた。机の端に置いた。
明日、出そう。マリーには言わずに、自分で出そう。
灯りを消した。
翌朝、エリシアは手紙を持って書斎を出た。
廊下を歩いた。玄関ホールへ向かった。
ホールの手前の廊下で、フェリクスとすれ違った。
「おはようございます、奥様」
「おはようございます」
エリシアは手紙を持つ手を、ドレスの裾に沿わせた。隠す動作ではなかった。ただ自然に、体の横に下ろした。
フェリクスはいつも通りだった。爽やかな会釈をして、通り過ぎた。
エリシアも歩き続けた。振り返らなかった。
玄関ホールで出入りの使用人に手紙を渡した。今日中に届けるよう頼んだ。使用人は「かしこまりました」と頷いて、受け取った。
それだけだった。
あっけなかった。
これほど重いことが、これほど簡単に済んだ。
書斎に戻ったとき、エリシアは椅子に座ってしばらく動けなかった。
今しがた起こしたことの重さが、時間差でやってきた。
出した。
もう戻らない。クラウスが読めば動く。父に相談する。手続きが始まる。
胸に何かを予想した。
軽さか、解放感かそういうものを、予想していた。
あったのは、重さだった。
予想とまるで違う、重さだった。
おかしい。これで正しいはずだ。壊れる前に出ていく。昨夜そう決めた。なのに
エリシアは机の上に両手を置いた。窓の外を見た。
今日は曇っていた。灰色の空が低く垂れ込めて、薬草畑の上に影を落としていた。カモミールの白い蕾が、重たい空の下でそれでも上を向いていた。
私がいなくなったら、あの畑はどうなる。
思ってしまった。
誰も世話をしない。水をやらない。枯れる。
先週腰が痛いと言っていた老婆。転んで膝を擦りむいた子供。熱を出した農家の赤ちゃん。あの人たちへの薬草の供給が、途絶える。
エリシアはすぐに打ち消した。
感傷に流されるな。私がいなくてもこの領地は続く。レオンハルトが守る。私でなければできないことなど、何もない。
言い聞かせた。
正しかった。論理的には、正しかった。
それでも胸の重さは、消えなかった。
論理が正しくても、感情はそれに従わないことがある。エリシアはそれを、今この瞬間に学んでいた。
昼を過ぎた頃、エリシアは薬草畑に出た。
曇り空の下で、土の状態を確認した。しゃがんで、指で土に触れた。乾いていた。水が必要だった。
水を持ってきて、一株ずつに注いだ。
カモミール。ラベンダー。ペパーミント。セージ。
一列ずつ、丁寧に。
腰を落として、土の匂いを嗅ぎながら、手を動かした。
これが最後かもしれない、と思った。
思ってからそれ以上考えるのをやめた。
「奥様、冷えます」
後ろからマリーが言った。上着を持ってきてくれた。
「ありがとう」
エリシアは上着を受け取りながら、マリーを見た。
マリーは何も知らなかった。手紙のことも、昨夜の決意も。いつも通りの顔で、ただ主人のことを心配していた。
言えない。
まだ言えない。
クラウスから返事が来るまで、誰にも言えない。
「マリー」
「はい」
「あなたは、故郷に帰りたいと思うことはある?」
唐突な問いだった。マリーが少し、驚いた顔をした。
「突然、どうされたんですか」
「なんとなく、聞いてみたかっただけ」
「……たまには、思います。でも今は、ここが好きです」
「そう」
「奥様がいるから」
エリシアは目を伏せた。
胸の重さが、また少し増した。
マリーのことも、考えなければならない。
この娘の、これからのことも。
水やりを再開した。手を動かし続けた。
考えないようにしながら、考え続けた。
フェリクスが今朝の廊下のことを整理したのは、昼過ぎのことだった。
執務室に向かう前に、玄関ホールの使用人にさりげなく声をかけた。
「今朝、奥様から手紙の預かりものはありましたか」
「ございました。クラウス・ヴァルトハイム様宛てで」
それだけで十分だった。
フェリクスは軽く礼を言って、執務室へ向かった。
廊下を歩きながら、頭の中で状況を整理した。
動いた。ついに、動いた。
クラウス・ヴァルトハイム様宛て。兄に相談した。離縁の話を、兄に持ちかけた。
まずい。
フェリクスは執務室の扉の前に立った。
中ではレオンハルトが書類を見ているはずだった。いつも通りの午後だった。
旦那様に言うべきか。
一瞬迷った。
