5 / 18
第五章:懐かしき声、あるいは突き放された真実
しおりを挟む
ヴィオラとカレンという“側室”による波状の攻めに、エルフレイデの精神はすでに限界へと追い詰められていた。
だが、運命は彼女に息つく間すら与えない。
ある朝、王宮――白亜宮の門が、ひときわ高らかなファンファーレとともに開かれた。
「アステラ王国第一王女、リヴィア様がお着きになりました!」
その名を聞いた瞬間、周囲の侍女たちの顔色が一斉に変わる。
アステラ王国はターナルの隣国にして長年の盟友。そして王女リヴィアは、ギルベルトが幼少期を共に過ごした、誰もが認める“許嫁候補”だった。
エルフレイデは、正妃としての責務だけを支えに、北塔から出迎えの場へと降り立つ。
馬車から姿を現したリヴィアは、春の陽光をまとったような輝かしい美女だった。
彼女はエルフレイデを一顧だにせず、まっすぐギルベルトへ駆け寄る。
「ギル様! お会いしたかったわ!」
その瞬間、エルフレイデの視界が歪んだ。
自分を“毒蛇の娘”と呼び、氷の眼差しで突き放したあの男が――
リヴィアを抱きとめ、肩に手を添え、見たこともないほど穏やかな微笑みを浮かべている。
「リヴィア。相変わらず騒がしいな。……長旅で疲れてはいないか」
「ギル様のお顔を見れば、疲れなんて吹き飛びますわ。……あら、そちらが噂の“氷の王妃”様?」
リヴィアは値踏みするようにエルフレイデへ視線を向けた。
そこにあるのは、側室たちが抱いていた奇妙な畏敬ではなく――“先住者”としての、揺るぎない優越。
「初めまして。私、ギル様とは乳兄弟のようなものですの。
彼の好む葡萄酒も、眠れぬ夜の癖も、すべて知っていますわ。……貴女が彼を拒んでいる間、私が代わりに心を癒して差し上げてもよろしいかしら?」
「……陛下がどなたをお側に置かれようと、私の関知するところではありませんわ、リヴィア様」
エルフレイデは、氷のように完璧な礼節で応じた。
――だが、その後の光景は、彼女の強靱な精神を音もなく削り落としていく。
その日の午餐会。
ギルベルトはエルフレイデを隣に座らせていながら、視線も会話も、ただリヴィアにのみ向けていた。
「覚えているか、リヴィア。昔、二人で庭の池に落ちたこと」
「あら、あのときは陛下のお父上に、ひどく叱られましたわね。……今でも、あの庭の薔薇を愛していらっしゃるの?」
「ああ。お前が植えたものは、今も大切に守らせている」
――エルフレイデの入り込めない、共有された“年月”。
ギルベルトが自分に向けるのは拒絶と試練ばかり。
それなのに、リヴィアへ向けるのは、慈愛に満ちた穏やかな眼差し。
(……ああ。そういうこと――だったのね)
喉を通らぬ料理を、銀のフォークでただ弄ぶ。
側室を増やしたのは、自分への復讐のためだと思っていた。
けれど、この“本物”を前にして、エルフレイデは残酷な真実を悟る。
――彼は、ただ自分を愛していないだけ。
自分は忌まわしき同盟のための道具。
彼の心には、初めから入り込む余地などなかったのだ。
「……陛下。少々体調が優れませんので、これにて失礼いたします。
リヴィア様――どうぞごゆっくり」
限界の声でそう告げ、エルフレイデは席を立つ。
