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第VI章:『空席のティータイム』
高熱から回復したレオニスを迎えたのは、以前にも増して静まり返った公爵邸だった。
病床で味わった凍える孤独は、彼の傲慢を根こそぎ揺さぶっていた。
(言葉が足りなかったのだ。きちんと場を設けて向き合えば――エステルも、かつての慈しみを取り戻してくれるはずだ)
そう信じたいがために、レオニスは執事を通じて伝えた。
「明日の午後三時、庭園の東屋で茶会をしよう」と。
それは、かつてエステルが幾度も望み、そのたびに彼が「忙しい」の一言で切り捨ててきた、彼女の小さな憧れだった。
当日。レオニスは自ら庭園へ向かった。
テーブルにはダージリンの香りが立ち、色とりどりの小菓子が整然と並ぶ。
彼は落ち着かない手つきでカフスを直しながら、エステルが現れる瞬間を想像していた。
――だが。
約束の三時を過ぎても、十五分が経っても、妻は来ない。
代わりに芝生を踏んで現れたのは、エステル付きとなった年若い侍従だった。
「閣下。奥様より伝言を預かっております」
侍従は深々と頭を下げ、一通の封筒を差し出す。
レオニスはそれを奪い取るように開いた。
中にあったのは、端正な筆致の数枚の書面――収支報告と、次月の社交スケジュール案。
「……これは、何だ」
「今週の領地経営における収支報告書、および次月の社交予定の確定案でございます。奥様は『ティータイムという貴重な空き時間を、閣下との業務連絡に充てるのが最も効率的』とおっしゃり……現在は隣国からのお客様との会談に赴いております」
指先が、紙束を握り潰しそうに震えた。
「私は……報告書を受け取るために呼んだんじゃない。夫婦としての時間を――」
「奥様からは、さらにこう言付かっております」
侍従の声は一切揺れない。
言葉だけが、正確に刃を運んでくる。
『閣下は以前、私が用意した茶会を「生産性のない時間の無駄」と一蹴なさいましたわね。ですから、どうぞお気遣いなく。閣下の貴重なお時間を浪費させぬよう、私は実務で応えることにいたしました』
一拍置き、追い打ちが落ちる。
『お茶とお菓子は、どうぞ閣下お一人で――あるいは「知的な会話」を楽しめる他の方と、存分に味わってくださいませ』
レオニスの目の前で、完璧に用意されたティーセットが、皮肉な光を放っている。
かつてエステルが「レオニス様、お茶が入りましたわ」と微笑んだとき、彼は一度でもカップを手に取っただろうか。
書類から目を上げもせず、「邪魔だ」と冷たく退けたのは――ほかならぬ自分だ。
「……エステル……君は……」
誰にも届かない声が漏れた。
レオニスは椅子に力なく腰を下ろす。
対面の椅子は、主(あるじ)を失って虚しく空いている。
彼女が捧げていたのは、茶や菓子だけではない。
それを整えるための時間。彼を想う心。彼と過ごしたいと願う、ささやかな夢。
そのすべてを「無駄」と切り捨てた代償が、いまこの沈黙となって襲いかかってくる。
レオニスは一口、冷めかけた紅茶を啜った。
最高級の茶葉のはずなのに――舌に触れる味は、砂を噛むように苦かった。
病床で味わった凍える孤独は、彼の傲慢を根こそぎ揺さぶっていた。
(言葉が足りなかったのだ。きちんと場を設けて向き合えば――エステルも、かつての慈しみを取り戻してくれるはずだ)
そう信じたいがために、レオニスは執事を通じて伝えた。
「明日の午後三時、庭園の東屋で茶会をしよう」と。
それは、かつてエステルが幾度も望み、そのたびに彼が「忙しい」の一言で切り捨ててきた、彼女の小さな憧れだった。
当日。レオニスは自ら庭園へ向かった。
テーブルにはダージリンの香りが立ち、色とりどりの小菓子が整然と並ぶ。
彼は落ち着かない手つきでカフスを直しながら、エステルが現れる瞬間を想像していた。
――だが。
約束の三時を過ぎても、十五分が経っても、妻は来ない。
代わりに芝生を踏んで現れたのは、エステル付きとなった年若い侍従だった。
「閣下。奥様より伝言を預かっております」
侍従は深々と頭を下げ、一通の封筒を差し出す。
レオニスはそれを奪い取るように開いた。
中にあったのは、端正な筆致の数枚の書面――収支報告と、次月の社交スケジュール案。
「……これは、何だ」
「今週の領地経営における収支報告書、および次月の社交予定の確定案でございます。奥様は『ティータイムという貴重な空き時間を、閣下との業務連絡に充てるのが最も効率的』とおっしゃり……現在は隣国からのお客様との会談に赴いております」
指先が、紙束を握り潰しそうに震えた。
「私は……報告書を受け取るために呼んだんじゃない。夫婦としての時間を――」
「奥様からは、さらにこう言付かっております」
侍従の声は一切揺れない。
言葉だけが、正確に刃を運んでくる。
『閣下は以前、私が用意した茶会を「生産性のない時間の無駄」と一蹴なさいましたわね。ですから、どうぞお気遣いなく。閣下の貴重なお時間を浪費させぬよう、私は実務で応えることにいたしました』
一拍置き、追い打ちが落ちる。
『お茶とお菓子は、どうぞ閣下お一人で――あるいは「知的な会話」を楽しめる他の方と、存分に味わってくださいませ』
レオニスの目の前で、完璧に用意されたティーセットが、皮肉な光を放っている。
かつてエステルが「レオニス様、お茶が入りましたわ」と微笑んだとき、彼は一度でもカップを手に取っただろうか。
書類から目を上げもせず、「邪魔だ」と冷たく退けたのは――ほかならぬ自分だ。
「……エステル……君は……」
誰にも届かない声が漏れた。
レオニスは椅子に力なく腰を下ろす。
対面の椅子は、主(あるじ)を失って虚しく空いている。
彼女が捧げていたのは、茶や菓子だけではない。
それを整えるための時間。彼を想う心。彼と過ごしたいと願う、ささやかな夢。
そのすべてを「無駄」と切り捨てた代償が、いまこの沈黙となって襲いかかってくる。
レオニスは一口、冷めかけた紅茶を啜った。
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