Bloody Rose

紫月音湖(旧HN/月音)

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第1章 新米白魔道士現る!

魔族

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「ねぇ。ちょっと……ねぇってば!」

 黙々と歩く男の背中に向かって、レフィスが数回目の呼びかけをする。そのどれもに振り向こうともしない男に痺れを切らし、レフィスが問答無用で男の黒いマントをむんずと掴んだ。かくんと折れた首が苦しかったのか、不機嫌に細められた紫紺の瞳がレフィスを見据える。

「何よ。呼んでも返事しないからでしょ」

「名前で呼べないのか、お前は」

「その名前を聞こうと思ってさっきから呼んでるんじゃないの」

 勝ったとばかりに口の端を上げて笑ったレフィスを無視して、男がまた歩き出そうと体の向きを変える。そうはさせまいと引っ張ったマントによって、男の首がまた絞まった。

「暴力女」

「誰がよ! あなただって名前くらい教えてくれたっていいじゃない」

「名前は言った」

 思っても見ない返答に、ぽかんと口を開けたレフィスの顔は、さながら鳩が豆鉄砲を食らった時のそれと似ている。

「いつ? 聞いてないわよ? 何、それとも聞こえないように囁いたって言うの?」

「煩い。……ギルドでフレズヴェールが俺の名を呼んだだろう。お前、聞いてなかったのか」

「そんなの覚えてる訳ないじゃない!」

 ギルドではマスターに仕事を貰う事で頭がいっぱいだった。そこに突然現われた男の顔は覚えている。しかし自分とは関係のない話の中で、たった一つの単語を拾い覚えていろと言う方が無理だ。おかしい。絶対に間違っている。第一、ただの通りすがり程度で、こんな風に再会するとは思っても見なかったのだから。

「俺は覚えている」

「え?」

 唐突に切り出され、疑問符を顔いっぱいに浮かべたレフィスの手から自身のマントを外し、男がレフィスの顔を正面から見つめなおした。そのあまりに真っ直ぐに向けられた瞳に、レフィスの胸が不本意に鳴る。

「レフィス」

 名を呼ばれ、また胸が鳴った。レフィスの中で少し上がりかけた男の評価が。

「ランクストーンの女なんて、忘れようにも忘れられない」

 また下がった。

「やっぱり嫌いっ!」

 わざと強くぶつかって男を追い抜いたレフィスの背後で、かすかに笑う声がした。思わず振り返ろうと足を止めたレフィスの耳に、今度ははっきりとした男の声で二度目のその名を聞いた。

「ユリシスだ。もう忘れるなよ」

 記憶の片隅で、何かがちかりと光ったような感覚だった。
 ずっと前に、似たような会話をしたような気がする。目の前の男ではなく、幼い頃に出会った黒髪の少年と。

「……ユリシス?」

 立ち止まり振り返って首を傾げたレフィスの様子に、ユリシスも眉間に皺を寄せて不可解な表情を浮かべている。

「……ユーリ?」

 無意識に唇から零れ落ちた言葉がユリシスに届くより先に、立ち止まっていたレフィスの体がその場から勢いよく左の部屋に引きずり込まれた。何が起こったのかを理解する事もできず、レフィスは悲鳴を上げる間もなく青黒い肌をした男の腕の中に閉じ込められていた。

「レフィス!」

 慌てて後を追った部屋の中、その中央でレフィスは奇妙な姿をした男に捕まえられて宙に浮いていた。

 青黒い肌。尖った耳と血で染めたような毒々しい赤の唇。体の倍はあると思われる長い左腕にレフィスをぐるぐるに巻いて捕らえ、右手には大きめの槍を持っている。背中から蝙蝠に似た羽が飛び出しており、それで宙を自在に飛びまわれるようだ。
 人に似て人ではない姿。獣でもなく、明らかに魔物に近い存在。レフィスを捕らえたその男を忌々しげに見つめて、ユリシスが口にするのも汚らわしいとでも言うように低い声で言葉を落とした。