そのとき、ギルベルトの視線が初めて彼女を捉えた。
一瞬、その瞳に焦燥の色が宿る――だが、彼女がそれに気づく前に、背を向けていた。
北塔へ戻る道すがら、夜風が頬を刺す。
(面白くない……。少しも、面白くなんてないわ)
胸に渦巻く感情が“嫉妬”だと認めること。
それは、褥を共にしないと誓った彼女にとって、死よりも耐え難い“敗北”だった。
北塔の重い扉を閉ざすと、闇の中で――初めて、声を殺して泣いた。
一方その頃。
リヴィアを見送ったギルベルトは、誰もいない回廊で壁を殴りつけていた。
「……クソ。あんな顔を、させたかったわけじゃない……!」
リヴィアとの仲睦まじい芝居は、エルフレイデの母国から放たれた間者に、
『王は完全にアステラ寄りで、王妃には興味がない』
――そう思わせ、監視を緩めさせるための“最後の一手”。
だが、去り際に見た、今にも壊れそうな背中が、ギルベルトの心臓を無慈悲に締めつける。
「妃よ……俺を恨め。俺に触れるな。
――でなければ、お前を守り切れない」
王の愛は、王妃の絶望という形を取り、
二人を、なおも遠く引き裂こうとしていた。
だが、運命は彼女に息つく間すら与えない。
ある朝、王宮――白亜宮の門が、ひときわ高らかなファンファーレとともに開かれた。
「アステラ王国第一王女、リヴィア様がお着きになりました!」
その名を聞いた瞬間、周囲の侍女たちの顔色が一斉に変わる。
アステラ王国はターナルの隣国にして長年の盟友。そして王女リヴィアは、ギルベルトが幼少期を共に過ごした、誰もが認める“許嫁候補”だった。
エルフレイデは、正妃としての責務だけを支えに、北塔から出迎えの場へと降り立つ。
馬車から姿を現したリヴィアは、春の陽光をまとったような輝かしい美女だった。
彼女はエルフレイデを一顧だにせず、まっすぐギルベルトへ駆け寄る。
「ギル様! お会いしたかったわ!」
その瞬間、エルフレイデの視界が歪んだ。
自分を“毒蛇の娘”と呼び、氷の眼差しで突き放したあの男が――
リヴィアを抱きとめ、肩に手を添え、見たこともないほど穏やかな微笑みを浮かべている。
「リヴィア。相変わらず騒がしいな。……長旅で疲れてはいないか」
「ギル様のお顔を見れば、疲れなんて吹き飛びますわ。……あら、そちらが噂の“氷の王妃”様?」
リヴィアは値踏みするようにエルフレイデへ視線を向けた。
そこにあるのは、側室たちが抱いていた奇妙な畏敬ではなく――“先住者”としての、揺るぎない優越。
「初めまして。私、ギル様とは乳兄弟のようなものですの。
彼の好む葡萄酒も、眠れぬ夜の癖も、すべて知っていますわ。……貴女が彼を拒んでいる間、私が代わりに心を癒して差し上げてもよろしいかしら?」
「……陛下がどなたをお側に置かれようと、私の関知するところではありませんわ、リヴィア様」
エルフレイデは、氷のように完璧な礼節で応じた。
――だが、その後の光景は、彼女の強靱な精神を音もなく削り落としていく。
その日の午餐会。
ギルベルトはエルフレイデを隣に座らせていながら、視線も会話も、ただリヴィアにのみ向けていた。
「覚えているか、リヴィア。昔、二人で庭の池に落ちたこと」
「あら、あのときは陛下のお父上に、ひどく叱られましたわね。……今でも、あの庭の薔薇を愛していらっしゃるの?」