しかし昨日も一昨日も、レオンハルトがエリシアに話しかける回数が増えているのを、フェリクスは見ていた。少しずつ、ほんの少しずつ、壁が薄くなりかけていた。
でもそれは、奥様には見えていないのだ。
旦那様が変わりかけていることを、奥様は知らない。だから動いた。
ならば旦那様が自分で気づかなければ、何も変わらない。
私が言っても、間に合わない。
旦那様自身が、気づかなければ。
フェリクスは扉をノックした。
「入れ」
レオンハルトの声がした。
フェリクスは扉を開けた。
通常の報告を終えた。
書類を渡した。確認事項を伝えた。来週の予定を共有した。
全部終えて、フェリクスは「以上です」と言って礼をした。
扉に向かった。
向かいながら止まった。
「フェリクス」
レオンハルトが呼んだ。
「はい」
「奥様は今日、領地に出たか」
フェリクスは振り返った。
レオンハルトは書類を見ていた。エリシアのことを聞くとき、いつも書類を見ていた。顔を上げない。視線を合わせない。それがこの人間の、感情を持て余したときの癖だとフェリクスは知っていた。
「今日は畑におられました。水やりをされていたようです」
「……曇りだったのに、か」
「薬草は毎日の水やりが必要なのだと、以前おっしゃっておられました」
「そうか」
それだけだった。
レオンハルトは書類に戻った。
フェリクスはもう一度、扉に向かった。
向かいながら、今度は止まらなかった。
止まりたかったが、止まらなかった。
今は言わない。
旦那様、あなたが自分で気づいてください。
私には、そこまでできない。
でも急いでください。
本当に、急いでください。
夕食の席で、レオンハルトはいつも通り書類を持ち込んでいた。
ルカスがいた三日間だけ、彼は書類を食卓に持ち込まなかった。それ以降は戻っていた。
エリシアはスープを口に運んだ。
今日の食事の味は、いつもよりわかった。昨日より感覚が戻っていた。手紙を出した直後の重さが、少し落ち着いてきたのかもしれなかった。
落ち着いてはいけない。
これは始まりだ。終わりへ向かう、始まりだ。
「エリシア」
レオンハルトが言った。
「はい」
「今日は畑にいたのか」
エリシアはレオンハルトを見た。
書類を見たままだった。エリシアの方を向いていなかった。
「水やりをしていました」
「曇りだったが」
「晴れていても曇っていても、水やりは必要ですから」
レオンハルトは少し間を置いた。
「そういうものか」
「そういうものです」
またそれだけだった。深い会話にはならなかった。
でもエリシアは、今日この短い言葉がいつもより胸に刺さるのを感じた。
終わりが近いから、かもしれない。
あと何回、こうして同じ食卓で話すだろう。
数えるほどしかないかもしれない。
スープを飲んだ。
パンをちぎった。
何も言わなかった。
食事が終わって、エリシアが席を立とうとしたとき、レオンハルトが言った。
「ペパーミントは、何に効く」
エリシアは止まった。
振り返った。
レオンハルトは書類を見ていた。でも今の問いは、書類と関係がなかった。
「熱を下げるのに使います。それから消化を助けます。頭痛にも効果があります」
「そうか」
「旦那様、頭痛がありますか」
聞いてから、余計なことを言ったと思った。立ち入りすぎた。
しかしレオンハルトは、書類から顔を上げた。
エリシアを見た。
「たまに、ある」
珍しい言葉だった。自分の不調を口にする人間ではなかった。完璧な男が、弱さを見せる言葉ではなかった。
「では、明日、お部屋にお持ちします。乾燥させたペパーミントをお湯で蒸らすだけで効きますから」
「……手間をかける必要はない」
「手間ではありません」
エリシアは答えた。
答えてから、自分でも少し驚いた。突き放した言い方ではなく、ただ自然に、そう言っていた。
レオンハルトはエリシアを見ていた。何かを言いかけた顔をした。
言わなかった。
「わかった」
それだけだった。
エリシアは一礼して、食堂を出た。
廊下を歩きながら、エリシアは自分の胸の状態を確認した。
今の会話が、嬉しかった。
頭痛がある、という一言が。普段は見せない部分を、少しだけ見せてくれた気がして。嬉しかった。
駄目だ。
手紙を、もう出した。終わりに向かっているのに。それなのに、嬉しいと感じている。
矛盾している。わかっている。でも止められない。