「……魔族がっ」

「おや、私の存在をご存知ですか。光栄ですね」

 その風貌からは考えられないほど高い声が、魔族の口から零れ落ちる。どことなく刃物と刃物をかち合わせたような、細胞を震わせてしまう耳に不快な音だった。

「暫くは此処を拠点に力を蓄えようと思っていたのですが、とんだ邪魔が入りましたね」

 ユリシスからレフィスに目を向けた魔族の男が、いやらしい笑みを浮かべて右手に持った槍をレフィスの首に宛がった。

「ちょっと何するのよ。刺さるじゃないっ!」

「そのつもりなんですよ。より強い力を得るためには、他の生命力を奪う方が効率がいいですからね。個人的には串刺しで滴る血を飲み干したいのですが、痛いのが嫌であれば丸呑みでも構いませんよ? どちらがお好みですか?」

「どっちも嫌に決まってるじゃない! ……って言うか、顔近づけないでよ」

「本当に元気ですね、あなたは。命の漲るいい音が聞けそうだ」

 赤い唇をにいっと真横に引いて、魔族の男が左腕に捕らえたレフィスを自分の頭上近くに持ち上げた。目の前で鈍く光る槍の切っ先から目をそらしたレフィスの真下では、魔族の男がこぼれ落ちる血を飲もうと大きく口を開けてこちらを見上げている。恍惚とした表情のまま、大きく開けた口の端を僅かに上げて笑った男が、右手に持った槍をレフィスにめがけて大きく振り下ろした。

「女と喋る暇があるとは、随分余裕だな」

 冷ややかな声と共に、部屋の中の空気が切れた。かと思うとレフィスを捕らえていた男の腕が肩からすぱっと切り裂かれ、熱を持たない赤黒い血液が宙に乱れ舞った。

「ぎゃああっ!」

 左肩から迸る血を右手で押さえ、男が血走った目でユリシスを睨み付けた。当のユリシスは表情ひとつ変えずに、自身の剣を構えたまま、宙に浮く男を見据えている。

「人間ごときが、よくもこの私に傷を……っ。私は高貴なる魔族ぞ! いずれこの大陸を支配する者ぞ!」

「魔物と神魔の融合がよく吠える。所詮どちらにもなれぬ出来そこないが」

「貴様ぁぁ!」

 枷を失い床に落下したレフィスだったが、体に巻きついていた腕の残骸が衝撃を吸収してくれたおかげで、幸いと言うか傷はない。気持ち悪い腕を体から引き剥がし、状況を確認しようと顔を上げたレフィスの目に映ったのは、肩から溢れ出す血液を無数の槍に変えてユリシスに狙いを定めているの魔族の姿だった。

「ユリシス!」

 レフィスの叫びを合図にしたかのように、血の槍が一斉にユリシスめがけて弾き飛ばされた。周囲をすべて囲まれ逃げ場などどこにもなかったが、ユリシスの表情は少しも変わらない。じっと一点を見つめたまま微動だにせず、迫り来る血の槍に貫かれようとしている。

「ユリシス! 何やってるのよっ、逃げて!」

 レフィスの声に重なって、魔族の男の高らかな笑い声が響く。そして控えめに重なる声が、もうひとつ。

「愚か者が」

 ――ごうっと紅蓮の炎が、ユリシスを中心にして渦を巻いた。
 赤黒い血の槍を飲み込んだ炎は勢いを増し、そのまま宙に浮く男の元まで一気に跳ね上がる。

「何っ!」

 一瞬怯んだ男の目の前で紅蓮の炎が左右に割れ、その中から現われたユリシスが目にも止まらぬ速さで男の青黒い体を真横に切り裂いた。

 レフィスの目には、何も映らなかった。血の槍が降り注いだかと思うと紅蓮の炎がそれを焼き尽くし、瞬きをした後には床に青黒い男の体が二つ転がり落ちている。その脇に軽やかに降り立ったユリシスが、剣についた血を振り落としながら、足元に転がる体を冷めた眼差しで見つめていた。