「ああ。お前が植えたものは、今も大切に守らせている」
――エルフレイデの入り込めない、共有された“年月”。
ギルベルトが自分に向けるのは拒絶と試練ばかり。
それなのに、リヴィアへ向けるのは、慈愛に満ちた穏やかな眼差し。
(……ああ。そういうこと――だったのね)
喉を通らぬ料理を、銀のフォークでただ弄ぶ。
側室を増やしたのは、自分への復讐のためだと思っていた。
けれど、この“本物”を前にして、エルフレイデは残酷な真実を悟る。
――彼は、ただ自分を愛していないだけ。
自分は忌まわしき同盟のための道具。
彼の心には、初めから入り込む余地などなかったのだ。
「……陛下。少々体調が優れませんので、これにて失礼いたします。
リヴィア様――どうぞごゆっくり」
限界の声でそう告げ、エルフレイデは席を立つ。
そのとき、ギルベルトの視線が初めて彼女を捉えた。
一瞬、その瞳に焦燥の色が宿る――だが、彼女がそれに気づく前に、背を向けていた。
北塔へ戻る道すがら、夜風が頬を刺す。
(面白くない……。少しも、面白くなんてないわ)
胸に渦巻く感情が“嫉妬”だと認めること。
それは、褥を共にしないと誓った彼女にとって、死よりも耐え難い“敗北”だった。
北塔の重い扉を閉ざすと、闇の中で――初めて、声を殺して泣いた。
一方その頃。
リヴィアを見送ったギルベルトは、誰もいない回廊で壁を殴りつけていた。
「……クソ。あんな顔を、させたかったわけじゃない……!」
リヴィアとの仲睦まじい芝居は、エルフレイデの母国から放たれた間者に、
『王は完全にアステラ寄りで、王妃には興味がない』
――そう思わせ、監視を緩めさせるための“最後の一手”。
だが、去り際に見た、今にも壊れそうな背中が、ギルベルトの心臓を無慈悲に締めつける。
「妃よ……俺を恨め。俺に触れるな。
――でなければ、お前を守り切れない」
王の愛は、王妃の絶望という形を取り、
二人を、なおも遠く引き裂こうとしていた。
109
あなたにおすすめの小説
《完結》氷の侯爵令息 あなたが子供はいらないと言ったから
ヴァンドール
恋愛
氷の侯爵令息と言われたアラン。彼は結婚相手の伯爵令嬢にとにかく冷たい態度で接する。
彼女は義姉イライザから夫が子供はいらないと言ったと聞き、衝撃を受けるが気持ちを切り替え生きていく。
嫌われたと思って離れたのに
ラム猫
恋愛
私は、婚約者のカイルに嫌われたと思った。冷たくそっけなく、近づくたびに避けられる日々。
距離を置くことを選び、留学の準備も進めて心を落ち着かせようとするけれど——。
その結婚は、白紙にしましょう
香月まと
恋愛
リュミエール王国が姫、ミレナシア。
彼女はずっとずっと、王国騎士団の若き団長、カインのことを想っていた。
念願叶って結婚の話が決定した、その夕方のこと。
浮かれる姫を前にして、カインの口から出た言葉は「白い結婚にとさせて頂きたい」
身分とか立場とか何とか話しているが、姫は急速にその声が遠くなっていくのを感じる。
けれど、他でもない憧れの人からの嘆願だ。姫はにっこりと笑った。
「分かりました。その提案を、受け入れ──」
全然受け入れられませんけど!?
