悪魔に捧げる鎮魂歌 -Black Cross-

紫月音湖(旧HN/月音)

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第1部

暗黒古城・Ⅰ

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 遠い、遠い夢を見る。
 白百合に囲まれた夕闇の中、儚い幻影のように佇む金と黒の人影。
 手を伸ばし、指先に相手を確かめる。抱き締めた腕の中でぼろぼろに崩れ逝く金色の影を求めるように、黒い人影が夜空に切なく手を伸ばす。

 冷たい風が吹き、白百合の花弁が空に舞った。



  †     †     †     †



 だるい右腕を上げて、レベッカは額をくすぐっていた前髪を掻き上げた。ぼんやりとした視界には天蓋の柔らかなレースが曖昧に揺れている。体をやんわりと包みこむシルクの感触に酔いながらゆっくりと半回転したレベッカは、次の瞬間瞳が捉えた人影にびくりと体を震わせて勢いよくベッドから飛び上がった。

「ヴィクトリアっ!」

「はい?」

 名を呼ばれた少女は驚く気配すら見せず、軽く首を傾げてレベッカを見つめ返していた。
 メイド服に身を包んだ少女は間違いなくあのヴィクトリアだった。レベッカの目の前で無惨に殺された少女。そしてこの城へやって来たレベッカを城内へ案内した召使い。どちらもヴィクトリア本人であり、レベッカは城の中から彼女が現れた時に驚愕した事を記憶の中から思い出す。

 殺されたはずではなかったか……と、そう口をついて出た言葉に、ヴィクトリアはただ曖昧に笑ってそれを否定するばかりだった。何もかもが不自然で曖昧なまま、レベッカはそうやってヴィクトリアに客間へと案内されていったのだ。

「……えっと」

 混乱する意識。自分に何が起こったのかを必死に思い出そうと頭を抱えたレベッカに、ヴィクトリアがドアの前に佇んだまま静かな声で説明し始める。

「憶えていらっしゃらないのですね。レベッカ様はきっとワインに酔ってしまわれたのですわ。この城に保存してあるワインはどれも強いものばかりだと、私も主人からお聞きしておりますから」

「ワイン?」

 繰り返した言葉に引き寄せられるように、レベッカの脳裏に鮮血とも見紛う赤ワインがはっきりと焼きつく。その向こうで妖しげに笑う人物を思い出そうとすればするほど、レベッカの脳はひどい頭痛に襲われる。

「夕食時に倒れたレベッカ様をこちらへ運ばれたのはご主人様です。今夜はもう遅いので、泊まらせるようにと。身の回りのものはテーブルの上に準備しております。それからこの剣……ここへ置いておきますね」

 ヴィクトリアが剣を壁に立てかけるのを見つめながら、レベッカは曖昧に頷いた。

 何かが微妙に違っていた。
 死んだはずのヴィクトリアが、生きてここにいること。城内を包む漆黒の闇。ワインに酔って寝ていたにしては、目覚めの感覚が非常に奇妙である。アルコールに酔ったというより、今のレベッカを侵しているのは麻薬のような禁じられた果実の毒に似ている。

 そして、城主であるグレノア侯爵。レベッカにとって彼の存在自体が恐怖そのものであるかのようだった。

「酔い覚ましにこれを飲んで眠るといいですよ」

 そう言ってヴィクトリアが手渡してきたものは、グラスに少しだけ注がれた透明の液体だ。グラスを手に取りながら、レベッカはその液体から先ほどの赤ワインと同じ香りを敏感に感じ取って、ヴィクトリアに気付かれないようにはっと身を硬くした。

「……ありがとう」

 震える声音を必死に抑えてそれだけを口にすると、レベッカは再び手元のグラスへ視線を落す。かたかたと震える手に同調して、グラスの中身が不自然に揺れた。瞬間ふわりと漂うかすかな香りに、レベッカがあからさま嫌悪の表情を浮かべて眉間に皺を寄せる。
 誰が飲むものか。自分に言い聞かせ、レベッカはドア付近で佇むヴィクトリアへと目を向けた。

「もう大丈夫。これを飲んで、今夜はここで眠らせてもらうわ」

 そう言ってグラスの中身を一気に口へ流し込むと、レベッカはヴィクトリアににこりと微笑んで、そのままベッドに潜り込んだ。

「お休みなさいませ、レベッカ様。……よい夢を」

 消えそうに小さな声が部屋の中に木霊した。液体を口内へ含んだまま、それを飲み込まずに押し留めていたレベッカは、舌先がびりびりと麻痺してくるのを感じてぎゅっときつく目を閉じる。
 これを飲み込んでしまえば終わりだと、心のどこかで警報が鳴っていた。この得体の知れない液体を、早く吐き出してしまいたい。ヴィクトリアはうまく騙されてくれただろうか。舌先の麻痺が喉にまで達したその時、レベッカの背後で人の気配が音もなく消えた。

 むくりと体を起こして部屋の中を見回したレベッカの瞳に、ヴィクトリアの姿は映らない。彼女はドアを開けた様子もなく、いつのまにか部屋の中から忽然と姿を消していた。
 その異様さに怯える間もなく、レベッカはベッドから起き上がると同時に、口の中の液体をグラスの中に吐き出した。舌は完全に麻痺していて二倍に膨れ上がったような感覚さえする。

 咳き込みながら吐き出した透明の液体は、グラスの中でなぜか真紅に揺らめいていた。
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