自室に入った。
机の前に座った。
引き出しを開けた。
便箋は、なかった。
昨夜、出てしまったから。
代わりに農村の老婆からの手紙が、一番上に置いてあった。先日のお礼の続きで届いた、二通目の手紙だった。薬草のことを近所の人にも教えてほしいという、下手な字の、真剣な頼みだった。
エリシアはその手紙を手に取った。
読んだ。もう三回目だった。
胸の重さが、また戻ってきた。
答えを、書かなければならない。
でも何と書く。
近いうちに、ここを離れますからとは、書けない。
ペンを手に取った。
返事を書き始めた。
薬草の育て方。水やりの頻度。乾燥のさせ方。保存の方法。必要な分だけ丁寧に書いた。
書きながら自分が何をしているのか、エリシアにはよくわからなかった。
去ろうとしている。それは決めた。
でも去る前に、できることをやっている。
矛盾していた。
矛盾していると、わかっていた。
それでも書いた。
手が動く限り、書いた。
翌朝、フェリクスは執務室へ入る前に、廊下でエリシアとすれ違った。
エリシアは二通の手紙を持っていた。一通は老婆への返事だろう。もう一通は厚みがあった。
エリシアはフェリクスを見て、微笑んだ。いつも通りの笑顔だった。
「おはようございます、フェリクス様」
「おはようございます、奥様」
すれ違った。
フェリクスは歩きながら、背中で考えた。
二通目。
昨日の一通だけでは足りなかったのか。それとも別の用件か。
立ち止まりたかった。
立ち止まらなかった。
旦那様。
本当に、急いでください。
執務室の扉を開けたとき、レオンハルトは既に机に向かっていた。
今日も、完璧な姿勢で。
フェリクスは報告書を手に、主人の前に立った。
報告を始めた。
始めながら決めた。
全部は言わない。でも、一つだけ言う。
旦那様が自分で気づくための、最後の一押しだけ。
報告が終わった。
「以上です」
「わかった」
フェリクスは書類を机に置いた。
礼をした。
扉に向かった。
三歩歩いて、止まった。
「旦那様」
「なんだ」
「奥様が、今朝も手紙を出されていました」
レオンハルトの手が止まった。
今度は、はっきりと止まった。書類を捲る手が、完全に静止した。
「……手紙を」
「はい」
「誰に」
「存じません」
嘘だった。
でも今は、それでよかった。
「奥様は最近、毎日のように何かを書いておられるようです」
それだけ言った。
それ以上は言わなかった。
フェリクスは扉を開けた。
「失礼いたします」
廊下に出て、扉を閉めた。
フェリクスは歩き出した。
背中で、執務室の気配を感じた。
レオンハルトが立ち上がる音がした。
椅子を引く音。足音。
窓の方へ向かっている。
気づいてください、旦那様。
奥様が今、何をしているのかを。
どこへ向かおうとしているのかを。
気づいて動いてください。
でなければ、本当に、いなくなってしまいますよ。
レオンハルトは窓の外を見ていた。
執務室の窓からは、庭が見えた。薬草畑が見えた。今日は誰もいなかった。
毎日のように何かを書いている。
フェリクスの言葉が、頭の中で繰り返された。
手紙を、出している。
毎日、何かを書いている。
誰に。何を。
聞けばよかった。フェリクスが扉を閉める前に、聞けばよかった。
でも聞けなかった。
聞いてしまえば何かが動く気がした。今はまだ、動かしたくない何かが。
なぜ、動かしたくないのだ。
怖いのか。
自分に問いかけた。
答えを、出したくなかった。
でも答えは、問いかけた瞬間に、すでにそこにあった。
怖い。
エリシアが何を書いているのかを、知ることが怖い。
レオンハルトは窓から離れた。
机に戻った。
書類を手に取った。
文字が入ってこなかった。
昨夜、頭痛があると言ったらエリシアは「明日持っていきます」と言った。手間ではないと言った。
あの言い方は、嘘ではなかった。
自然な言い方だった。作った笑顔のときの言い方ではなかった。
ならばなぜ手紙を、出すのだ。
誰に。何を書いて。
答えが出そうで、出なかった。
いや出ることが、怖かった。
レオンハルトは書類を置いた。
額に手を当てた。
頭痛が、していた。
馬車に乗り込む直前、彼はエリシアの手を両手で握った。二十二歳の青年の手は大きくて、温かかった。
「お義姉様、元気でいてください」
