氷の王妃は跪かない ―褥(しとね)を拒んだ私への、それは復讐ですか?―

柴田はつみ

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最終章:氷解の朝、あるいは最愛の毒

 窓の外では、夜を徹して降り続いた雪が止み、雲間から差し込む朝の光が白銀の世界をやわらかく照らしていた。
 かつては剣を交えるような殺伐とした空気が満ちていた王の寝室には、いま、静謐にして確かな体温の交わりがあった。

 ギルベルトはエルフレイデを背後から抱きしめ、その細い肩に顔を埋めている。
 エルフレイデは彼の手に自らの指を絡めながら窓外を見つめていた。記憶喪失のふりという「仮面」を脱ぎ捨てたその横顔には、かつての凍える憎しみではなく、穏やかな諦観――そしてそれを上回る深い情愛が滲んでいた。

「……信じられない。こうしてお前を抱きしめていることが、まだ夢のようで怖い」

 ギルベルトの低い声が、エルフレイデの耳元を震わせる。

「あら。夢だと思うなら、もう一度その首筋を噛んで差し上げましょうか? 昨夜、あなたが私になさったように」

 揶揄うように首を傾げると、ギルベルトは苦笑し、彼女の首筋に額をそっと押し当てた。

「……許してくれ。昨夜の私は、正気ではなかった。お前に忘れられることが、死よりも恐ろしかった。……エル、本当に……すまなかった」

「もう、何度その言葉を仰るおつもり? 陛下ともあろう方が謝罪の安売りはいけませんわ。――あなたの謝罪はもう十分いただきました。これからは言葉ではなく、この国の未来で贖ってくださいませ」

 エルフレイデは絡めていた指をそっとほどき、ギルベルトと向き合った。
 彼女は両手で彼の頬を包み、その黄金の瞳をまっすぐに見つめる。

「あなたの不器用な“愛という名の虐待”は、確かに私を殺しかけました。……けれど同時に気づいたのです。あなたが私を北塔に閉じ込めたのは、父の刺客から、そしてリヴィアという毒蛇の牙から私を隠す、唯一の手段だったのだと」

「……わかっていたのか」

「ええ。ヴィオラとカレンが裏であなたの指示を受けていたことも。私を嘲る芝居をしていたのは、『無害な置物』だと周囲に信じ込ませるため――敵の警戒を解くためだったのでしょう? 本当に、回りくどくて、最低のやり方ですわ」

 鈴の音のような笑い声が、静かな寝室に広がる。
 ギルベルトは気まずげに視線を逸らしたが、すぐに彼女を抱き寄せる腕に力を込めた。

「お前にだけは、戦火の汚れも宮廷の醜い陰謀も触れさせたくなかった。……だが結局、一番お前を傷つけたのは私だった。王としては有能だったかもしれないが、一人の男としては――最低の夫だ」

「あら。その最低の夫を一生かけて教育し直すのが、私の新しい楽しみになりましたの。……覚悟なさい、ギルベルト様。私の復讐は、まだ終わっておりませんわ」

「復讐……? まだ私を苦しめるつもりか?」

 ギルベルトが目を見開くと、エルフレイデは彼の胸に顔を預け、甘やかな吐息をこぼした。

「ええ。あなたを一生、私の隣に縛り付け、私なしでは呼吸もできないほどに甘やかして差し上げる。……そして私が先に逝くその日まで、片時も心の休まる暇を与えない。――これが、私の“最後にして永遠の復讐”ですわ」

 一瞬、唖然としたのち、ギルベルトは堰を切ったように笑い出した。
 それは王位に就いて以来、初めて見せた、心からの無邪気な笑いだった。

「……くっ……ふふ。やはりお前には勝てない、エルフレイデ。……受けて立とう。命の尽きるその時まで、お前の“愛という名の牢獄”に囚われよう」

 二人は朝の光に包まれながら、深く静かな口づけを交わした。

 ――憎しみは、愛の裏返しに過ぎなかった。
 あまりにも不器用で、あまりにも残酷だった二人の「白い結婚」は、いま、真紅の情熱へと塗り替えられていく。

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