「……ユリシス?」

 小さく届いた声に、ユリシスがレフィスを振り返る。レフィスではまるで歯が立たなかった魔族の男を、ユリシスはいとも簡単に倒してしまった。危険度は星三つだと言うのに、それを感じさせない速さですべてを片付けてしまったユリシス。彼の強さに、レフィスはただ驚くばかりだった。

「帰るぞ」

 すれ違いざまにそう言ったユリシスに、レフィスの意識が引き戻される。仕事が終われば、この城に用はない。床に転がるだけの体と一緒に取り残されるのはごめんだと、慌ててユリシスの後を追おうと走り出したレフィスの足首が、冷たい何かに触れた。

「きゃあっ!」

 叫んだ拍子にレフィスの体が床に転がり込んだ。何事かと振り返ったユリシスの目に、先程切り落とした男の左腕がレフィスの足に巻きついているのが映る。しかもそれは自ら意思を持つかのごとく動き、捕らえたレフィスを真っ二つになった体の方へ引き摺り出した。

「や、やだ!」

 脆くがたがたとなった床の上を引きずられるのはかなり痛かったが、それよりもあの二つに裂かれた男の体の元へ行くのが嫌で、レフィスは必死になって両手を床にへばりつかせる。瓦礫で手のひらを切ったが、それでも床から手を離さなかったレフィスを追って細い血の跡が蛇行した。

「レフィス!」

 素早く駆け付けたユリシスが腕を切り離し、レフィスが体を起こした時には、既に全身傷だらけになっていた。服はところどころ破れ、頬も手のひらも擦り切れて血が滲み出ている。特に右手の傷が深く、手のひらには細く尖った石が突き刺さっていた。その石を引き抜いたレフィスが痛みに顔を歪ませたまま、自分を引き摺った腕を睨みつける。

「ほんと……どうして魔物も魔族もしつこいのよ。まさか、体の方も起き上がったりしないわよね?」

 そう言って顔を向けたレフィスの瞳と……ゆらりと青黒い顔を上げた男の目がばっちりと重なり合った。

「いぎゃあ!」

「……このまま死んで、なるものか。……道連れに……お前たちもっ」

 息も絶え絶えに呟く男の切り離された上半身が、ぼこぼこと内側から膨張を始めた。
 浮き上がる血管。飛び出す眼球。だらりと垂れた舌、開いたままの口から白い煙が細く糸を引いて漂い始める。

「まずい。自爆するつもりだ」

「え? えっ?」

「逃げるぞ。おい、立て!」

 強引に腕を引かれ、今度はユリシスに引き摺られるようにして部屋を横切るレフィスが、無意識に胸元に手を当てた。それはひとつの癖で、そこに在るはずのものの存在を無意識に確かめる動作に過ぎない。が、今回ばかりはその手ごたえがいつもとは違った。

「嘘!」

 悲鳴にも近い声で叫んで、レフィスが来た道を振り返った。胸元にあるはずの、小さな感触。ずっと肌身離さず身につけていた、いわばレフィスの半身。それがいつの間にか、レフィスの胸からなくなっている。

「おい、レフィス! 何やってる!」

「ないの! 私の宝物っ!」

「そんなもの捨て置け!」

「絶対だめ! あれは大切な約束の……」

 素早く床を滑るレフィスの視線が、かすかに光る何かを捉えた。ぼこぼこと膨れ上がる男の体の少し手前、投げ出された左腕の近くに、探していた赤い小さな光が見える。

「あった!」

「馬鹿っ。戻れ!」

 ユリシスの言葉を無視して走り出したレフィスと、湯気を出す男の目が合った。



 ――――約束の印に、これを預けていくよ。



 必死に伸ばしたレフィスの血に濡れた右手。
 その指先に、幼い頃の幻影が揺らめいた。
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