「ルカス様こそ、お体に気をつけて」
「また来ます。今度はもっと長く」
「歓迎します」
「兄上のこと、よろしくお願いします」
エリシアは答えなかった。
ルカスは答えを求めていなかった。言いたかったことを言い切った顔で、そのまま馬車に乗り込んだ。窓から顔を出して、腕ごと大きく振った。エリシアも手を振った。
馬車が砂利道を進んでいく。門をくぐる。遠ざかる。
蹄の音が消えた。
屋敷に静けさが戻った。
エリシアは手を下ろした。
春の朝の風が、頬を撫でた。温度のある風だった。ルカスがいた三日間は、この屋敷の空気がずっとこの温度だった気がした。
また、二人だ。
思って、すぐに打ち消した。
最初から二人だった。何も変わっていない。
ルカスが去ってから、日が経った。
エリシアはいつも通りの毎日を送った。夜明け前に起きて、書斎で書類を片付けて、午後は領地を歩いた。夕食を取って、夜に書き物をして、眠った。繰り返した。
変わらなかった。
ただ一つだけ、変わったことがあった。
レオンハルトが、話しかけてくるようになった。
朝食で「昨日の領地はどうだった」と聞いた。
夕食で「薬草畑を広げるのか、ベアトリスから聞いた」と言った。
廊下ですれ違いざまに
「今日は雨が強い、無理に出るな」と告げた。
どれも短かった。会話と呼べるほどのものでもなかった。
でも確実に、増えていた。
エリシアはそのたびに答えた。笑顔で、穏やかに、必要な分だけ。それ以上踏み込まなかった。踏み込もうとするたびに、自分で止めた。
これは習慣だ。ルカスが来たことで空気が変わっただけだ。しばらくすれば元に戻る。意味を持たせるな。
そう言い聞かせながら毎晩、机の引き出しを開けなかった。
便箋が、そこにある。
わかっていた。でも手が伸びなかった。
転機は、ルカスが去ってから十日後に来た。
何か特別なことが起きたわけではなかった。
その夜、エリシアは書斎に座っていた。灯りを一つ点けて、膝の上には何も置かずに、ただ考えていた。
冷静に、感情を切り離して、今の自分の状態を一つずつ確認する作業だった。
私は今、何をしているのか。
問いかけた。
レオンハルトが話しかけてくるようになった。それが嬉しい。嬉しいと感じている自分がいる。フェリクスの言葉を、信じかけている。ルカスの笑顔に、温かさを感じた。そして便箋を、もう二週間近く、開けていない。
一つ一つ、並べた。
待っている。
何かが変わることを、待っている。
その事実が、胸の中にはっきりと像を結んだ。
馬鹿だ。
エリシアは目を閉じた。
初夜の言葉を忘れたのか。好きになるな、と言われた。あの声の低さを、冷静さを、忘れたのか。セレスティアを見たときの夫の顔を、忘れたのか。
何かが変わったか。何も変わっていない。話しかけてくるようになっただけで、夫の心がどこにあるかは、最初と何も変わっていない。
それなのに待っている。また傷つくとわかっていて、それでも待っている。
これが続けば壊れる。
フェリクスの言葉が頭に蘇った。
折れない人間は、気づいたときには既に壊れていることがある。
ならば。
壊れる前に、出ていく方が正しい。
それが、私にできる最後の賢い選択だ。
エリシアは目を開けた。
引き出しを、開けた。
便箋を取り出した。
ペンを手に取った。
宛先はクラウスにした。
父グレゴールへは後にする。父は感情で動かない人間だが、この話を最初に持っていけば、体裁と利害だけで判断する。クラウスなら感情で動く。でも頭がいいから、最終的には現実的な落としどころを見つけてくれる。
書いた。
感情を乗せなかった。事実だけを書いた。
この結婚を、穏便に終わらせたいこと。公爵家の名誉を傷つけない形で。レオンハルトの人生を壊さない形で。自分だけが静かに、跡形もなく消えるような形で。
持参金の扱いの確認。離縁後の身の振り方。実家への帰還が難しい場合の別の選択肢。
一つ一つ、丁寧に書いた。
書きながら手が、震えないことに気づいた。
震えない。
覚悟ができているのか。それとも感覚が麻痺しているのか。
どちらかわからなかった。どちらでも、今は構わなかった。
書き終えた。読み返した。冷静な手紙だった。感情のない、事務的な文章だった。これがそのまま、今の自分の状態だと思った。