形だけの結婚を了承しつつも、心で号泣してる姫。
武骨で不器用な王国騎士団長。
二人を中心に巻き起こった、割と短い期間のお話。
硝子の婚約と偽りの戴冠
柴田はつみ
恋愛
幼い頃から、第一王女アリアと隣国の王子レオンは、誰もが疑わない「未来の国王夫妻」として育てられてきた。
政略で結ばれた関係でありながら、二人の間には確かな絆があった。幼馴染として共に過ごした年月の中で、アリアは感情を表に出さないながらも、レオンをただ一人、深く愛していた。
すべてが順調に進んでいるはずだった。
戴冠式と成婚を目前に控えた、その日までは。
歯車が狂い始めたのは、妹のセシルが涙に濡れた顔で、突然アリアの元へ駆け込んできた夜だった。
震える声で語られたのは、信じ難い言葉――
「……レオン様に、愛を告白されたの」
アリアは即座に否定した。信じるはずがない。あのレオンが、そんな裏切りをするはずがないと。
だが、その確信は、夜の庭園で無惨に打ち砕かれる。
月明かりの下。
レオンは、確かにセシルを抱き寄せていた。
後に明らかになる真実は、あまりにも残酷だった。
姉に対する劣等感を長年募らせてきたセシルが仕掛けた、周到な罠。そして――レオンが決して知られてはならない「ある弱み」を、彼女が握っていたという事実。
それは、愛ではなかった。
だが、アリアの未来を根こそぎ奪うには、十分すぎる裏切りだった。
私のことは気にせずどうぞ勝手にやっていてください
みゅー
恋愛
異世界へ転生したと気づいた主人公。だが、自分は登場人物でもなく、王太子殿下が見初めたのは自分の侍女だった。
自分には好きな人がいるので気にしていなかったが、その相手が実は王太子殿下だと気づく。
主人公は開きなおって、勝手にやって下さいと思いなおすが………
切ない話を書きたくて書きました。
ハッピーエンドです。
月夜に散る白百合は、君を想う
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢であるアメリアは、王太子殿下の護衛騎士を務める若き公爵、レオンハルトとの政略結婚により、幸せな結婚生活を送っていた。
彼は無口で家を空けることも多かったが、共に過ごす時間はアメリアにとってかけがえのないものだった。
しかし、ある日突然、夫に愛人がいるという噂が彼女の耳に入る。偶然街で目にした、夫と親しげに寄り添う女性の姿に、アメリアは絶望する。信じていた愛が偽りだったと思い込み、彼女は家を飛び出すことを決意する。
一方、レオンハルトには、アメリアに言えない秘密があった。彼の不自然な行動には、王国の未来を左右する重大な使命が関わっていたのだ。妻を守るため、愛する者を危険に晒さないため、彼は自らの心を偽り、冷徹な仮面を被り続けていた。
家出したアメリアは、身分を隠してとある街の孤児院で働き始める。そこでの新たな出会いと生活は、彼女の心を少しずつ癒していく。
しかし、運命は二人を再び引き合わせる。アメリアを探し、奔走するレオンハルト。誤解とすれ違いの中で、二人の愛の真実が試される。
偽りの愛人、王宮の陰謀、そして明かされる公爵の秘密。果たして二人は再び心を通わせ、真実の愛を取り戻すことができるのだろうか。
冷たい王妃の生活
柴田はつみ
恋愛
大国セイラン王国と公爵領ファルネーゼ家の同盟のため、21歳の令嬢リディアは冷徹と噂される若き国王アレクシスと政略結婚する。
三年間、王妃として宮廷に仕えるも、愛されている実感は一度もなかった。
王の傍らには、いつも美貌の女魔導師ミレーネの姿があり、宮廷中では「王の愛妾」と囁かれていた。
孤独と誤解に耐え切れなくなったリディアは、ついに離縁を願い出る。
「わかった」――王は一言だけ告げ、三年の婚姻生活はあっけなく幕を閉じた。
自由の身となったリディアは、旅先で騎士や魔導師と交流し、少しずつ自分の世界を広げていくが、心の奥底で忘れられないのは初恋の相手であるアレクシス。
やがて王都で再会した二人は、宮廷の陰謀と誤解に再び翻弄される。
嫉妬、すれ違い、噂――三年越しの愛は果たして誓いとなるのか。
心配するな、俺の本命は別にいる——冷酷王太子と籠の花嫁
柴田はつみ
恋愛
王国の公爵令嬢セレーネは、家を守るために王太子レオニスとの政略結婚を命じられる。
婚約の儀の日、彼が告げた冷酷な一言——「心配するな。俺の好きな人は別にいる」。
その言葉はセレーネの心を深く傷つけ、王宮での新たな生活は噂と誤解に満ちていく。
好きな人が別にいるはずの彼が、なぜか自分にだけ独占欲を見せる。
嫉妬、疑念、陰謀が渦巻くなかで明らかになる「真実」。
契約から始まった婚約は、やがて運命を変える愛の物語へと変わっていく——。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる