「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ

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第16章|噂の管理者アデラが“面白がる”空気を作る


 王宮の噂は、火よりも早い。
 火は煙を上げるが、噂は笑顔を上げる。

 午後の茶会から半日も経たないうちに、女官たちの間で“物語”が出来上がりつつあった。
 そこには真実の順番も、痛みの重さもない。
 あるのは、聞いて気持ちよくなる筋書きだけ。

 その筋書きを、最も上手に扱う女がいる。
 侯爵令嬢アデラ——社交の中心に立ち、噂を流すのではなく“調律”する女。

 夕刻、薔薇の間。
 王宮の女たちが集まる小さな談話室は、蝋燭の灯りと香の匂いで甘く満たされていた。
 花瓶の白薔薇が静かに揺れ、絹の扇がさざ波のような音を立てる。

 アデラは、そこにいた。
 豪奢すぎない紫のドレス。肌の白さを引き立てる真珠。
 笑顔は柔らかいが、目は鋭い。
 彼女が一度扇を動かせば、室内の空気が変わる。

「……今日の午後の茶会、少し騒がしかったそうね」

 アデラが“噂”を言葉にするのは、いつも優しい音だ。
 誰かを断罪するのではなく、物語の始まりとして差し出す。

 子爵令嬢ローラがすぐに身を乗り出した。
 情報を拾うのが好きな女。拾った情報を、もっと輝かせたくなる女。

「ええ、アデラ様。伯爵令嬢ミレーユ様が、王太子殿下にご挨拶なさって……妃殿下が少し、きつく——」

 “きつく”。
 その言葉が使われた瞬間、噂の方向が決まる。
 妃が悪者の物語。

 アデラは扇の先で唇を隠し、微笑んだ。

「まあ……妃殿下が?」

 驚いたふり。
 けれど目には驚きがない。
 “面白い”がある。

 周囲の令嬢たちが小さく笑い、互いの扇の影で囁き合う。

「妃殿下は厳しい方だもの」
「礼節にうるさいって、聞いたことがあるわ」
「でも殿下は優しいから……間に挟まれてお気の毒」

 ここで、アデラが一歩だけ踏み込む。
 噂を煽るのではなく、“品の良い面白さ”に加工するのが彼女の仕事だ。

「ねえ、皆。忘れてはいけないわ。妃殿下は“正しい”方なのよ」

 正しい。
 一見、擁護。
 けれど次の言葉が、毒になる。

「正しすぎる方は、時々……人の心の柔らかさを、置き去りにしてしまうことがあるでしょう?」

 柔らかさ。
 つまり、優しさ。
 つまり、殿下の好むもの。

 令嬢たちは一斉に頷く。
 “そういうことにしておくと、楽しい”から。

 ローラが嬉しそうに言う。

「殿下は、伯爵令嬢に同情なさったそうです。『そこまで言わなくても』と——」

 その一言が、室内を甘く沸かせた。

 アデラの扇がふわりと揺れる。
 目が細まり、微笑みが深くなる。

「まあ……殿下がお止めになったのね」

 止めた。
 妃を止めた。
 それは“殿下が妃より伯爵令嬢を守った”という物語に変換される。

 アデラは、決して断言しない。
 断言しないから、噂は勝手に育つ。

「妃殿下は、きっとお辛いわね。……でも、殿下もお辛いのよ。優しすぎる方は、誰も傷つけたくないもの」

 誰も傷つけたくない。
 その言葉で、“妃の傷”が消される。

 “優しさ”という名で、妃が孤立していく。

 令嬢の一人が、くすりと笑った。

「優しすぎる殿下に、正しすぎる妃……合わないのかしら」

 その言葉に、室内が上品にざわめく。
 恋物語に変わる。
 噂は政治より、恋の形を好む。

 アデラは、そこで“決め台詞”を落とす。

「王宮はね、皆。正しい者より、愛される者が勝つ場所でもあるのよ」

 愛される者。
 それが誰かを、誰もが勝手に想像する。

 ——妃殿下ではない誰かを。

 アデラは扇を閉じ、微笑んだまま立ち上がった。

「さあ、明日の舞踏会が楽しみね。王宮は、いつだって物語が好きだもの」

 その一言で、空気が“娯楽”になった。
 人の痛みが、夜会の話題になる。

 薔薇の間を出たアデラは、廊下の窓辺で立ち止まる。
 遠く、茶会室のある方向を見た。

 ——正しさが折れるところは、美しい。
 ——そして折れた後の沈黙は、もっと面白い。

 そう思っている自分を、アデラは否定しない。
 王宮で生きるとは、そういうことだ。

 そして同じ夜、別の場所で。

 リディアは静かに胃を押さえ、眠れないまま窓を見ていた。
 誰も知らない。
 けれど噂だけが、笑って歩いている。

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