封をした。宛名を書いた。机の端に置いた。
明日、出そう。マリーには言わずに、自分で出そう。
灯りを消した。
翌朝、エリシアは手紙を持って書斎を出た。
廊下を歩いた。玄関ホールへ向かった。
ホールの手前の廊下で、フェリクスとすれ違った。
「おはようございます、奥様」
「おはようございます」
エリシアは手紙を持つ手を、ドレスの裾に沿わせた。隠す動作ではなかった。ただ自然に、体の横に下ろした。
フェリクスはいつも通りだった。爽やかな会釈をして、通り過ぎた。
エリシアも歩き続けた。振り返らなかった。
玄関ホールで出入りの使用人に手紙を渡した。今日中に届けるよう頼んだ。使用人は「かしこまりました」と頷いて、受け取った。
それだけだった。
あっけなかった。
これほど重いことが、これほど簡単に済んだ。
書斎に戻ったとき、エリシアは椅子に座ってしばらく動けなかった。
今しがた起こしたことの重さが、時間差でやってきた。
出した。
もう戻らない。クラウスが読めば動く。父に相談する。手続きが始まる。
胸に何かを予想した。
軽さか、解放感かそういうものを、予想していた。
あったのは、重さだった。
予想とまるで違う、重さだった。
おかしい。これで正しいはずだ。壊れる前に出ていく。昨夜そう決めた。なのに
エリシアは机の上に両手を置いた。窓の外を見た。
今日は曇っていた。灰色の空が低く垂れ込めて、薬草畑の上に影を落としていた。カモミールの白い蕾が、重たい空の下でそれでも上を向いていた。
私がいなくなったら、あの畑はどうなる。
思ってしまった。
誰も世話をしない。水をやらない。枯れる。
先週腰が痛いと言っていた老婆。転んで膝を擦りむいた子供。熱を出した農家の赤ちゃん。あの人たちへの薬草の供給が、途絶える。
エリシアはすぐに打ち消した。
感傷に流されるな。私がいなくてもこの領地は続く。レオンハルトが守る。私でなければできないことなど、何もない。
言い聞かせた。
正しかった。論理的には、正しかった。
それでも胸の重さは、消えなかった。
論理が正しくても、感情はそれに従わないことがある。エリシアはそれを、今この瞬間に学んでいた。
昼を過ぎた頃、エリシアは薬草畑に出た。
曇り空の下で、土の状態を確認した。しゃがんで、指で土に触れた。乾いていた。水が必要だった。
水を持ってきて、一株ずつに注いだ。
カモミール。ラベンダー。ペパーミント。セージ。
一列ずつ、丁寧に。
腰を落として、土の匂いを嗅ぎながら、手を動かした。
これが最後かもしれない、と思った。
思ってからそれ以上考えるのをやめた。
「奥様、冷えます」
後ろからマリーが言った。上着を持ってきてくれた。
「ありがとう」
エリシアは上着を受け取りながら、マリーを見た。
マリーは何も知らなかった。手紙のことも、昨夜の決意も。いつも通りの顔で、ただ主人のことを心配していた。
言えない。
まだ言えない。
クラウスから返事が来るまで、誰にも言えない。
「マリー」
「はい」
「あなたは、故郷に帰りたいと思うことはある?」
唐突な問いだった。マリーが少し、驚いた顔をした。
「突然、どうされたんですか」
「なんとなく、聞いてみたかっただけ」
「……たまには、思います。でも今は、ここが好きです」
「そう」
「奥様がいるから」
エリシアは目を伏せた。
胸の重さが、また少し増した。
マリーのことも、考えなければならない。
この娘の、これからのことも。
水やりを再開した。手を動かし続けた。
考えないようにしながら、考え続けた。
フェリクスが今朝の廊下のことを整理したのは、昼過ぎのことだった。
執務室に向かう前に、玄関ホールの使用人にさりげなく声をかけた。
「今朝、奥様から手紙の預かりものはありましたか」
「ございました。クラウス・ヴァルトハイム様宛てで」
それだけで十分だった。
フェリクスは軽く礼を言って、執務室へ向かった。
廊下を歩きながら、頭の中で状況を整理した。
動いた。ついに、動いた。
クラウス・ヴァルトハイム様宛て。兄に相談した。離縁の話を、兄に持ちかけた。
まずい。
フェリクスは執務室の扉の前に立った。
中ではレオンハルトが書類を見ているはずだった。いつも通りの午後だった。
旦那様に言うべきか。
一瞬迷った。
しかし昨日も一昨日も、レオンハルトがエリシアに話しかける回数が増えているのを、フェリクスは見ていた。少しずつ、ほんの少しずつ、壁が薄くなりかけていた。
でもそれは、奥様には見えていないのだ。
旦那様が変わりかけていることを、奥様は知らない。だから動いた。
ならば旦那様が自分で気づかなければ、何も変わらない。
私が言っても、間に合わない。
旦那様自身が、気づかなければ。
フェリクスは扉をノックした。
「入れ」
レオンハルトの声がした。
フェリクスは扉を開けた。
通常の報告を終えた。
書類を渡した。確認事項を伝えた。来週の予定を共有した。
全部終えて、フェリクスは「以上です」と言って礼をした。
扉に向かった。
向かいながら止まった。
「フェリクス」
レオンハルトが呼んだ。
「はい」
「奥様は今日、領地に出たか」
フェリクスは振り返った。
レオンハルトは書類を見ていた。エリシアのことを聞くとき、いつも書類を見ていた。顔を上げない。視線を合わせない。それがこの人間の、感情を持て余したときの癖だとフェリクスは知っていた。
「今日は畑におられました。水やりをされていたようです」
「……曇りだったのに、か」
「薬草は毎日の水やりが必要なのだと、以前おっしゃっておられました」
「そうか」
それだけだった。
レオンハルトは書類に戻った。
フェリクスはもう一度、扉に向かった。
向かいながら、今度は止まらなかった。
止まりたかったが、止まらなかった。
今は言わない。
旦那様、あなたが自分で気づいてください。
私には、そこまでできない。
でも急いでください。
本当に、急いでください。
夕食の席で、レオンハルトはいつも通り書類を持ち込んでいた。
ルカスがいた三日間だけ、彼は書類を食卓に持ち込まなかった。それ以降は戻っていた。
エリシアはスープを口に運んだ。
今日の食事の味は、いつもよりわかった。昨日より感覚が戻っていた。手紙を出した直後の重さが、少し落ち着いてきたのかもしれなかった。
落ち着いてはいけない。
これは始まりだ。終わりへ向かう、始まりだ。
「エリシア」
レオンハルトが言った。
「はい」
「今日は畑にいたのか」
エリシアはレオンハルトを見た。
書類を見たままだった。エリシアの方を向いていなかった。
「水やりをしていました」
「曇りだったが」
「晴れていても曇っていても、水やりは必要ですから」
レオンハルトは少し間を置いた。
「そういうものか」
「そういうものです」
またそれだけだった。深い会話にはならなかった。
でもエリシアは、今日この短い言葉がいつもより胸に刺さるのを感じた。
終わりが近いから、かもしれない。
あと何回、こうして同じ食卓で話すだろう。
数えるほどしかないかもしれない。
スープを飲んだ。
パンをちぎった。
何も言わなかった。
食事が終わって、エリシアが席を立とうとしたとき、レオンハルトが言った。
「ペパーミントは、何に効く」
エリシアは止まった。
振り返った。
レオンハルトは書類を見ていた。でも今の問いは、書類と関係がなかった。
「熱を下げるのに使います。それから消化を助けます。頭痛にも効果があります」
「そうか」
「旦那様、頭痛がありますか」
聞いてから、余計なことを言ったと思った。立ち入りすぎた。
しかしレオンハルトは、書類から顔を上げた。
エリシアを見た。
「たまに、ある」
珍しい言葉だった。自分の不調を口にする人間ではなかった。完璧な男が、弱さを見せる言葉ではなかった。
「では、明日、お部屋にお持ちします。乾燥させたペパーミントをお湯で蒸らすだけで効きますから」
「……手間をかける必要はない」
「手間ではありません」
エリシアは答えた。
答えてから、自分でも少し驚いた。突き放した言い方ではなく、ただ自然に、そう言っていた。
レオンハルトはエリシアを見ていた。何かを言いかけた顔をした。
言わなかった。
「わかった」
それだけだった。
エリシアは一礼して、食堂を出た。
廊下を歩きながら、エリシアは自分の胸の状態を確認した。
今の会話が、嬉しかった。
頭痛がある、という一言が。普段は見せない部分を、少しだけ見せてくれた気がして。嬉しかった。
駄目だ。
手紙を、もう出した。終わりに向かっているのに。それなのに、嬉しいと感じている。
矛盾している。わかっている。でも止められない。
自室に入った。
机の前に座った。
引き出しを開けた。
便箋は、なかった。
昨夜、出てしまったから。
代わりに農村の老婆からの手紙が、一番上に置いてあった。先日のお礼の続きで届いた、二通目の手紙だった。薬草のことを近所の人にも教えてほしいという、下手な字の、真剣な頼みだった。
エリシアはその手紙を手に取った。
読んだ。もう三回目だった。
胸の重さが、また戻ってきた。
答えを、書かなければならない。
でも何と書く。
近いうちに、ここを離れますからとは、書けない。
ペンを手に取った。
返事を書き始めた。
薬草の育て方。水やりの頻度。乾燥のさせ方。保存の方法。必要な分だけ丁寧に書いた。
書きながら自分が何をしているのか、エリシアにはよくわからなかった。
去ろうとしている。それは決めた。
でも去る前に、できることをやっている。
矛盾していた。
矛盾していると、わかっていた。
それでも書いた。
手が動く限り、書いた。
翌朝、フェリクスは執務室へ入る前に、廊下でエリシアとすれ違った。
エリシアは二通の手紙を持っていた。一通は老婆への返事だろう。もう一通は厚みがあった。
エリシアはフェリクスを見て、微笑んだ。いつも通りの笑顔だった。
「おはようございます、フェリクス様」
「おはようございます、奥様」
すれ違った。
フェリクスは歩きながら、背中で考えた。
二通目。
昨日の一通だけでは足りなかったのか。それとも別の用件か。
立ち止まりたかった。
立ち止まらなかった。
旦那様。
本当に、急いでください。
執務室の扉を開けたとき、レオンハルトは既に机に向かっていた。
今日も、完璧な姿勢で。
フェリクスは報告書を手に、主人の前に立った。
報告を始めた。
始めながら決めた。
全部は言わない。でも、一つだけ言う。
旦那様が自分で気づくための、最後の一押しだけ。
報告が終わった。
「以上です」
「わかった」
フェリクスは書類を机に置いた。
礼をした。
扉に向かった。
三歩歩いて、止まった。
「旦那様」
「なんだ」
「奥様が、今朝も手紙を出されていました」
レオンハルトの手が止まった。
今度は、はっきりと止まった。書類を捲る手が、完全に静止した。
「……手紙を」
「はい」
「誰に」
「存じません」
嘘だった。
でも今は、それでよかった。
「奥様は最近、毎日のように何かを書いておられるようです」
それだけ言った。
それ以上は言わなかった。
フェリクスは扉を開けた。
「失礼いたします」
廊下に出て、扉を閉めた。
フェリクスは歩き出した。
背中で、執務室の気配を感じた。
レオンハルトが立ち上がる音がした。
椅子を引く音。足音。
窓の方へ向かっている。
気づいてください、旦那様。
奥様が今、何をしているのかを。
どこへ向かおうとしているのかを。
気づいて動いてください。
でなければ、本当に、いなくなってしまいますよ。
レオンハルトは窓の外を見ていた。
執務室の窓からは、庭が見えた。薬草畑が見えた。今日は誰もいなかった。
毎日のように何かを書いている。
フェリクスの言葉が、頭の中で繰り返された。
手紙を、出している。
毎日、何かを書いている。
誰に。何を。
聞けばよかった。フェリクスが扉を閉める前に、聞けばよかった。
でも聞けなかった。
聞いてしまえば何かが動く気がした。今はまだ、動かしたくない何かが。
なぜ、動かしたくないのだ。
怖いのか。
自分に問いかけた。
答えを、出したくなかった。
でも答えは、問いかけた瞬間に、すでにそこにあった。
怖い。
エリシアが何を書いているのかを、知ることが怖い。
レオンハルトは窓から離れた。
机に戻った。
書類を手に取った。
文字が入ってこなかった。
昨夜、頭痛があると言ったらエリシアは「明日持っていきます」と言った。手間ではないと言った。
あの言い方は、嘘ではなかった。
自然な言い方だった。作った笑顔のときの言い方ではなかった。
ならばなぜ手紙を、出すのだ。
誰に。何を書いて。
答えが出そうで、出なかった。
いや出ることが、怖かった。
レオンハルトは書類を置いた。
額に手を当てた。
頭痛が、していた。
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